欧州気まま旅+トキドキ国内旅行 The Travel of Europe

旅の形 その18 アムステルダム国立美術館 その1



  アムステルダム

 少しだけ歴史的背景

 私はフェルメールさんに会うためにアムステルダムスキポール空港発着を使うことが多いです。KLM航空が便利だと私は思っています。KLMはあまりサービスが良くないという人もいます。
 フェルメールさんによって、私とアムステルダムは繋がりました。

 オランダは歴史をひも解くと16世紀にスペインからオランダ独立戦争を開始した、その後、北部のホランと州を中心とするユトレヒト同盟の7州が1581年にネーデルランド連邦共和国として建国を宣言しました。それまではスペイン(ハプスブルク家)の領土だったわけです。その後1648年のウエストファーリア条約によって正式に国際的に独立が承認されました。
 
 一方1621年には西インド会社を設立しアメリカに進出し、またその後のイギリスとの関係の悪化に伴い東アジアに進出しました、日本との関係は、1609年徳川幕府から朱印を得て貿易を開始しました。1640年に幕府は他国との貿易をオランダだけに絞り、出島に限定しました。今ではあまりよく知られていることではありませんが、日本とオランダの関係は深いものがあります。

 たとえば「蘭学」たくさんの知識や技術がオランダを通じて日本にもたらされました。

 フェルメールさんはオランダの画家です。アムステルダムの近くのデルフトという町に住んでいました。彼は17世紀の画家ですからちょうど日本との関係が出来上がったころ、そして、「オランダ東インド会社」を中心とした国力が増大していく時代でした。

 絵画や美術品は買ってくれる人がいなければ成り立ちません。教会 貴族などのスポンサーにブルジョワジーが加わり、絵のテーマの幅も格段に広がりました。ブリューゲル親子などの見られる「風俗画」なども購買する市民たちが現れたのです。
 フェルメールさんもこのような状況の中で、肖像画ではなく空想の情景を絵画で表現してそれが販売っできるという時代背景の中で、画家生活が続けられたわけです。

 画像は アムステルダム国立美術館

#アムステルダム #アムステルダム国立美術館 #オランダの歴史 #フェルメール #デルフト

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