みなさんから
励ましや応援 様々なご意見を頂き
とても心強かったです。
ありがとうございましたm(__)m
無視した方がいいと言われ無視していましたが
相手のコメントは思い出したかのように
入ってきます。
馬鹿な人だなぁとみなさんには笑われるかもしれないし
相手の思う壺だよ、、と思われるかもしれませんが
やられっぱなしで無視、我慢するのも
私の中でなんか違うなぁ と思ってしまいまして、、、、
反撃しております😅
私もストレス発散 と言いますか😅
相手はやり取りをしようという思いは全くなく
相手は相手で何かのストレスをぶつけているだけな悲しい人だと思っています。
なので私も素性を明かさない
コメントの送り先も隠している相手に
好きな事書いています笑
馬鹿ですね😅
で、その中で私は
『何者や!』と書いていたら
返信らしきコメントが入ってきたのです。
そのコメントは
『自分は...云々云々の《障害者》です』
と。
私は先日『障害』という言葉を使ったために
怒鳴り込まれました。
言葉の選び方が間違っていたのは事実で
相手を傷つけた事も事実です。
私の思いで使った『障害』と
相手が受け取った『障害』は
全く違った意味
それが怒鳴られる事態になりました。
私は『障害』と言われる体の状態をお持ちの方々を否定した事はありません。
『障害』の害をひらがなで明記するようになっているのも
その方々のその状態は『害』ではないそういう意味合いからなのかな と個人的解釈をしています。
みんな違ってみんな良い
生活するにあたって不便な事は多々あると思いますが、それを工夫したり乗り越えようとされている方々は
私には持ち合わせていない精神力だったり知恵だったり努力だったりをたくさんお持ちで
私なんかより力強く生きておられると想像します。
語弊があったとしたら申し訳ございません。
そんな中、私も一方的に相手に書いていた
物に返答らしき物に
『自分は障害者です』という言葉。
私は。
この人が本当に障害者なのかそうでないのかは分かりません。
ですが、障害者であったとしても
このようなコメントを入れたり
『死ね』などの言葉を使ったりしてもいいと言う理由にはなりません。
健常者、、この言葉にも語弊があるかもしれませんが、何も不自由なく生活が送れている者だとしたら
自分を『障害者』だと言いこのようなコメントを入れてくる事自体悪質です。
『障害者』だからこのような事をしています
と言う意味合いなのだとしたら
それは人として異常です。
私が使った『障害』とそのコメントの人物が言う『障害者』は指している物が全く違います。
こういうブログと言う物は
自分と言う人間が誰も知らない人にも
心の壁を取っ払って吐き出せる場所です。
上手く利用すればこんなに良い物はありません。
私も本当に助けられています。
だからと言って、不快にするような言葉や表現を自由を履き違えて使って良いとは思えません。
こう言う事でしか自分を表現できない人は悲しい人 私の表現です。
一時のウサは晴らせるでしょう。
だけど自分の周りに
自分を支えてくれるような人が何人いるでしょう。
人は人に支えられ
時には自分も人を支え
言葉を交わして
人となりを知り
知ってもらい
そうやって平坦な道も凸凹な道も歩いて行ける
私はそう思います。
このような事をして
現実の人を目の前にして何もできない
しようとせず
面と向かって反論されるのを怖がって
文字の世界で攻撃して勝った気になってるような人は
この先も寂しい人生を送るのが見えます。
人は、変わろうとする事ほど大変なことはありません。
どんな状態にしろ今のままでいる方が楽なのです。
パワーをつかって努力なんかしなくていいからです。
私にそんなくだらないコメントを入れて
自分を『障害者』だと言って(偽って)
面白がってそれで今が過ごせていたら
それで良いならそのままでいればいいです。
やめてくださいと言ったところで
やめるような人ではなさそうです。
こう言う事を書いたとしても
自分を省みようとする事もないでしょう。
この先、自分がどうなっていくか
自分が1番身を持って知るでしょう。
好きなように
意味不明な名前を語ってコメントを入れてくるがいいです。
『岡山駅まで来れば相手にしてやる』
と書くと
『名古屋から岡山は遠くて行けない』
そうです。
私も好きで適応障害になったわけではありません。
好きでHSP気質で生まれてきたわけではありません。
子供の時、なぜ自分はいつもこうなんだろう
と、今はその理由がわかりましたが
当時は全く分からず、ただ悩んで生きづらくてこの年になるまで生きてきました。
苦しんでもがいてきたのです。
それを否定される覚えも筋合いもありません。
私は必死で生きているのです。
このブログに出会え
たくさんの方々に支えられて
頑張ろうという気持ちでいられるのも
人が私を理解してくれて
支えてくれているからです。
心がへし折れそうになっても
みなさんが助けてくださいます。
そういう心が暖かくなる体験を
その人物も味わうことができたなら
こんな事はする必要はなくなるでしょう。