how?

"so-whatical" music review

地震

2011-03-12 23:11:55 | Weblog
 このブログ読者は、特に関西の方が多いと思うので、今回、僕が見て感じた地震について書いておこうと思う。

 地震の日、僕は横浜にいた。この日、何故、横浜にいたかというと、翌日に鎌倉で義弟の結婚式を控えていた為。妻と子供と3人で、滋賀から新幹線に乗って、昼頃に横浜入り。ランチを食べ、山下公園近くの今晩の宿へ向かおうとしていたのだけど、この日も花粉の飛散が凄くて、目のかゆみで涙が止まらない状態。やっぱり、都会の花粉は非常にキツイ。
 「しまった。サングラス忘れたなぁ…。」
 妻と子供には横浜駅近くのスターバックスで待ってて貰って、僕は一人でサングラスを買いに。用事が済んでスターバックスに戻り、「さぁ、今から向かおうか!」と立ち上がった矢先だった。

 「アースクエイク!」

 隣のテーブルに座っていた外国人の方の、この一声で気が付いたかと思うと同時に物凄い揺れ。しかも長い。棚に並んでいたコーヒーカップは落ちて割れ、天井から吊ってあったライトの傘もことごとく割れた。その陶器やガラスの割れた甲高い音が、さらに集団パニック的な様子を掻き立てた。

 悲鳴と共に、慌てて外に飛び出した人々で、駅前の道路という道路は埋め尽くされた。で、パニックから少し時間が経って、みんなが取った行動は、やはり携帯を開ける事。僕は駅前の赤い鉄塔が揺れ続けているのを見ながら祈った。
 「せめてここ横浜が、一番震度が高い地震でありますように…。」と。
 しかし、僕の願いは、携帯で一早く情報を掴んだ人の話してる声で一瞬で消え去った。
 
 「震源は仙台の方だって!」

 僕は直感した。「絶対、東北が大変な事になっている。」

 実は、義父は仙台の出身。だから、明日の結婚式には、仙台から義兄とその子供達や沢山の叔父さん叔母さんが来る予定になっていた。しかし、この状況下では、具体的な情報は全く分からない。

 心配を抱えながらも、まずは宿へ向かうべく交通機関の復旧を待つも、復旧のメドは立たずで時間は過ぎて行くばかり。そうこうしてる間にも、二度三度大きな揺れが起こり、怖くて建物の中にも入れない。外でじっとしてるだけ。目の前のキヨスクには長蛇の列が…。みんな飲食物の確保に必死だ。
 そして夕方になり、昼間の暖かさが嘘のように天気が悪くなってきた。このままいくと寒さでやられてしまいそうだ。雨も降ってきた。まずい。

 僕は横浜の地図を広げて考えた。「もう歩くしかない!」

 特に4歳の娘は、泣き言も言わず頑張って歩いてくれた。僕は重いスーツケースで手が棒の様になりながら約2時間。ようやくホテルに着いてテレビを点けた瞬間、初めて東北がどうなっているか分かった…。


 僕は、妻と結婚する段になるまで、東北とは、ほとんど縁が無かった。高校の修学旅行で会津に行った事がある位だった。初めて仙台に行ったのは、結婚前に仙台の義祖母や叔父さん叔母さん方に挨拶に行った時だった。
 この時、僕は仙台という街を一発で気に入った。僕は、それまで色んな街を見てきたけれど、ある程度の人口の都市(例えば「政令都市」という括りでも良いけれど)で、こんなに美しい街を見た事が無かった。街の人の心の持ち方とか、倫理観とか、そういうものに凄く惹かれた。

 あの仙台空港から市街に向かう海岸道路や、叔父さんに案内してもらった女川町等、僕の美しい記憶にある美しい風景のほとんどが、あのドス黒い津波で押し潰されてしまった。信じられない映像が僕の目に飛び込んだ。


 結婚式は延期という事になり、僕ら家族は、今晩、何とか滋賀に戻ってきたけれど、未だにニュースを見て呆然としてる。原発の事とか言いたい事も沢山あるけど、まずは、少しでも多くの命が救われて欲しい。ホント切にそう思うし、それに尽きる。

 

 


 

 

わごむの事

2010-12-06 04:02:57 | 音楽
 バタバタしてるうちに、もう12月!何てこった!このブログも滞っとる!

 実は、いくつか下書きしたり、途中で書くのを辞めてる分もある。うーん。いい加減というか筆力が弱ってきてるというか…。けども、そうこうしてるうちにも書かなアカン題材は溜まっていく一方やし、いよいよ成し遂げなアカン音楽的課題も出てきたし…。

 うーん。

 バンド活動だけでも整理してみよう!

 10月30日と11月3日にライブを連荘で演りました。楽音イベントと愛東マーガレットステーション(道の駅)のイベント。
 楽音の方は「ジプシー」が。愛東の方は「アイ・コール・ユア・ネーム(ビートルズのカバー)」「Fly!Fly!」「ナゾ怪」の3曲が、今の所、ユーチューブに挙がっています。

 ライブの出来は…、決して自分では「ベストパフォーマンス!」とは言えなかったけれど、色んな方から色んな反響があったし、それはホントとても嬉しい事でした。バンドとしては、克服出来た課題もあったし、今後の課題も色々見付かったしで、有意義な演奏活動になったと思ってます。

 今年は、わごむで多くライブが出来た方の年だったかもしれません。多分、現時点で6本位ライブ出来たと思います(特に楽音の皆さんのおかげです!有難うございます!)。
 しかしながら「来年は、このペースのライブ活動は難しいかもしれないね。」という話は、実は、早くもメンバー間では、なされています。少なくとも、来年、いや向こう3年位は、メンバー間の都合が合わせ辛いだろう事だけは分かっているのです。

 「わごむの音を何とかパッケージ化出来ないか?」

 この課題は、この結果、必然的に生まれてしまった。以前から「わごむのCDって無いの?」っていうリスナーの声は、幾らか聞こえてきていたものの、僕らは、聞こえないフリをしてきた。聞こえないフリ?実はただの臆病者だったのかもしれないし、ただの面倒臭がり屋だったのかもしれないけれど…。

 僕に限って言えば、何故、これ程レコードばっかり聴いてるレコードオタクが、自分の音をパッケージ化、記録しようとしないのか?と、自分に言いたくもなってしまう。色々知ってるくせに!って。
 
 でも、はっきり「僕はライブが好き!」って事だけはホント断言しても良い。いや。ここではっきり断言しておきたい。だから、今、わごむが向かっている山は決して一つのゴールじゃない!あくまで、ライブパフォーマンスの進化の為に、レコーディングという山に寄り道しようとしてるだけだ!と言っておきたい。


 わごむのスタジオ録音及びその具体的な形は、いつ完成するか分からないけど、今、言えるのは準備進行中って事だけ!そう。準備進行中だ!

  

楽音に寄せて

2010-09-21 00:00:50 | 音楽
 楽音イベントでいつもお世話になっている、TT BANDのyo!さんのブログがとても面白くて、毎回、楽しみに拝読させて頂いているのだけど、その最近の更新で「楽音(らくおん)に寄せて」という文章を書いておられていて、その文章にあまりに感銘を受けてしまったので、居ても立ってもいられなくなり、ここで、僕も書いてみたくなりました。
 本当は、yo!さんのブログにコメントすれば良かったのですが、コメントの枠では書ききれない気がしたので…。

 僕が特に感銘を受けたのは、「演奏する側は聴いてくれる人がいないと成立しない」っていう下りで、「下手でもいい。コピーでもいい。カバーでもいい。何かを伝えよう、伝えたいっていう姿勢が大切で、自己満足のままでは音楽として成立しない」という一文。

 ひょっとしたら、「そんなん当たり前やん!」って思う人がいるかもしれないけれど、これが、実は、多くのミュージシャンが見失いがちになってしまう事でもある。


 ここからは、僕の話。

 僕は、多分、初めてビートルズに電流が走ってしまった瞬間から「ロック」という表現方法を選んだんだなと思うけれど、初めは、きっと「ビートルズみたいなカッコイイ事がしたい!」という欲求から始まったんだと思う。

 そう。僕も初めは、「憧れのミュージシャンの様になりたい。」という思いでギターをやっていただけだった。自分がカッコイイと思うものをコピーする。それしか無かった。でも、不思議なもので、勇気を出して人前で演奏してみると、それだけでも色んな反応が沸いてくる。
 「上手いなぁ」と言ってくれる人。「実は僕もこういう音楽が好きやねん」って言ってくれる人。勿論、批判的な意見もあったけど。

 僕は、やっぱり、ただ「上手いね」って言われるよりも、「実は僕もこういう音楽が…」って言われる方が数倍嬉しかったし、そういう人とは、とことん長話をした。自分がカッコイイと思う事が伝わった気がしたからだ。「上手い」っていうのはちょっとだけ嬉しいかな?位だった。何故なら、僕自身が、何を持ってしたら「上手い」って事なのか、当時さっぱり分からなかったからだ。

 大学生になって、音楽サークルにのめり込むと、この「上手い」という言葉が何なのか、益々分からなくなってきた。この多くの人がミュージシャン評価の採点対象にする「上手い」は、何なのか?で、これは悪い方向に走り出すと、完全に自己満足の世界に入ってしまう恐ろしいものだとも思った。

 大学時代のある時期、僕はこの自己満足がとても怖くなって、「上手い」に勝手に線を引く事に決めた。まず、ギターなら指が早く動くとか、トリッキーな事が出来る器用な人は、また別のカテゴリーの「上手い」。そうじゃない本当の「上手い」は、メトロノームが体に入っている人で、それを基準にバンド全体の音を聞き分け、自分の楽器でグルーブを上手く操れる人、と決めた。だから、逆に言えば、自分の独特のグルーヴ感だけで勝負する人は、敢えて「上手い」に入れない事にした。

 そう決めてしまったら、当たり前ながら、世の中に「上手い人」なんて星の数ほど居る。勿論「上手い人」は感心に値するし、「出し物」としても立派に成立するけれど、だからと言って「ただ上手いだけ」の人のライヴをまた観たいなぁとも思わないし、レコードを買おうとも思わない。

 僕は、ある時期「何で自分が音楽を演りたいのか?」という事を改めて真剣に考え続けていた事があって、「ただ上手くなりたいから」ではないのは分かっているものの、それが何なのか?何に突き動かされて音楽を演りたいのか?その答えが分からなくて、悩んだ時期があった。分からないなら音楽なんて演らなければ良い筈なのに、何で演りたくてしょうがないのか?

 もし、この頃の僕と同じ悩みを持ってる人がいたら、前述のyo!さんの言葉を思い出しながら、自分の演りたい音楽を練ってみる事をお勧めしたい。聴いて貰いたい音表現でも良いし、曲にならなくても良い位の気持ちで作詞してみるのも良い。そうすれば、自分が人に伝えたい事が何となく分かってくる。

 で、僕は、特に「自分の様な人に向けて表現したい!」っていう思いに突き動かされているんだなぁ、という事が、ある時期から、はっきり分かってきた。それは、例えば、弱い自分であったり、不器用な自分であったり、素直になれない自分であったりするのだけど、つまりは等身大の自分であったり、自分のごく周りにいる人達の事だ。

 なるほど。そう思えば、ある意味、勇気を出して初めて人前で演奏した高校生の頃とあまり変わってない。当時の僕は、文化系の何とも目立たず、冴えない高校生だったけど、同じ様なタイプの人達が共感してくれたのがとても嬉しかったし、当時は「体育会系の目立ってモテてる奴等に一泡吹かしてやろう!」みたいな気概もあった。
 そう。勝手に「僕が文化系代表!」位に思ってたのかもしれないけれど、やっぱり、僕の原点はここなんだなぁ。「僕の伝えたい事」の源はやっぱりここだ!

 

 

ザ・ビートルズ・アット・ザ・ハリウッド・ボウル

2010-08-08 08:41:52 | 音楽
A面:①ツイスト・アンド・シャウト②シーズ・ア・ウーマン③ディジー・ミス・リジー④涙の乗車券⑤今日の誓い⑥ロール・オーバー・ベートーベン
B面:①ボーイズ②ア・ハード・デイズ・ナイト③ヘルプ!④オール・マイ・ラビング⑤シー・ラブズ・ユー⑥ロング・トール・サリー

 わごむのベーシスト波部さんは、「人の音楽における初期衝動、つまり、「何で音楽を演ろうと思ったか?」っていう話を聞くのが凄く好き!」と、よく話しているけれど、ミュージシャン同士の会話で、きっと、この命題は欠かせないものだろう。
 そのお題は、プロのミュージシャンのエピソードを読み聞きするのも面白い。例えば、上田正樹が「それまで、医者を目指して勉強ばっかりしてたけど、アニマルズの来日公演を観た瞬間、全てがぶっ飛んだ。」というエピソードを聞くと、僕がもしあの当時にティーンエイジャーだったとしてアニマルズを観ていたら…等と想像してしまうだけで、楽しくなってしまう。そうそう。そういえば、鮎川誠が、以前、「ヤードバーズのニューヨーク・シティ・ブルースを聴いた瞬間、ぶっ飛んだから。」何て言っていたが、「それホンマに?初めっからそんな渋過ぎる奴いる?」っていうエピソードもあるけど…。

 で、僕は、多くの人がそうであるようにビートルズ!だけど、ホントの意味で、この「初期衝動」にブチ当たったのは、中学1年生の頃。

 好きになるかどうかはさておき、ビートルズに触れるきっかけは人それぞれだと思う。で、僕の場合は、まず親が好きだったという事は無かったから、身内からの影響は全く無かった。今から思えばだけど、例えば「突然ガバチョ」(関西人には懐かしい番組!)に「ア・ハード・デイズ・ナイト」が流れてたとか、思い当たる節はいくつかあるのだけど、当時(小学生の頃)は「これがビートルズ」っていう意識は全くなかった。

 で、ビートルズという名前を初めて認識しだしたのは、僕の場合は「ポピュラー音楽の範疇として」のビートルズ。例えば、下校の時間に流れる学校放送のBGMの中にイエスタディが流れていて、「これ、ビートルズって言うらしいぞ。」位の感じ。後、悪霊島で「レット・イット・ビー」が流れてたとか…。つまり、僕のビートルズのイメージはあくまで、イエスタディとレット・イット・ビーだった。要するに「綺麗なバラードの人達」でしかなかったのだ。

 で、中学生になった頃。ラジオが好きになって、自分の部屋に篭ってラジオをつけっぱなしにする様になってからのある日、その「初期衝動」は突然の嵐の様に訪れた。それは、紛れもなく「ツイスト・アンド・シャウト」がラジオから流れた瞬間だった。それは、今でも何て表してよいのか分からないけれど、僕の中に今まで感じた事の無い、もの凄い感情が沸いて止まらなくなってしまった瞬間だった。

 「これ何なん!」

 で、畳み掛ける様に「ロング・トール・サリー」が流れて、僕の興奮はピークに達してしまった。

 「僕は絶対、こういうカッコイイ事を演ってる奴等のメンバーの中に居ないと駄目だ!」

 どうしたら、そうなれるのか?とか、全く考えなかったけれど、ただ漠然とそう思ったのだけは鮮明に覚えている。
 で、その「初期衝動」の数日後。偶然、廃品回収の日に、ネックがエビの様に反っていて、多分、もう何年も弾いてないであろうと思われる埃まみれのフォーク・ギターを、近所のおじさんが捨てようとしていたのをたまたま発見。

 これでもう決まったも同然!


<レコード評>

 このレコードは、もともとビートルズのライブアルバムを作る企画でジョージ・マーティンが機材を持ち込んで録音したものの、お蔵になってしまってで、EMIの何十周年だかの企画でレコード化されたものらしい。
 この頃のビートルズの場合、ライブとレコードで大幅にアレンジが変わるという事も無いし、当時のPA機材のイマイチさやら、やたらとうるさいビートルマニアの金切り声のせいもあってか、あまり本流で語られる事のないレコードだ。

 ただ、僕に言わせれば、ライブとレコードでアレンジが違わないのが、結果良かったと言える。何故なら、これは、単純に「選曲が良いレコード」だからだ。だから、ビートルズ初心者がいきなり聴いても全然良い。ライヴ盤だと思って聞かなくても良いアルバムだと僕は言いたい。

 話は元に戻るけれど、その「初期衝動」の結果、僕がレコード屋に走って探したビートルズのレコードの条件は、ズバリ「ツイスト・アンド・シャウトとロング・トール・サリーが入ってるレコード」だった。それだけ。当時はライブ盤だからどうとか考える余裕すらなかった。まず、その2曲が入っている事が大事だった。

 で、これは、僕が初めて自分の意思で、自分の小遣いで初めて買った、記念すべき「ロング・プレイング・レコード」でもあった。だから、このハリウッド・ボウルのライブ盤は、僕のミュージシャンとしての出発点であっただけでなく、「レコード好き」の出発点ともなった記念すべきレコード。

 初めて買ったLPがこれなら、前述のこの「初期衝動エピソード」も、自分の場合、なかなか誇らしく語れる!だって、ある意味渋い!

KEEP ON MOVING ~ソライロネオン

2010-08-02 05:00:15 | 音楽
 ①Keep On Moving ②マラケシュ


 何とこのCDシングル。100円!
 
 ソライロネオンのCDは、毎回書いてるので、今回も書いてみます。

 ①は、きっとソライロのライヴで今後も頻繁に聴けるであろう「ロックチューン」だが、僕が驚いたのは、大々的にソロパートでフューチャリングされているキーボード。ジャケットの漫画の勢いそのままだが、まるでディープ・パープル!歌詞もなかなか凝っていて面白い。
 むしろ②の方が、今までのCDを聴き慣れたリスナーなら、「そうそう。こんな感じがソライロネオン。」って思うかもしれないけれど、まぁ、僕に言わせれば、どちらもソライロネオンだな!やっぱり!らしさが出まくってる2曲。

 そういえば「今後、月一ペースで、3曲入りのCDが6枚連続で出る予定。」というメールを、最近、布屋君本人から貰ったところ。地道にタワーレコードのポイントが増えそうだ!

 

仲井戸麗市 with 早川岳春 近江八幡公演 at  酒遊館 2010.7.15

2010-07-17 05:10:22 | 音楽
 前にチャボのDVDについて本ブログに書かせて貰った時に、酒遊館(僕の実家から近い近江八幡にあるライヴハウス)でのライヴについて少し触れさせて貰ったけれど、書かせて貰った後というグッドタイミングに、酒遊館から公演案内の手紙が来た。それによると…。

 何と7月15日にチャボが来るやん!しかも今回、早川岳春と一緒にやん!
 結局、観たい衝動は抑え切れずで、行って来ました!

 で、未だに余韻が醒めぬまま、これを書いてる訳だが、カッコ良かったなぁ…。

 今回のライヴは「GO!!60」と題されていたが、チャボも何と今年で還暦を迎えるそうだ。しかし、何てカッコイイ60歳だ!信じられない位、カッコイイ60歳だ。僕の周りにはまず居ないな!こんな60歳!

 で、レポート。

 冒頭からドブロギターによるスライドプレイ全開で、いきなりストーンズの「ユー・ガット・ムーヴ」をかましてくれた所で、もう客の心を鷲摑みにしてしまった感があった。
 今回は、早川岳春が居るからだと思うけど、続けて演った曲「アメリカン・フットボール」とか「ブルー・ムーン」とか「ギブソン」とかも、ワリとリズミカルな感じになっていた。「ホーボーへ」なんて渋い曲も演ってくれたなぁ。
 「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のカバーには笑った。「こんなステージングしてるの、俺とキー坊(上田正樹)位だよ!」と言っていた。そう。あまりに古典なステージングに思わず笑ってしまったのだ!
 で、僕がチャボのライヴで初めて目の前で聴けて、あまりに感激したのが「君が僕を知ってる」。冒頭、チャボは「清志郎はライヴでこれを演る前に、「日本のミディアムテンポのリズム&ブルースでは最高傑作」と言ってたんだけど、俺もそう思うんだ。」と言っていたけど、僕に言わせれば、それは本当に間違いないだろう。で、僕は知らない間に一緒に声を張り上げて歌っていたし、そのギタープレイを見逃すまいと目を皿にして、チャボのプレイを観ていた。その姿は自分で言うのも何だけれど、この難しいギタープレイを何とか自分の物にしようと必死になってレコードを聴いて練習していた、まさに「ギター小僧」だった高校時代位の頃と同じだった。一瞬にしてあの頃に戻ってしまったのだった。
 この後、「雨上がりの夜空に」を演ってくれた後にも、「バンドやってる奴いたら、この曲演ってくれよな!」ってチャボは言ってたけれど、「僕等、去年、バンドで「君が僕を知ってる」演ってんで!」ってホント、チャボに言いたかった!心配しなくても、僕等の世代は、きっと、これらの名曲達を伝承していくだろう!

 後、もっと書きたい事が山の様にあるのだけど、これだけ書いただけでも、書き過ぎかもしれない。「ツアーがまだ半分位過ぎた所。」との事だったので、これから観に行く人の楽しみが減っては大変だ。だから、演ってくれた曲の話は、これ以上は辞めておこう。

 最後に。

 当然ながら、チャボのライヴに来る人の客層が、僕等世代、いや僕等より上世代が多くなっているのを今回特に感じた。勿論、若い子も沢山来ていたけど…。

 しかし、これは、とても良い事だと思った。何故なら、最近、お世話になっている、「楽音イベント」と、とてもよく似た雰囲気を感じたからだ。
 僕等より上の世代とか、もっと言えば団塊の世代の方に、きっと音楽を楽しむ時間が増えたんだろう。だから、彼等が若い頃リアルタイムだった本物のロックの時代が、また戻って来つつある。
 僕等がたまたま60年代~70年代位の音楽が好きで、そんな感じのバンドをやり続けていた所が、意外な事に、最近、例えば白髪混じりの方なんかに「君らなかなかヤルなぁ!」と、声を掛けて貰える事が増えたのだ。で、この手の方達は、本当に音楽の事を良く分かってる人が多くて、ホント真剣に聴いて下さってるから、演ってる方は凄く嬉しいし、やりがいも沸いてくる。演る側のテンションも上がってくる…。

 「桶屋が儲かる」では無いが、そんな相乗効果が生まれつつある。だから、「団塊世代」がリアルタイムだった頃の本物のロックは、きっと僕等世代「第2次ベビーブーマー」から「第3次ベビーブーマー」(少子化と言われる時代に、そんな用語は多分無いのだろうけど)に間違いなく受け継がれて行く事になる!

ナッシュビル・スカイライン ~ ボブ・ディラン

2010-07-10 02:10:09 | 音楽
A面①北国の少女②ナッシュビル・スカイライン・ラグ③トゥ・ビー・アローン・ウィズ・ユー④アイ・スリュー・イット・オール・アウェイ⑤ペギー・デイ
B面①レイ・レディ・レイ②ワン・モア・ナイト③嘘だと言っておくれ④カントリー・パイ⑤今宵は君と


 今回は、アコースティック・ギターについて。

 6月26日の楽音イベントライヴの模様が、まだ、わごむHPにアップされてないので、先にこっちに書いてよい話なのかどうかはさておき(実は、レポートの原稿は頼まれてます。少し待って下さい!)、波部さんが急遽出られなくなってしまったという事情で、前日にアコースティックの3人編成で演る事が決定。慌てて、アコギを準備することになったのだけれど、そういう都合もあって、今回、久し振りに、僕の所有楽器で最も高価であろう「ギブソンJ-200」をステージで使う事になった。

 このJ-200。意外や僕が唯一所有するギブソンなのだけど、これは、やはり「マーチンD-28と並ぶアコギの王者」と言ってもよい音色と風格を放っている。勿論、マーチンとは音も全然異なる訳で、アコギで好みの音を大くくりにするならば「どちらか派」になる人が多い様だ。

 しかしながら、このJ-200なんてギターは、学生時代の僕にとっては、まさに垂涎のギターであって、これを将来所有する事になるなんて、当時はまず考えられなかったなぁ…。今でも持ってる自分が信じられないと思う事もあるし、未だに店で見掛けても「おおっ!」と思ってしまう辺りは、やはりこのギターが放つ独特のオーラに他ならないだろう。

 因みに萩原君は「ギブソンJ-160E」を愛用しているが、僕のJ-200と彼のJ-160Eは、僕等を繋ぐ絆というか、そういう物の象徴の様な存在でもある。何故なら、僕と萩原君は、高校時代から「将来、お互いがギブソンのアコギを所有してて、何気に公園なんかでセッションしてる様な感じになってたら、さぞかしカッコイイ大人やろな!そうなったら最高やのにな!」という話を毎日の様にしていたからだ。
 僕等はこれを、その10年後位に実現した訳だ!まだお互いが独身時代だったり、僕に限って言えば、少しギャンブル運が冴えていて小金を持った時期に、お互い「せーの」で同じ時期に買いに行った訳だ。

 で、僕が、特に、このJ-200を「自分が欲しいアコギの天井」と思い焦がれた理由は色々である。キース・リチャーズが持ってるのを観たのもあったし、忌野清志郎がこれを持ってた時のライヴがカッコ良かったというのもあったと思う。だけど、一番の理由は、きっと、ディランが笑って帽子を取ってるこのレコードジャケット。「ナッシュビル・スカイライン」だろう。だから、僕のJ-200はこれと同じ色なんだな!きっと!


<レコード評>

 これを初めて聴いた時は、ホント驚いた。当時は「ブロンド・オン・ブロンド」を先に聴いていて、すっかりハマッていたから尚更だった。
 A①は、勿論「フリーホイリーン」で先に知っていた曲で、メチャ好きな曲だったから、余計驚いた。「何なん。これ!」って感じ。セルフカバーでしかもデュエットって!しかも、この澄んだ声。もっとしゃがれ声出してくれよ!ディラン!って当時は思ったなぁ。何回も聴いたらこの感想は変わってくるのだけど…。
 しかも②はインスト。「何なん!」の連続だけど、これも何回か聴いたら悪くなくなってしまった。これを初めて聴いた時の僕はまだ甘かった。多分、高校生~大学浪人中だったと思うけど、やっとバーズの「ロデオの恋人」がカッコ良い!と思いはじめてた頃だったから、まだ「カントリーロック初心者」だったんだなぁ…。
 A③からやっと「本来の歌物」になるけど、噛めば噛むほどの名曲多い!やはりディラン!裏切らない!っていうか「裏切って、結果、裏切らない」のがディラン。彼は、リスナーの先を行ってるというよりも、僕に言わせれば、アンテナと引き出しが余程豊富なのだろう。ホント、奥深さが半端じゃない!
 B①は後のライヴでも名演多い曲だし、B⑤はジェフ・ベックもカバーしてるけど、カッコイイ曲。

 A④は、僕の特に大好きな曲。で、この歌詞には、僕の恋愛観を180度変えてしまったフレーズが存在する。


 すべての愛を与えてくれる人がいたら
 心して受け取り 逃がしてはいけない
 絶対確実にあなたは傷つく筈だ
 それをポイと捨ててしまえば


 今、恋愛に悩んでいる人、迷ってる人がいたら、この曲を聴いて欲しいなぁ。「自分が本当に大事にしなきゃいけない事って何なんだろう?」って、この曲を聴けば、立ち止まって冷静に考えられるから。で、僕の、このつまらなさそうなアドバイスも間違いではない事も分かる筈だ。何故なら「やった人から秘訣を聞きな」とこの曲でディランは歌っているから!
 


【番外編】 忌野清志郎を訪ねて

2010-05-22 23:05:18 | 音楽
 GWに家族で東京へ行った時の写真。

 5月1日~2日は、国立に在住のソライロネオンの布屋君宅に泊めて貰ったのだけど、2日は丁度、忌野清志郎の命日で(狙って行った訳では無いのだが…)、国立では、ちょっとしたゆかりのイベントも行われていた。




一橋大学…名曲「僕の自転車の後ろに乗りなよ」で唄われた。



 
多摩蘭坂…今やファンにとって聖地となっているが、僕らがここへ行った5月1日は、命日の前の日という事もあってか、いくつかの花束が置いてあったり、僕ら以外のファンもいたりだった。敢えて夜に行ったのは僕のアイデアで、この曲を名曲たらしめているあの歌詞。

 お月様覗いてる 君の口に似てる
 キスしておくれよ 窓から

の雰囲気を少しでも味わいたかったから。生憎、月は出てなかったけど!




大学通りで一休み


 2日は、布屋君宅でカレーパーティーがあって、おいしいカレーその他を御馳走になったのだけど(詳細はソライロネオンの清水氏の漫画娯楽ブログ、ニャフニャフCOMに載っている)、そのワイワイガヤガヤの中、何と、誰がオーディオを触った訳でもないのに、突然RCサクセションの「2時間35分」が聴こえてくるではないか!
 一体どこから流れているのか検証してみた所、僕の上着の胸ポケットに入っていたiPodが突然作動していたのが発覚したのだが、偶然が重なったと言えば、僕はシャッフルにしていたのだからあまりに凄すぎやしないか!

 きっと清志郎が降りてきたに違いない! 



Truth ~Jeff Beck

2010-04-29 03:27:56 | 音楽
SideA①シェイプス・オブ・シングス②レット・ミー・ラブ・ユー③モーニング・デュー④ユー・ショック・ミー⑤オール・マン・リバー
SideB①グリーンスリーブス②ロック・マイ・プリムソウル③ベックス・ボレロ④ブルース・デラックス⑤迷信嫌い
 

 今回は、レス・ポールというギターについて。 
 
 僕が初めてエレキギターを手に入れたのは、高校1年生の時。
 三人兄弟の真ん中っ子は、やっぱり、あまり自己主張出来ない控え目な性格になってしまうのかもしれないけれど、それまで、あまり親に物をおねだりした事が無かった僕が、後にも先にも、エレキギターだけが、唯一、本気で親におねだりした物だった。

 しかし、買う前のドキドキ感と言ったら、今、考えただけでもゾクゾクしてしまう。それはもう、あまりに嬉し過ぎたからに他ならないのだが!

 初めは、ストラトを買おうと思っていたのを覚えてる。ごく親しい友人がストラトを持っていたのもあるが、クラプトンにせよ、結局、ストラトに行き着いているのは、きっと、ストラトが一番良く出来たギターだからだろうと思ったからだ(今から思えば、正解!)。 
 しかし、買う直前の中学卒業間近、高校入試で京都に行った帰りのレコード屋で、何となく買ってしまったジェフ・ベックのトゥルースは、結果、僕のギター選びを180度覆してしまう事となった。

 「これや!この音や!」

 当時の僕が、どうしてそう思ったのか分からない。しかし、このレコードを聴いてしまってからというもの、僕の頭の中は、完全にレス・ポール一色になってしまったのだ。

 「レスポールが欲しい!レスポール…。」

 しかし、ギター好きな人にとっては信じられないかもしれないけれど、当時はレス・ポールが最も下火な時代だった。ヴァン・ヘレンなんかが全盛の時代、且つ、ガンズが出てくる前だった為、店頭にレス・ポールがほとんど売ってなかったのだ。

 もう潰れてしまった京都のとある楽器屋さんに、レス・ポールを買いに行ったときの店員さんとの会話はこんな感じ。

 「何をお探しですか?」
 「レス・ポール。」
 「えっ!レス・ポール?レス・ポールって、また何で?高校生でしょ?」
 「とにかくレス・ポールが欲しいんです!有るんですか?」

 結局、レス・ポールは在庫が1本だけ有った。フェルナンデス製のが1本だけ。

 「これしか無いですけど、弾いてみます?」

 今から思えば、この試し弾きは要らなかったかもしれない。人間は心理的に選択肢が少ない程、迷わず買ってしまうそうだが、僕は、この1本しかないレス・ポールに運命を感じてしまったのだろう。後は、値切るだけ。僕の心は決まってしまった。

 「このレス・ポールこそ、僕の1stギターにふさわしい!」

 以後、大学2回生までの7年もの間、僕のメインギター(というより、これしか無かったし、買わなかったから当然だ)を張る事になった、このレス・ポール。ホント、弾きまくったし、僕のギタースタイルのほとんどを作ってしまった。


◎レコード評

 今の見解で言わせて貰えば、僕がジェフ・ベックで一番好きなレコードは「オレンジ・アルバム」だし(渋谷陽一と同じ意見っていうのが嫌だが仕方ないな!)、ロッド・スチュワートとロン・ウッドが最もカッコ良かったのは「フェイセズ時代」だと、僕は勝手に思っているので、このアルバムは、色んな意味での「過渡期」的な高揚感を味わえるという意味では、十分聴き応えのある作品だと思うが、悪く言えば、メンバー全員の良い部分を100%引き出せてない作品とも言えると思う。
 恐らく、人間関係の微妙さもあるだろうし、何せロン・ウッドがベースに回ってるっていうだけでおかしいもんな!しかし元々のポテンシャルが高いミュージシャン達が作っただけに、100%が80%であっても、カッコイイのは当たり前なのだが…。
 勿論、「このレコードが無かったら、レッド・ツェッペリンは無かった。」という世間一般の意見もある訳で、メンバー以外においても、やはり「過渡期」の作品であって、ロック史的な重要度も高いのだろう。うん。こういうカテゴリーの「名盤」もあって良い!

 A①は、ジェフ・ベックのヤードバーズに対する当て付けだとも言われているが、実際は違うと思う。ジェフ・ベックは、ああ見えて、ヤードバーズを辞めた事への「申し訳なさ気分」を引きずっていたからこその①だと僕は思ってる。
 A③はBB&Aでも演っていた佳曲。A⑤は、アルバム未収録の「アイブ・ビーン・ドリンキング」と並ぶ、ロッドがこのバンドで魅せた名唱の中の名唱!
 B②は、ジェフが当時、ブッカーT&MG’sみたいなサウンドを目指していた痕跡。この思いが結実したのが「オレンジ・アルバム」とも言えるから、やはり「過渡期独特のテンション」を味わうべき作品なのだろう。


 今、何故、こんなレス・ポールに纏わる想い出話を書いたかというと、「僕の中でのレス・ポールブームの再来」である。まず70年代前半のストーンズの海賊版を久し振りに聴いたのが、ブームのきっかけ。「改めてミック・テイラーかっこいいなぁ」。
 後、これはSGだけど、ドアーズのロビー・クルーガー。これもボストンの3枚組ライヴが盤が出た時、ブームになった。「こういう流れる様なSGのフレージングな!」

 久し振りにレス・ポールのカッコ良さを再認識した所で、無性にレス・ポールが弾きたくなってきた。そもそも、レス・ポールこそが一番良く弾いたギターだから、初めからしっくりくるのは分かってるし、使い勝手は全て手中にある筈だ!

 まず、手始めにリサイクルショップで、1万円のフェルナンデスのレス・ポールカスタムを買った。普段の練習用にと思っての購入だったが、アンプに繋いでみたら「???」。そう。今のフェルナンデスの安物って中国製だったんだな。良く見たら微妙な作り。

 とは言っても、やっぱりギブソンは高いなぁ…。
 楽器屋で見ても、ただただ眺めるばかり。

 楽器屋:「良かったら試し弾きなさいます?」
 僕:「弾かなくても大体の音は分かってるしエエです。」
 楽器屋:「まぁまぁ。そんな事言わずに…」
 僕:「弾いたら欲しくなるのも分かってるんでね!」 


 そんなある日。4歳の娘が、おじいちゃんから買って貰ったおもちゃを片付けない事に対して、何気に注意した時、ハッとしてしまった。

 「親に買って貰った物を、自分が今も大事に使ってる姿を見せる事が、娘に対する教育でもあるやん!」

 そう。あのレス・ポールは、ボロボロのまま実家の押入れに眠っていた。

 それからの僕は、まるで何かに取り憑かれたかの様に、レスポールの修理に取り掛かった。フレットの打ち直し、すり合わせ、ピックアップの交換…。休みの日は作業に熱中して、朝になってしまった事もあったが…。

 レス・ポールの大修理は無事完成!

 アンプに通しての音が、また予想以上に素晴らしかった。正確に言えば、オービル以上、20万円クラスのギブソン以下位の音だが、それ以上にギターの音色が生き生きしている様に感じるのは僕だけかな?まぁ、僕だけか!

 「まだまだ弾いてくれるんやね。また一緒にカッコええライブしようよ!」
 嘘じゃない。ギターは喋ってくれるんよなぁ…。ホンマに嘘じゃない!

 この間のジャズフェスには間に合わなかったけど、6月26日のライヴには是非、連れて行くか!

 彼とのステージは何年振りだ?15年振りか!

 
 

 


 

 

I STAND ALONE~仲井戸麗市

2010-03-14 06:42:45 | 音楽
 清志郎が亡くなった後、このブログでも清志郎やRCについて書かせて貰ったけど、やっぱり最近までずっと引きずり続けていた。あれからというもの、自分が音楽を聴く時間の中で、改めてRCの占める割合が多くなったし、彼の著作物を何度も読み返したり、彼の色んな時代のライヴビデオを観たりの毎日が続いていた。そうそう。梅田でやっていた「忌野清志郎展」にも足を運んだっけ。

 勿論、そんな中で音楽的な再発見も沢山あったし、別に僕はRCの研究者のつもりじゃないけど、何故、RCが「無期限休養」になってしまったのか?という答えも、今になって何となく分かってきた様な気もしている。
 「君がバンドを続けて行くにはどうすれば良いか?俺の経験で分かる範囲なら教えてやるぜ!俺が失敗した事も君ら参考にしろよ!」清志郎は、そんな事まで僕らに言ってくれてる様な気がしてならない。僕らみたいな、別に「音楽で飯を喰ってやる!」なんて考えた事も無い様なレベルのバンドマンにさえ…。

 という訳だから、僕にとっては「清志郎が亡くなって、清志郎が余計に心のよりどころになってしまっていた」のは確かだ。何てこった!ホントに!

 そんな状況の中で観た、このチャボの渋谷AXでの追悼ライヴDVDは、あまりにも素晴らしく、あまりにも多くの事を考えさせられると共に、きっと僕にとっては初めて、これを観る事で現実を受け止めれた様な気がする一枚になった。やはり、チャボでなければ駄目だったんだろうなぁ。


 僕は、実は、チャボのライヴにはよく足を運んでいて、特に一人ライヴは5回以上は生で観ている。勿論、チャボのライヴは観る度、癖になってしまう位素晴らしいのだけど、それだけじゃない。実は、僕の実家から程近い近江八幡にある「酒遊館」っていうライヴハウスに、チャボがよく来てくれたからこそ何度も観れたっていうのもある。やはり、ここで観た何回かのライヴは、ホント僕にとって特に印象深いし、チャボがここを気に入って何回も来てくれた事が、僕にとってどれ程嬉しかった事か!

 
 で、本題に入ると、このDVDは、いつもの一人ライヴのように、ポエトリー・リーディング等も合間に挟んでという感じだけど、いつもとはやはり違う。それは、もう当たり前ながら、「ほとんどRCの楽曲で構成されたライヴ」であるという事だ。僕が知る限り、チャボがソロライヴでRCの曲を演ることはほとんど無かった(昔、礫礫で「チャンスは今夜」を演ってくれた位かなぁ…)。
 だから、それだけでも「スペシャルライヴ」なのだけれど、やはり、チャボでしか解釈し得ない「何か」を十分感じ取れる曲もあったし、改めて「凄い曲だなぁ」と思わせる曲もあったしで、曲の持つ力とか新しい魅力まで引き出している所は、ホント凄いとしか言い様がないと思った。

 勿論、ここで演った楽曲は、清志郎へのトリビュートであって、「新しいサウンドを一緒に探していた頃」の想いであって、あの「黄金時代」への誇りであって…。そして、「これからは清志郎の分まで演るぜ!」っていう強力な意思表示であって…。色んなチャボの想いが全て紡ぎ出されていると思う。
 
 で、僕が最もチャボの想いがこもっていると思うこと。それは、僕の勝手な思いだけど、この様なトリビュートを「一人で演った事」だと思う。例えば、ゆかりの人と一緒にとか、チャボなら演るのは簡単だった筈。それを敢えて一人で演った事こそ、彼の想いそのものだと思うのだ。ただ、「何でそう思うの?」という事を、ここでは書くまい。僕は当事者じゃないから、推測でしか語れないからだ。けれど、おこがましい言い方をしてしまうけれど、僕がもしチャボだったら…と思ってしまうのだ。

 だから、僕はチャボという人を愛して止まないんだな!