独身お嬢の×一パパ介護日記

独居老人だった父親が認知症になりました。
通ったり、施設に預けた末に現在同居しながら介護中。

お試し外泊 4日目

2009-11-04 01:11:42 | 日記
朝は昨日父が買い物で見つけたバナナ。

その後、父の部屋のダンボールに入った荷物を整理してもらった。と、父の生まれたときからのアルバムが出てきてうれしそうだった。私も見て楽しかった。たまたま向かいに当時としては珍しい写真家が住んでいたそうで、よい写真がたくさんある。「お父さんが死んだら、博物館に寄贈してみるよ」と言ってあげた。

昼は、試しにカップ焼きそばをつくらせてみる。だが、難しい。ふたを少しめくってお湯を入れるべきところ、すべてめくろうとするし、ソースを入れるタイミングもわからない。そもそもソースの袋をなかなか開けられない。これでは、カップ麺を置いて外出するというわけには行かないだろう。先を考えると頭が痛い。

午後にシルバー人材センターの人がきた。父の外出介助、家事援助をできる人を頼んで置いたら、すぐにヘルパー2級の資格をもつ71歳の女性が手をあげてくれたそうだ。付き添いできた事務長も老人の男性。元法務省のお役人と言っていた。これも天下りだろうか?でも、実際に顧客先をまわって仕事をしているのだからよしとしよう。

最後の夜。かきのチゲ鍋をつくった。かき、豆腐、からいものと、父の好物を集めた料理にした。でも味はもう一歩。

私は夜マッサージを受けに行き、帰ってから夜3時まで仕事の準備。朝が遅いので、父用に食パンとせんべいを食卓に置いておいた。

お試し外泊 3日目

2009-11-04 01:03:44 | 日記
昼は、母を誘って私の誕生日の食事会。

近所のおしゃれなレストランを予約した。まわりは若いカップルだらけ。奥の半個室だけが年配の家族会。母と私が話をし、父は入ってこない。数年前までは3人、あるいは弟も入れて4人で話せたのに。そうできないのは、母の片耳が聞こえなくなり、父の声が聞きづらくなったのと、父が痴呆になって、少しずつだけど進んだから。両親が老いるのを見ると、家族で話す、あるいは歩く、話す、見る、当たり前のことが永遠にできるわけでないことを知り、今できることを楽しもうと思う。仕事ででも、スポーツでも。

帰りはスーパーで食材を買い込んで、父に半分持ってもらって帰る。荷物は積極的に多くもってくれようとするが、歩くスピードは遅く、少し歩くと「歩くと腰が痛い、歩かないと歩けなくなるな」と言う。老人ホームは規則正しい生活をさせ、しつけてくれるが、やはり歩かないのは難点だ。


お試し外泊 二日目

2009-11-04 01:01:21 | 日記
朝、7時ごろから置きだして私の扉を開けようとしたり、うろうろしている気配がする。無視して寝ていると、玄関の扉を開ける音がした。まずい。あわてて追うと、はや階段を下りて、オートロックの集合玄関の外に出て入れないでいた。連れ戻すと「ここどこ? 何がなんだかさっぱりわからない」と言う。おなかも空いたらしい。朝食はしっかりつくった。

やることがないので、ぼけ防止を兼ね、家の掃除を頼んだ。フローリングワイパーをわたして頼むと、「敷物は上げるのか」などと聞いて、きっちりやってくれた。居間、台所、私の部屋、父の部屋。助かった。

今日は土曜日だが仕事の打ち合わせがある。昼食準備の時間がなくなって、せんべいと焼き芋で済ませてもらった。仕事の後美容院に行って帰りが8時を過ぎた。おなかが空いたらしく、テーブルの上にあったあめを一袋全部食べていた。それで「飢えをしのいだ」と言う。レンジでレトルトカレーを温めて二人で食べた。

お試し外泊 初日

2009-11-04 00:43:10 | 日記
金曜日から、老人保健施設に預けていた父を一時外泊で私の家に泊めた。

先月面会に行ったとき、「一日誰とも話さない」と言って、覇気がなかったので、励まそうと思ったからだ。

金曜日の夕方、五時過ぎに介護タクシーで帰宅。6000円以上かかった。普通のタクシーより介護料で1000円高いのと、出掛けに30分以運転手さんが待たされたためそうだ。

父の部屋としていた部屋に通してしばらく一人にすると、置いてあったふとんを広げて寝る準備をした。以外に手がかからない。居間に通すと、家が「きれいだ、広い」とほめてくれた。その後、戦友会の会場や大学の同窓会の幹事や、老人保健施設でできた友人の家に電話をした。私がダイヤルしてあいさつし、父に代わる。父は、旧友に対しては、まるで痴呆をかんじさせないぐらいに、しっかりと気遣いをもって熱をもって話す。聞いててほっとした。親孝行になったとも思う。

夜は早く寝て助かったが、夜中に私の部屋の扉を開けようとした。私の部屋は防犯を兼ねて頑丈なドアストッパーを置いてあるので開かない。と、トイレの扉を開ける音がした。どうやら、隣のトイレの扉と間違えたようだ。


ケアプラン作成会と面会

2009-08-10 23:56:37 | 日記
父が入所して二週間後、初めての「ケアプラン作成会」に行った。

出張で大阪に向かう新幹線の中で電話をもらい、「強制ではないがよかったらご家族も来てください」とのことだった。

相談員について部屋に入ると、会議室の細長い机にずらりと職員が並んでかけている。時間になると、左の女性が
「施設長の○○です」と自己紹介。
 介護の担当者の説明は
「食事は安定して完食。常食で1400キロカロリーです。穏やかな性格で、生活リズムは穏やかで、ここでも穏やかにすごし、他者とのトラブルないことが目標です」
 まるで小学校の面談に来た保護者の気分で聞く。
 隣の若い男性はリハビリ担当で、
「ご家族から腰が痛いとの申し出がありましたが、ご本人からの訴えはありません」
 施設長の女医がもう一度。
「お父様は前回一週間お試しで入られ、見守りがあれば在宅でも可能な状態です。そこのところをご家族はどうお考えですか」
 私はぎくっとする。引き取れと言うことか? 施設長は書類に目を落としながら続ける。
「まあ、目が悪いのでね・・・・・・。だから聴覚が敏感なためか、健常者が穏やかに接すればOKなところも、痴呆棟に入っているのでまわりが認知症なのでイライラが募っているようです」
 介護の担当者が続けた。
「40人が一緒にすご過ごす摩擦、軋轢にもイライラしており、体は大丈夫なのですがその点が気になります。く、お父様はまわりの女性の声が気にかかるようで、前回のお試しショートステイのときよりもストレスが溜まっているのが気になります。ご本人は『一週間のつもりで来たのでいつ帰れるか』なんて言ってるんですよ」
 父には、施設入所ではなく、一週間泊まりのデイケアに行くとだまして連れてきたのだ。ぼけて忘れてくれるかと思ってたが、忘れてなかったのだ。入所時「来週迎えに来るからね」と言って今日まで二週間放っておいたが、先週顔を出して安心させておくべきだったかもしれない。私も必死になって意見を言った。
「ここに入る前は独居で、痴呆が進んでそれも限界になってきました。区の担当者とケアマネージャーが会議を開いてくれ、私が同居することを提案したら、『あなたがつぶれてしまう、施設がいい』といわれました。それでも一応同居も考えて(二人で住める)部屋も抑えてあります。でも、とりあえず、集団の中で苦痛を感じているなら、一階の喫茶室に連れ出したり、常時は(金銭的に)無理ですが、ときには二人部屋や個室に入れてやってください。あと、父は落語が好きなので、私は近くの演芸場に連れ出したり、落語のテープをもってきて気分転換してもらうようにしてみます
 介護の担当者が答えた。
「痴呆棟は4人部屋ばかりで、個室はないんですよ。お父様は痴呆も軽いので、二階の一般フロアが開けば移すことも考えます。落語はいいですね。ご家族が連れ出してくれれば風通しもよくなります。DVDでももってきてくだされば、皆で聞けますし」
 会議が終わって、父に会いに上がった。