二面楚歌 グラビアレビュー備忘録

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のグラビアレビュー備忘録。
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SWITCH 2011 01月号

2011-01-16 | SWITCH
うめさし [大分篇]
梅佳代の撮影で指原莉乃のグラビア。 4ページ11カット。 文章は吉田大助。

他誌のグラビアを一と通り見てから改めて眺めると、全てのカットにその時々の指原の生きた感情が現れている事に気付く。

ステージ衣装で母校を訪れる得意げで且つ面映そうな表情や、後輩と握手する嬉しげな表情だけでなく、祖父母と並んで泣き腫らした顔であったり、鼻の穴にチリ紙突っ込んでの自嘲気味な微笑みであったり、巻き貝のオブジェの中にデロんと寝ぶさまであったり、あられもない姿を晒しながらも、そうであるが故に美しい。

添えられた吉田大助の文章も味わい深く、引用される指原の言動も示唆に富んでいるのだけれど、そちらはコラムとして別項にて。

指原莉乃が泡喰って狼狽える図を面白がる向きも相変わらず多いようで、そうした売れ方をしているからこそ、別の角度から光を当てようとするこうした企画も生まれる訳であるし、他の多くのメンバーのように集団に埋没"させられて"いるのからすれば相対的には幸福であるとも言える。

この御褒美企画、来月以降も続くようだ。

SWITCH 25周年記念号

2010-11-28 | SWITCH
70ページ余を裂いてAKB48の特集。 かなり前に買ったのだけれど、歯応えが有り過ぎるので後回しにして来た。 年を越す前にやっつけたい。いつもは掲載順に書いていくのだけれど、巻頭の荒木経惟は時間が掛かるので個別グラビアから。大島優子すべて見開きで10ページ5カット、撮影は藤原新也。夜の渋谷の街を歩き乍ら撮っており、ストロボが焚かれたカットは、ブレた画面の中にその瞬間だけが浮き上がって切り取られている。 好きな手法ではないが、上手い。AKB48のステージ衣装も、奇異な感じはせず、渋谷の街に溶け込んでいる。藤原新也自身がAKB48のコンサートや劇場公演に足を運び、大島優子を観察した上で撮ったと言うだけのことはあって追い込み方が上手く、大島の役者としてのスイッチは入っているし、可愛いだけではない「したたかさ」と言うか、狂気を孕んだ本性と言うか、そんなもの迄写っている。見ているだけで草臥れるような重い写真だが、その分見応えもある。 写真の並べ方、文章の流し込み方も上手い。前田敦子5ページ5カット、撮影は蜷川美花。例によってピントもヘッタクレも無く、色と雰囲気で押す写真。 前田は全カット機嫌の良い「白前田」。 この秘密は対談の中で明らかになる。写真の出来はさておき、撮るにあたっての姿勢は素晴らしい。 前田敦子の魅力についても、実に的確に捉えている。 この辺りの観察眼の鋭さと撮影に入る前の周到な準備が、被写体を良い気分で撮影に臨ませている。 それが仕事が引きもきらぬ理由の一つなのだと思う。こう言う事が出来ていないから、中山雅文の写真はピントも露出も適切なのに退屈窮まる。 ピントや露出や構図は写真と言うものを構成する重要な要素ではあるのだけれど、技術的に上手ければ良い写真になるとは限らない。 以上、八つ当たり。対談の中で語られる被写体との向き合い方は、方法論として正しい。 以下引用。
 だからやっぱりね、撮ってもらう、撮らせてもらうということって、本当に信頼関係だけで、「この人に撮られたら大丈夫」と思ってもらえるかどうかなんだよね。 それで九割方勝負が決まる。 「この人に撮られたら嫌だ」とか何か身構えたりすると絶対うまくいかないの。 だからよく「どうやってその色や世界観を出すんですか?」と訊かれるんだけど、人と人だから気持ちよく仕事ができて信頼してもらえればいいとしか本当に思ってないのね。
私の蜷川美花嫌いの理由の一つは、あの年を境に木村伊兵衛賞が死んだからであったのだけれど、考えてみればそれは受賞者ではなく、撰んだ側の責任なのであった。 それに今更ながら気付いて、瘧が落ちたと言うか何と言うか、これ迄のような強い嫌悪は無くなった。 そう言う意味に於いては、私にとっても転機となるグラビアとなった。

※追記
AKB48(板野友美、大島優子、小嶋陽菜、篠田麻里子、高橋みなみ、前田敦子、渡辺麻友)
巻頭グラビア20ページ18カット、見開き2箇所。 撮影は荒木経惟。
グラビア本篇以外にも、目次やらQ&Aやら、あちこちに使われている。

撮影レポートに4ページ割かれており(撮影は野村佐紀子)、荒木が七人それぞれとどう向き合ったかが判るし、それは写真からも伝わって来る。

最初の見開きなんざ盛大にピンボケだし、他にも甘いカットは散見されるが、それを敢えて使うのは、それだけの説得力を写真が持っていてるから。

相性の問題だと思うが、出来映えには多少差が有る。

・大して面白くない → 篠田麻里子、渡辺麻友
・綺麗には撮れている → 板野友美、小嶋陽菜
・面白い → 大島優子、高橋みなみ
・凄い → 前田敦子

大島優子は珍しく衒いも何も無く素の自分でカメラの前に立っている。 何をしても受け止めきれる相手には、小細工が利かない。
作り笑いをしなくて良い所為か、高橋みなみも安心して撮られている。

圧巻は前田敦子。 泣かされた訳ではなく、誘導されて涙が溢れたあとなので、目は充血し空ろな表情ではあるのだけれど、前田敦子の内面の「得体の知れない何か」が呼び覚まされて写っている。

人は努力すればひょっとして大島優子にはなれるかもしれない、然し前田敦子にはなれない。
美醜を超えた何かを、前田敦子は持っている。


SWITCH 2010 12月号

2010-11-27 | SWITCH
うめさし [東京篇]
梅佳代の撮影で指原莉乃のグラビア。 4ページ11カット。 文章は吉田大助。指原莉乃を的確に評した一文が光る。 以下引用。
 アイドルオタクの、アイドル。 ネクラなのに、おしゃべり好き。 ヘタレなのに、前に出たがり。 と、このあたりは本人自らの証言だが、彼女を知る誰もが胸抱く大事な一項目を、ちゃんと付け加えておきたい。 かわいいのに、おもしろい。
梅佳代の写真は、私の好むそれとは趣を異にするのだけれど、戸惑いであったり、躊躇いであったり、感情の微妙な揺らぎが出た表情に味のある指原の「らしさ」は良く切り取れている。そして頭をペチリとはたきたくなるような、得意げな表情も。指原は、「こうさせたい」と言う思惑には、多分嵌まってくれない。 鷹狩りの鷹にも、鵜飼の鵜にも成り得ない。 そう言う意味においては面倒臭い人なのかもしれない。けれども、猫が得意げに捕まえた鼠の惨殺屍体を咥えてくる様に、犬が嬉しげに隣家のサンダルを咥えてくる様に、役に立つかどうかは別として何だか分からない感興を催す何かを、その時々で齎してくれるような面白さは有る。犬や猫は、たぶん莫迦であれば有るほど、いとおしい。最後にもう一文引いておく。
 アイドルはかつて、ファンに擬似的な恋愛感情をプレゼントし、支持を集めていたのかもしれない。 でも、指原莉乃という新世代アイドルは、もっとたくさんの、いろんな感情の全部を、彼女を見つめる人々に追体験させてくれる。 それはとっても、貴重な体験なのだと、この日の撮影を通して実感できた。 そうして自然と、彼女を応援したくなった。
SWITCH 12月号、定価700円。 この4ページの為だけでも払う価値はある。