いま、そこに、あなたが、あるのは

誰も『苦労』はひとそれぞれ。しかもすべて自分のオリジナル。つまり人間の数だけ誰にもみんな役目と役割りあって生まれてる

病気だという説明は一方的すぎると思いますよ。

2022年02月06日 | 闘病


これまで、いつも私がここに書いていることですが。

一部の精神科の疾患について、それらは、
単に病気と呼ぶような性質に捉えていたのでは、
それらについて、対処・対策の講じ方においてさえ、
この観点では、とうてい済ませられない問題であると、
そう厳しく感じない訳にはいられないのです。

むしろ中途発生をした障害の状態にあると見ていたほうが、
その状態についても的確な把握ができると思います。

ただ身体における障害等の状況などと同じように、
もし、これも発症時に適切な対処ができていたら、
その後の重篤な障害にまでは発展することもないことで。

そうならないようにするのは初期に全体を、
俯瞰して考えられる視点を見付けるというのが、
何よりも大事だと、そう感じているのです。

そのためには、やはり家族内だけでは限界があり、
もう少し第三者からの援助が必要なのは明々白々で、

家族自身、その出来事の一端にいることですから、
そこから自分たちに何が起きているか気が付くのも、
また、どこから何をすべきかを考えるのでも、
それを別の観点から何が見えているか問えないことには、
問題の気付き方だけでも、これは至難の業であって、
そこは往々にして、ほぼ不可能に等しいかもしれない。

だからこそ後手後手になり、上手くいかなくなって、
抱えきれないほど破綻は酷くなり、状態は顕著になる。

つまり家族内では、解決ができないような内容が、
そこに生じつつある段階で、もうすでに家族という、
このシステムないしは器が、それ自体不十分なことには、
なかなか気が付けていないので、問題が輻輳してしまう。
そうした面が、この問題には含まれていたりすることです。

 
これは、どんなことでもそうなるのですが、
何事でも硬直化しているシステムというのは、
その機能を著しく発揮し損ねてくる訳です。

これにも自己修復機能が当然あるのですが、
そこを発動させる力を、かなり失っていたりする。

要は、柔軟な運用は欠けて来ていたりしますから。
そういう場合に、よく起きる現象として、
責任論で取り仕切ろうとする無理をしたがる。

なぜそうなったか、考えるよりも、
なんでそんな風にするんだという、
取り締まり強化で事に当たるような羽目になって、
困っている相手に、共感もしなければ、
助けるとか、思いやるとかより、
責めてみたり、叱ってみたりする。

その結果、まだ相手に自分で発揮する力が、
残っていたとしても、これで頑張れる、
エンパワメントにできるどころか、
逆に自己卑下で、本人はますます気が塞がる。
それでも。そこ更に押し付けで強化したがるから、
ますます拗れるだけにしかならないことで。

ここにあるのは悪循環そのものなんだけども。
それを見やるよりも、自分は悪くないという、
お前が駄目だからだという応酬になっていき、

もっと自分のことを、わかってもらえたら、
それだけで自分なりに、頑張ろうと思うことでも、

お互いに下手な擦り合いで、そっちのせいだという。

ちょっと離れて見詰め直したら、
ここには、大人というのが、どこにいるのかという。

そういうキライも伺える構図だったりするのです。

ある意味、大人が自分で、その健康さを失うと、
そういう行動や思考に陥ったりもするのであり。

自分の健康さを気遣う感覚を持ってこそ、
家族全体の健康度が上がる話でもあったりして。

それは冒頭に、病気じゃあないだろうと述べましたが。

もし病気だよと、そう主張されるのであったら、
ここで申し上げたいのですが。

仮にこれが植物や何かであってもですが。
もし健康に育てられるような環境が与えられたら、
それには育つ力が宿っている話ですから、
その用意さえできたら、自然に発揮していきます。

そういう摂理を忘れてしまっているから、
相手を生きた実際の生物だと思っていないで、
機械か何かみたいに、指令や命令で聞かそう式に、
そう当たるから反発させたり、力を削いだりするのです。

そこにあるものを引き出すには、
引っ張って伸ばしたら、芽が出ても千切れるだけです。
これでは育つはずがないことです。

それを待たないというのは、
別の言い方をしたら、待てないということです。
なぜ、待てないのかといえば、
知らず知らずに自分自身が急き立てられるような、
そういう生活にいたりすれば、これだけで、
自ずと、他に対しても、そういう当たり方で接する。

余裕というのは、贅沢なんかじゃないんです。
生きているというのは、ユトリのアソビの部分の、
そういう糊代を持っていないと、
繋がって大きくするという力は出せないことです。

これには顔をくっ付ける様にして、
覗き込むみたいに伺っていたのでは、
誰だって気が急いて早くしろって急き立てます。

早くしろって急いで、いったいどこに行くつもりか、
もう少し、離れて眺める感覚が持てないと、
自分自身も振り返れないことであって、

振り返ってこそ、これでよかったかなと、
考える間が持てるのです。

考える間を持とうとしないから、
結果、結果、と追い立てるような、
そういうことで、やろうとする本人を、
窮地に立たせこそすれ、発奮させえぬことになる。

どんな相手にも相手の都合があることで、
自分の思惑至情で押し通すようなのは、
誰に対してだって礼が無さ過ぎることです。
失礼なことされたら、身内にだって嫌がられる。
それが人の情ですから。きちんと相手を、
人間扱いしていなかったと思い巡らしたら、
少しは全体が見えてくると思うのです。

結局、これらの塊や滞りが鬱積しきった結果が、
今でいうところの「病気」の真の正体だと。

これに尽きるんだけど。
渦中にいると、これに輪を掛けて、
撚りをかけて、さらにキリキリしていき。
それが今あるような全ての、これが、
原因・大元だってことなんですがねえ。

人間の脳は、そういう風に病気にはならないです。
これは脳がシッカリ働いているからこそ、
機能として、この状況に応じた「仕事」を、
働いているまでですからね。

それを「病気」は「薬」だって。

そういう図式は、あまりに過去のもので、
それが過剰な単純化だろうというのは、
やはり、そうでしょうよ、どう考えたって。

おっと、そこで今飲んでる薬は、
即やめますって、これも飲んだ以上は、
減らし方のある話ですって。

どうぞ気を付けてくださいよ。
少しでも危ないことは、
よく考えて行動しましょう。







2 コメント

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Unknown (a24_ramantya)
2022-02-06 18:35:55
そうですね。まさにまさに
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家族ね。 (ううちゃん)
2022-02-06 18:22:03
「家族」の健康度をあげていきたいですね♡
返信する

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