最も印象に残った球児
18.山梨
山本 信幸 投手 東海大甲府 1987年 春夏
甲子園での戦績
87年春 1回戦 〇 4-3 大成(和歌山)
2回戦 〇 1-0 滝川二(兵庫)
準々決勝 〇 4-0 熊本工(熊本)
準決勝 〇 5-8 PL学園(大阪)
夏 2回戦 ● 1-2 佐賀工(佐賀)
野球不毛の地と言われ、
選手権ではそれまでわずか4勝しか挙げたことがなかった山梨県に、
1981年新星が現れ、初の甲子園を掴み取りました。
その名は東海大甲府。
東海大相模時代に原貢監督の薫陶を受けた大八木監督率いるこの”闘う軍団”は、
1992年までの12年間で選手権8回、選抜4回甲子園の土を踏み、
山梨県の高校野球の歴史を大きく変えるとともに、
輝かしい足跡を残しました。
その80年代を代表するチームと言ってもいい東海大甲府の中で、
ワタシが「もっとも戦力が充実していた」と思うチームは、
87年のチームと89年のチームではないかと思います。
ともに選抜で4強まで勝ち進んだチームですが、
より87年のチームにインパクトの強さを感じるのは、
【完成された】チーム力とともに、
その敗れ方が強烈だったせいもあるかもしれません。
東海大甲府というチーム。
大型の選手を配してはいるものの、
その戦い方は高度な全員野球。
大八木監督という稀有な指揮官は、
その当時の高校野球の考え方の一歩も二歩も先を行くというイメージがありました。
小技足技の精度、
高度な守備力とともに、
決して大崩れしない、いわゆる『試合を作れる』投手がエースになるというのが定番のチーム作り。
だからこそ、
12年で12回という甲子園の出場を誇ったのでしょう。
また、
相手チームの分析にも長け、
その当時隆盛を誇ったPLにも負けない緻密で高度な『ID野球』でも他校の数歩先を行く存在でした。
そんなチームの中、
意外にも大きく印象に残る選手はあまり見当たらないのですが、
この『見当たらない』ということこそが東海大甲府のチーム作りの真髄ではなかったかと、
勝手に思ったりしています。
そんな中、
81・82年の椚投手、85年の福田投手、86年の窪田投手、88年の石黒投手、89年の榎投手と毎年好投手を輩出してきましたが、
最も印象に残っているのは87年の山本投手です。
『東海大甲府のピッチャーは、右なら力投派。左ならキレで勝負』
というのがワタシの印象でしたが、
山本投手は典型的な力投派のピッチャーでした。
力投派ながら低めによく球を集め、
決して【大会屈指】とは言われないものの、
安定感では群を抜いていましたね。
87年のセンバツで、
山本投手は輝きました。
その年の東海大甲府は、
『東の横綱と言ってもいい』
ぐらいの評価を受けるほど力を持ったチームでした。
(まあ実際は、西のチームに強豪がそろっていたのですがね。春夏連覇のPLは、秋の時点では評価はさほど高くなく、選抜連覇を狙う池田の評価が群を抜いていました)
初戦の相手はこの春話題の和歌山・大成高校。
何が話題になったって?
それは、
このチームの部員が10人だったからです。
かつて、
74年春に池田高校が11人の部員で準優勝。【イレブン池田】と呼ばれました。
そして77年春には中村高校が12人の部員で同じく準優勝。【24の瞳】と呼ばれました。
その系譜を受け継ぐ大成の10人野球。
高校野球ファンは、
この大成にも『何か』を期待していました。
そして甲子園の雰囲気も、
大成一辺倒だったのを記憶しています。
そんな厳しい状況の中、
初戦に緊張した山本は前半から大成打線につかまりますが、
何とか踏ん張りチームは8・9回に逆転勝ち。
弾みがつく勝ち方で波に乗った東海大甲府は、
2回戦では屈指の好投手と言われた西詰の滝川二に終始押されながらも山本がしのぎ切って1-0での完封勝ち。
山本は11安打されながらの『粘りの投球』でした。
準々決勝は熊本工を圧倒。
迎えた準決勝は、
今大会で一躍『優勝候補筆頭』に上がってきたPL学園でした。
立浪キャプテンを筆頭に片岡、深瀬らの攻撃陣、
野村・橋本・岩崎の盤石の投手陣をそろえ、
冬場に力を2歩も3歩もアップさせたこのPL、
それに挑んだのが東海大甲府でした。
東海大甲府にとっては、
理想的な展開で前半をリード。
5回終了時に5-1としたときには、
「もらった」
という思いが強かったのですが、
6回一気の攻めで同点に追いつかれてからは、
終始PLペースで試合が進みました。
結局延長13回まで戦ったものの5-8と惜敗。
夢の【全国制覇】はお預けになってしまいましたが、
PLをここまで追いつめた東海大甲府のチーム力に対する評価は高く、
『夏こそは』
との期待も高まりました。
そして迎えた夏。
山本投手は相変わらずの好調ぶり。
好打者・久慈(元阪神)などを擁した打線も好調で、
予想通り選手権のキップをもぎ取り甲子園に乗り込んだ東海大甲府ナイン。
今回のチームには期するものがあったと思います。
当然戦前の評価も高くAクラス。
抽選では、
2回戦からの登場で、相手は佐賀工。
剛腕エース江口を擁するものの、
『剛腕崩しはお手のもの』
と豪語する東海大甲府は、
順調に全国制覇に滑り出すものと見ていました。
しかし・・・・
剛腕江口がこの日は絶好調。
ちょっと見たこともないような球速と低めに伸びる球のキレは、
【超高校級】
と言っても過言ではありませんでした。
さしもの東海大甲府打線も、
速球を全くとらえきれません。
そんな中、
『試合を作る男』山本投手もまた、
江口に負けない好投を見せ、
試合は終盤に。
迎えた8回裏の佐賀工。
2死3塁の場面で、
ランナーがスルスルとホームへ。
信じられないホームスチールで、
佐賀工は決勝点を奪い、
そのまま逃げ切って『ジャイアントキリング』を達成し、
優勝候補の東海大甲府は敗れ去ったのでした。
ホームスチールをされた後、
山本投手がまさに『呆然と』した表情をしたのが忘れられません。
そしてまさかの初戦敗退が決まった後の選手たち。
『まさか・・・・・』
の出来事でした。
ちなみに、
その佐賀工業、
この勝利で浮かれた選手たちを監督がビンタしたとかしないとか・・・・・・・・
選手達が反発して、次戦は出るとかでないとか・・・・・・・
ゴタゴタの嵐となってしまい、
迎えた3回戦の習志野戦では、
江口をはじめとして選手たちが正に
『これが東海大甲府を破ったチームなの????』
という信じられない無気力ぶりを発揮して完敗。
いや~な後味を残して、
甲子園を去ったのでした。
それを見たワタシ。
この年の東海大甲府には期待していただけに、
無性に腹立たしさを覚えたのを、
思い出しました。
こんなチームに敗れて、
全国制覇の夢をあきらめなければならないのか、と。
東海大甲府史上でも1・2を争いいいチームだったこの87年のチーム。
もっと試合をさせてあげたかったなあと思います。
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