天動説は間違いなのか?

「既得権勢力が現在の社会をどのように歪ませているかを、皆に自分で考えて貰いたい」
というマヨ氏の御意思を継げればと。

シュメールと海の民と日本

2024-05-25 07:22:31 | 皇統

Q  

  1. 浅草寺に収められているというダゴン神ですが、シュメールの神様のようですが、やはり秦氏はシュメール由来、もしくはシュメールと関係があると考えていいのでしょうか?
  2. 上記がYESならば、戦前、天皇の事をスメラミコトと呼んでシュメール由来と言っていたのは、秦氏⇒緑龍会の勢力なのでしょうか?

A

1.基本的にその通りです。

いわゆる北の十氏族(兄弟ではなくカナンを取り囲んでいた不良の集まり)のことで、中国で名前をもらった秦氏も含まれているということです。緑龍会はその実行部隊にすぎません。
 
2.北朝側は、自身の天皇をスメラミコトといいます。
 
 
Q
 
 
1-「.北朝側は、自身の天皇をスメラミコトといいます。」とありますが、例えば現在の南朝側の天皇の事はスメラミコトと呼ばず、北朝側の表に出ていない天皇の事をスメラミコトと呼んでいるという理解でいいのでしょうか?
2-シュメール文明についてですが、元となった文明がわからないそうですが、これは氷河期前の文明を再現もしくは、利用したという事でしょうか?
 
A
 
 
1.その通りです。
 南はスサノオです。
 彼は、ヤマタノオロチを退治しました。ギルガメッシュとエアー(のちにヤハウェ)はクババペペ
 (八枚の鎧を着た自然神)を倒したので同じ話です。
 自然神というのは、多神教でケルトやギリシャ神話の流れにあります。 
 これは2,にも絡みます。氷河期前の文明を、ダゴン神がその当時の技術で再現できる範囲で
 教えたということで、こちら側が北ということです。
 
ちなみに、現在は北になります。
戦争の責任は南にあるとして、昭和が受諾、平成で移行期間、令和で北になりました。
 
 
Q
 
1-「ちなみに、現在は北になります。
戦争の責任は南にあるとして、昭和が受諾、平成で移行期間、令和で北になりました。」ですが、以前に「長崎」に対してコメントいただいた
「明治政府は南朝側になりました。
その立役者はグラバー商会です。長崎にありました。
第二次大戦後は、北朝の差配に変わることになりました。
戦後、グラバーの親会社であるジャーディンマセソンは、横浜に居を構えます。
そのように決めたということです。
あの時は、早く降伏しないと北海道をソ連に取られる所だった。ということも言えるでしょう。仕方がなかったと・・・
南朝側の領地を使った。」
この事でしょうか?
 
2-「ダゴン神がその当時の技術で再現できる範囲で教えた」というくだりですが、ダゴン神というのは、この文明を教えた集団の長のことでしょうか?
シュメール文明はアヌンナキ云々やらで、宇宙人がらみの話がありますので曖昧な表現をできれば避けたいので。
 
A
 
1-そういう事なのですが、北海道の件は建て前です。
アジア開発銀行~世界銀行の方が南としては良かったという事でしょう。
これは、証拠もなく世間一般には出しにくく、推察してもらうしかありません。
 
2-ダゴン神は半人半魚の神様です。
その当時の人が、足ひれをつけ潜水服を着た人を見たらどうでしょうか、宇宙人のように見えませんか、文明の進んだ海洋民族がやってきて、灌漑農法を教えたら神様か宇宙人ということになりませんか。
 
 
<補足>
半魚人
魚のアプカルル、後にダゴンと同一視された

ダゴンDagonヘブライ語דָּגוֹן‎ [dagon])あるいはダガンDagan、 シュメール語𒀭𒁕𒃶 dda-gan)は、古代メソポタミアおよび古代カナンマリテルカに神殿が発見されている[1]

古代パレスチナペリシテ人が信奉し、ガザアシュドッドに大きな神殿があった[1]聖書に記載されている。ヒエロニムスヘブライ語のダグ(דָּג dag、魚)と誤関連させたため、下半身が魚の形の海神と考えられた[1]が、本来は麦であり大地の豊穣と関係の深い神[1]である。父親はエルで、伝承によってはバアルの父とされる。

旧約聖書はイスラエル人と敵対するペリシテ人が崇拝する神を悪神扱いして多くを悪魔としている。ダゴンも悪神とされ、ユダヤ教から派生したキリスト教でも引き継がれた。

アプカルル[編集]

アプカルルは、大洪水より前に、賢神エアより遣わされた古の七賢聖であり、人類に知恵を授けたとされている。その筆頭がアダパである。アプカルルは、人間の頭や手足が生えた全身が魚の姿、あるいは、上半身は人間、下半身が魚の姿をしており、その彫像は守護精霊として7体セットで用いられた。オアンネスの基になったとされる[3]

そこから派生して、他の、「人間と(魚以外の)動物のハイブリッド」もアプカルルと呼ばれることがある。

また、「賢者」を意味する接頭辞や形容詞として、エア、マルドゥクエンリルニヌルタアダド、などにも適用される。

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岸田総理の訪米理由

2024-04-20 07:56:23 | 皇統
岸田総理がアメリカに行きましたが、本当の目的はNATOのような軍事協定を結ぶことでした。
アメリカ、日本、フィリピン、オーストラリアで太平洋条約機構を作ります。
今まで日本は、表立って武器輸出は出来ませんでしたが、出来るようになります。
軍事景気で景気は良くなるのでしょうが、標的にされる可能性もあります。
キナ臭くなってきました。
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続日本古神道への流れ

2024-04-20 07:55:46 | 皇統

Q

1-バチカンのキリスト教とケルト神話~日本古神道に繋がる流れは別物なのでしょうか?

それとも、西に向かったウバイドと東に向かったウバイドの違いという事なのでしょうか?

 

2-「ケルト神話=ギリシャ神話=ギリシャ正教=ゾロアスター=仏教=ヒンズー=マニ=白蓮=日本古神道となり基は同じです。」とありますが、これらは全てドルイド教の亜種と理解しているのですが、ドルイド神官という存在は何時何処から発生したのかよくわからないのですが、ドルイド神官について解説していただけるとありがたいのですが。

 

3-上記の宗教の流れとは別かどうかわかりませんが、テンプル騎士団や薔薇十字などの悪魔崇拝(サタニズム?)がいまだにあるようで、youtubeに儀式の動画があったりするのですが、この悪魔崇拝を解説していただけないでしょうか?

 

A

1万年前に氷河期が終わり 北欧から南下して行ったデエーン人=ケルト民族が、サルディニア島を拠点としていた スパルタとなります。そこでケルト神話がギリシャ神話となりヨーロッパ各地に広がっていきました。

彼らは氷河期前の文明の資料を持っており、各地で栄えた文明の参謀役として入り込んでいきます。

そしてその国を裏から支配していきます。

ケルトの旗は3本足です。

カナンの地に 向かったものもおり 周りを包囲して盗賊行為をしていましたが、カナンにいた民族と義兄弟になり 12氏族という形になりました。

ノアの子供達で言えば ヤペテ系ということになります。

カナンにいたのはセム系ということになります。

最初に栄えたのはハム系でバビロニアです。

1 バチカンのキリスト教はキリストの弟子が作ったのですからセム系教義主義です。

ケルト神話とキリスト教が融和してできたものが正教会で、ヤペテ系の血族主義です。

正教会=イエズス会で、フランシスコが法皇となった時にイエズス会が乗っ取りました。

2 デエーン人=ケルト民族が、参謀として他国に入り込む時に神官の形を取ることもあります。

12氏族で言えば レビ族です。

3 現在キリスト教を廃し 自然神=ギリシャ神話多神教にしようと絶賛活動中です。

Q

1-氷河期前の文明の資料とは、所謂ロストテクノロジーとか云われるものの事でしょうか?
 
2-「自然神=ギリシャ神話多神教にしよう」というのは、以前、マヨ氏がキュベレー云々を記事にされていましたが、この事でしょうか?
 
A
1及び2は、その通りです。
1の資料は、中野が諜報して収集してあります。
相談の上どこまで開示するか決定しています。
 
<補足1>
キュベレー
 

キュベレー古代ギリシア語Κυβέλη / Kybélêフランス語Cybèle英語Cybele)は、アナトリア半島プリュギア(フリギア)で崇拝され、古代ギリシア古代ローマにも信仰が広がった大地母神である。名前は「知識の保護者」の意。

名前[編集]

しばしば「髪の毛のある女性」が語源とされるが、それはプリュギア語ではなくギリシア語と考えた場合である。ギリシア神話に取り入れられる前のプリュギア語での呼び名はクババ (Kubaba) であり、より古い時代にアナトリア半島で使われたルウィ語Luwian楔形文字参照)起源であるとの説が、より広く受け入れられている。ローマ神話では マグナ・マーテルMagna Mater 、「大いなる母」)に対応する。

キュベレー崇拝[編集]

ヘレニズム時代のもっとも熱狂的なキュベレーの信奉者は、みずからを聖なる儀式完全去勢した男性たちで、この儀式の後、彼らは女性の衣装をまとい、社会的に女性とみなされた。同時代の注釈家であるカルリマコスは彼らを、女性名詞の Gallai (ガッライ、ギリシア語複数形)で呼んだが、古代ギリシアローマの他の注釈家たちは、男性名詞の Gallos (ガッロス、ギリシア語単数形)や Galli (ガッリー、ラテン語複数形)で呼んだ。 女神の女性司祭は、人々を乱交的儀式に導き、儀式では荒々しい音楽、ドラムの響き、踊りに飲酒が伴った。女神は、性器切断された後、甦った息子であるアッティスをめぐる秘儀宗教と関連していた。一説では、三人のダクテュロスたちが女神の従者であった。女神の信奉者たちは、プリュギア語でクルバンテス、ギリシア語でコリュバンテスと呼ばれ、彼らは、一晩中続く、太鼓の乱打、剣と楯を打ち鳴らす野性的な音楽、踊りに歌に叫び声によって、女神への恍惚として乱交的な崇拝を示した。

アタランテーヒッポメネースは狩の途中、ゼウスの神域に入り、そこで交わったため神の怒りに触れライオンに変えられた。一説では、それはキュベレーの神域ともされ、二人は女神の車を牽くこととなったともされる。

キュベレー崇拝の歴史[編集]

概説:アナトリア、ギリシア、ローマ[編集]

プリュギア(フリギア)のペッシヌースにおいては、遥かな古代より、キュベレーの原型として両性具有ともされるアグディスティス女神の信仰が存在した。紀元前203年、ペッシヌースの大いなる母を具現した聖崇拝物(神像ではなかった)が厳かにも恭しくローマに移された。

キュベレー崇拝は、すでに紀元前5世紀のギリシアで行われており、その地においては女神はしばしば、名を直接に使わず、婉曲語法によって Μητηρ Θεων Ιδαια(メーテール・テオーン・イーダイア、「イーデーの神々の母」)と呼ばれた。キュベレー崇拝への言及は、とりわけピンダロスエウリーピデースに顕著である。しかし古典ギリシアの著作家たちは、アッティス去勢の神話はよく知っていたにもかかわらず、性転換した「ガッリー(galli)」については知識がなかったか、または言及を行っていない。

ギリシアにおけるキュベレーの崇拝は、明らかに類似性が認められるディオニューソスの崇拝と密接に関連付けられた。キュベレーはディオニュソースにイニシエーションを与え、逆にディオニュソースはアグディスティスの去勢を行ったとも言われている。ギリシア人たちはまた、キュベレーを「神々の母レアー」と同一視した。

以下略

 Wikipediaより
 
 
<補足2>
 
 
 
<補足3>

内容が正しいのかわかりませんが、北欧由来の海洋族の歴史についての動画です。シリーズになっています。但し、一本当たり結構長いです。

ご参考になれば。

 

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日本古神道への流れ

2024-04-13 08:24:39 | 皇統

Q  秦氏の宗教はミトラ教ですが、もしくは原始キリスト教と呼ばれていたのかもしれませんが、この秦氏がソグドとしてシルクロードの北方のステップロードを騎馬民族を護衛として日本に渡来しているようです。

そのステップロードを秦氏=ソグドが宗教を使って支配したと。

ですから大まかに、ミトラ教⇒原始キリスト教⇒正教⇒古神道と理解していいのでしょうか?

そしてこの勢力がプーチンの背後にいると。

 

A  バチカンのキリスト教は、弟子が作ったもので、教義が基になります。

一神教で他の神を排するという理由で、他国の侵略に使っています。

ケルト神話〜ギリシャ神話は多神教〜ギリシャ正教≒イエズス会は、黒マリアのサングロリアル文書を重要視していますので、血統ということになります。
そして、キリスト教を排し、新しい神様にしようとしています。
ミトラはゾロアスターと対の神で、その流れに含まれる神です。
ケルト神話=ギリシャ神話=ギリシャ正教=ゾロアスター=仏教=ヒンズー=マニ=白蓮=日本古神道となり基は同じです。
 
(難しいので次回に続きます。)
 
 
<補足1>
 
さて、私の担当は歴史の研究です。ここ数か月シオン修道会を調べていましたが、何やらさっぱり見えてきませんでした。そこで先生にお聞きしました。
要はシオン修道会の総長の役目は一つには「聖母マリアの遺体を守る」こと。そして聖杯、つまりマグダラのマリアの血流を守る、いわゆる女系(子宮)=聖杯を守ること。もう一つ、サングリアル文書を守ることだと。この文書にいったい何が書かれているか・・・・要はダビデ以降の本当の血統書が書かれているという。
「ダビンチコード」という有名な映画がありましたが、これらは実は全部でたらめな話ではなく、真実をやや誇張も含め面白おかしく描いたもので、いわゆる当事者たちのコマーシャルみたいなものだそうな。
つまり、大きな問題は二つ。一つはイエスには子供がいたということと、もう一つ、現在バチカンに伝わるダビデの系図には誤りがあるということ。
ダビデは六芒星、ソロモンは五芒星、まず最初から違っているんじゃないの?と突っ込みたくなりますが、ダビデが不倫した相手はパテシバ。彼女には夫がいた。ソロモンは彼の子供なのか?そんな話は週刊誌に任せるが要はシオニストと〇〇宮がこの辺りから分かれたとなるとこれは重大な話ではないか?
アングロ・サクソンというが、実はサクソンとはヒッタイトのことでアングロとはパテシバの故郷、現在のイエメンのあたりかな・・・。
さて、ダビデやソロモンは紀元前10世紀ごろといわれるが、以前の私の研究ではエジプト第18王朝のころだと思ってたんだが、まあ大した問題ではないか・・・。
まあ、現在私が何を調べているかというとイエスとは一体何者か?という話で、現在これかな?というのはアディアベア王国のヘレナ女王がマリアでありイエスはエデッサ王国の王様だった・・・なんて話だが・・・。
まあ、この話は終わりのない課題であり趣味の範疇ですがエデッサやアディアベアは現在のトルコやシリアにあった国で、今まで興味すら持ったことがない地域なのです。当然アッシリアや安息国(パルティア)を勉強しなければならなくなります。
また、マクダラのマリアの何が問題かというと、支配者の上位に位置するヴェルフ家に関わってくるからで、女衒(ぜげん)と称されるヴェルフ家はヘッセン、ウインザーなどヨーロッパの王族の大半と関わってくる家系ですが、女を入れ込むことでその家系をを乗っ取る手法は聖書を読めばユダヤの常套手段であることがわかります。
つまり売春宿で偶然に出会った男女という設定だが、実は入念に仕組まれた婚姻、つまり女系で繋ぐ手法は古代から行われていたことなのです。
日本には斎院・斎宮・斎王制度というのがあります。日本におけるサングリア文書は加茂神社の地下倉庫に保管されているという。我々の知る皇統譜は表向きの資料で本当の血流は全く違うのだろう。
https://blog.goo.ne.jp/palinokuni/e/6e20ca609f08904ac3764deb199c7786
 
 
<補足2>

黒い聖母とは、マグダラのマリア? イシス、ドルイド教の地母神?

更新日:

ヤスナ・グラの聖母

黒い聖母って、ご存知ですか?

なんとなく反キリストなようにイメージしますが、マグダラのマリア、あるいは、ケルト文化圏を中心に信仰されていた地母神と結びついたものともいわれます。

そんな黒い聖母のご紹介です。

決して邪悪なんかじゃない、色々に言い伝えられる黒い聖母の起源とは

 

 

 

黒い聖母

ローレットの聖母

黒い聖母(Black Madonna)、黒い聖処女(Black Virgin)とも呼ばれ、肌の色が黒い聖母の彫刻や絵画、イコンをいいます。

その起源については、幾つもの説があります。

まず、メージするのがマグダラのマリアを崇拝するキリスト教一派が信仰していたとされるというもの。

けれど、本来はキリスト教が布教される以前にオリエント(古代ローマから見て東方にある世界)一帯、主にはケルト文化圏で信仰されていた地母神がキリスト教と習合されたものと考えられます。

黒い聖母は約500体が存在することが知られていますが、そのうちの200体以上がフランスにあり、その大部分は本来の肌の色が黒(褐色)であると考えられます。

その多くが11世紀〜15世紀に製作されたもので、立像については木造り、画像は多くがビザンティンのイコン。

キリスト教の「黒」は死や闇を意味する邪悪なものをイメージし、黒い聖母が存在することが不思議に思われます。

けれど異教文化においての黒は、多くの場合、土着信仰に結びついた豊かな土壌を意味する色

キリスト教の布教にあたり、それまで信仰されていた母なる大地の女神と聖母マリアを結びつけていく必要があったと考えられます。

 

また、一説には聖母マリアは本来は小麦色の肌をしていたという伝承も残されています。

聖母マリアが小麦色の肌であったのを、清楚な印象を強調するために、後に、白いマリア像に変えられていっのではないかとも考えられます。

 

黒い聖母の起源

ラ・モレネータの聖母

黒い聖母の起源についてはいくつもの説があります

ケルト圏ドルイド教の聖母

キリスト教がガリアの地(今のフランス)で信仰されるようになるのは4世紀頃。

それ以前のケルト人はドルイド教を信仰していました

ドルイド教は、霊魂の不滅を信じ、生命や大地といった自然なる神を崇拝しています

黒い聖母像はドルイド教の自然崇拝が行われていた地域に存在します。

ドルイド教では、人里離れた人間が踏み込めない場所を聖地とし、黒い聖母もまた岩のくぼみや洞窟に安置されていました。

ケルト地域では、キリスト以前に信仰されていたドルイド教の地母神である黒い聖母が聖母マリアに結びついたと考えるのが、最も自然で一般的な説となっています。

 

マグダラのマリア

復活のイコン

 

黒いマリア像がマグダラのマリアであるとの伝承はこれまで長く語り継がれています。

イエスの磔刑には三人のマリアが立ち会ったと伝えられています。マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、マリア・サロメ(イエスの弟子)。

磔刑後、三人のマリアとその一行は、パレスチナから小舟に乗せられて追放されます。

一行は地中海を漂流し、南フランスのマルセイユにたどり着きます。

二人のマリアはそこで小舟を降りますが、マグダラのマリアはそのままサント・マリー・ド・ラ・メールまで漂流。そしてフランス南部の山塊サント・ボームに行き着きます。その後サント・ボームの洞窟で隠遁生活をおくり、その地でその後の一生を終えたと伝えられています。

このマグダラのマリアが、ケルト人やロマ(ジプシーの一族)の地母神信仰と結びつけられたと考えられます。

余談ですが、実はテンプル騎士団は、この黒いマリア像(マグダラのマリア)を崇拝していたと考えられ、この説については映画ダヴィンチ・コードでも語られています。

https://waqwaq-j.com/%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8/14332/

 

<補足3>

(17)サングリアル文書、墓、「聖杯の血脈」

「ダビンチ・コード」ダン・ブラウン著
越前敏弥(訳)角川文庫
 
60
(2-P178)ソフィーはティービングが落ち着くのをしばし待った。祖父に関することの多くは、まだ筋が通らない。ようやく口を開いた。「シオン修道会の会員は、サングリアル文書とマグダラのマリヤの墓を守るというつとめをずっと果たしてきたのね」

「そのとおりだが、修道会にはもっと重要な義務もあった。血脈そのものを守ることだ。キリストの子孫は絶えず危険にさらされていた。もし血筋がつづけば、イエスとマグダラのマリヤの秘密がいずれ明るみに出て、神の子たるメシアは女性と交渉を持たなかったという根本的な教義が揺るがされる、と初期の教会が恐れていたからだ」
 
 
60
(2-P179)ティービングは間をとった。「とはいえ、キリストの血脈はフランスでひそかに受け継がれ、やがて五世紀に大胆な動きを示した。フランス王家と姻戚関係を結び、メロウイング朝の王統を創始したのだよ」
5世紀というとミチオ書第1話「皇女ガラ・プラキディア」の時代の話である。アルプスの向こうには、蛮族がいるだけ、まだフランスは存在していない。
 
 
60
(2-P179)ソフィーは驚いた。フランスでは、どんな学生でもメロウイング朝の名を知っている。「メロウイング朝はパリを築いた王朝よ」「そうだ。聖杯伝説がフランスに多いのは、それが理由のひとつだ。バチカンがフランスでおこなった聖杯探求の多くは、実のところ聖なる血脈を消し去ることを隠密の任務としていた。ダゴベルト二世の話を聞いたことがあるかね」
 
 
60
(2-P179)歴史の授業で教わった身の毛もよだつ話にその名前が出てきたのを、おぼろげに思い出した。「メロウイング朝の王ね。寝ているときに目を刺されたんじゃなかった?」「正解だ。バチカンがピピン二世と共謀して暗殺した。七世紀後半のことだ。ダゴベルトの死によってメロウイング朝は途絶えかけたが、幸いにも息子のシギベルト四世がひそかに難を逃れて王家の血を伝え、のちにそこからゴドフロワ・ド・ブイヨン、つまりシオン修道会の創設者が生まれた」
 
シオン修道会とは、1960年代以降のフィクション、ノンフィクションで扱われた秘密結社の名称である。11世紀の中世に遡る歴史を持つと伝えられ、主催者もそのように称したが、その根拠はフランス語で『秘密文書』という名を持つ冊子の記述にあった。 ウィキペディア
設立者: Pierre Plantard
設立: 1956年5月7日
 
60
(2-P179)「その人物こそが」ラングドンが言った。「ソロモン神殿の廃墟からサングリアル文書を発掘するようテンプル騎士団に命じ、メロウイング朝がイエス・キリストの血を引く証拠を手に入れようとしたんだ」ティービングはうなずき、重々しくため息を漏らした。
すでに考察したことだが、テンプル騎士団は、十字軍の貴族から転進した「エルサレム王」からソロモン神殿を拝領したので、その名がある。「廃墟」を拝領するわけがない。だから、その神殿は3回目の神殿なのであろう。最初はソロモン自身の建てたもの、次が帰還のユダヤ人が建てたもの、三回目のそれは「エルサレム王」の建てたものである。これらはいずれも木造であり、イエスの時代のヘロデによる「石造りの神殿」とは違う。
 
60
(2-P180)「今日(こんにち)のシオン修道会は重大な義務を負っている。三重の責任だ。サングリアル文書を守ること。マグダラのマリヤの墓を守ること。そしてもちろん、キリストの血脈、すなわちいまも生き延びているメロウイング王家の後裔を守ること」

http://manga.world.coocan.jp/kiri-20-bungaku-dabinti-koudo-2-17.html

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原子力潜水艦建造計画

2024-03-30 08:05:47 | 独り言

ポスター画像

 

今回は皇統は関係ありません。

1950年代の日本において「原潜」建造計画があったようです。

吉原公一郎著  「腐食の系譜」という書籍のP335~P347に書かれています。

内容は1965年2月7日の衆議院予算委員会において社会党の楢崎弥之助議員が「原子力潜水艦・原子動力装置計画計算書」という文書の存在を明らかにしたというものです。

(この文書をどこから手に入れたのでしょうね?笑。)

ご参考までに。

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