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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   29.京都

2012年09月05日 | 高校野球名勝負

◇もっとも印象に残った球児

29.京都



川口 知哉   投手  平安   1997年 春夏    


甲子園での戦績

97年春   1回戦    〇   5-2   星稜(石川)
        2回戦    〇   2-1   日南学園(宮崎)
        準々決勝  ●   2-5    報徳学園(兵庫)
97年夏   1回戦    〇   8-4    県岐阜商(岐阜)      
        2回戦     〇   5-0    高知商(高知)
        3回戦     〇   3-2    浜松工(静岡)
        準々決勝   〇   5-1    徳島商(徳島)
        準決勝    〇   3-0    前橋工(群馬)
        決勝      ●   3-6    智弁和歌山(和歌山)


第1回大会の京都二中の優勝に始まり、
常に高校野球の歴史とともにあった京都。

その京都で”名門”と言えば誰もがその名前を挙げるのが、
平安だろう。

平安中学から平安高校、そして龍谷大平安とその名称は変わっても、
胸のHEIANのマークは90年近く変わることなく、輝き続けています。

その間選手権の出場32回、選抜は出場36回。
決勝進出は実に7度。
そのうち優勝に3度も輝く、まさに名門中の名門です。
『平安の前に平安なし、平安の後に平安なし』
と呼ばれるにふさわしい、
京都の高校野球界で、
全国にその名をとどろかせ燦然と輝く、唯一無二の存在と言えるでしょう。

そんな平安も、
70年代の中盤からは今までのように京都府大会を勝ち抜いて甲子園に年中行事のようには出られなくなりました。
70年代中盤~80年代にかけては苦難の時代。
他校の台頭や暴力事件での出場停止など、
苦しい事ばかりでその威光も薄れがちだったと思います。

時々思い出したように甲子園にやって来ました(80年センバツ、90年選手権)が、
往年の輝きを見せるまでには至りませんでしたね。

そんな”低迷期”を打破すべく登場したのが、
現在も監督を続ける原田監督です。

青年監督の原田氏は33歳だった93年に就任。
それから平安は、
原田監督の【平安愛】を全身に受け、
みるみる【名門復活】していきました。

本当は『最も心に残った人物』としては原田監督を挙げたいところなんですが、
『選手』というくくりをしていますので、
原田監督の作った最高傑作のチームを牽引した、
剛腕エースの川口知哉をピックアップします。

原田監督の【平安愛】はすごく、
監督に就任するや『大好きな平安を何とか復活させるために、すべてを投げうつ』という覚悟で、
チームの古いしきたりを排除、
チームを軌道に乗せていきました。

その手腕と情熱。
本当に頭が下がります。

我々関東の人間にとって、
97年に復活するまで平安は、
『古豪だが強豪では決して、ない』という存在。

しかしこの97年を境に、
『平安は強い』という意識が本当に染み渡りましたね。
そういう意味でも、
【古豪復活】を鮮やかに成し遂げたと思います。

ここ数年の作新学院の小針監督を見ていると、
ちょうどこの時代の原田監督とだぶって見えますね。


ということでこの年。

平安は稀有な存在のエース、川口を手に入れました。

球持ちのいいフォームから全身をしならせて投げてくる”剛腕”のエースが川口。
大きいことを言ってしまう『ビッグマウス』もまた、
ワタシのお気に入りの部分でした。

春のセンバツ前から注目の投手ではあったのですが、
選抜大会はほんの顔見せ。

彼の本領は、
暑い夏の甲子園で発揮されました。

初戦の県岐阜商戦こそ、終盤の大量リードで”ゆるみ”を見せてしまいましたが、
その後は『接戦の時ほど気合が入る』投球でちぎっては投げ、ちぎっては投げ!
特にスライダーのキレ味は抜群。
制球力もすっかり安定して、
2回戦からの強豪対決をことごとく制していきました。

振り返ってみるとこの川口の相手になったチーム。

初戦の県岐阜商から始まって、
高知商、浜松工、徳島商、前橋工と、
準決勝まではずっと【公立の雄】ばかり。

こうしてみると、
私立公立の拮抗した時代の、
最後の大会だったのかもしれません。

すべてのチームが”侮れない相手”だったにもかかわらず、
川口は一人で6試合すべてを投げ抜いていきました。

これもまた、
現在の高校野球とは違った、
【昭和の高校野球】の名残を感じるところですね。

しかし決勝で、
【平成の高校野球】の代名詞でもある日の出の勢いの智弁和歌山に、
ついに後半つかまって敗れ去ってしまいます。

智弁和歌山・高嶋監督のキップのいい野球、
それはそれで好きなのですが、
やはりこの年ワタシは≪HEIAN≫の川口投手に、
なんだか思い入れをいっぱいに乗せて応援していた記憶があります。

それから、
ワタシの勝手な印象なんですが、
平安って、なんだか同じ近畿のチームに弱い気がするんだよなあ。。。。。。
根拠は何もないんだけど。


ということで、
川口投手で復活した平安、
それからはご承知の通りで、
選抜4回、選手権5回という輝かしい歩みを続けています。

その中には、
2001年夏の準々決勝、
ワタシが近年での『甲子園最高試合』のひとつに数えている松山商との激闘や、
2003年夏の服部-ダルビッシュの壮絶な投げ合いとなった東北戦など、
心に残る激闘がいくつも含まれています。

旧い高校野球ファン以外は、
平安と言えば原田監督。

その名をすぐにあげることが出来ます。

ますます脂がのり、
今後10年~15年、
また私たちを楽しませてくれる【名門】であり続けてほしい、
平安高校です。



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