家族同意、尊厳死と説明 富山の呼吸器取り外し (共同通信) - goo ニュース
自発的に呼吸できないのに人工呼吸をして生かしておくのは、
本来おかしなことと思う。
普通なら死を迎え、
新しい生命への移行(生まれ変わり)をすることろなのに、
人工的に次の誕生を遅らせて、意識の定まらななかったり
場合によっては苦痛もあるかもしれない不自然な状況に人を置くということは、実はとんでもないことかもしれない。
医師というだけで、勝手に行うという行為は、
社会的に認められているとはいえ、
逆に神をも畏れぬ罪深い行為とは言えないだろうか?
人工呼吸を長く続けることは如何なものだろう。
自然に任せるのが本来の姿。
呼吸が出来なければ・・もう・・・・自然に任せましょうよ。
自発的に呼吸できないのに人工呼吸をして生かしておくのは、
本来おかしなことと思う。
普通なら死を迎え、
新しい生命への移行(生まれ変わり)をすることろなのに、
人工的に次の誕生を遅らせて、意識の定まらななかったり
場合によっては苦痛もあるかもしれない不自然な状況に人を置くということは、実はとんでもないことかもしれない。
医師というだけで、勝手に行うという行為は、
社会的に認められているとはいえ、
逆に神をも畏れぬ罪深い行為とは言えないだろうか?
人工呼吸を長く続けることは如何なものだろう。
自然に任せるのが本来の姿。
呼吸が出来なければ・・もう・・・・自然に任せましょうよ。
文章を読ませていただいて思ったのですが、ではどこまでが自然な生を助ける行為で、どこまでが不自然な生を助けるこういになるんでしょう?
例えば人工呼吸、これは明らかに不自然な行為だと、僕も思います。
しかし、例えば薬の使用、それはどうなんでしょうか?
他に、例えば日本で現在ものすごく増えている人工透析患者さんたち、
彼らは透析を行わなければもう何日も生きられないでしょう。
しかし透析を行うことによって、何年も命を永らえることが出来ています。
彼らの生は不自然な生なのでしょうか?
軽いかすり傷でも、場合によっては、何も手当てしないと死に至ることもあるようです。
自然と不自然の境界は何でしょうね?
手当てが出来て、現状維持できるの場合の手当ては「不自然ではない」かもしれませんし、かすり傷で何もしないで死に至るのも「自然」とはいえないかもしれません。
ひとつの判断として、意識があるか無いかというのがあると思います。
意識が無く死んだも同然なのに、器械のように動かし続けるのはいかがなものでしょうか?
意識が無い場合にはすでに生まれ変わっている可能性があります、早く過去の肉体を解き放ってあげてはいかがでしょうか?
あるいは何らかの奇跡で戻ってくる可能性がないか、と言われると難しいと思います。
癌の末期など進行性の状態であればともかく、頭部外傷など、なんとも言えない場合も多々あります。。。
ちなみに脳死判定などで問題になったのですが、
家族の反応としてはたとえ意識がなく、自発運動がなくても、
心臓が動いていれば、あるいは体温があれば、
ただ眠っているだけのように見えるので「生きている」ととらえてしまうこともあるようです。