I LOVE ALEX&OCEAN

バーニーズマウンテンドッグの
アレックス享年8歳(天国在住♂)と
弟分のオーシャン8歳(♂)の旅行記やお出かけ

★月命日を迎えて・・・★

2013-04-25 15:22:01 | 闘病記
昨日でアレックスの月命日だった。

アレックスが亡くなって一ヶ月が経った。

アレックスの闘病の記録もそろそろ書き上げなければ…そう毎日思いながら一ヶ月。

3月20日に江東区で受けた輸血から次の日の事から書こう。


<アレックスの旅立ちまで>

3月21日

浅く早い鼻呼吸は依然として続いていたが、前日の輸血のおかげもあり、歯茎と舌の血色は少しいい。
でも、輸血直後に比べればやはり、また白くなっていた。

この時にはアレックスは食べることはもう出来ず、シリンジでウィダーインゼリーやお水位しか口に出来なかった。
それでも私は少しでも食べてくれるならばと、アレックスの様子も見ながら昼夜問わず口に運んであげた。
内心すごく必死だったけど、笑顔で笑って、沢山ヨシヨシしながら。

車でも様子を見てはシリンジで与えていた。







この日は群馬県に住んでいるバニ多頭飼いの天太家のキラ・ヒヨ・そよ3娘がアレックスに供血をする為に駆けつけてくれた。

マッチテストは3頭とも問題なし、
その中でも濃い血液をしていた、ヒヨとそよから300mlづつもらって合計600mlを輸血する事になった。





ヒヨ、そよ、大事な血をアレックスに分けてくれてありがとうね。





アレックスの血液検査の結果も、
当初340lmの輸血だと数パーセントしか上がらないと考えられていた血球容積が前日の20.5%から34%に奇跡とも思えるような数値になっていた。
(通常の血球容積は37~55%位)
それでも赤血球数439(*10000/μl)でまだまだ油断できない。
(通常の赤血球数550~850)
極度の貧血状態が続いていた。

そしてこの時心配な事がもう一つ、黄疸の数値が上がってきている事。
眼球の白目の所は出血して充血していた。


だけど、まずはアレックスに病気と闘う力を輸血でつける必要がある。
悲観してる暇などないし、絶対に治すという気力で私たちは動いていた。




アレックスにヒヨそよの血液を入れ始めた。








特に拒絶反応もなく、順調に輸血がされて行った。

輸血開始、20分位で、いきなりアレックスが立ち上がり、
用意されていた個室から外の受付に数メートル、スタスタと脱走した時は目が点になった後、爆笑したな。
その時、「あぁ、新鮮な血って凄いな」って思った。

私たちが病院を訪れる度に、私の実家の両親も病院の隣町に住んでいるので様子を見に来てくれたり、
私が食事の支度も出来ない事を察して、おかずやパン、お弁当を差し入れてくれたりした。

計6パックの輸血を5時間かけてアレックスに入れた。
輸血の終わり際の残り40分位から呼吸がさらに荒くなったので、
先生に相談して、高濃度の酸素が出るホースをアレックスの鼻の近くに置いてあげた。

無事に輸血が終わり、ステロイドや胃薬等を注射してもらった。

あとは、頼みの綱の「ガンマガード」という人間用の薬を、
アレックスの体内の血液が濃い状態の時に6時間ほどかけて入れるという治療に望みを託すだけ。。。
その治療は後日また実施する。

帰りの道は空いていて、夜9時半には帰宅できた。

この日アレシャンぱぱとも相談して、5日連続の通院で体力的な事も考えて、
アレックスを休ませてあげたいって事になり、翌日は自宅療養にしようかと。
次の日の朝、担当の院長先生に相談して最終的に決める事にした。





3月22日、23日

朝一番に病院に電話して院長先生に「今日は自宅でゆっくりさせたいんですけど」と申し出ると、
「そうですね、昨日輸血できたんで、1日2日で容体が急変することは恐らくないでしょうから、アレックスちゃんをお休みさせて上げましょう」との事だった。

相変わらず、浅く早い鼻呼吸は続き、白目の充血も取れず、鼻呼吸なせいで、鼻もカサカサに乾き、
ご飯も食べれなくて、シリンジからのゼリーだけだったけど、
アレックスは久しぶりに家でゆっくり出来る事に喜んでいるように見えた。

この2日間、好きな場所で眠って、気が向けばお気に入りの窓辺でお外を眺めたり。。。
私たちの会話を聞いたり、はしゃいでワンワン言ってるオーシャンに「おーちゃんは相変わらずだね」って顔したり。

天気も良くて、本当におだやかな時が過ぎて行った。

23日の夕方には自分で庭に出てうんちをした!
私とアレシャンぱぱは両手を握り合って喜んだ。
奇跡としか思えない!! まだまだアレックスは頑張れる!!
そんな希望に満ちた瞬間だった。

まさか、この2日間が最後の家族の時間になるなんて、
この時微塵も思っていなかった。。。






3月24日

24日に日付が変わって、深夜の3時頃~だろうか、
アレックスの呼吸がなんだかいつもの浅く早い呼吸ではあるけど、
少し違う事に気づいた。

朝7時にはやはりおかしい、身体は大きく揺れて明らかに苦しそうだった、
病院は緊急用の電話回線があるので、すぐに電話して状況を説明したが、
当直の獣医師は「早めに来られた方がいいかも知れませんが、来られても何も出来ない場合もあります。。。」と言われた。

そう、アレックスの状態は重篤で、万が一があった場合でも手術ができる状態ではないので、
手の施しようがないと、一番最初に病名が判明した時に院長先生から言われていたのだ。

私は取りあえず、24日に行く予定で全ての持って行く物の準備を終えていたので、
アレックスをどちらかが見ていられるようにし、
アレシャンぱぱと交代で着替をして、一刻も早く出発すようと考えていた。
アレシャンぱぱにアレックスを見てもらって、
私は車に用意してあった荷物を積む事にした。

この間もアレックスの息は異常だったけど、アレックスは今まで闘病中には乗れなかったソファーに登って伏せをしたり、
大好きな布団が敷いてある和室の大きな窓辺に移動したりしていた。

ただ、この時、私の心の中では黒い闇みたいな物がいっぱいに広がるのを感じていた。
それを押し退けようと、振り払おうとしても飲み込まれそうになるそれを必死で抑えていた。
「もしかしたら・・・」ってよぎる自分の頭を何度も振った。

必死で荷物を車に積んでいるとアレシャンぱぱから大声で呼ばれた。
「アレックスが鼻血だしてるっ!!」
急いで玄関前につづく階段を駆け上がり和室の縁側の窓辺に行くとアレックスの顔が布団の上に沈んでいた。
急いで顔を両手で抱きかかえてやると、口から大量の血が溢れ出していた。
舌が苦しげにゆっくり一回動いた。
私は「やだぁぁぁぁ!!あっくん!!」と悲鳴にも似た声を出していた。
私の両手はアレックスの真っ赤な血で濡れていた。
もう、開かれたアレックスの瞳は動いていなかった。

これがアレックスの最期の瞬間だった。
8時30分頃の事。

アレシャンぱぱに促され家に縁側から入り、アレックスに抱き着いて泣いた。
「ごめんねぇ、ごめんねぇ…」と謝った。
そしたら「あやまるなよ!」とアレシャンぱぱが言った。
「お前はよくやったよ」と。。。

アレックスに「今まで苦しかったのに私たちの為に頑張ってくれてありがとう。もう苦しくないね・・・本当によくがんばった、あっくんはえらいよ」と沢山誉めてあげた。
沢山誉めてあげて、ヨシヨシしてあげた。



写真は亡くなった時の状態です。
本当に大好きな場所で天国に逝く事ができました。


アレシャンぱぱが言うには、私が車に荷物を入れている外を見る形で「立ち上がり」両足で震えながらふんばってそのまま崩れるように倒れたそう。
そして、私の悲鳴を聞くまで亡くなったなんて思わなかったと言ってた。
私の方を、向いて吐血したのはアレシャンぱぱが「血」がだめだったから私の方を向いたんだと思う。
アレシャンぱぱには最後の自分の立った背中を見せたかったんだと思う。
そして、立ち上がって「もう逝くね」って合図だったんだと思う。

私がアレックスの顔を持ち上げた時に、アレックスの瞳に私が映っていたかどうかは正直わからない。
けど、きっと。。。と思いたい。



病院で待ち合わせする予定だった、私の両親にも電話すると、電話に出た母も声を上げて泣いていた。
そして、すぐにうちに来てくれる事になった。

庭にあったアレックスのテーマカラーの黄色いお花を積んで、
アロマキャンドルを焚いて、アレックスの傍らで両親の到着を待った。


オーシャンもアレックスとお別れしました。
また、泣けて、泣けて仕方なかった。。。







亡くなってもなお、閉じようと思っても閉じない瞳。。。
きっとギリギリまで大好きな景色を見ていたかったんだね。
そして、大好きな家族を。。。

でも、口からは止めどなく溢れてくる血。
まだ、アレックスの身体をそばに置いておきたかったけど、
かわいいアレックスの顔が血に染まるのはかわいそう、ずっと流れてくる血も。。。

だから私はアレシャンぱぱに「かわいそうだから今日、火葬して送ってあげよう」と言った。

私の実家のリーナが来る前にいたゴールデンのリリーを火葬した「慈恵院」というお寺にする事にした。



車に乗せる時は私の父親とアレシャンぱぱにアレックスを運んでもらった。

最後の家族のドライブだね。

天太家に数年前にもらって大事にしていたバスタオルをアレックスの旅立ちのお供にした。









みんなで色んな所に行ったね。九州までも行ったね。
楽しかったけど、もっと沢山一緒に居たかった。

もう一緒に旅行なんて望んでない、あっくんと一緒にまたお散歩したかったな。

お寺に到着して、アレックスを棺に移して、お花やおやつ、ごはん、大好きなちゅっちゅも一緒に居れた。




火葬する時、また声を上げて泣いた。
「パパと仲良くするから安心してね」「オーシャンの事見守ってて」「またママの所に生まれ変わって戻ってきてね」と言って抱き着いた。



この日は、雨のはずだったのに、晴れ間が見えて、お寺の敷地内も桜がキレイに咲いた日だった。




アレックスの火葬が終わるまで、アレシャンぱぱと私とオーシャンで固まって過ごした。

きっとアレックスは、病気が分かった時に治す為の「頑張る」じゃなくて、
私達家族とのお別れの時間を作る為に「頑張って」いたんだ、そう思いました。



1時間ほどで火葬が終わり、骨上げをした。
アレックスの骨はこう言ったら変だけど、標本のようなきれいな骨だった。
そして頭蓋骨は、アレックスの愛らしい表情が分かるかわいらしい形だった。

アレックスは常に、やさしく人に寄り添う犬だった。
争い事を嫌い、私に怒られるオーシャンの事もよくかばいに来ていた。
見返りなど何も求めない、ただ、ただ純粋に人に愛を優しさを分け与えてきた。



アレックスは私達、夫婦も成長させてくれた。
絆を深めさせてくれた。

そして、アレックスがなくなった次の日にはお花でいっぱいになった。
人徳ならぬ犬徳がある子だった。

アレックスへの思いはまだまだ、沢山あるから、また回想録としてブログの記事にします。

最後の旅行になってしまった伊豆の記事も。。。

★まだ・・・★

2013-04-05 15:44:02 | 闘病記
アレックスが亡くなってもうすぐ2週間。

最期の物語を書こうとパソコンに向かったけど、
最期のアレックスの写真を撮ったデジカメからSDカードを抜いてパソコンに取り込む事が出来なかった。

最期のアレックスの姿は鮮明に私の目に焼き付いているけど、
写真を見る事はまだできなかった。

あっくん、もう少し私に時間をちょうだいね。