『幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人』(詩篇1篇1節)。ちょっと油断すると私たちは道を踏み外す。そして人を嘲(あざけ)るようになる。人をあざけるのは自分の“後ろめたさ”の反動だという。自分の“みじめさ”の反映だという学者もいる。謀(はかりごと)とは計画して悪を行う事。本当にみじめなのは、あざけられたあなたではない。つまり「だからなにもわざわざ計画してまで罪を犯し、後ろめたくなって人をあざけって“自分を”みじめにする必要はないんじゃないの」という事になる。なるほど。
本文内容と下記広告は関係ありません。
本文内容と下記広告は関係ありません。