自由奔放な人々の狂詩曲

重苦しい世の中でも、心は自由奔放であり続けたいと思い、ブログを書いていこうと思っています。

CMマタギにそれほどの効果はないと思う、1時間番組の後半

2019-05-12 22:53:31 | 日記

前回に引き続いて放送業界に関する事ですが、今回はテレビの変なところです。インターネットに王座を奪われたとはいえ、まだまだテレビ視聴者は残っています。これもまた時間の問題と言う気もします。

それはともかく、昭和時代ぐらいまでのテレビ番組は1時間番組のCMはドラマであっても、バラエティーであっても、おおむね均等に入っていました。ざっくり言えば15分毎ですね。番組を4等分して、終了時も含めて4回入れるという感じです。しかもCMの前で話題はいったん終了するというような、視聴者な親切な構成でした。それがいつの間にか「この結末はCMの後に」とか「正解はCMの後に」とかいわゆるCMマタギをするようになりました。しかも前半はCMを入れずに長めに放送し、後半にCMを集中するものだから、本編よりCMが長いのではないかと思わせるほどです。そして期待を持たせて、あるいはもったいぶって行うCMマタギも、後半に集中するものだから、内容的にどうでもいいものでも期待を持たせないといけなくなりました。そうしたら視聴者は、チャンネルを変えるかスマホを覗くか、いずれにしても番組への興味を失います。これでは視聴者に対して不親切な番組作りということですよね。テレビを見なくても、見るものがたくさんある現代のお客さんはテレビに別れを告げます。

期待を持たせるよりも、親切にする方がテレビ離れを食い止める手立てになると思いますよ。もっとも、番組の内容が詰まらなければ何にもなりませんが。

 


おおまめのごめに、こまめごはん

2019-05-09 13:54:17 | 日記

表題は実際にラジオ番組で聞いた言葉です。一瞬何のことかと思いますが、漢字に変換してみると「大豆の五目煮、小豆御飯」なーんだ「だいずのごもくにとあずきごはん」だったのね。

これはひどいよね。いくら若い女の子(20代)でも、公共のラジオ放送で大豆も小豆も読めないなんて。ギャグで言ってるとしか思えないような、真面目な話です。

誰か注意してやる人はいないのかしらん。

こんなのがレポーターとしてまかり通っているのは、情けないと言えば情けないのだけれど、何がこのようにして締まったかと言えば、教育がしっかりしていないのが最大の原因。

では教育に関してはどこが悪いのかと言えばもちろん文部科学省に始まり教師にいたるまでの学校教育制度がどこかで間違ってしまったとしか言いようがない。しかしそれだけではなく、家庭内の教育と言うのも問題視されてしかるべきです。こんなのは家庭生活において当然会話として習得していてしかるべき言葉なので親がダメだとしか言いようがない。

しかしこの場合の最大の教育の欠陥はラジオ局です。レポーターを選定するときに社会常識と言われる程度の語彙力を備えた人を採用しないと、恥をかくのはそのラジオ局です。言い間違いや誤用に関しては、もはや日常茶飯事になった放送業界において、「いまさら」なのかもしれませんが、インターネットに王座を奪われたジリ貧業界を露呈するような真似をしてはますます侮られます。元王者の意地を見せて欲しいですよね、放送業界には。