犬と暮らせば

2007年3月

東京
2007-03-31
 久しぶりに東京に行くと、東京に住みたくなる。欲しい物がすく其処に散らばっている気がする。
 
 で、欲しいものを手にして、レジに持って行こうと思うのだが、自分のケチが止めてくれる。

 本当に欲しいのかと考え直すと、東京にきて少し舞い上がっただけだと。それ故、タクシーをケチって電車にのる。

 電車でお年寄りに席を譲ろうとして立ち上がると相手に驚かれて、しかも隣の若い女の子にシッカリ無視された。

 電車のガラスにチラチラする自分の姿を見ると、自分の父よりも年寄な老人が写っていた。

 「こんな年寄りが席を譲ってはいけませんか。」と相手と二人で笑い出した。東京はこれくらい混み合ってるから居心地がよいのかも

ケータイを忘れて
2007-03-30
 久ぶりに東京へでた。飛行機に乗るときに気がついた「ケータイを忘れた。」学校の先生になり、ケータイを使わなくなり、最近は1週間ぐらい鞄の底に平気で眠むらせておき、よく「先生繋がらない。」と怒られる。

 東京へ行くと、自分の会話のスピードが「遅くって、要領を得ない。」事に気づかされる。「僕は会話のテンポが東京に付いて行けない」と少し焦る(あせる)、だからアポイントの時間に少しづつ遅れ、昼の約束は許してもらえる範囲だったが、最後の夜の7時の約束は8時を過ぎてしまった。

 ケータイを忘れてて連絡が付かないのは事実だが、広島から出て行くのだから、行かない事はない、只、えらく遅れているのはスマナイと思ってた。

 息子や、娘にも、「パパ、ケータイは必ず持っててね。」と怒られているのだが、東京の大学の後輩にも怒られた。先輩風をふかしても、ケータイが無いと言い訳も利かない時代になってる。

 尤も(もっとも)遅刻しなければケータイは要らないのだが。

「お世話になりました。」
2007-03-29
 ピンクのワンピースに黒い花飾りが可愛い、事務員の方が「お世話になりました。4月から移動です。」と挨拶した。

 聞けば、来年には僕のいる5号館の事務所を移動(閉鎖)するらしい。これを聞いて僕はこの大学にユッタリとしたふくよかな女性を感じた。

 ケータイ電話の仕事をしていた時は、事務所の開設や閉鎖は日常茶飯事(さはんじ)で決めたら即時(そくじ)、直ぐ、直ちに実行しないと、若者の動向について行けなかった。

 「来年の事を言うと鬼が笑う。」は昔からあると思う。
今時(いまどき)は歓迎会から1年もしないで、他の大学に移れる優秀な若手の助教授に学生の人気が集まり、僕のように年寄りの繰言(くりごと)に付き会って呉れる学生は少ないと思うが。

語源
2007-03-28
 僕を最年少に4人のオジイチャンが集まって、月に一回の飲み会をしている。昨日は「語源」の話だった。

 デカプリオ や ダビンチ の DE、DI、DAは何だろうと話になり デカプリオは「カプリ島の」でダビンチは「ビンチ村の」と言う事から DEは漢字の出 と同じなのかなとなり
 
 何故イタリア語と日本語と同じ(de、で)発音なのかな、と他愛も無い話をしていた。

 スカーレット、シガレットのレットは小さいリトルの事だとしてて、煙草の小さいのはシガレットで良いとして、スカーレットは何が小さいのだとアレヤコレヤ言っていたが、

 小朝(こあさ)小錦(こにしき)小紫(こむらさき)と日本語で考え、そうだ吉永小百合(小百合)が居た。ではスカーレットは小紅(こべに)ちゃんかなと収まった。

 何時になっても言葉遊びだけはできる。
子供の頃にモシモシ亀よの替え歌で
モシモシ俊(とし)よ 俊夫(としお)君、世界の内でお前ほど
学校サボる奴はない、と歌ってた。

 キットこれの年長者バージョンだろう。

3者懇談
2007-03-27
 お母様が「先生、言ってやって下さいよ、親の言うこと聞かない、のですから。」と僕に言う。でも大学生だから自由でしょ、と言いたいのを堪えて(こらえて)話をすすめる。

 親が言っても聞かないのは僕も同じだった。親の言うことを分かって、聞いておけば良かったと思うのは、失敗した時か、年を取った時だ。それまでは分かってても聞けない。

 「学校にも行かずに、寝坊してテレビみて御託(ごたく)言って。」と続く「でも口答えは上手で、親を言い負かす」ですよと、そう言われても、子供を褒めて(ほめて)いるとしか僕には聞こえない。

 3者懇談にせよ、物事は話し合いで決着付かないことの方が多い、「話せば分かる。」は社会党が北朝鮮に言った言葉だと思うのは失礼だが、解決はできなくても子供や学生の言い分を聞くくらいは出来る。キット親がダメに成ったらこの学生も動くと思う。

 何故かと言うと、僕もそうだったから、親が庇って(かばって)何かしてくれるうちは、子供はサボるかエエ格好しい、しかシタクナイのだから。なにせ、見栄っ張りの弊害を一身に受けて成長した僕が言うのだからキット正しい。

NYから葉書
2007-03-26
 卒業旅行にNYを1人旅をした女の子から絵葉書が届いた。今年はこの子で3人がNYに行った事になる。たしか去年の4人は財布を掏られて困ったが、それでもNYは刺激的で良かったと言っていた。

 NYなら僕の思い出は色々有る、夏時間に変り飛行機に乗り遅れた事、時差ボケで朝早く街を歩き、教会の貧民に振舞う朝飯に驚いたこと、等々住友商事に勤めていた時代の事が思い出される。

 今、学生と一緒にNYに行ったら、彼等の向う見ずな振る舞いにハラハラしながら、荷物預かりの役割ができるかもしれない。少し行ってみたい。

 女の子の一人旅を心配して、電話で学生と話すと3泊4日のNYなら東京へ行く2−3回分くらいの金額ですよ、と事もなげだ。NYが歩いていて恐かった時代から良くなって20年は経つ、古い話はしてはいけないのかも。でも100番街を歩く勇気は僕にはまだ無い。 

 

謝恩会
2007-03-25
 袴(はかま)の中に振袖が何人か、洋服の女の子は少ない。男子はスーツだ。4年経ってしまった。入学の時の顔を覚えているので、逞しさ(たくましい)や女らしさが備わった(そなわ)と思う。
 
 「僕のゼミを何故やめた、僕が嫌いか?」と1年生の時に僕のゼミに機械的に割り振られ、僕に驚いてか、他のゼミに行った学生に聞いた。

 「嫌いじゃ無いですよ、分からなかったのです。アレだけ本気を出してくる先生を、それに先生の言われる事は、僕には出来ないと思ったのですよ。」と

  「卒業するころ、分かったのか?」と聞くと、
「就職活動し始めて、『浅井先生の言ってた通りだ。』と気がつきました。でも高校まで学校にしか居なかったので、大学も高校と同じだと思ってたので、1年生のときは、訳の分からない事を言う先生だなーー。」と思ってました。

 謝恩会で僕は年だから椅子を出してもらった、何時までも僕の席の隣に立つ学生が居るのは有難いし、彼らも何かを伝えたいのだろう。

 立たせていて申し訳ないとは思わないが、1年の時から、もっと分かりやすく話をすべきだったと「スマナイ」気持ちになる。

 「就職先は工場です。」と寂しげに言う彼に
「日本の輸出は中小企業の指先の技術が支えた。」と誇らしげに言えるように色んな情報を揃える(そろえる)べきだった。

 指こそが、人間の世界を支える、頭なぞタイシタ事はないと言う事も自信を持って言えるようにしなければと思った。

履歴書
2007-03-24
 夕方近く、新4年がドアを叩いた。「履歴書が上手く書けないので先生、書いて下さい。」と

 誰でも自分を正確に言い表すのは難しいのです。余程(よほど)思い上がりの強い人か、勘違いでもしてない限り、普通の人は厚かましくて図々しくて、自分の良い点を強調できないものです。
 
 彼と話しながら、履歴書を書いていきます。大事な事は履歴書に書いてある事を、面接で恥かしがらず、辻褄(つじつま)が合うよう自信を持って話せるかなのです。だから話し合って書くのです。

 履歴書が上手く書けないないのは当然で、大した事ではないのです。何処の会社の人事も上手すぎる履歴書に不安と失望を感じるものです。形(かたち)どうりであればそれでよいのです。そこに少し荒削りな点が見えれば良いのです。

 学校の試験の答案ではないので、模範解答はないのです。上手下手もないのです。ここを間違える学生が多く、立派な履歴書を書くのですが、学校の試験を回答するように、に書き終えたら忘れるとか、その場だけ取り繕うと失敗するのです。

 だから僕は学生と話し合って履歴書を書くのです。

デカイ事するけ、待ってて
2007-03-23
 昨日は卒業式だった。就職の決まった学生は良いが、内定を断わったN君のご両親が来ている。2人で卒業式に来るくらいだから、可愛い息子なのだろう。見ているだけでほほ笑ましい。

 内定を断わるというのは、能力の有る子だが、人の指示を受けて仕事はしたくないと言う事なのだろう。両親の愛情が深すぎて他人の飯が食えないかもしれない。

 その両親から「先生お世話になりました。」と頭を下げられ、返事に困った。仕方が無いので「毎朝、起こして僕の研究室に来させてて下さい。パソコンの入力とか、出席とりをさせて怠けくせがつかないように、しますから、毎朝、研究室に来させて下さい。」と答えると

 ご両親は「ありがとう、ござます」だったが、
息子の返事は「待っててよ、俺はでかい事するから。ほっといてよ。」だった。

 若者の野望は尊敬するが、パソコンも触れないでは今の社会で「読み書きが出来ない。」と同じと言う事が4年間、学校で一緒にいても、彼には伝わらなかった。

 能力も力もあるのに勿体無い。
  

任天堂DダブルSスクリーン
2007-03-22
 祝日だったので、DSで一日遊ばせてもらった。漢字検定、英語漬け、脳力トレーニングの3つの真面目ゲームと娘の持っているお絵かきゲームだ。

 使うには、機械をゴマカス訓練が必要だがこれが楽しい、
「この機械(先生)はこう書かないと、点をくれない(読み取れない)」「こう発音しないと、聞き取れない。」程度のことだ。

 訓練の間、「仕方ないな1万円の機械なら(安めの田舎の先生なら)、まるで出来の悪い学校のようだ。」と自分の講義を棚にあげて遊んでる。

 でも初歩的な入力さえ機械に合わせれば、何時までも何回も、嫌味も(いやみ)言わず、こバカにもせず、付き合ってくれる、

 どんな学生も来ない事をバカにされる経験から学校が嫌いになる時があるが、これはそんなソフトは入って無いらしい。

 草臥れてきて僕が発音の「in」を聞き取れず10回も繰り返した時、そばで聞いてた娘が
「パパ、音量を下げてくれる。」と目で言い、女房が
「パパ、(身に付く)ノバで、そんなに何回も繰り返すと、高いわよ、お金が」とつけ加えた。

オン ザ ウイング
2007-03-21
 小学校6年の娘の卒業式で「君が代」を久しぶりに歌った。日本でも「君が代」を安心して歌ったり聞いたり出来るようになったと「ホット」した。

 アフリカやブラジルに居た時は、日本の学校の日の丸、君が代反対には寂しい思いをしていたので、ここまで持ってきた政治家や官僚の御苦労には頭が下がる。

 でも蛍の光が無いのも寂しい。変わりに歌うオンザウイングなる日本の歌は学校の思い出になり、今後何時までも何時まで心に残る歌なのであろうか。その場限りの卒業式の歌なのだろうか

 袋町小学校の卒業生は32人、集まった父兄、お爺ちゃんお婆ちゃんは40人ほど、集団登校下校で世話になった地元の商店街、お巡りさん等々の来賓は20名程いる。

 卒業生を上回る年長者の集団が見守っているのである。この高齢化の時代ならお年寄りにも配慮した歌がありがたい。

 100年を超えて残る名曲なら「蛍の光」に変わっても良いが、其処までの歌とは響かないのは音楽の評価が2だった僕の僻み(ひがみ)かも知れない。
 

豆腐料理
2007-03-20
 送別会で「豆匠」に行った。豆腐料理で料亭と言うことになっているお庭の綺麗な料理屋だ。

 場所は比治山神社の裏の山裾(やますそ)にあり、明治ごろを思わせる雰囲気と、チョットお風呂やのような玄関がある。

 先週の70人が参加する積み立て会費の送別会は、波を立てない集まりなので、何事もなく時間が過ぎた。

 今日は人数も少なく、自分のお金と時間なので気分が良い。分かれる人にお礼も言えた。送別会は同じでも随分と差がある。

 皆から積み立てで集める税金や年金の運用が上手くいかないのは、こんな送別会でも同じなのかも知れない。

 皆と同じ横並び平等で、差をつけない競走精神が好き嫌いをハッキリ言わなくても良い仕組みを作り上げたのが、月額会費天引き制の送別会なのかも知れない

風邪が うつる
2007-03-19
風邪気味の女房が食事の後のお茶を残した。旨いお茶だったので残りを飲もうと思い
女房の湯飲茶碗に手を伸ばすと
「パパだめ風邪が うつるから。」と女房
「そろそろ他人に うつさないと治らないから、
お前の風邪だったら もらっても良いよ。」と僕が答えると。

「やめてよ、ボケ猫の看病で クタビレてるのに、貴方までボケないで。」と言われた。

脇で聞いていた息子と娘が しょうがないなパパは と顔で言いながら 口では「ご馳走さま。」と言って立ち上がった。

こうやって段々(だんだん)世代は うつって行くのだろう。親父も頭の中は「たいした事は無い」と分るのだろう。食事をするだけで つたわる事も有る。

 まだ風邪は うつって来てないが、中学3年の息子と小学校6年の娘に 親を頼っても仕方ない、こんなにボケてはと言う考えでも うつって呉れればと思う。年寄は呆ける(ぼける)から価値がある。

ねこ猫
2007-03-18
 猫が呼ぶから、その気になって付いていくと、「トイレが汚れたから綺麗にして。」と、せがまれる。

 お日様が顔をだすと、猫が起こしに来る「朝だ、食事の用意をして。」と

 食事が終わると、水で少し遊ぶ、そして寝る。家中の者が猫に使われているのだが、不満はでない。

 「パパ、辞書とって。」と子供に言われても「猫が載ってるから暫く(しばらく)我慢しなさい。分かることならパパに聞きなさい。」と此れを(これを)ネコッ可愛がりと言う。

 猫の効用は「可愛い、何もしない。」存在で家族のぶつかりあい不満、イライラ を吸収する力かもしれない。

 もしくは「余分な事を考えない方が良いよ。」と身振り、態度で言ってるからかもしれない。

骨身を削る(けずる)
2007-03-17
 30歳半ばの先生が他所の大学の公募に応じて転職することになり送別会が開かれた。

 彼は真面目で僕と雰囲気が違うと思い込んでおり、今まで話す事を避けていたので、送別会が始めての会話であった。

 話は「浅井先生と僕とは似てるんです。」と言う会話派から始まった。

 話しながら、彼の顔が気になった。病的ではないがほほ骨が尖っている。「公募って大変なのでしょ。」と聞くと
「少し痩せましたね。」と返事が来た。

 僕は身の痩せる程も勉強も書類作りも出来ない。まして一人で自分の目標に向かって走る事も出来ない。

 彼と似ている点は学生と話すのが好きな所ぐらいだろう。

勉強はもういい
2007-03-16
 大学は「考える」所で、「覚える」所ではない。と僕は思っているのだが、基礎学力が足りないとか、英語が読めないとか学生の記憶力を心配なさる先生が多い。

 学生さんは曲がりなりにも、学校の推薦とか、共通一次(今はセンター入試と言うそうな)を通ってきた人に失礼ではないか。基礎学力が足りないなら入学させてはいけないのではないか。

 誰でも競い合いたい気持ちは持っているのだろう。大学でオシャレで競う女の子も、授業中のオフザケで競う男の子もいる。高校までの勉強で競い合って目立った学生は東京の学校に行っている。

 広島に残っている学生はドチラカト言えば「学校の項目」では競い合わなかった人が多いのだろう。その学生に高校の復習させては可哀相なきがする。

 江戸時代や明治の日本人の学力は今の中学生以下ではないか、それでもここまで日本を引き上げてきた。読み書きソロバンと自分で考える事が出来れば日本人は素晴らしい民族だと思う

 

大学で高校のオサライ
2007-03-15
 老人が多い、若者が活躍しようとしても、ナカナカ場所がない。無理をすると「ホリエモン」みたいに捕まって(つかまって)しまう。

 そうならば、子供の振りをしたままでいたほうが楽だ、芸能やスポーツなら若さで活躍できるけど、学校なんてお爺ちゃんの集まりだ。これぐらいが若者の考えカモシレナイ。

 これを老人から見ると「若者は幼稚化している。」と取る。ならば大学でも初歩的なこと教え直そう(なおそう)となる。数学などはしてこないので「分数の出来ない大学生」は鍛え(きたえ)なおさなければと意気込む。

 実はこれは間違いなのだ。若者は賢いのだ「分かる努力は無駄なのだ、だって前が閊えて(つかえて)るから、仕事する時にもう一度、勉強をやっても遅くないし、コンピュータあるから心配しなくても良い。」と割り切っているのだ。

 無駄な努力を学校でするのは、無意味だと理解している賢い若者に「入学後に、高校のおさらい」をさせようとする風潮は何処の大学にも見受けられる。

 そんな笛で踊るほど無邪気な時期は小学生の頃に終わっているのでは。と心配しながら、学生側にも先生側にも付けない浅井であった。

研修は嫌だ
2007-03-14
一昨日、昨日と教員研修があった。運転の免許も更新する時に研修するから、教員も研修させても当然だろう。でも大学の先生は免許がないのだ。だから落語家の桂文珍も何処かの大学の教授だったし、彼に研修しても価値があるとは思えない。

朝、研修に向かうと、他の先生に「あーあ、今日は研修か、日頃、学生に無理やり聞かせてる償い(つぐない)に今日は聞かなきゃイケナイ。」と言われた。「僕は研修が好きですよ。」と答えると「浅井先生が一番サボりそうなのに。」と笑われた。

僕が研修で聞きたいのは、同じ大学の先生の話なのである。学生から「あの先生はコウデアアで」と聞いているのでそれを自分の目で確かめたいのである。こう言うと、「他の先生のアラ探しですか?意地が悪い。」と言われる。

僕は他の先生のアラを知りたい訳ではない、どの先生も個性があり、真剣に遣ってる、その上、授業の現場がわかるから、話が理解し易いのだ。その先生の伝えたい大事な内容は学生に繰り返すように伝える為、些細な事は同じ事を学生に言わない為に聞く必要があるのだ。

 よく身内の先生を過少評価して、他の大学の先生を呼んで「講演」で時間つぶしをして研修と言う事があるが、それは左程(さほど)役に立たない。しいて言えば知的な余興のようなものである。

 余興で聞いた内容を自分の学生に使おうとすると、色々な問題点が浮かび上がってくる。その時は、同じ学校に居る先生に確かめながら応用しないと、生身の学生には通用しない事の方が多い。生兵法は危ない。

 偶に(たまに)聞く余興が楽しくても、研修なのだから応用する時に直ぐ問い合わせができる同じ学校の先生の話が聞ける機会が有り難い。

東京へ2人
2007-03-13
 「3月31日の夕方までに東京の寮に入れ。」と指示をもらった2人が不安と期待で僕の部屋に来た。住んでいる所を離れるのは広島でなくても何処でも誰でも怖いし、若い女性なら尚更だ(なおさら)。

  大学で東京に行くにも不安があるが、大学は多少の余裕がある。なにせお金を払いに行くのだから。でも就職で東京は、お金を貰いにいくのだ。払うと貰うでは正反対だ。

  でも「変化と言う試練」は若者にはチャンスに成るかもしれない。年寄りほど変化を恐れる。僕は職場を3回かえたが何時も友達から「勇気があるな。浅井は」と言われた。

  いま僕は年齢もあり、もう一度仕事を変え広島から出ていく元気が無い。不安を抱えながら東京に行く若い子を見て、僕は羨ましさ(うらやましさ)しか感じないのは、年寄りの僻み(ひがみ)かも知れない。

あらデート?
2007-03-12
女子の卒業生と町を歩いていると声をかけられる「あら先生デート?」と、そう見るなら嬉しいが、卒業生で僕に会いに来るのは、「会社やめます。転職したい。]の相談のようです。

学校に戻って相談する人は、頭の良い人と言うか、成績の良かった人に多いです。「本来、正しい姿があるべきで、自分は正しいのに、職場や世の中が間違っている。」と思い込むときが多いです。

世の中と学校は別のものだ、理屈も常識も別な物がある。と早飲み込みするか、感覚を鈍くして感じない様にすれば、心は守れます。でも理想や夢は大事です。学校も世の中も鵜呑みに信じてはいけないのです。

 困ったとか大変とか言いますが、人生は悩むから面白いのです。教科書に書いて有るような人生はナカナカお目にかかれません。だから僕と会話しながら「この先生は大丈夫かな?」と値踏みするような学生(卒業生)ならば、僕は兎も角、本人は大丈夫なのです。

 色々話して、最後に「頼る人が居ない。」と解かれば 大丈夫なのです。だから僕はデートのように町を歩きますが、内容は「ぼけ老人の、役に立たない繰言なのです。」精々愚痴を聞く役割なのです。忠告してはいけないと心に命じてます。

短大の新入生が増えた?
2007-03-11
  短大へ行く人の数は減って、大学へ行く人の数は年々増える。短大はソロソロ時代遅れではないか。と頭の良い人は考える。

  でも会社の事務で4年生の大学を出てないと如何してもできない。とか高校卒業では無理、出来ない。と言うほど難しい書類も手続きもない。

  僕は住友商事?に入って、高卒の女子に事務をならい、東大出の指導員にセロテープの張り方を習った。

  短大は世の中に2年早く出て行ける。大学と言えば大学だ。勉強は少なく、資格は必要なだけ、後は早く世に出たい。と考える人は出てきて当然だと思う。

  時間をかけれは良いものが出来るなら、小学校から高校まで12年は何なのだろう。

先生は優しいから
2007-03-10
 高校の同級生、と言っても60歳近い小母さんだが、を校門の側で待ってると、学生が通る。顔見知りが多いので声を交わす。

「先生の授業って欠席補填はブログの提出なん?」とか「ブログの見方わからん。教えて」も有るが「先生こんな門の所で何しぉん?」が多い。

「守衛さんが春休みで居ないので、僕の研究室を教えて呉れる人が居ないから、自分で立ってる。」と答えると「先生は女の人に優しぃけん。」とカラカワれる。

「誰にでも優しいよ。」と答えようとして声が詰まった。正確にいうと、僕は組織の上司以外の誰にでも優しいから組織や会社をハミだしてしまったのだろう。

 自分の灰汁(あく)の強い所と灰汁の抜ける所が普通でなかったのかな?と考えたら、目が虚ろに(うつろ)になって返事をしなくなった僕を残して「じゃね。先生」と学生が門を出ていって、折り返しに白い車か入って来てウインドーを開けて「浅井先生ですか?」と同級生が来た。 まだ結論はでてないが「ま 好いか。」と40年ぶりくらいの同級生に微笑む。

医学部
2007-03-09
 娘を医学部、息子2人を歯学部に通わす女医さんが部屋を訪ねてきた。僕の高校の同級生で夫婦で開業している。選挙の依頼で来られたのだが、選挙より会話が懐かしかった。

 僕の父母が開業医だったので、僕は父母の言い争いを毎日聞いて育った。母の口癖は「そんなにボヤボヤしてるとお父さんみたいになっちゃう。」だった。

 同じような口調が女医さんから出たので、母を思い出し、昔を思い出した。大学の頃、僕は医者になれなかったので、本家から父母は「何故、息子を医者にしない。」と迫られていた。本家の人は自分達の世界が幸せだと信じていたのだろう。

 今は歯医者でも6年、医者だと8年も勉強するという、凄い長い年月だ。僕は普通の大学の4年も長いと思ってた。漸く大学を終わってサラリーマンの給与を貰いホットした。

 これで「ヤット、親を気にせずにお金が使える。」と嬉しかった気がする。 それをもう4年も待てと言われたら、医者は羨ましいが、チョット我慢しにくい

たいぎぃ、の対義語
2007-03-08
 「島」から回答が来たので載せます。

 大儀ぃの対義語は「楽しい」ですね。でも文語と口語の差があるので、通常は「らく」と言います。

 嫌な事は漢字で文語を使い。よい事は口語でヤマト言葉を使う事が多く、良いのは「らく」です。

 授業の評価で言うと下から、取らん、ありえん、たいぎぃ、普通、楽、いい、にあがって行くような気がします。

 ちなみに先生の授業は楽な部類ですよ(゜ω゜)

タイギい
2007-03-07
 広島に来てよく聞く言葉である。大義名分の大義なのか、お役目ご大儀の大儀なのか、太儀なのかよく迷うが要は、「したくない。ヤダ。面倒くさい」という後ろ向きの言葉のようだ。

 東京の同職仲間(大学の先生)に聞くと、学生言葉のなかに「ウザッ」と「笑える」があるらしい。彼が言うには、学生が授業を評価する時に、良いと、悪いに分ける時に使うらしい。ウザイが×で笑えるが〇らしい。

 使い方は「ウザイけど、我慢するから早く終らせろよな授業は。」となるか「笑えるぜ、聞いてて偶に(たまに)役に立つ。」と〇×ゲームのように片付けるとの事。

 「浅井、お前の話は落語みたいだから最初から笑いを取るのでは?」と言われた。でも僕は、お笑いが出来るほど人間が出来てない。

 それに講義しながら自分で笑ってしまうことが多いし、よく学生を怒る。たまに学生に「大義い」と言われると「そんな凄い事を僕は講義したかな?」と思わず考え込んでしまう。

 大義いの反対はなんだろう?誰か教えてくれないか?

履歴書かいて
2007-03-06
 「先生,私どこか好い?,履歴書になんて書いていいか分らん。」と学生が来る。「模範解答みたいな本に載ってる事は何もしとらん。」と白い履歴書をだす。

 僕が「指は動くか?」と聞くと「エッ,怪我してないし,ヤクザじゃない。」とかえる。「違うよ。パソコン入力の速さを聞いてるのだよ。ワードとエクセルは使えるのか?と聞いてるのだ。」

 「先生、丁寧に言ってよ、授業で取ったわよ。上手くないけど知ってる」と毎年、この時期はこの繰り返しだ。

  僕の経験から,若い人に会社が期待してるのは、その場で直ぐ入力できる「指」の能力で、それで報告書が出来上がれば大半の仕事は済んだと同じである。若い人がそれ以上の例えば意思決定の能力を発揮されると困る時がある。

 判断して意思決定する能力はオジンに取っておいて欲しい、例えオジンが判断できなくても若い人の能力がオジンに優れるとオジンの立場が無い。若者は取り合えず指だけにしておいて欲しい。この思いが僕が「指は動くか?」と聞く事になる。と説明すると、

 「先生、何時も話が跳ぶんだから。」と可愛い子に言われながら履歴書を書いた。

 可愛い女学生がOL(女子事務員)となって男性社員につき、男性の下手な手書きの原稿を綺麗に書き直してくれるというのがサラリーマンの夢なのだから。

卒業生が来た
2007-03-05
  土曜日に学校に出ていると「先生、いる?」と卒業生が来た。僕は用があっても無くても天気がはれていれば学校に来る。

  日曜日に行くラクビーは年に数回だし、今更ゴルフでもないので、家族に見放されつつある僕は学校以外に行くところが無い。

  来た卒業生と一緒にOB廻りをした。何とかちゃんはパルコの1階で何とかはパルコの4階、何とか君はリーガの1階という具合に町の中を歩いてみた。

  「先生、どないしたん?」「何で、何で」と言われながら、町の中を歩く、学校の頃と性格は変ってないが、生きて行く力は強くなっている気がした。年よりは若者にアアだ、コウだと言ってはイケナイと思った。

カピバラ
2007-03-04
  小学校6年の娘が「パパ、カピバラ知っとる?」と聞いてきた。「アア、昔、ブラジルで食った事がある。」と答えると「エー、食べちゃうの?」と来たので

  あれは川ネズミといってラットンと言う名前だった。日本に戻って来たらカピバラなんて立派な名前で驚いた。

  貧民は牛を殺すと地主から怒られるし、豚は地位が低いので、川で取れる大ネズミがご馳走のはずだよ

  もっともパパはブラジルではお金持ちグループと一緒だったから、ナカナカ貧民と一緒のレストランは入れなかったけど、田舎に入れば食べれたし、市場でも時々売ってたよ。

  「パパ。カピバラはキャラよ可愛いのよ。」と娘が言うが、親子の会話も最近は難しい(むずかしい・むづかしい)

ただいま
2007-03-03
 学校へ30分の自転車での通勤のあと、山道を登り終えると、「おはよう。」と言う代わりに「ただいま。」と口に出てしまった。

 あれボケたかな?使い間違いをするかな?只今は、只今帰りましたの略のはずだが、学校という職場に出てきただけなのに。

 時代劇なら「殿、御使者の方が只今到着しました。」と言うが僕は今の時代の学校の先生だ。

 心の底で、自分が気付かない間に、家庭に居場所がなくなったのか、と心配した。

 が、思い返せば昨日から大学3年の就職に合わせ説明会を学校で開いたので、僕の研究室も学生が何人も人が出入りした。学生が学校に帰ってきた気がしたので、主語のハッキリしない僕は皆が帰ってきたから只今といい間違えたのだろう。かと考えた。

 色々考えた挙句、要は「間違えた。」と謝れない為、四の五の理屈をつける自分を見つけた。

夢を売る
2007-03-02
 辻から良いメールが来たので載せます。

  今のテレビで派遣社員が主役のドラマが凄く人気が有ります。私もこのドラマだけは毎週楽しみに観ています。

  ドラマの内容は、凄く無愛想だけど、どんな仕事もきっちりこなす派遣社員が職場で輝いている設定です。これを見終わると派遣社員は魅力のある仕事のように思えます。

  物語が1つ終わって主人公が1つ困難を乗り越えて輝いて見えるその瞬間と安堵感でホットした所に、爽やかに(さわやか)に「人材派遣会社のコマーシャル」が流れます。

  見ていた私は「仕事見つからなかったら登録してみようかな?」と錯覚を起してしまいそうになります。

  「ドラゴン桜」の時と同様に「あれ(ドラマ)は夢を売る商売なんだ」と、気が付かせてくれないと自分に戻れなくなります。

  僕のコメント:そうだろうテレビは魔物だよ、だから僕の家はテレビが「無い」から始まって、今は少し譲歩してテレビをつけない。時間帯に家に居ないという作戦を取ってる。



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