失われた瞳に残された光☆

眼を失ってから22年

和歌山医大までの葛藤

2024-06-12 19:19:58 | 日記

さて、前回の続きを綴りたいと思います

地元の眼科の先生には本当にお世話になりました。
和歌山医大へ行く時の日取りから、紹介状の準備
と、ここまではわかるのですが…
その日まで、私は普通に仕事をしています
突然
仕事場に母から電話が掛かってきます
内容は、和歌山医大へ行くにあたり、
事前に指定された地元の大きな総合病院へ
CTMRIを撮ってきて欲しいと、
眼科の先生から言われた
との事。
それはいいんですが…
まだ会社に、この事情を伝えていない…
検査行ってこい!
と言われても…
休めない 急に…
休むには 急に…
訳を話さなければ
でも…言いにくい
どんな顔で伝えよう
泣くかな?アタシ…
ってな具合ですよ…
当時、
私は食品卸問屋の小さ目?の会社に勤めていた事務員です
社長さん含めて営業さん達も、
創庫管理のオジサンも、とても仲が良くて、いい仲間です
いい仲間…だからこそ・・・
(飲みにケーション多い会社だった)
伝えづらくて悩みました
が、こうも言ってられません
(死ぬかもしれないし・・・
事情を説明して・・・
社長の言葉
「何や!
大したことあらへんさ!おまえさんに限って! 
かまへん!隅から隅まで調べてもらっといな!」
   
と、言ってもらえました。
それから・・・
まだ、他の人には言わないで
と、
お願いだけして・・・
(話は変わって・・・)
・・・
時が経つと、人は色んなこと忘れちゃいます
私は昔から物忘れは多いし、
嫌な事は時間とともに忘れてしまいます
(忘れることにする)
が・・・ここまでとは・・・
人の記憶なんて曖昧です
眼の違和感を覚えたのは
正直、
昔からあったのかもしれません…
自分で気付き、
眼科に行ったのが、
2002年11月
当時28歳でした。
  (もうええかw)
母に確認してみたら、
何とダイアリーに記録してあったそうです
(さすがです・・・母上)
そこから、
手術まで、約2ヶ月程度のお話だったんです
(おったまげぇ!!)
手術までの間、
すっごく
なが~~~く
感じていました
それだけ沢山・・・
悩んだし
沢山の物語があったんかな?
(小さめ・・・(笑)
とにかく・・・
またの続きは次回に綴りたいと思います
読んでくれて
ありがとうございます


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