振り返ってみると、既に1990年代に、一緒に仕事をしていたアメリカ人の弁護士が、パソコンを使っていた。
当時、まだワープロやファックスを使っていた私に彼は、パソコンと電子メールの時代が、直ぐに来ると言っていた。
まさに、その言葉の通りになった。
便利なものは、直ぐに普及する。
AIも同じだろう。
今、ChatGPTが脚光を浴びている。
しかし、これはAI時代の幕開けに過ぎない。
私たちの生活の中で、AIが普及するのを誰も止められないだろう。
そもそも、AIは人類が生み出してきた知性の集大成のようなもの。
人類の様々な負担を肩代わりしてくれるものだ。
人類は、AIに全てを任せて、遊んで暮らせるかもしれない。
しかし、それが人類の幸福をもたらすかどうかはわからない。
今の若者は、そんな人類史上初めてとなる、最大のシンギュラリティを経験するのだろう。
そう考えると羨ましいと同時に、人類としての知性のアイデンティティを保てるかどうか心配にもなる。
間違いなくAIは急速に進歩し、私たちの生活の中で、ますます重要な役割を果たしていくだろう。
それによって、人類の負担が軽減されたり、新たな可能性が開かれたりする一方で、私たちが直面する課題や懸念もある。
AIの進化によって、人々が仕事や時間を創造的な活動に使えるようになる。
その一方で、AIに依存しすぎて、私たちの能力やアイデンティティが鈍化してしまう可能性もあるからだ。
これは特に若い世代にとって重要な問題だと思う。だから、バランスを取る必要がある。
私たち人類は、AIの普及と共存する方法を見つけなければならない。
技術の進歩と人間の知性は互いに補完し合うことができるはずだからだ。
AIは、私たち人類が生み出した最高のツールとして活用されるべきだ。
重要なのは、私たちが人類としての特性や価値を大切にし、AIを私たちの成長や社会の進歩のために活用していくことだと思う。