学会 教授に成った 20年ぐらい前の 話
教授に成るには 学会で論文の発表をしないと イケ無い
普通は 論文を貯めて 大学に提出し その後 面接に呼ばれる
1) 僕は インチキ 教授だから 20年ほど前に
次の4月に 教授にしてやるから
「論文を12月までに書け 2月に学会で発表して 論文集に 載せてもらえ」と言われた
注)何を書いたか その論文集が僕のfileの 何処にあるかも 忘れた
2) でその論文集を抱えて 3月に 広島の小さな大学の面接に臨んだ
退任なさる教授が 「僕の代わりに此奴を」と推薦してくれているのと
他の候補者が居ない らしい と 言うので ある程度安心はしてたが
確定では無かった
3) 面接の時 面接官の(教授)は 僕に
「東大のラグビー部の方ですね?」と聞く
僕が「それ以外に取り柄が無いのですから」と頷(うなず)く
「では 部歌の 作詞作曲は 誰か ご存じでしょうね?」と
僕は「Edmund Blundenさんです 歌いましょうか?」と答えるとフフフと 笑われて
東大のラグビー部のかたですね 結構です この大学に来て下さいとなりました
4) 何で 知ってるんですか?と 聞くと
「Edmund Blunden」さんが50年程前 広島に原爆ドームと宮島を 見に来られた際に 僕は広島大学の 英文の学生だったので
通訳をしたのです 綺麗な奥さんでした と