「適職」は探し求める物ではなく、
自分で作り出すものであると私は思っている。
その職に向いている、向いていない等と
人は良く言うけれども、
自分で簡単にそれを判断する前に、
与えられている目前の仕事を
「適職」にする意欲を持って取り組むべき。
と私は思っているからである。
勿論、イチロー選手のようにある種の天才は
その才能にあったことを職業にするのが
当然正しく、それこそ「適職」なのだろうが、
いわゆる世間一般の天才以外の人々は、
目前の仕事を黙々と一生懸命に取り組み、
その仕事を「適職」にする意欲が必要だと思う。
「適職」を辞書で引いてみると、
その人の能力、才能にあった職業。とある。
だから私は、辞書も間違っていると
言っているに等しいのかもしれないけれども、
案外私は会社で堂々と語っている。
楽器だって同じではないだろうか。
楽器との出会いは様々であろう。
親から勧められてピアノを始めたとか、
吹奏楽部の欠員が出てしまったから
トランペットを吹くことになったとか、
勿論、好きでギターを始めた。とか。
ただ、楽器を始めた当初は、
適している等とは分かるはずもなく
それを自分に適した楽器にするため、
一生懸命練習をしてきた人が多いはずである。
「適している」を自分で作り上げたのだ。
逆にいえば、この楽器は私に向いていない
と投げ出す人は、次の楽器も上手くならない。
仕事の話に戻しても同じ。
この仕事、私に向いていないと
投げ出してしまう人は
次の仕事も結果は同じである。
はたして私は社長が「適職」になっているのか?
人にあれこれ言う前に自問自答しなければと
気を引き締める昨今である。
自分で作り出すものであると私は思っている。
その職に向いている、向いていない等と
人は良く言うけれども、
自分で簡単にそれを判断する前に、
与えられている目前の仕事を
「適職」にする意欲を持って取り組むべき。
と私は思っているからである。
勿論、イチロー選手のようにある種の天才は
その才能にあったことを職業にするのが
当然正しく、それこそ「適職」なのだろうが、
いわゆる世間一般の天才以外の人々は、
目前の仕事を黙々と一生懸命に取り組み、
その仕事を「適職」にする意欲が必要だと思う。
「適職」を辞書で引いてみると、
その人の能力、才能にあった職業。とある。
だから私は、辞書も間違っていると
言っているに等しいのかもしれないけれども、
案外私は会社で堂々と語っている。
楽器だって同じではないだろうか。
楽器との出会いは様々であろう。
親から勧められてピアノを始めたとか、
吹奏楽部の欠員が出てしまったから
トランペットを吹くことになったとか、
勿論、好きでギターを始めた。とか。
ただ、楽器を始めた当初は、
適している等とは分かるはずもなく
それを自分に適した楽器にするため、
一生懸命練習をしてきた人が多いはずである。
「適している」を自分で作り上げたのだ。
逆にいえば、この楽器は私に向いていない
と投げ出す人は、次の楽器も上手くならない。
仕事の話に戻しても同じ。
この仕事、私に向いていないと
投げ出してしまう人は
次の仕事も結果は同じである。
はたして私は社長が「適職」になっているのか?
人にあれこれ言う前に自問自答しなければと
気を引き締める昨今である。
随分頑固に考えているだけの話でして、
余り誉められたものではないと思います。
ただ、たとえば今被災しておられる方が
全く違った仕事を始めたとしてら
きっとまたたく間に適職にされると思います。
働ける事に感謝をする気持ち。
今だからこそ、こんな時代だからこそ、
もう一度意識する必要がありますよね!
凄く勉強になりました。
最近思った事ですが、私は、ただ与えられた仕事を一生懸命にこなしていて、○年先のビジョンはどうなの…という部分をあまり考えていなかった気がします。
「適職」にするためにも、意欲をもって取り組み、やがては退く先輩方の教えを、後の代に引き継ぐ位の気概がないといけませんよね。
折角10年ぶりに元の職場に戻ったのだから、その「フィールド」で、「適職」にできるように頑張ろう…そう思った次第です。
繰り返しになりますが、とっても勉強になりました。頑張ります。