後悔したくない大学

低偏差値高校から大学を目指し、現役ではMARCH日東駒専1浪してやっと入れたのが中央大学経済学部だった。しかし・・・

中央大学に通ってみて

2017-07-17 17:58:34 | 日記
入学式の日

俺は多摩モノレール中央大学・明星大学駅にいた。
目の前には起伏の激しい山々
そしてまるで山村の集落のような新興住宅街が固まって建っている。

駅前にはわずかにコンビニなど人間の生活に必要なものがあるが、それ以外特に目立ったものはない。
そして白いまるで豆腐のような形の中央大学の校舎が見える。

入試の時に見たものの都会のキャンパス大学とのあまりの違いに思わずのぞけった。

「俺はこれから4年間もこんな未開の僻地で過ごすのか・・・」

悲しくて涙が出てきた。

あのとき青学や立教に受かっていればこれから渋谷や池袋のキャンパスで思い切り青春を過ごせたのに
何が悲しくてこんな山奥の店もないようなで青春の大切な4年間を過ごさなくちゃならないのか。

「ちっくしょう・・・」

うっすらと一筋の涙が俺の頬を伝わった。

キャンパスの中にはすごい数のサークルの勧誘と思われる集団がいるけど、それが俺の目には何かものすごく白々しく映った。

こういうものは都会のかっこいいキャンパスだから決まるんじゃないか。

こんなド僻地でこんなことやってもぜんぜん格好悪い。

こいつらはただ都会の大学の真似をしているだけ。

でも勧誘してるやつも勧誘されているやつも何かモサイ田舎臭いやつばかりだ。

こんなとこじゃ授業の合間に喫茶店でお茶なんてありえないだろう。
だいたい喫茶店自体皆無
お茶をするのはヒルトップとかいう学食棟くらいしかない。

俺はヒルトップに入ってみた。
たしかにネットでよく中央大学の関係者らしきやつらが自慢するだけあって、いくつも店があって
メニューの数も多い。
でもだから何だっていうのか。
こんなもの全部大学が用意したもので、まるで籠の中で飼いならされている鳥のようなもんだ。

こんなものより街の雑踏の中でもっと刺激のある学生生活を過ごしたい。
俺はそう思った。

でもそんなこと親に言い出せない。

俺はそれから鬱屈した日々を過ごした。

何のサークルにも入らず授業が終わったら速攻で家路についた。

土曜日

一番憧れていた青山学院大学のキャンパスに行ってみた。

渋谷から歩いて10分ほど。
周りは数えきれないくらいの大きなビルに囲まれながらも、その一角だけは深い緑に囲まれていて
正門から伸びた並木道の左右には格式のある歴史のある校舎が建っている。
そこから多くの学生たちが吐き出されそして吸い込まれていく。
まるで映画の世界のようだった。
キャンパスの周りには無数の店がある。
青学生たちは誰も皆笑顔で大学生活をこれ以上ないってくらい謳歌しているのがわかる。

俺はまた
「ちっくしょう・・・」
と小さくつぶやいた。



1浪してやっと受かった中央大学

2017-07-17 13:35:41 | 日記
俺はこの1年間を使ってどう勉強すべきかをじっくり考えた。
さすがにもう俺は自分に根拠のない過信をすることはしなかった。
謙虚になって考えて、本当に自分の学力を伸ばすにはどうすればいいか。

今は反省して頑張ろうと思っているだろう。
しかし、そのうちまた忘れて同じことを繰り返してはならない。
そこで俺は河合塾などの大手予備校ではなく、半強制的に勉強させられる環境の中規模予備校を選んだ。
それがM田塾だった。
そこで俺は朝早くに登校して自習をし、そして夕方に授業が終わったらまた自習をして8時ごろに家に帰り
夕飯を食べて風呂に入ったら12時まで勉強というストイックな生活を送った。

M田塾では自分のどこが悪かったがよくわかった。
俺は今まで勉強をしていたのではなく、問題のパターンを覚えてきただけだった。
出題者が何を求めているかなんて考えたことは一度もなかった。
単純に知ってる問題だけたまたま合ってそれでできた気になっていただけだった。

俺の偏差値は現役の受験直前時期の河合塾の模試で45前後だったが、夏の模試では55まで一気に上がっていた。
しかも今度はちゃんと理解して問題を解けるようになった。

これでこんな俺でも本気でMARCHが射程内に入ってきたのだ。
この偏差値は秋口には60くらいで安定して1月には多少下がったがなんとかMARCHは狙えそうだった。

親からは5つの大学の受験を許されていた。
うちはそんなに裕福な家庭じゃないし、下に弟と妹がいた。
受験料と弟妹の学費だけで父親のボーナスがほとんど飛んでしまう。
だから現役の時のような馬鹿な数撃ちゃ当たるみたいな受験はできないと思った。
そこで俺は可能性の少ない早慶は諦めて、最初からMARCH狙いで行くことにした。

俺は他の奴がうらやむような大学生活が送りたかった。
そのためにはやっぱり自慢できる大学で、毎日満足できる都会の立派なキャンパスがよかった。
しかしそう考えるのは誰でも同じで、その条件を満たせる大学はMARCHの中でも青学と立教と法政の3つだった。
明治は前半半分の1,2年が杉並区まで行かねばならず、後半半分の3,4年は御茶ノ水でけっこう都会だったが
キャンパスというより何かビルだけのキャンパスでサラリーマンみたいに感じた。
大学らしさに欠けるっていうか、味気ない感じがした。

中央は皆がよく知っているように多摩の山奥にキャンパスがあり、その分やはり一番人気がなかった。
M田塾では「MARCHの偏差値は表面上はどこも似通ってるけど、本当はかなり違う。中央はやはり一番人気がなく
受験生が少ない。あの大学では一般入試を受験するとセンター方式の受験料が無料になるためほとんどの受験生が
一般方式とセンター方式でダブって出願しているだけ。表面上は7万人以上だけど実際の志願者数は多分4万前後で
MARCHの中で一番受かりやすい」と言われた。

ただ中央大学は俺の大学像と180度違う大学だった。
俺は悩んだ。
それだったらMARCHの下のランクの成城とかあるし、それか学習院なんかいいんじゃないかと思った。
ただ今年受からなかったらそれで最後だ。
いろいろ考えた挙句、俺はこの5つの大学を選び出した。
ただしセンター方式ではMARCHは受けず専修大を別枠で受けさせてもらえた。

第1志望 青山学院大 国際政治学科(個別3教科)
第2志望 青山学院大 経営学科(個別3教科)
第3志望 立教大   経済学科(個別)
第4志望 法政大   経営学科(個別)
第5志望 中央大   経済学科(個別)

すべて個別方式にしたのには理由がある。
センター方式はどこも恐ろしく合格点が高いので圧倒的に不利。
全学部方式では問題は簡単だがやはり合格点が恐ろしく高くミスを一切できない。
それで一番募集定員が多い個別方式が一番合格の可能性が高いだろうと思ったのだ。

しかし有名大学は甘くなかった。
結局この中で俺が受かったのは中大の経済と専大の経済だけだった。

去年の千葉商大からすれば大躍進、夢のような合格かもしれない。
でも俺はどうしても頭が重かった。
この2つの大学の学生生活じゃ俺が描いてきた都会のキャンパスでキラキラした刺激的な学生生活と全然違うのだ。

2つのうちから選べと言われればやっぱり中央大学を選ぶだろう。
しかし落ちたあとの3校が悔やんでも悔やみきれなかった。
青学か立教なら大満足、法政でもかなり満足して入学してただろう。
でも中央大学・・・。

ネットを見ても中央大学がすごい田舎にあって、つまらない単調な学生生活だってことが語られている。

俺の卒業した底辺高校の奴らから見れば中央大学なんて夢のような大学だろう。
でも俺からしたらこれだけ努力してやっと中央大学ってどうしても納得できなかった。

それでも結局俺は中央大学に入学した。
もしかしたら中央でもそれなりに楽しい学生生活になるんじゃないかって期待したからだった。

高校時代までの自分

2017-07-17 12:04:22 | 日記
高校時代までの俺は本当に勉強というものをしてこなかった。
そのくせプライドだけは異常に高く、いつも「自分はやればできる。やらないだけだ」と自分で自分を慰めているクズ野郎だった。
そんな俺だったから高校受験でもたいした学力もないくせに高偏差値高校を受けまくり、そして案の定落ちまくった。

結局入学できたのは偏差値が40もない都立の共学高校だった。
入ってみると男も女も他のまともな学校を落ちてきたような生気のないやつばかり。
こいつらは最初からもう人生をあきらめてしまっているのだ。

でも俺はこの環境がどうしても我慢できなかった。
「俺はやればできる。本当はエリートの側の選ばれるべき人間なんだ」
そう自分に言い聞かせて、何とかこの環境から脱出したかった。
入学式から3か月
俺は思い立って高校の再受験をすることにした。

親はびっくりだった。
必死に俺を説得しようとした。
「身の程を知れ!」
「お前の頭で今の高校に入れただけでもありがたいと思え」

そういう言葉に俺は必死に抵抗した。
「俺はやればできる人間なんだ!」

親は
「大学受験ならまだしも高校受験で浪人するやつなんかほとんどいないぞ!」
と言った。

しかし俺はその言葉に対してこう返した。
「有名大学の付属に入れば元は取れる!」
「有名大学なら1浪して入れるとは限らないだろ。絶対お得だって」

そして俺は1週間の説得の末、やっと再受験を許された。
ただし今の高校をちゃんと通いながらという条件付きだった。

俺は英国数の3教科を中1のところからていねいにやり直した。
中3の時に受けた模擬試験も何度もやり直して、そのうち答えを暗記してしまうまでやりこなした。

こうした努力の成果で7月から受けた模試では現役(中3)のころと比べて飛躍的に成績が上がっていた。
現役のころは3教科で偏差値が40前後だったが、それがなんと62に20以上も上がった。
さらに10月の模試では65にまであがる。
模試の結果表をにやにやした顔で何度も見返して、俺は有名大学の付属高校合格を確信した。
ところが12月ごろになるとこの偏差値が62にがくんと下がってしまう。
それでも俺はたまたま問題の相性が悪かっただけと思った。

そして志望校を決める時期が来た。
俺は内申書をもらいに中3の時の担任を訪ねた。
担任の先生にはものすごくびっくりされた。
「高校で再受験ってお前いったい何考えてるんだ!?」
「その分大学受験で頑張ればいいじゃないか」
そう言って説得されたが俺は効かなかった。
結局根負けして担任は内申書を書いてくれた。

俺は中学浪人しても後悔しないレベルの高校を3つ受けることにした。
偏差値の高い順に早稲田実業、青山学院高等部、明大明治の3つだった。
それは俺が大学に進学したときこの大学だったら俺のプライドを満足させられると思ったところだった。

偏差値の高い大学でみんながうらやむ様な学生生活を送りたいと思った。
中学時代俺のことを馬鹿にしてきたクラスメイト達を見返してやりたいと思った。
俺のことを「気持わるい」とかって言ったあの女にも言ってやりたかった。
「今の俺がお前なんか逆相手にしねーって」
ってな。

直前の模試ではどこの高校も半分の可能性もなかったが、不思議と俺は受かる気がしていた。

しかし現実はそう甘くなかった。
3つが3つともスコーンと落ちた。
しかも問題見たらぜんぜん、まったく、完全にチンプンカンプンだった。

あとで中学の時の担任に言われた。
「それは本当に実力があがったんじゃななくて、単に模試慣れしただけだったんだよ」
とね。

模試を何度もやり直せば、同じ会社の模試なら毎年使われている単語や問題の形式なんかはあまり変わらないから
けっこう点数に結びついたりする。
でも違う単語や形式になるともうお手上げになってしまう。

結局俺は元の高校に戻らざるを得なかった。

高校受験の勉強ばかりしていたから学校の定期試験の成績はもうメタメタだった。
とりあえず何とか進級できるという最下層の成績で、俺は底辺高校の中でさらに最底辺になってしまったのだ。

それから何とか高2に上がりはしたが、1年間の再受験の勉強の反動で何もやる気がせず、結局高2でも底辺層から抜けられず
高3になるとさすがに自覚して予備校に通い始めた。
しかし俺は懲りなかった。
入るなら早慶、妥協してもMARCHだな。
そう思ってたが、高校の担任はそんな俺に専門学校を勧めた。
俺は自分のプライドがズタズタにされる気がして担任と大喧嘩となった。

結局担任は一切責任をもたないという条件で、俺は早稲田の法と商と教育、そして青学の総文と国際政経と経営それと立教の法と経済を受けた。
とにかく皆が羨む都会にある格好いい一流大学に入りたかったのだ。
ただ親と担任から条件として専修大と千葉商大を受けるよう言われた。
模擬試験の成績では早慶MARCHなんてどこも合格可能性は0%に近かった。
でも俺はこれだけ受けていればどこかひとつくらい引っかかるんじゃないかという気だった。

しかし結局受かったのは千葉商大の商経学部の1つだけだった。
驚いたことに専修大も落ちた。

でも俺はどうしても納得できなかった。
このまま千葉商大なんかに行けば中学の同級生から馬鹿にされてしまう。
俺はどうしても大学受験であいつらと立場を大逆転したかった。

そこで泣いて親に頼んだ。
今までの自分を反省する。
自分の力を過信しない。
謙虚になって1年間死んだ気で頑張る。

親は頭をこすりつけて頼む俺の姿に
「じゃあ、1年だけだぞ」
「その結果がどうなっても納得するというのを約束できるか?」
俺はブンブンと頭を縦に振った。

こうして俺の1浪(大学受験の)生活が始まった。