サラリーマン、単身赴任で寺社めぐり。

単身赴任に彩りを。。
寺社に行き尽くして素敵な仏像たちと出会いつつ、食・酒を堪能する旅に出てみました。

【冬】 奈良・室生 「女人高野を歩く」③完

2017年01月31日 | 
さて、室生寺の魅力、あまたあれど、やはり最高の見どころは、五重塔(平安・国宝)であろう。
法隆寺五重塔に次ぐ日本最古の五重塔であり、また、国宝・重文クラスで屋外に建つ、日本最小の五重塔である(塔高約十六メートル)。
階段を登りきったところに、ひっそりと建つロケーションも最高であるし、なにしろ、その色合いは周囲木々の中、ひときわ鮮やかで、また均整の取れた塔の形が美しい。


<五重塔>

<別日:雪の五重塔>


またしても、その場を去りがたい気持ちに襲われてしまう。
この塔、平成十年(一九九八)に奈良県を襲った台風で倒壊した巨木の直撃により、壊滅的被害を受けることとなったのだが、人知を結集した努力により、約二年の月日を経て、修復された歴史を持つ。
当時、NHKで修復の経緯を特集する番組に見入った記憶が、いまだに残っている。
また、屋根の修復には、室生寺周辺のヒノキ五百本を使用した、とのことであり、この寺を囲む森の豊かさは、感嘆そのものである。


こちらから、あちらからと、さんざん写真を撮り、名残惜しくも次の行程へと移る。
五重塔の左手から続く、奥の院である。
突然、山岳寺院の険しい階段を登ることとなるのであるが
室生寺に限らず、奥の院というもの、要注意だ。
本当に
「奥へ、奥へ…」
と続くものが多く、それなりに気を引き締めてかからないと、それこそ足腰、痛い目に遭ってしまう。


<奥の院入口と長く続く階段>



四百段に近い階段を登り切ると、ようやく、奥の院へとたどり着く。
そこには、懸造(崖上などの上に建物を長柱と貫で床下を支える工法、代表的なものに、清水寺本堂、そして、灯台下暗し、室生寺金堂などがある)の位牌堂と、弘法大師を祀る御影堂(鎌倉・重文)が建つ。


<位牌堂>


<御影堂>


静謐な気に包まれた空間であるが、長い階段を登りつけた直後でもあり、息切れした記憶しか残っていないのが情けない、凡人の証である。

階段の上り下り、疲労度も上昇したが、朝早くからの拝観、じっくり時間を使った(三時間くらいか…)ものの、まだお昼。
せっかくだから、もう一寺、行ってみよう。

まったくもって、心が洗われ、満々となることのできた室生寺、
御朱印は〔如意宝珠〕
ありがたく頂戴する。




【冬】 奈良・室生 「女人高野を歩く」③完





【冬】 奈良・室生 「女人高野を歩く」②

2017年01月30日 | 
ここで、堂内、国宝仏については、もう少し触れておきたい。

まずは、中尊
〔釈迦如来立像〕(平安・国宝)
について。
十二神将を従えることから、もとは薬師如来として造立されたものと推察される。
像高二三四.八センチ、五体並ぶ像の中で最も大きく、存在感を放つ。
カヤの木の一木造で、赤茶けた衣を身にまとい(もとは朱色だったらしい)、黒光りした顔と上半身を露出、独特の外観を持つ。
衣紋は細やかで流れるような美しいラインをたどるが、これは室生寺の像特有のもので、「室生寺様」と称されるそうな。
瞑想に耽っているかのような表情は、観る者の邪念を取り払ってくれるかのようだ。

そして今一体、
〔十一面観音立像〕(平安・国宝)
について。
今冬のJR東海「うましうるわし奈良」のキャンペーンポスター「モデル」として、露出度満載の像であるが、像高一九六センチ、こちらもカヤの木の一木造。
穏やかな表情と、「下膨れ」の顔立ちがとても優しく、また、長い年月消えずに残った唇の紅色が、なんとも和ましい。
きっと、昔々、救いを求め、長旅の苦難を乗り越えて、ここにたどり着いた女人たちは、この像に拝し、癒され諭され、落涙とめどもなかったのではないだろうか。

見つめ続けて、金堂拝観に多くの時間を要してしまったが、決心して次の行程、弥勒堂(鎌倉・重文)へと移る。
柿(こけら)葺き入母屋造の小さな堂である。

<弥勒堂>

<別日:雪の弥勒堂>


名前の通り、本尊は
〔弥勒菩薩立像〕(平安・重文)
室生寺最古の仏像であるが、むしろ主役は、客仏の
〔釈迦如来坐像〕(平安・国宝)
である。
像高約一〇五センチ、決して大きな像ではないものの、ずっしりとした安定感を持つ。カヤの木の一木造、引き締まった表情から湧き出る厳粛さと、流れるような衣紋(翻波式)のしなやかさが、総体として抜群の調和を生み出しており、実に美しい。

次は本堂(灌頂堂)(かんじょうどう)(鎌倉・国宝)だ。
入母屋造の巨大な堂は、存在感抜群であるが、真言密教において非常に大切な法義を行う場所、ということ。自然、厳かな気持ちとなる。

<本堂>

<別日:雪の本堂>



【冬】 奈良・室生 「女人高野を歩く」③ へ続く





【冬】 奈良・室生 「女人高野を歩く」①

2017年01月29日 | 
近鉄線に揺られ約五十分、室生口大野駅に立つ。
奈良県と三重県の境のこの地、
「なにもない…」
駅である。
ここからバスに乗り継ぐのであるが、便は一時間に一本、時刻表をきちんと事前確認しておかなければならない(基本、わたしの寺社巡りは、公共交通機関にて移動するものであり、時刻表の事前確認は必須である)。
ちなみに、少なくとも奈良県内の寺社巡りに際しては、「奈良交通バス」のサイトをダウンロードしておくのがよい。本数の多寡は別として、かなり山奥まで、奈良全域をカバーする、素晴らしい公共交通機関である。

さて、その「奈良交通バス」に乗り込み、時間としては約十五分程度ではあるが、かなり山奥へと入り込む。
バス停「室生寺前」から歩くこと数分、室生川にかかった太鼓橋を渡ると、その寺があった。


<室生川と太鼓橋>



真言宗宀一山(べんいちさん)・室生寺。
天武天皇九年(六八一)、役小角(えんのおづぬ)(修験道の祖)の創建、弘法大師空海の手により伽藍整備がなされた、あるいは、奈良時代末、東宮・山部親王(のちの桓武天皇)の発願により、興福寺の僧により創建されたとされる。




女人救済の寺、ということから、別称「女人高野」と称される寺院である。



今の時代、自動車にて、あるいは電車バスを乗り継いで、寺のすぐ近くまで行くことができるが、徒歩でのアクセスが必至であった当時、女性の脚では(あるいは男性の脚でも)、かなりそれが困難だったのではないだろうか、と思わせる、いわゆる山岳寺院である。
ただ、女人高野と呼ばれているからだろうか、一方で、なにげに優しい空気も感じる。
朝一番に行ったからだろう、訪問者はまばら、荘厳でありつつも、まことに静かに、仁王門がわたしを迎え入れてくれた。


<仁王門>


これを潜り、左手の階段(鎧坂)を登っていくと、昔、「山川の日本史教科書」で見た、金堂(平安・国宝)が姿を現す。

<金堂>




ひなびた堂である。
しかし、歴史の重厚感と澄みきった空気感を発し、観る者を包み込みこんでいく。
わたしの目と心も、すっかり奪われた状態となり、もはや身動きがとれなくなってしまう。

堂内へ。
五体の仏像が一列に並ぶ。
中心には
〔釈迦如来立像〕(平安・国宝)
左端に
〔十一面観音立像〕(平安・国宝)
左中に
〔文殊菩薩立像〕(平安・重文)
右端には
〔地蔵菩薩立像〕(平安・重文)
右中に
〔薬師如来立像〕(平安・重文)
である。
いずれも、美しい光背を持つのがよい。
そして、この五体の前列に
〔十二神将〕(鎌倉・重文)
が並ぶ。
この通り、国宝・重文級の仏像が、ずらりと並び、こちらを見つめるさまが、堂の歴史と相まって、堂の外までオーラを醸し出しているのであろう。


【冬】 奈良・室生 「女人高野を歩く」② へ続く



【冬】 滋賀・湖北 「美しすぎる像に...」②完

2017年01月26日 | 
しかし、観音堂の左手の渡り廊下から通じる収蔵庫に足を踏み入れると、なんとも言えぬ、優美な流れが、静かに広がってくる。

<観音堂>


いよいよ面会、
〔十一面観音立像〕(平安・国宝)
である。
あまりにも
(美しすぎる…)
もはや、言葉も出ない。

像高は約一七七センチ、檜の一木造。
寺伝では、天平八年(七三六)、聖武天皇が修験道僧の泰澄(たいちょう)に命じて作像させたものとされるが、実際は平安時代初期のものらしい。
中肉で、上半身から腰にかけて左に振る像形と、わずかにあそびを持たせた右足が、なんと麗しいこと。
右手は、下に長く伸びて「与願印」を結び、数多くの人々の願いを叶えようとしている。その指先は、細やかで、まことに艶めかしく、官能的ですらある。
頭部に目を移すと、本面は、あくまでも穏やか、
「うっとりとした」
顔立ちで、人々を見つめる。
わたしのような、腹黒い人間は、とても正視することができない。
大きな太鼓型の「耳飾り」は、華麗でゴージャスだ(観音像は基本、華麗な姿をしているが、このように巨大な「耳飾り」は、あまり見たことがない)。

頭上面は、一般的な十一面観音に比し、大振りで、配置も、頭上に七面、両耳の背後に二面、後頭部に一面と、特異である(頭上麺は、王冠のように、十面、または十一面、ぐるりと並んでいるのが一般的である)。
そして、それぞれに個性的、丁寧な彫刻が施してある。

頭上正面の二面と、頭頂の一面、計三面は
〔慈悲菩薩面〕
穏やかな表情をもって、善良な人々に楽を施す。
向かって右、頭上の二面と、耳の背後の一面の計三面が
〔しん怒面〕
眉を釣り上げる表情をもって、邪悪な人々を戒め、仏道に導く。
向かって左、頭上の二面と、耳の背後の一面の計三面が
〔狗牙上出面〕
口元から牙を出す表情をもって、人々を励まし、仏道を勧める。
後頭部の
〔暴悪大笑面〕
唾棄すべき、人々の醜い悪を、笑い飛ばして滅する。
それぞれ、まことに表情豊かである。
また、これだけ大きな頭上面を持つと、当然ながら、
「頭でっかちな」
ものとなってしまうはずだが、絶妙なバランスがあるのだろうか、まったくそんなふうには感じない。
像は収蔵庫の中心に、ガラスケースもなく、安置してあるため、ぐるりと三六0度、間近に観ることができるのもよい。

日本には、七体の「国宝十一面観音」が存在する。ここ向源寺と、
一、奈良・法華寺
一、奈良・室生寺
一、奈良・聖林寺
一、京都・観音寺
一、京都・六波羅蜜寺
一、大阪・道明寺
である。

六波羅蜜寺の十一面観音の除き、わたしはすべて観る機会を得たが(六波羅蜜寺のそれは、十二年に一度、辰年開帳の秘仏で、残念ながら、まだ実物を観る機会に遭遇していない)、確かに、いずれも、まことに美しい(因みに、美しいから国宝なのか、国宝だから美しいのか、議論のしどころかもしれないが…)。
しかし、あえて言おう。間違いなく、ここ、向源寺の十一面観音が、最も美しい。
そして、さらに言おう。今までわたしが巡り合った、あまたの仏像の中で、この像こそが、最も美しい。
像に見惚れ、長い時間があっという間に過ぎてしまった。そろそろ閉門時間の午後四時だ。
御朱印は〔国宝・十一面観音〕



ありがたく頂戴する。

気持ちは高揚し、やや興奮気味、夜も眠れないのではないかと、心配したが、帰路の電車に乗り込むとすぐに、寝てしまった(今朝、早起きもしたもので…)。
電車での「うたた寝」というもの、なぜこんなにも、心地よいのだろうか…。風邪をひかぬよう、気を付けて帰ることとしよう。


【冬】 滋賀・湖北 「美しすぎる像に...」②完


【冬】 滋賀・湖北 「美しすぎる像に...」①

2017年01月24日 | 
朝から、みぞれ混じりの雨が降る。
通常、寺社巡りに際しては、スニーカー装着にて臨むのであるが、天気予報で、かなりの雨と聞き、前日に防水加工の靴を買った。
冷たい雨水が靴に染み込み、足元から冷えていく感覚は、とても辛く、嫌なものだからして、盤石なる防備体制を作ったものである。
今日の行き先は滋賀、大阪から、JR新快速電車で二時間強ということで、日頃の寺社巡りからすると、
「小旅行」
なのであるが、どうしても会いたい像がある。
降り立ったのはJR高月駅。
滋賀県の中で、湖北と言われる地域、つまり、びわ湖を真ん中に置いて、「右上」にあたるところだ。
そもそも、滋賀県、近江の地は、びわ湖という豊富な水源を有し、東海道・中山道・北陸道が合流する陸の要衝としての存在を持ち、また、日本仏教の聖地、比叡山・延暦寺を持つ、ということで、古来より、かなりの繁栄を誇ってきた。
当然ながら、人々の心の拠り所、寺社仏閣も数多く存在する、ということになる。
因みに、滋賀県に建つ寺院数は、三千二百十強、国内において、絶対数では愛知県、大阪府、兵庫県に次いで第四位、人口十万人あたりでは、実に第一位なのだ。
そして特に、この湖北、
「観音の里」
とも言われ、数々の観音菩薩の逸像が存在しているのである。
滋賀県、決して侮ることができない場所なのである。

さて、今日の目的地はピンポイント、駅から徒歩で約十分、浄土真宗慈雲山・向源寺(こうげんじ)(別称、渡岸寺観音堂)だ。




寺の歴史は古く、天平八年(七三六)まで遡るのであるが、歴史の中で、戦火に遭遇する。戦国時代の元亀元年(一五七〇)、織田信長と浅井長政が激突した「姉川の戦」がそれだ。
この際、堂宇悉く焼失したが、住職と地域の住民が、堂内の仏像を地中に埋め、守ったとのこと。
滋賀県、特に湖北の寺々においては、
「地域住民が、寺と仏像を守り続けている」
例が数多く見られ、住民の生活の中に、いかに信仰が根付いているのか、見てとることができる。
向源寺は浄土真宗で、阿弥陀如来像以外を仰ぐわけにはいかないため、今日、会いに行く観音像は、正確に言うと、向源寺の本堂ではなく、寺の飛び地に設けられた観音堂に収められている。
そして、この観音堂は、現在、高月町国宝維持保存協賛会の人々に守られているのだそうな。
ということで、観音堂の雰囲気は、至って庶民的、まことに素朴な空気が漂っている。


【冬】 滋賀・湖北 「美しすぎる像に...」② に続く