熊本から気ままに山と自転車のブログ

豪潮式宝篋印塔

豪潮式宝篋印塔・西南戦争高瀬官軍墓地
2021/8/19(木) 晴

今日は、久々に太陽が見えた。最高気温予報31°に、午前9時半からポタリングに出る。
目的地は、玉名市豪潮式宝篋印塔とする。

熊鹿ロード→県道31→国道208と走り、稲佐から木葉川沿いに菊池川堤防道路を目指す。
高瀬大橋、羽根木川を渡ったほどない位置、伝佐山古墳の北に位置する所に玉名市指定文化財の豪潮式宝篋印塔(写真1参照)はある。


説明板(写真2参照)には、「豪潮は、寛延二年(1749)、玉名郡山下村(現岱明町)の安養寺塔頭(たっちゅう)専光寺に生まれ、七才のときに野原八幡宮霊験寺の豪旭の弟子となり、師に従って繁根木八幡宮神宮寺寿福寺に移り、後に比叡山に入り修行した。安永五年(1776)師豪旭の死去により帰国しし、寿福寺住職を継いだ。
宝篋印塔八万四千基建立の大願により、享保二年(1802)、肥前基山町大興善寺に最初の塔を建立して以来、各地に二千余りの宝篋印塔を建てた。
ここ寿福寺域にある宝篋印塔は文化五年(1808)の造塔で、四隅の宝満に膨らむ馬耳型の突起と、その上に高く伸びた請花、九輪、蓮坐、宝珠からなる相輪を有し、その均整のとれた美しさは石造美術の粋であり、他の宝篋印塔に見ることのできない豪潮独特の様式である。」とある。


玉名市指定文化財一覧では、都合三基あることになっているので他の二基を探す。
高瀬の市街地を走っていると、願行寺(写真3参照)という古刹の前に出た。宝篋印塔は分からずじまいだった。


説明板(写真4参照)には、「一遍上人を宗祖とする時宗のお寺です。貞和5年(1349)、遊行五世他阿其阿弥陀上人の開山によるものです。寺は代々菊池・小代・大友・細川氏の保護を受け、天正年間には、玉名郡7ヶ村内に千石余の寺領を有したほどです。
御堂には本尊の阿弥陀三尊のほかに、鎌倉末期の時宗高僧の倚像が安置されています。また、天正15年(1587)、九州平定の際、当寺を宿陣とした豊臣秀吉が寺への謝礼として残したとされる陣太鼓も所蔵されています。
境内には、天正12年(1584)、島津・有馬の連合軍と戦って敗死した肥前の戦国大名龍造寺隆信の首塚と伝えられる石塔のほか、高瀬町別当をつとめた荒木家の五輪塔、高瀬町教導師黒田紫山の祠堂・祠堂記碑などがあります。」とある。


豪潮式宝篋印塔が一基しか分からなかったので半分気落ちしていたが、思いがけない旧跡等に巡り合えて満足して帰途に就く。今日も無事だったことを天に感謝する。
熊本(自宅)25km→豪潮式宝篋印塔28km→熊本(自宅)
所要時間5時間(実4.5時間) 総計53km 走行累計42,371km

自転車で探訪した史跡・文化財等の記録です。一部山行の記録もあります。

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