シリーズの最終回は九州。
今夏の選手権参加校は533校、全国占有率は13.6%です。
≪九州勢の記録≫
*記録の見方;春⇒選抜大会の成績 夏⇒選手権大会の成績
勝敗; 〇勝〇敗〇引分 勝率 優勝-準優勝-ベスト4-ベスト8
◇福岡地区戦績
2010~2015 春 5-3 .625 0-1-0-0 夏 5-6 .455 0-0-0-1 合計 10-9 .526 0-1-0-1
2000~2009 春 6-9 .400 0-0-0-3 夏 9-10 .474 0-0-0-1 合計 15-19 .441 0-0-0-4
1990~1999 春 6-9 .400 0-0-0-2 夏 15-9 .625 1-0-1-1 合計 21-18 .538 1-0-1-3
1980~1989 春 3-11.214 0-0-0-0 夏 15-10 .600 0-1-1-1 合計 18-21 .462 0-1-1-1
36年計 春 20-32.385 0-1-0-5 夏 44-35 .557 1-1-2-4 合計 64-67 .489 1-2-2-9
◇佐賀地区戦績
2010~2015 春 ---- 0-0-0-0 夏 4-6 .400 0-0-0-0 合計 4-6 .400 0-0-0-0
2000~2009 春 1-6 .143 0-0-0-0 夏 9-9-1.500 1-0-0-1 合計 10-15-1 .400 1-0-0-1
1990~1999 春 1-1 .500 0-0-0-0 夏 11-9 .550 1-0-0-0 合計 12-10 .545 1-0-0-0
1980~1989 春 3-3 .500 0-0-0-1 夏 7-10 .412 0-0-0-0 合計 10-13 .435 0-0-0-1
36年計 春 5-10.333 0-0-0-1 夏 31-34-1.477 2-0-0-1 合計 36-44-1.450 2-0-0-2
◇長崎地区戦績
2010~2015 春 1-3 .250 0-0-0-0 夏 3-6 .333 0-0-0-0 合計 4-9 .308 0-0-0-0
2000~2009 春 9-2 .818 1-1-0-0 夏 11-10 .524 0-0-1-1 合計 20-12 .625 1-1-1-1
1990~1999 春 2-3 .400 0-0-0-1 夏 9-10 .474 0-0-0-2 合計 11-13 .458 0-0-0-3
1980~1989 春 4-5 .444 0-0-0-2 夏 3-10 .231 0-0-0-0 合計 7-15 .318 0-0-0-2
36年計 春 16-13 .552 1-1-0-3 夏 26-36 .419 0-0-1-3 合計 42-49 .462 1-1-1-6
◇熊本地区戦績
2010~2015 春 3-5 .375 0-0-0-0 夏 6-6 .500 0-0-0-1 合計 9-11 .450 0-0-0-1
2000~2009 春 5-6 .455 0-0-1-0 夏 5-10 .333 0-0-0-0 合計 10-16 .385 0-0-1-0
1990~1999 春 1-6 .143 0-0-0-0 夏 7-10 .418 0-1-0-0 合計 8-16 .333 0-1-0-0
1980~1989 春 3-5 .375 0-0-0-1 夏 17-10 .630 0-0-2-1 合計 20-15 .571 0-0-2-2
36年計 春 12-22 .353 0-0-1-1 夏 35-36 .493 0-1-2-2 合計 47-58 .448 0-1-3-3
◇大分地区戦績
2010~2015 春 0-1 .000 0-0-0-0 夏 1-6 .143 0-0-0-0 合計 1-7 .125 0-0-0-0
2000~2009 春 1-4 .200 0-0-0-0 夏 8-10 .444 0-0-0-3 合計 9-14 .391 0-0-0-3
1990~1999 春 2-4 .333 0-0-0-0 夏 7-10 .412 0-0-1-0 合計 9-14 .391 0-0-1-0
1980~1989 春 3-3 .500 0-0-0-1 夏 12-10 .545 0-0-0-3 合計 15-13 .536 0-0-0-4
36年計 春 6-12 .333 0-0-0-1 夏 28-36 .438 0-0-1-6 合計 34-48 .496 0-0-1-7
◇宮崎地区戦績
2010~2015 春 1-2 .333 0-0-0-0 夏 5-6 .455 0-1-0-0 合計 6-8 .429 0-1-0-0
2000~2009 春 2-5 .286 0-0-0-0 夏 9-10 .474 0-0-0-2 合計 11-15 .423 0-0-0-2
1990~1999 春 7-5 .583 0-0-0-3 夏 8-10 .444 0-0-0-1 合計 15-15 .500 0-0-0-4
1980~1989 春 5-4 .556 0-0-1-0 夏 12-10 .545 0-0-0-1 合計 17-14 .548 0-0-1-1
36年計 春 15-16 .484 0-0-1-3 夏 34-36 .486 0-1-0-4 合計 49-52 .485 0-1-1-7
◇鹿児島地区戦績
2010~2015 春 5-6 .455 0-0-0-1 夏 5-6 .455 0-0-0-0 合計 10-12 .455 0-0-0-1
2000~2009 春 5-5-1.500 0-1-0-0 夏 11-10 .524 0-0-1-2 合計 16-15-1 .516 0-1-1-2
1990~1999 春 12-6 .667 1-0-0-3 夏 21-10 .677 0-1-2-2 合計 33-16 .673 1-1-2-5
1980~1989 春 2-5 .286 0-0-0-0 夏 13-10 .565 0-0-1-2 合計 15-15 .500 0-0-1-2
36年計 春 24-22-1.522 1-1-0-4 夏 50-36 .581 0-1-4-6 合計 74-58-1 .561 1-2-4-10
◇沖縄地区戦績
2010~2015 春 7-5 .583 1-0-0-1 夏 13-5 .722 1-0-0-2 合計 20-10 .667 2-0-0-3
2000~2009 春 11-5 .688 1-0-1-1 夏 11-10 .524 0-0-1-0 合計 22-15 .595 1-0-2-1
1990~1999 春 6-5 .545 1-0-0-0 夏 16-10 .615 0-2-1-0 合計 22-15 .595 1-2-1-0
1980~1989 春 0-3 .000 0-0-0-0 夏 15-10 .600 0-0-1-2 合計 15-13 .536 0-0-1-2
36年計 春 24-18 .571 3-0-1-2 夏 55-35 .611 1-2-3-4 合計 79-53 .598 4-2-4-6
【九州地区戦績】
2010~2015 春 22-27 .449 1-1-0-2 夏 42-47 .472 1-1-0-4 合計 64- 74 .464 2-2-0-6
2000~2009 春 40-42-1 .488 2-2-2-4 夏 73-79-1.480 1-0-3-10 合計 113-121-1 .483 3-2-5-14
1990~1999 春 37-39 .487 2-0-0-9 夏 94-78 .547 2-4-5-6 合計 131-117 .528 4-4-5-15
1980~1989 春 23-39 .371 0-0-1-5 夏 94-80 .540 0-1-5-10 合計 117-119 .496 0-1-6-15
36年計 春 122-147-1 .454 5-3-3-20 夏 303-284-1 .516 4-6-13-30 合計 425-431-2 .496 9-9-16-50
九州と言えば、昭和40年代ぐらいまでは、福岡、熊本、大分を中心とした北九州が中心勢力で、鹿児島、沖縄の南九州勢と佐賀、長崎、宮崎は全く甲子園で実績を残せない県という位置付でした。しかしながら、過去36年間、特に最近の戦いぶりを見ると、鹿児島、沖縄、佐賀、長崎の4県で9回の優勝のうち8回を達成するなど、勢力図は完全に変わってきているように感じます。準優勝回数でも、9回のうち6回が後述の4県が達成したもの。沖縄は99年に沖縄尚学が悲願の県勢初の全国制覇を成し遂げて以来、計4回の全国制覇を達成。鹿児島も鹿実、樟南の2強を中心として着々と実績を重ね、佐賀はいつもは実績を残せていないのに、佐賀商、佐賀北の2校がまさかの快進撃で全国制覇を達成。長崎では00年代に入って清峰が準優勝に続き県勢悲願の優勝も達成。一時代を築きました。宮崎でも延岡学園が一昨年初の決勝進出を飾り、新たな時代を築こうとしています。一方戦前から野球の伝統を持つ福岡ではまさに戦国時代が長く続いており、県大会はいつも一寸先は闇。熊本は、奇跡のバックホームで初優勝を阻止された伝統の熊本工が、それからなんだか元気がない状態が続きます。大分は古くは津久見の小嶋監督、最近では柳ヶ浦・明豊の大悟坊監督という名物監督が去ったあと、しばらくリーダー的なチームがでてきていないという状態が続いています。
90年代4度、00年第3度、そして10年代に入っても2度の全国制覇を達成。勝率はどの年代でも5割近辺をキープしており、九州は全国9地区の中でも、甲子園で長く存在感を見せ続けている地区だということが言えましょう。
県別にみてみると。
福岡は80年代後半から90年代初頭にかけ、夏の選手権で5年連続で8強以上に進出するという黄金期を築いた。そしてその最後の92年、西日本短大付が森尾の力投であの三池工以来27年ぶりの全国制覇を達成。この5年間は19勝4敗という素晴らしい戦績を残し、『福岡勢強し』を全国に広めた。しかしその後はなかなか戦績を残せず、わずかにエース香月を擁した柳川が8強に進出したのみ。毎年代表校に力はあると言われながら、なかなか上位進出を阻まれている現実が横たわっていた。00年前後には東福岡が村田、吉村、下野らの好選手を配するも上位進出はならず。しかし九州国際大付が『優勝請負』監督の元力をつけ、11年には選抜準優勝、そして今夏は福岡勢として久しぶりに夏の選手権8強に輝いた。勝率は常にほぼ一定レベルを保っており、県大会のレベルも常に高いレベルを維持している。
佐賀は不思議な県だ。長い間『野球弱小県』の代名詞のように言われていて、光輝いたのは82年に佐賀商の新谷が完全試合まであと一人と迫った瞬間が思い出されるぐらいだった。しかし94年、開幕戦を勝利で飾った佐賀商が、なぜだかわからないが快進撃で優勝を飾り、世間をあっと言わせると、その13年後の07年には、『がばい旋風』と言われた佐賀北が、これまた世間をあっと言わせる快進撃。そして決勝の終盤に満塁ホームランで決着をつけるという、佐賀商と全く同じ経緯で優勝をかっさらい、2度目の優勝を飾った。2度の全国制覇なんて、九州では沖縄以外になく、全国でもまれな実績。しかしその両校が積み重ねた12勝以外では、県勢の甲子園での勝率は4割にも満たず。全くもって不思議な県だ。佐賀北なんぞ、あの優勝以外では甲子園で1勝も挙げられていないし、佐賀商とて優勝以降の甲子園での戦績は2勝6敗。だからこそ、一生に一度の『あの夏』は、光輝くのだと思うが、その経験を2度もできた佐賀県の高校野球ファンは、まったくもって幸せな人たちだと思う。
長崎はなかなか甲子園で戦績が挙げられず、悲哀を味わってきた県だ。76年に”サッシ-”酒井を擁した長崎海星が4強に進出して県民が『初の全国制覇』をすぐそこに感じてから、94年に初出場の長崎北陽台が3勝を挙げて8強入りするまでの17年間、長崎勢は夏の選手権で2勝以上をあげることが出来ず、5勝16敗という厳しい戦いを続けてきた。大型チームを作れず、甲子園でも九州大会でも、県勢は他県のチームに力負けして大会を去るケースがほとんどだった。その流れをようやく打ち破ったのが、的野監督から金城監督へバトンが渡された長崎日大、そして00年代に彗星のごとく高校野球界にデビューを飾った清峰だ。清峰は、当初は過疎地のチームということで選抜の21世紀枠の候補になるようなチームだったが、どんどんその実力を伸ばして、05年夏に初出場。初陣で選抜優勝校の愛工大名電を破る大殊勲をあげ一気に名前を広め、その後はとんとん拍子に強豪の仲間入り。翌06年センバツで準優勝に輝くと、09年センバツでは今村投手を擁して歓喜の県勢初の全国制覇を達成した。わずか5年間で、積み上げた甲子園での白星が13。爽やかに時代を駆け抜けていったチームだ。長崎勢は80年代から90年代にかけて4強進出が一度もなかったが、この清峰や長崎日大の活躍で00年代には過去を大きく上回る実績を残し、勝率も6割を超えた。しかしまた、清峰の吉田監督が去ってから、やや低迷の足音が聞こえてきてはいる。かつてのいい流れに、早く引き戻したいところだ。
熊本は古くは川上―吉原のバッテリーを擁した戦前の熊本工の様に『九州の強豪地区』としてその名が轟き、70年代後半~80年代初頭にも黄金期と呼べる時期を迎えた。この77年~84年の8年間には、毎年のように夏の選手権で上位に進出。18勝8敗という、他の追随を許さない実績を残した。しかしその後は低迷が始まり、96年の熊本工の活躍以外ほとんど見るべき実績はなく、九州8県の中でも下位を争っているという印象が強い。しかし10年代に入り、ようやくわずかながら復活の萌芽も現れ始めており、おまけに近年では、甲子園の解説でもおなじみだった鍛冶舎巧氏が大阪のシニアチームを丸ごと連れてきたようなチームを作って県の高校球界に殴り込みをかけてきており、騒がしくなってきている。
大分は、津久見の小嶋仁八郎監督がとにかく有名で、この監督に率いられた津久見は2度の全国制覇(選抜1度、選手権1度)を達成。九州の強豪県として、その誉れは高かった。しかしながらこの小嶋監督の退任とともにその高校野球力は失われ、以後は厳しい戦いが続いている。小嶋監督が監督の座を退いたのは82年。それから30数年、輝きは放たれていない。その後県内で強豪チームを作ったのは柳ヶ浦―明豊の監督を歴任した大悟坊監督。
彼のチームで最も輝いたのは、94年選手権4強の柳ヶ浦と、09年選手権8強の明豊か。特に09年の明豊は”スーパー球児”の今宮(現SB)を擁して、花巻東と激闘を戦ったのは記憶に新しい。10年代に入ってから、大分は今まで以上に厳しい戦いが続いており、この年代6年間で、わずか1勝のみに終わっている。復活には、カリスマ性を持った監督の登場が不可欠。いったい誰が、現れてくるのか。
九州で唯一全国制覇を経験していない県となった宮崎。しかしながら、県勢は甲子園ではなかなかの実績を残してきている。80年代、90年代には勝率5割を超え、九州の中での『中堅の県』として、しっかりとした歩みを残してきた。思い出に残っているのは、エース田口に好打の田中を擁して実力十分だった84年の都城。選抜ではPLのKKに対して互角以上に渡り合い、あと一歩の延長の激闘を繰り広げた。そして記憶に新しいのは13年の延岡学園。3人の投手を巧みにつないで初の選手権決勝まで進出。大旗まで手をかけかけたが、惜しくもするりと逃げてしまった。01年夏には、日南学園の寺原が『甲子園最速』で沸かせた。
鹿児島は、九州の中では『後発組』ではあるが、ここ40年ほどは、常に強豪を甲子園に送り出している県だ。鹿実の久保監督、樟南の枦山監督という二人のカリスマ監督が、お互いに『負けてなるものか』と切磋琢磨を続けることで県の高校野球はすさまじいレベルアップを遂げた。鹿実が輝いたのは、96年センバツでの県勢初の全国制覇。だが、その前にも90年、91年のチームで4季連続の全国8強以上進出は、ものすごい実績だ。特に90年の内ノ倉を擁したチームの打線の破壊力は、凄まじいものだった。一方の樟南は、82・83年の選手権2年連続の8強進出で全国に名前を売り、福岡―田村の”ちびっこバッテリー”を擁した93・94年にピークを迎えた。94年の決勝は、同じ九州の佐賀商に決勝でまさかの敗北。『負けるはずがない』と思っていた試合での負けは県民に大きなショックを与えた。樟南はその後も力を落とすことなく好投手を輩出し続け、99年の4強、00年の8強など、数々の甲子園で輝くチームを輩出してきた。その鹿児島の、両監督が脂の乗り切った90年代の戦績はすさまじく、勝率は全国トップの.673、初の全国制覇に準優勝、8強進出は実に9回を数え、まさに黄金期を迎えていた。両監督が還暦を超えて、その後引退する00年代以降は、新興勢力である神村学園の台頭など群雄割拠の時代を迎え、必ずしも『2強』が県の高校野球を引っ張る存在ではなくなってきているものの、まだまだ衰えずに全国で輝きを放ってほしいものだ。
沖縄の高校野球について、『弱い時代』を知らないワタシは、『沖縄の高校野球』と言えば『強い』というイメージしか湧かない。”沖縄野球中興の祖”栽監督が率いる豊見城が高校野球界に颯爽とデビューしたのが75年センバツ。赤嶺投手を擁して、素晴らしい戦いぶりを見せて甲子園に一大センセーションを巻き起こした。そこから78年までの4年間で、豊見城は3年連続の選手権8強進出。赤嶺から下地、神里などの小気味いいエースと石嶺を中心とした鋭い打線。そしてこの豊見城の試合は、常に強豪に対してガチンコ勝負を挑み激闘になる・・・・・というのがワタシの印象。東海大相模、東洋大姫路、広島商、土佐などに果敢に挑戦し続ける姿は観るものに感動を与えたが、ベストゲームは76年2回戦の小山との試合だと思っている。その前の試合で東海大相模を完封している選抜準優勝の小山の剛腕・黒田に対して、豊見城が果敢に挑み終盤に逆転した試合は、鳥肌ものだった。
そしてその豊見城が栽監督の転任で表舞台から去ると、次に時代を作ったのが興南。80~83年までの4年間、『沖縄は興南のもの』だった。竹下投手や仲田―仲田のバッテリーなど、今までの沖縄にはない”大型チーム”という感じでのチームカラー。そして84年、満を持して、栽監督が手塩にかけて育て上げた沖縄水産が沖縄の高校野球界にデビューしてくる。84年からの8年間で7回の選手権出場、そして集大成となった90,91年は選手権で2年連続の準優勝を達成。栽監督の沖縄野球が、まさに花開いた瞬間だった。90年の天理との決勝を投げ抜いた神谷投手、そしてひじ痛を押して最後まで投げ続けた大野の激闘は、観るものに涙を誘った。
しかしここから、沖縄野球は更なる進化を見せてくる。栽監督がベテランの域に差し掛かる90年代以降、栽野球を継承する金城監督率いる沖縄尚学などの新興勢力が次々登場。沖縄の高校野球は、『1強時代』から、『群雄割拠』に変わって、急激な底上げを見せた。97年には浦添商の選手権4強。そして待ちに待った瞬間は99年の選抜。金城監督に率いられた沖縄尚学が波に乗って勝ち進み、ついに沖縄県民の悲願だった全国制覇の偉業を成し遂げる瞬間が訪れた。そして06年の八重山商工の”離島から甲子園”ブームもあった後の08年には、沖縄尚学が2度目のセンバツ制覇。さらに10年に、我喜屋監督率いる、復活した興南が島袋投手を擁して春夏連覇という、ものすごい偉業を成し遂げた。
沖縄の高校野球は、栽監督時代以来、常に強く、全国から目標とされる存在となっている。36年間の甲子園戦績は、勝率が全国トップレベルの6割。そして4度の全国制覇に2度の準優勝と、他の追随を許さない素晴らしい戦績となって表れている。
沖縄という離島にありながら、有り余る情熱を高校野球に注ぎ込んだ幾多の名将のもと、沖縄の野球は、いまなお全国のトップとして現在もその名をとどろかせている。