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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

金やん ついに旅立つ!

2019年10月07日 | プロ野球

衝撃のニュースが、
昨夜駆け巡りました。

あの400勝投手、金田正一氏が、
6日に亡くなりました。
86歳でした。

金やんの愛称で多くの人から慕われた、
凄い選手であり、監督でしたね。

ワタシはもちろん、
金田さんの現役時代のことは全く知りません。
印象に残っているのは、
ロッテで監督を務めたときのこと。

しかし「400勝」と聞くと、
何か異次元の事のように、
昔から思っていました。


現在のプロ野球では、
200勝投手すら「もう出ないのではないか」といわれる時代ですから、
その倍の400勝なんて、
イメージすることもできません。

14年連続20勝以上なんていうのは、
もう決して出ない記録だと思います。

本当にこの時代の人達は、
金田さん、稲尾さんに限らず、
毎日のように来る日も来る日も、
投げ続けるというのがプロ野球の投手だったんでしょうね。

権藤・権藤・雨・権藤・・・・・
なんていう言葉もあったそうですね。

それが時代だったといってしまえばそれまでですが、
この時代は本当に投手にとっては、
厳しい時代だったんでしょうね。

そんな日本においてプロ野球創成期の時代の中で、
金田さんは来る日も来る日もマウンドに上がり続けた、
そんな選手だったのでしょう。

400勝ということ以上に、
298敗という記録こそが、
金田さんの本当のすごい記録だったんじゃないかなんて、
そんなことを思います。

ちなみにワタシが応援するライオンズにも、
東尾修という、
来る日も来る日も投げ続けたピッチャーがいますが、
彼の場合も251勝もしながら負け数も247勝。
そしてその負け数こそが自分の誇りだと、
聞いたこともあります。


そして金田さん、
日本のプロ野球ファンがだれでも知っているのは、
あの”ミスター”、
長嶋茂雄のデビュー戦での4打席4三振ですね。

「プロの厳しさを教えてやる」
という気迫を持った投球で、
キラ星ルーキーに対して闘志むき出しに投げた姿は、
凄いものです。

こういった球界の先輩がいると、
対戦するプレーヤーもまた、
大いに成長するのでしょうね。

高度成長期からその後にかけての、
昭和の風景そのものの感じが、
ワタシなんかは目に浮かぶようです。

「骨太のプレーヤー」

それが昭和のプロ野球人だったんじゃないかな、
そう思ったりもします。


ロッテの監督をやっていた頃は、
ま~よく暴れていたな~
そんなイメージがありますね。

今はほとんど見られませんが、
あの頃はプロ野球といえば乱闘はつきもの。
ロッテ戦は、
乱闘になると金やんが真っ先にベンチを飛び出して、
相手に向かって行ったものでしたね。

金田正一、星野仙一。

セ・パの暴れん坊監督として、
一世を風靡したものでした。

昭和49年には、
中日を下して悲願の日本一を達成しましたが、
その時のロッテの面々も、
サムライが多かったですね。

打者では有藤・山崎・弘田・得津・・・・
投手では村田・木樽・金田留・成田・八木沢・・・・・・・

何というか、
本当に懐かしい面々です。

そういえば金やんの弟の金田留弘さんも、
昨年の同じころに亡くなったんですよね。

金田家ということで言えば、
金やんを筆頭に、
プロ野球選手としては弟の留弘、そして甥っ子である金石、
芸能人としては息子の金田賢一氏が思い浮びますね。


あ~
金やんも不帰の人となり、
旅立ってしまったかあ。。。。

まさに、
昭和は遠くなりにけりだなあ。。

せめて今日ぐらいは、
昭和のプロ野球に思いをはせて、
いろいろなことを思い出すことにしようかな。

金やん、
お疲れさまでした。

天上にても、
現役のころのように超絶に投げまくるのか、
監督のころのように暴れまくるのか、
それとも解説者のころのように、
巨人愛を貫きまくるのか。

なんだか楽しくしていそう。。。。。。
そんなことを、
ふと思いました。


それにしても、
寂しい。

寂しすぎるニュースでした。



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