いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

正しく理解できていますか その2

2019年08月14日 | 闘病




統合失調症というのは病気だと思いながら付き合ってると、それではどうも失敗につながりやすいようだから。
むしろ病気の部分より、これは障害(=)の意味であるなという受け止め方をしていかないと、その対応ひとつをとっても、ついつい間違った考えにも陥りやすいことなんですよ。
今後は統合失調症というのは一種の障害のことなんだと、そう受け取ってみませんか。
というのが私の持論であり、病気本人の自分からも強くオススメできる処し方なのですが。



それを、一つひとつ、これから分かりやすく説明していくので、ゆっくりと読んでみて、じっくり考えてもらおうと思いますので。どうぞ少しお付き合い下さいね。



よく統合失調症になった人の行動や言葉を、ヘンだとか、オカシイと、そんな風に感じている人は結構たくさんいるんじゃないでしょうか。
そこで、そういう方々に、今からご説明する話を気を付けながら読んでみて、ご一緒に考えていただこうと思います。



例えばですよ。
もし目が視えない盲人の方を未だかつて一度も見掛けたことがない、という人がここにいるのを思い浮かべてみて下さい。
その人は、盲人が手にしている白丈でも、あるいはまたハーネスをつけてる盲導犬にしても。
今まで知らなかったんですから、これらは相当に物珍しいだろうし、きっとかなり変わったものとして受け止めるのではないでしょうか。
さらには、目が視えないから、ああいうのが必要なんだよと横から誰かが説明したとしてもです。
世の中には自分の目で視ることが出来ない人間も生活している事実について、もしまったく聞いたことがなかったら、なぜ目が視えないのかについても、ずいぶんと不思議で奇異な物事であると感じてしまうことでしょう。



別にこれは突飛な想定でもなく、幼い子どもたちなら経験する出来事です。
そういう子供さんと街で盲人に遭遇をして、思わず声をあげるお子さんへ大人しくするように仰ったというお母さんもいらっしゃることでしょう。



これは他にも例えば、車イスを使うのをまだ見たことがないような人、実際には小さな子供の多くは、眼の前で実物を見るのが初めてだという場合はよくあります。
大人でも電動の車イスについて珍しいと感じる人があるかも知れない。
あるいは、酸素のタンクを携帯しながら外出してる人も、今でこそ見ますが、以前は街で出会う場面も少なかったですよね。
あるいは重度障害者の施設に行ったことのない人が、初めて訪れる機会があったりすると、驚いた経験をしたのを覚えてる方もあるだろうと思います。



このように実際には、われわれの世の中には、いろんな状況があって、様々な状態のなかで、それぞれの人々が、そういう事態で生活をしていることなんですよね。
でも、そういう状況へ直接、自分が目の当たりにするような経験にしても、そういった機会がない場合には、これは誰にしたって、それらの知らないこと、今までに見たこともない物事というのはあることです。
これはどんな人にだって当然あることなんですから。



妙なことでもあるんですが。
病気の人の家族だって。
家族の経験は自分にあっても、病気の経験は一度もまだしたことはないんです。
眼の前に病気の本人がいても、その人が何故そういう言葉や行動をするのか、経験がない以上は想像してみるだけですよね。
でも、同じ病気の人、同じ障害の人、これらは本人がどうなってる話か、自分の経験から推し測ることも出来たりする訳なんです。



そういう意味で、互いに血縁者でもないのに、家族の人より本人の気持ちや思いについて共感できたり他人事じゃなく共有できる経験でもあったりするんですね。



まあ、これは考えてみたら当たり前ではあるんだけど。



家族の人にしたら、どうしてそんなことするんだろう。
そう思って、頭を抱えたり、嘆いてみたりして、もう困ってしまうような病人の言動なのに。
そこを同じ立場の人は、そうなるのを、それはあるよ。
そうなる時は、自分にもあったから。
そんな具合に目に映ったりするんですから。



でも、病人も振り返るべきなんで、家族は経験がない以上、あなたの立場や思いは想像を超えるような話な訳なんだ。
それならば、こうしたらもっと分かってもらえるんじゃないかとか。
もう、いったい何で自分の思いが通じないんだろうとか。
そう感じて、よけい相手に知らしめてやらなきゃっみたいになって頑張ったとして。
それが通じたら理解してもらえるはずだと期待をしてみて、そこを励めば励むほどに空回りの酷さを増やしてるだけだったりするんで。
それをしてるんじゃあ結局のところ自分の苛立ちが膨らむだけなんで。
相手に分かってもらいたいのは山々でも、これは無理かもしれないんだ。
それよりもだよ。
わかってもらうよりも、自分がどうしていけたらいいのかな、なんだよ。
これから、どんなことをしたら打開していけるのか。
これは相手は、家族じゃないんだ。
自分のこれからで、将来なんだから。
こっちのほうが力点だと思わないとね。



少し、書き出しと流れが外れてきたけど。
まあ、私が文章を書くときにはままあることで。
書きたいことが固まってから、記述していくというより。
書き出しを見付けられたら、そこから考えが展開して、言いたいことが書き述べられていく格好だから、今日はこれで良しとしておきます。



蛇足ですが、これ読んでくれた家族の人も、この尻馬に乗って、間違っても本人をやり込めないでくださいね。
それこそ、その行動は蛇足以上に、相手を傷付けるんだし。
自信を削ぐような言葉かけは、ことごとく良い結果を潰していくだけですので。



また書きます。以下、次回に続く







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