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●  希の秋  誠の春

秋は夕暮れ、秋はもみじ。春はあけぼの 春はさくら。

2006-02-14 02:35:53 | Weblog

  ● 馬をさへながむる雪の朝哉
                 松尾芭蕉
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2006-02-12 20:32:27 | Weblog

 ● 人間は、生まれたときから「美意識」を持っているのだそうだ。
   ところが、その美意識を大人になって失ってしまうのは何故なのだろう。
   思うに、「美」は「魂」によって左右されるのだ。
   子供の清らかな魂は、吸い取り紙のような感性を持っている。
   人間の世界の様々な出来事を取り込む。
   その結果、逆に本来の「美意識」を忘れてしまうだろう。
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2006-02-11 16:19:38 | Weblog

  ● 少年老い易く 学なり難し
        一寸の光陰 軽んずるべからず
       
  時は移ろい悠久の流れは、水の流の如く止まることなし。
  既に、光陰人生の旅は、「 白秋 」も半ばを迎える。
  「少年老い易く」は夢現のうちに過ぎ、真実を実感する。
  「学なり難し」は更に真実と知り、己の非才と未熟を嘆く他なし。
  「一寸の光陰」を思えば残光わずかなり。その先は無限の闇か・・。
  「軽んずるべからず」と知るも、志に反し意のままにならず。
  われ至りて、「棺覆っても定まらず」との予感に心定まらず。
  この先に続くは、遙かに遠い「1人旅の細き道」なり。
  風は枯葉を巻いて胸に吹き。心細さこの上なし。
  振り返る昔は「後悔」と「無念」の夢跡。
  願うは、いつの日か顔知らぬ父母に会えることのみ。
  心は寒く、体は冷たく、傷は更に深く悲しけれど。
  今しばらくの生命の炎を燃やさん。
  われは我なり、他人にあらず。老兵なれど未だ枯れず。
  独りなれど、最後の気力振り絞って道を歩かん。
  道に光を、1杯の酒、花1輪は見果てぬ夢か・・。
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2006-02-11 15:31:24 | Weblog

 ● 桔梗の人、野に在りて 彩の夢。
   いつの日、再び会える時を想う。
   夢見るは正夢か、はては幻の夢か。
   紫の雲、虹のかけ橋の彼方。
   いつまでも艶やかに優しく、麗しくあれ。
   
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2006-02-11 15:16:31 | Weblog


● 人間は自然界の一部の存在である。
  人間そのものも、大いなる自然だが、自然そのものに矛盾ははない。
  だが、自然を自分なりに解釈しようと考えると、頭の中に矛盾が生じる。
  果てはパニックになってしまい、何がどうなのか結論が出せないままでいる。
  結局のところ、自分の頭の程度では理解できない。
  いうなれば、自然とは、「コスモ(秩序)」の反対の、「カオス(混沌)」だと云う他はない。
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2006-02-11 15:02:23 | Weblog

  ● 万葉の昔から、月の光は人間の想像力をかきたててきた。
    春霞のなす技だろうか、月の光も優しく感じる。
    心を動かす天空の神秘の光を見る時間も、先人たちに比べて
    現代人ははるかに少ないように思える。

  
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2006-02-11 14:52:26 | Weblog

     ● 春、未来という夢に向かって。
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2006-02-10 17:17:42 | Weblog


   ● 天の海に雲の波立ち月の船 星の林に漕ぎ隠る見ゆ
                            柿本人麻呂
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2006-02-09 21:47:44 | Weblog
     ● 誰もがいつか 輝く時が来る。
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2006-02-04 12:46:51 | Weblog

   ● 明日ありと思う心の仇桜
              夜半に嵐の吹かぬものかは
         
        * 「朝に紅顔ありて夕に白骨となる」
          無常のこの世においては、
          人の生命ははかなく、先のことは闇である。
          今日を悔いなく生きていきたい。
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2006-02-03 20:04:43 | Weblog

  ● 願わくは 花の下にて春死なむ その如月の 望月の頃
                           西行法師(1118-1190)
  
  平安末期から鎌倉初期の歌僧で俗名/佐藤義清(のりきよ)である。
  もと北面の武士で23歳で謎の出家、陸奥から四国・九州まで諸国を旅した。
  述懐歌にすぐれ「新古今集」では最高の94首が入集している。
  家集「山家集」、聞書「西公談抄」がある。
  「撰集抄」は仮託だが後世の西行観に大きな影響を与えた。
  西行は、如月(2月)の望(もち)の日・15日の満月の頃、花(山桜)の下で、
  死にたいと願い、この歌に心を込めた。
  陰歴2月は現代の中春の頃に当たる、桜の季節である。
  又、2月15日(望の日)はお釈迦様の「入滅の日」でもある。
  西行は、建久元年(1190)2月16日願い通り没している。
  河内の国(大阪府南河内郡)の弘川寺で、享年73歳の生涯を終えた。
  西行の願いの通り、河内の国は、絢爛たる桜の満開の頃であったことだろう。
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2006-02-03 19:17:50 | Weblog

     ● たまゆら
          「たまゆら」とは、幾つかの玉が触れ合って出す音のこと。
          過ぎ去ってみれば、その状態がほんの短い一瞬の間であった
          ことを表す言葉である。

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2006-02-03 19:12:12 | Weblog

     ● 青春とは人生の或る期間を云うのではない
                人の心の様相を云うのである。
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2006-02-03 19:05:37 | Weblog

   ●  実行なくして結果はでない。
      押して開かない明日はない。
      押して開かなければ、
      引いて見たら良い。
      進むも勇気なら、退くのも勇気である。
      やって見なくては判るはずもない。

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2006-02-03 18:56:19 | Weblog


    ● 弱音を吐いては生きていけない。
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