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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

相次いだ名将の逝去の報に・・・・・・合掌。

2022年09月08日 | 大学・アマ野球

昨日は「さほどニュースもないなあ」と思いながら、
つらつらとサイトを眺めたりしていました。

すると、
元早大監督の應武監督の訃報が載っており、
驚きました。

應武監督といえば、
早大の監督を退任した後、
確か地元で母校・崇徳の監督をしているはず。。。。。

と思っていましたが、
病気で退任していたのですね。

印象に残っているのは、
斎藤・大石・福井らを擁して「早稲田の春」を謳歌していた、
07~10年の姿ですね。

采配については特に印象深いという事はありません。
大学野球というのは総じてそういうもの。

逆に應武氏について強烈に印象に残っているのは、
彼が高校野球で甲子園に出た崇徳時代のもの。

昭和51年の崇徳。

そういえばわかるぐらいの、
本当に強いチームでした。

「広商野球」で一世を風靡した広島商が全盛期のこの頃。
広商に甲子園への道を閉ざされていた崇徳は、
51年にはありえないほどのサムライをそろえた強烈なチームを作って、
甲子園を席巻しました。

エース黒田に山崎(元広島)、
そして小川に應武。

本当に当時としては破格の大型チームで、
春のセンバツではその力をいかんなく発揮して優勝。

1回戦、2回戦はどこかギクシャクした戦いぶりで大苦戦の連続でしたが、
準々決勝からはまさに盤石なチーム状態に戻って、
完璧な優勝でした。

当時は広島、岡山を中心として、
中国地方は非常に高校野球が強かったという印象がありますね。

應武捕手は剛腕・黒田を良くリードして、
打っても中心として活躍していました。

夏も優勝候補の一角として出場してきましたが、
初戦はエース黒田の発熱で大苦戦、
そして2戦目で海星の酒井と激突し、
0-1という投手戦の末敗れ、
春夏連覇はなりませんでした。

その年の崇徳、
そうだなあ・・・・・
今年の大阪桐蔭ぐらいの立ち位置だったかもしれません。

しかしどこか「完ぺき」に整備されてはいない粗さの残ったその攻守が、
逆に彼らの強さというかポテンシャルを、
際立たせていたような気がします。

「作戦なんて、しゃらくせえ。。。。野球とは力でねじ伏せるものだ!」
そんな叫びが、プレーの中から聞こえてくるような、
そんな荒々しいチームでした。

当時の広島県において、
完璧なるスモールベースボールを完成させていた広商を破るには、
「穴はあるけどスケールの大きさでねじ伏せる」
というのが正解だったのでしょうね。

その秋のドラフト指名選手が4人というのが、
崇徳のスケールの大きさを表しています。

しかしそれ以来、
崇徳はそのスケールの大きさをついぞ見せてくれることはありません。
ワタシの中で崇徳は、
「1年だけびっかびかに光った好チーム」
として、全国の他の数校とともにインプットされています。

でも今年広島では、
盈進が昭和49年以来の復活を果たしました。
崇徳もまた・・・・・・となってほしいですね。

應武監督は、
あまりにも早いその逝去に、
言葉がありません。


そして今朝、
朝起きるともっと大物の名将がこの世を去ったというニュースが。

それは東洋大で長く指揮を執り、
数多の好選手を育て上げてプロに送り込んだ高橋監督の逝去です。
享年74歳。

東洋大での指揮はなんと46年。
まさに東洋大の「生きるレジェンド」だった高橋監督ですが、
2017年に退任をしていました。

高橋監督の退任以来、
東洋大も勢いを失って、
現在厳しい状況に置かれています。

東都大学野球は、
ワタシにとっては少し縁遠いリーグ。

直接見るのは春秋の全国大会、
大学選手権と明治神宮大会だけなので、
高橋監督の印象はあまりないというのが正直なところ。

しかし東都大学というところは、
東洋の高橋監督、中央の宮井監督、青学大・河原井監督、そして駒沢の太田監督など、
「音に聞こえた」名将が多いリーグですね。

しのぎを削りながら、
お互いを高めていく結果が、
あの強さ、そしてプロ野球への数多の好選手の輩出でしょうね。

長い間お疲れさまでした。


両名将の逝去のニュース、
寂しく聞きました。

合掌。



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