風の通り道

アフリカでの生活

地域ヘルスセンター

2013-07-29 10:31:44 | 日記
7月12日、
地域のヘルスセンター見学。

県病院のひとつしたのレベルとなる、医療機関。
こじんまり。


外来のほかに、
ちょっとした入院スペースもあり。
マラリアや肺炎くらいなら入院できる。見学時は乾季だったため、入院患者は少なかった。雨季になると、マラリアなどの患者さんが増えるみたい。


母子に関するケアは、
県立病院に行かなければならず、
地域のヘルスセンターではしていないらしい。
母子ケアほど需要があるのではないかと思ってしまったけど。
いろいろな事情があるみたいだ。



バガモヨ県立病院の見学

2013-07-29 09:48:24 | 日記
バガモヨでは、県立病院の見学。
1836年設立の歴史ある?病院。
外来棟と入院棟に分かれており、
外来では、HIVに特化した外来専門施設もあった。
入院棟は、
産科、男性病棟、女性病棟、感染症病棟、小児科病棟にわかれている。

バガモヨを含む県は、
どうやらここの県病院しか母子に関する医療は提供しないらしい。
そのため、この病院では分娩件数が年間約5000件。一極集中!
母子セクション外来は、大にぎわい。


出産後、最低6ヶ月は母乳で育てましょう、という壁画。


入院棟では、昨日産まれたばかりのあかちゃんとご対面、約4kgのビックベビー!








ジブリの新作

2013-07-18 02:27:34 | 日記
ちょっと、
タンザニアブログ休憩。

ジブリ好きな者としては、
楽しみな新作。

風立ちぬ
http://kazetachinu.jp/

詳細はわからないけど、
戦争モノのよう。

第二次世界大戦を生き抜いてきた方々がご高齢となり、あと何十年もしたら、体験者がこの戦争についてを語ることを聞く機会がなくなってしまうのだろうなあ。

戦前戦中戦後の苦しい時代を生き抜いてきた人々は、やっぱり今の私たちにはない、独特の強さや価値観をもっていると思う。

こうやって、
あの時代のことを後世に伝えていくのは大切なことだと思う。




バガモヨへ

2013-07-16 18:26:59 | 日記
7月10日、移動日。
ダルエスサラームから、
北方へ70km、バガモヨへ。
車で約2時間弱。
ゆらゆら、すーすー寝ていたら、
あっという間に着いた。

13世紀からインド洋の交易の港町となっていたよう。
海辺で揚がったばかりの魚を売り買いする人々。


新鮮な魚の唐揚げ!おいしい。


そして、
19世紀には内陸(コンゴ共和国から)奴隷キャラバンルートの大陸側の終着点であったため、当時奴隷をこの杭でくさりとつなげていたらしい。


また、
アートの街とも言われているようだ。


人も少ない。



農業と漁業の街、観光地みたいだけど、小さい素朴なかんじ。

大学生との交流

2013-07-15 17:51:40 | 日記
7月9日、
看護大学生との交流会。
もともとプレゼンテーションは、
大学生向けに作ったもの。
参加者は8名。

バースプランについて説明したところ、カナダの助産教育をしているタンザニア人の先生が生徒に対して質問をした。
「あなたたちは、
もし友達をパーティに招待するとしたら、友達の食べ物に対するアレルギーを事前に知っておきたいですか?」
これに対しては、Yes。
「じゃあ、バースプランは?バースプランはあったほうが、助産師にとって役に立つと思う?」
と、先生が誘導的な質問をした。
ひとりの学生が意見を求められたが、
「助産師は出産をinstructionするものだから…」
と。

バースプランは、お産や産後の希望、それから自分の想いを紙にしたためて出産施設に渡し、スタッフと産む人の人間関係を深め、とても多様化したお産の方法を打ち合わせるための大事な資料、
である。

この学生の言葉から、
出産は助産師がリードするものと考えていること、
またガボンで一緒に働いていた同僚たちが指導的な姿勢で患者と関わっていた姿を思い出した。

わたしが受けた教育では、
妊産婦や患者と医療者はできるだけ平等であるべき、
ということを教わってきた(と思っている)。

この関わりから、
日本とタンザニアでは、
助産師と妊産婦の関係性の違いがなんとなくわかったような気がした。

それにしても、
自分の英語力に辟易してしまう。

タンザニア産のビール!
うすめ。