教師が「知能指数(IQ)が140以上を天才というのだ」と言っていた。
実は、私がそうだった。IQのせいか、職業適性検査では、不適性な職業無しという結果だった。
IQ140以上と言っても、進学高校に入った瞬間に、成績が下がる例など、いくらでもある。
私も、入試では4番で(A、B、C、Dの順で)Dクラスになったが、入学早々の実力試験で順位が下がり、ひどく落ち込んだ。
中学までは、あまり勉強をしていなかった。ところが、高校は、そうはいかない。頭がいい連中ばかりだからだ。
そこで悟った。
IQが高いというのは、足が速いのと同じようなもので、人間としての出発点に過ぎない。それをいかに伸ばすかが、重要だということを。
昔、教育制度が整っていなかった時代には、IQが高いというだけで、そこそこ優れてみえたのだろう。
しかし、現在のように複雑化した社会では、IQが高いだけでは、勝負にならない。努力する人間には勝てないからだ。
私が卒業したコーネル大学の大学院は、世界中からトップレベルの学生を集めているので、IQは高くて当たり前の世界。
そんなIQの高い人間が、起きている時間のほとんどを勉強に捧げ、自己研鑽に励み、互いに切磋琢磨している。
そうした姿を見て、自己管理を徹底して真摯に努力する能力は、IQに勝るということを思い知った。
そうした集団の中で勝ち残り、さらに、上の集団へと進んで行く中で、最後まで天才と言われるレベルの人間が、本物の天才ということだろう。
IQのスコアしか売りのない人間が天才なんて、そもそも、おこがましい話だ。
IQのスコアしか取り柄がないなんて、どこかの国の「白人至上主義者」と同じなのかもしれない。