ある方のお見舞いに行くことになっていたが
主人が風邪で行けなくなり、友人を乗せて運転して病院へ向かった。
駐車場付近で大勢の人々が病院を指指して、ざわめいていた。
一瞬、院内で事件でも起きたのかと思ったその時、
車が大きく左右に揺れたので、地震が有ったのだと気が付いた。
しかし、道中何も感じなかったし、他の車や道行く人の様子には
何も感じなかった。
エレベーターは止まっていたので、ハアハア言いながら
階段で5階の病室へ向かった。
見舞っている間にも余震が来て不気味。
既に携帯は通じないし、主人も心配しているだろうから
一刻も早く帰らねば・・と、ひたすら家まで車を走らせた。
往きの光景とはうってかわり、歩道には心配して人々が出ていたし、
小学生たちは防空頭巾を被って、集団下校をしていた。
友人をお家へ送り届け、家の近くまで来たら
近所の奥さんが二人立ち話をしていた。
Yさんは物凄く地震を怖がる人で、
小さな揺れでも、とてつもないぐらいの大声を出すが、
1回目の地震ではテーブルの下、2回目はお風呂に逃げ、
今は家の中が怖くて外に出て来た・・って。
話もそこそこに家へ帰り、駐車場に入れていたら、
心配してくれていたようで、主人が玄関に出て来た。
「地震の時何処にいた?」って。
私は車の中で何も感じていなかったが、
家の中は物凄い横揺れで、思わずテレビを押さえていた・・と、
身振り手振りで話してくれた。
我が家の被害は、階段の窓際に飾っていた小さな置物が
落ちて壊れただけだった。
余震を心配して、鏡や額入りの写真は全て外してあった。
それからというものは、テレビに釘付け。
津波の怖さに震えながら、ただ手を合わせて祈るだけだった。
飛び出した時に寒くないよう、大きな袋2枚に
夫々の洋服を入れ、枕元へ置いて早めに布団に入り
不安な夜を過ごした。
翌日からスーパーでは品切れ状態が続き、大騒ぎをしていた。
我が家は食品もトイレットペーパーもストックがあって、
並んで買ったりすることはなかったが、
頭を使いながらの食生活だった。
でも、ガソリンには苦労した。
長時間並んでやっと3000円分だけの給油ができたのだった。
いつも気をつけているのに、その時に限って残量がぎりぎりだった。
以来半分近くになると必ず給油しています。