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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 裏工作

 【マザー・テレサ 聖人に】
と見出し打ちされた紙面を見つけました。

 今月の4日にバチカンのサンピエトロ広場で
インドのスラム街を拠点に貧困救済に生涯を
奉げ、1979年にはノーベル平和賞を受賞した
マザー・テレサ(1910年-1997年)を
カトリック教会での最高の崇敬対象である
「聖人」とする列聖式が執り行われたと
する静岡新聞の記事です。

 翌5日で没後19年となる極めて早い異例の
聖人認定だとされていますが、

 カトリック教会では殉教者以外の聖人認定
には、2つ以上の「奇跡」を起こすことが
必要で、しかも、その前段階として「福者」
に認定されていなくてはならないのです。

 ちなみに、

 カトリック教会における列聖までの道程は、 

 神の僕 right 尊者 right 福者 right 聖人

 という段階を踏む必要がありますが、 

 マザー・テレサは、2003年に「福者」
なっていますが、死後から5年αという
異例の早さでの認定でした。
 
 個人的には、こうした

 形式的官僚的権威主義
鼻持ちならないのですが、

 マザー・テレサの場合には、脳の感染症で
助かる見込みがないとされていたブラジル人
の男性の家族たちがマザー・テレサに祈った
ところ、この男性が回復したことなどを含めた
2件が奇跡として認められたそうです。

 しかし、

 そんな取ってつけたような奇跡話はともかく、

 すでにして、

 『コルカタ(カルカッタ)の聖女』
であったマザー・テレサはバチカンで認められる
よりもずっと以前から「聖人」だったわけで、

 カトリック(キリスト教徒)のみならず地元インド
では、ヒンズー教徒やイスラム教徒からも尊敬
されていた聖女です。

 当然の如く続けられていたマザー・テレサの
功績はあらゆる人々を平等にわけ隔てなく
救済したわけで、死後19年が経過しても なお
色あせない普遍的は何にも負けない
価値のあるのものでしょうpeace
 
 1980年代には何度かの来日がありますが、
マザー・テレサに対する記憶のなかで特別に
印象深かったのは、

 「愛の反対は無関心」

 という言葉でした。

 「日本は豊かだが、多くの人は
  弱い人や貧しい人に無関心」


 に続いて発せられたフレーズで、心に響く

 「名言」です。

 そうした彼女の功績こそが、本当の意味
での奇蹟であるとも言えるわけですが ・・・

 果たして、

 「貧しい人のために尽くした寛容なる行為」
という崇高なイメージをそのまま額面通りに
受け取っていいのでしょうか

 所謂(いわゆる)、

 マザー・テレサ『神話』ですが、


 そもそも、

 「列聖」という形式的な儀礼と「聖人」
という尊称には、その時々の政治情勢
が陰に陽に絡み合っていて、列聖者の中には
これという貢献もないのにどうして「聖人」
として列聖されるのかと首を傾げたくなる人物
も少なくありません。

 たとえば、

 聖アポロニアは、ローマ帝国時代の
アレクサンドリアのキリスト教徒で、

 言い伝えでは、歯をすべて引き抜かれたか
 粉々にされる拷問を受けて殉教したそうで
 すが、絵画においては歯を引き抜くハサミ
 や歯を手にした姿で描かれます。

     
   聖アポロニア フランシスコ・デ・スルバラン画

 預言者アンナは、エルサレム神殿の
 神官で、彼女が84歳のときにイエスが両親
 と神殿を訪れたのを見てメシア(救い主)で
 あるイエスをつかわした神を賛美して、その
 ことをエルサレムの人々に告げたとか ・・・

    
 『キリストの奉献』ジョット画(スクロバンニ礼拝堂)

 右端の巻物を手に幼子イエスを指し示して
いるのがアンナですが、彼女はただイエスが
将来「大物になる」と預言しただけです。

 聖ヴェロニカは、十字架を背負って
 ゴルゴタの丘へ歩くイエスを憐れみ、額の
 汗を拭くようにと身に着けていたヴェール
 をイエスに差し出しただけのことですが、

 汗を拭いたあとのヴェール(聖顔布)に
 キリストの顔が浮かび上がったとか ・・・

     
  聖顔布を手にする聖ヴェロニカ(作者不明)


 他にも正教会では、

 新致命女アナスタシア(行方不明
のロシア最後のロマノフ王朝の王族の娘)など


      王女アナスタシアの写真

 まだまだ他にもリストアップできますが、
キリがないのでこれくらいにしておきましょう。

 要するに、

 マザー・テレサも含めて、「聖人」として
列聖されるタイミングを調べるとその時代
の権力構造や政治力学の裏側が案外な
ことに見えてくるかもしれませんよ

 列聖や列福までに一定の時間的な間隔を
空けているのは時代の風や空気に翻弄され
たり、流行りや人気に影響されない客観性と
普遍性を担保するためのものですが、

 マザー・テレサの場合には、

 通常必要とされる死後5年という時間的な
プロセスを無視して、たった1年で「福者」
への手続きが開始され、実質5年そこそこで
列福されていますし、没後19年を待たずに
「聖人」にまでなったわけです

 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世による列福
にしろ、現法王フランシスコ1世による列聖
にしても、些(いささ)かながら性急すぎる
感がしないではありません。

 おそらく、ダ・ヴィンチが生きていたならば

 きっと、こう言うでしょう。

 「裏があるが、よい兆候だ」

 しかしながら、

 それにしても時間がかかりすぎると ・・・ 

 要は、人気の高いマザー・テレサを特別な
存在にしようとする「裏工作」があった
ことは疑いようもなく、カトリック教会による
プロパガンダとしてのメディア・キャンペーン
に彼女が利用されたとも言えなくはないが、

 それはそれだけカトリック教会が弱体化
してきている証拠でもあるというわけです。

 マザー・テレサの件は趣旨が違うので
これ以上の言及は控えますが、

 ダ・ヴィンチの「罠」は活きてはいても
効き目が弱いというか、彼が意図した通り
に働いていないということかもしれません。

 つまり、

 正しく機能していないということですねase2


 そうそう

 特に何をしたわけでもないのに「聖人」
として崇められている肝心な二人の人物を
忘れていました。

 聖アンナと娘の聖母マリアです。

 伝承では、アンナと夫ヨアキムには長らく
子供がなく二人が老齢になってから初めて
子供を授かることを天使から告げられ、
 
 アンナは生まれてくる子供をに捧げる
ことを約束したとか ・・・

     
  聖アンナ 7世紀に描かれたフレスコ画


 たった、それだけのことで

 崇敬される「聖人」の仲間入りです。

    
    『大公の聖母』 ラファエロ画

 聖母マリアにしても処女懐胎を別に
すれば同じようなもので、イエスを生んだと
いうだけの只の母親であり、それ以上でも
それ以下でもないのです

 
 そのことを

 ダ・ヴィンチは2枚の『岩窟の聖母』



 あるいは、



 3種類の『岩窟の聖母』を見比べる
(用意する)ことで 理解してもらおうとした
のではないでしょうか。

 ダ・ヴィンチ曰(いわ)く、

 これらの絵画に描かれている岩窟は、



 時には、聖アンナの胎内であったり、



 洗礼者聖ヨハネの母エリザベトの子宮
あったり、聖母マリアのそれであったりと、



 アモルファスに展開する時空を超えた
人類の標本であり、真実の垂乳根
(たらちね)であると ・・・



 したがって、

 最終的に依頼主のもとで飾られることに
なるナショナル・ギャラリー版でのイエスと
洗礼者ヨハネが逆転することをもって、

     

 事実が教会により捻じ曲げられ、真実の
すり替えが営々なされていることを礼拝者
(鑑賞者)に知らしめるものなのですが、

 惜しいかな、婉曲でサブリミナルな暗喩
では効力に乏しいのです。

 もちろん、もっと重要で大きな秘密
隠されているわけで、

 そうしたすり替えは『最後の晩餐』
での究極の「罠」を解くカギにもなる
のですが、それはもう少し先の話 ・・・

 さて、

 次回では個人蔵の『岩窟の聖母』
である第3のバージョンを解剖します。


 しかし、なんだな。

  「時の流れに身をまかせ、
  あなたの色に染められて
  しまったということかのぉ
  あのマザーテレサも … 」


   (ひょっとして、テレサテンと勘違い)

   

  「よしよし 裏工作ならば
  任せておけ、わしゃあ、
  図工は得意なんじゃ
!!

  (それに図工と裏工作も混同してるし …)

 こりゃあ、とんだ
    裏工作(交錯)でしょ


  
       若き日のマザー・テレサ

 … to be continue !!

コメント一覧

小吉
聖人として思い浮かんだのがジャンヌ・ダルクですがジャンヌ・ダルクって聖人でしたっけ?
ジャンヌはたしか神のお告げを聞いてフランス軍にやってきてその導きでイギリス軍に勝利したと記憶していますがそれがどうして「聖」なのかさっぱりわからない。
そもそも、神がフランスを応援してイギリスを負かすみたいなことをするはずがない。
わたしが思うにあの子はただ精神が病んでしまった子で結果敵にうまくいっただけなような気がします。残念なことに火炙りにされてしまいましたが。
ダメな便利屋
マザー・テレサもそうだけど、アウン・サン・スーチー女史やヒラリー・クリントン、ナンシー・ペロシ下院議長なども「同じ穴の狢」に見える。

で、その予備軍が、カマラ・ハリス( ^ω^)・・・
魔法の杖
最近になってこそ、マザーテレサの醜聞を知る機会が増えてきましたが、その化けの皮が剝がされるずっと以前から既に、その欺瞞性や偽善性を嗅ぎつけて記事にしていたんですね。
ダメな便利屋
「まず隗より始めよ」で、バチカンが率先して難民を受け
入れるべきで、国土が狭いことなどは言い訳にならないし
国家としての特異性も理由にならない。

核兵器廃止のコメントを含めて、弁天ボーイ氏による意見
に大いに賛同するものである。
弁天ボーイ
いつから法王はダメで教皇でなくちゃならなくなったわけ、大体、「教皇」などとは不遜だろ!

「死刑はやめろ、原発もやめろ、難民は受け入れろ」って、大概にしろよ。

核兵器廃止はわかるけど、だったら落された国で言うんじゃなくて、保有してる国や落した方の国で叫んでくれよ!

核も持てないうえに、唯一の被爆国である日本に対して、さも偉そうに言う意味がわからんわ。

難民受け入れなら、まずバチカン市国から受け入れろや!
凶状持ち
今回来日したローマ教皇フランチェスコの行動にも何か裏がありそうやった。

東京ドームでのミサなんて、パフォーマンス・ショーにほかならなかったし、中国に好意好感を示すのも異常だ。

一見、温和で柔和な表情のフランチェスコだが、仮面の裏では何を企んでいるのやら。
むらさき納言
なるほどね。 「幸福の科学」を科学する。
確かにダ・ヴィンチならそう考えるかもしれません。

ところで、記事にあるほうの「裏があるが、良い兆候だ」という意味は、弱体化しつつあるように見えるカトリックに対するダ・ヴィンチの言質というかたちを取っていますが、2号さんの感想でしょうね。

『裏工作』(Dodgy Dealings)、ダブル・ダミーに関連するページかと思われますが・・・
透明人間2号
大川さんとは、ひょっとして
大川隆法のことでしょうか?

ダ・ヴィンチなら、きっと「幸福の科学」を
科学してみようと考えるでしょうね。
小吉
ややこしい話ですねぇ。
大川さんあたりがなにかいいそう。
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