詩話会の参加者は4名で、詩を提出した人は3名でした。
前回までは戦後詩の話をされましたが、今回は萩原朔太郎を紹介されました。
私たちの世代の教科書には萩原朔太郎や金子光春が載っていた。
100年スパン200年スパンで日本の詩をみたら萩原朔太郎みたいなインパクトはない。
言葉レベルでは朔太郎しかいない。
明治生まれ大正時代文学的大成する。昭和17年に亡くなっている。
北原白秋よりモダンである。
現代詩の原型ができている。という話でした。
私のときの教科書には高村光太郎、宮沢賢治、中原中也、佐藤春夫だったと思います。時代によって教科書の詩人も変わっていくのですね。
萩原朔太郎の詩について「蛙の詩」、「竹」、「遺伝」取り上げられて説明されました。
蛙の詩
殺された後に子供がくるからちょっとこわい。
血だらけの手:イメージ状の手。誇張された真っ赤な血を印象付ける。
月が出た:焦点が丘のほうに変わっている。
帽子の下に顔があるといっている:逆に当たり前のことを顔があるといっている。
すわりが悪い。異様のものが露出している感じ。
大正時代に書いている。それまでより詩のレベルをぐっと上げている。
北原白秋は日本の情緒の中にどっぷり浸かっている。
朔太郎は2段階3段階の言葉のレベルの革新をやっている。
都会の中の孤独、憂鬱、現代人の心の病が言語化された。
みんなが思っていたことを言語化できた。
竹
音の面白さ。イメージの面白さ。
3行目の地下に竹の根が生え。:見えないものをイメージで捉えている。
イマジネーションで捉えている。
精神の中の闇、怯えを象徴的に捉えている。
現代人の精神的不安。ストレスの中でプレッシャーを感じている。
都会人の憂鬱を白秋が書いたらノスタルジーの世界。
いまだに説得力をもつ朔太郎と白秋の断裂
この病的な感覚に湿度が高くなると。なめかしい墓場
遺伝
映画的な一場面。病的で繊細な感覚イマジネーションで見る。
今、聞いてもすごい。
不思議な親子の会話が効いている。
オトマトペの異様。
作者の怯えが投影されている。
オノマトペと不気味な会話が効いている。
言語感覚が圧倒的。圧倒的な言語感覚。
あとで古典回帰する。
漢文読み下しだんだん書かなくなる。
前期から中期の朔太郎の活躍は文壇の中で特筆的なものである。
質問:なにゆえ言語感覚をもちえたか。
裕福な家庭だったので教養人であった。
山村 暮鳥、室生犀星と仲が良かった。
にんぎょ詩社という同人誌みたいなものを作る。
室生犀星、山村 暮鳥、の前衛的なものをいいとこどりしている。
山村暮鳥「だんす」「囈語]の中に書かれている強盗喇叭
強盗と喇叭は、なかなかむすびつかない。
朔太郎以上に革新的なことをする。
朔太郎はそれをじっとみていていいとこどりした。
山村 暮鳥
アバンギャルドな詩を書く。
モダニズムな詩を書く
このあとキリスト教に変わり、やさしい詩、キリスト教的なものに変わり、革新的なものは朔太郎に継承されていく。
ダダイズム。シュルレアリスム。ロシア構成主義など
当時外国からいっぺんに入ってきた。
※自分のオリジナルではないけど朔太郎は自分を表現するため、その中からピックアップしていった。
当時映画が始まる。
映画で世界の状況がわかってきた。
ロンドンの人はこんな馬車に乗りドレスを着て歩いているという姿がわかった。
映画的な言語:殺人事件
銃声が鳴る。
床にうつってフローリングがあり、いきなり死体をうつさないで、まず、指と指の間を写し、画面をひいて女の死体がでてくる。
映画の2シーンを言語化している。
※映像の効果を言語で表現している。
朔太郎が30年前にうまれていたらこれまでになっていなかった。
当時ものすごい勢いで言語が変わっていく。
言文一致運動、落語から口述筆記して書いたのが二葉亭 四迷。
書きたいことがあるのに書く言葉がない。
落語は話し言葉で説明するのにそれを文にすると話し言葉だけになり、ずっとしゃべくり文体になる。薄い言葉になって深淵を説明できなくなる。文と言葉に分かれた文学になってしまった。
別格な存在:森鴎外(大天才)、夏目漱石(今風な作品)
みんなが悪戦苦闘していた時わらっていたのでは2人は。
朔太郎は面白い人なので味わって読んでください。ということでした。
今回の合評は3名でした。
さんま 夏野さん
いつもの夏野さんの詩ではないようでどきどきした。
さんまは大衆魚で日常感がある。
発話者は若い人なのにオジサン的な話。
夏野さんの詩は女の子の詩なのが日常に降りてきたような詩。面白い。
穢土 網野さん
今日読んで完成度が高い。すごくうまい。
日常から入っていくけど日常でない。
穢土という言葉は神話を感じさせる。永遠に繰り返される。
完成されていて破綻がない。なんか好きです。
世界観が感じられる。勢いがある文章。最後までスピード感があり、連れて行く力が強い。
イメージを喚起するうまいで出し。
脚立を買う。自立しているイメージ。
観覧車を1人で乗っている。一人で生きているイメージ。
大変良い作品にしやがったと思う。
散文的なものがただの散文になっていない。詩になっている。
そこに語られていることが響きあって深い意味が出ている。
ただ単におじさんやおばさんの話になっていない。
夏野さんはいつもと違う雰囲気の詩でした。網野さんの詩は完成度が高くいっきに読ませる詩でした。皆さん毎回いろんな詩を書かれてこられるので本当に勉強になります。
そして私のほうは梅雨という詩をだしました。
合評
梅雨でしょうか。
あくまで梅雨という題ではない。
今日も降り続けるのだろう。
読もうと思うとき。
泥色だから色がないのかと。
終わったのだ疑問形。
止むと、已むの違いは。
音がないほうが、世界観がでたのでは。
6連が破綻している。
普段と違うことが起きている。
普遍的な。
もったいない。
文法とか時間軸を。
時々気になるのは、レゴブロックでパーツが少ない。
そこはマッキーさんしかみてないものとか経験したものとかだしては。
他のイメージと響きあってない。
世界観がすき。
日常が自分の他の場所で起きている。
梅雨なの。
面白いとこは。いきました いきましょうか。
静止画なんだけど時を刻んでいる。
家というのがあって明日があるのが無くなる。
変わらないと思っていたものが変わっていくのはいつなんだろう。
何かとはなんでしょうか。
トライしたなあというのはわかる。
ちょっと消化不良になった。
この詩は二つの流れがある。
一つは雨が降っている流れの中で、日常が泥色に流されていく。
もう一つは泥色に染められていく中で、自分が混乱していく。
バグっていくそのことを表現している。
終わったなあと立ち止まっている。
3連目はうまい。具体的に出ている。ここはよかったけど。
写真の中とガラスの枠の中が読者に伝わりにくい。
切り取られた写真が最後に出ているが最初の切り取られたものと同じなのか。
最後の何でメールがでてくるのか。意味があるのか。
なぞがなぞを呼ぶ。
バグッた時間はわかるけど。
唐突にメールがでているのですわりが悪い。
仕掛けがあればよかった。前に。
何かを探し立ち止まっている。
もうちょっと踏み込めばよかった。
一緒なのか。どっちなのか。
切り取られた写真が出ているが混同しやすい。
言い回しを工夫すると良い。
二つの要素がごちゃ混ぜになっている。
整理したり、工夫したりする。という合評でした。
タイトルはいつもいまいちなので、どうしたらいいか質問しました。
こんな風に書いていけばもっと象徴的なタイトルになるもの、ということで
みんなにタイトルを考えてもらいました。
時の雨、ながされるもの、雨のしたで
塗りつぶされていく時間。
時の泥。無機質なタイトル。バグっている。バグっているタイトル。
造語を考える。
長いタイトルも良い。
作者の中でぐだぐだと書いてみるのもありかなあ。
ライトノベルも長いタイトルがついている。
ということでした。ありがとうございます。頑張って長いタイトルつけてみます。
今回の梅雨の大雨のイメージで書きましたが未完成のものでした。
同じ大雨の時のことを、なわての会の上ポンさんも書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/037665ce7b5dcbd114ff89decd6bd8d1
さすが完成された詩ですね。
今回は梅雨でした。6月の時は紫陽花でした。この二つの詩を7月29日の福岡ポエトリーで朗読しました。(福岡ポエトリーは2周年でした。これからもよろしくお願いします。)
真面目な詩でイマイチの反応でした。朗読もカミカミですからね。
ある人は連がイメージでつながっている。平安からの伝統的な手法ですね。といわれました。もう1人の人はなわての会の詩集に書いた詩はよかったといってくれました。光るもがあるでも長いと言われました。
ありがとうございます。これからも頑張って書いていきたいですね。
前回までは戦後詩の話をされましたが、今回は萩原朔太郎を紹介されました。
私たちの世代の教科書には萩原朔太郎や金子光春が載っていた。
100年スパン200年スパンで日本の詩をみたら萩原朔太郎みたいなインパクトはない。
言葉レベルでは朔太郎しかいない。
明治生まれ大正時代文学的大成する。昭和17年に亡くなっている。
北原白秋よりモダンである。
現代詩の原型ができている。という話でした。
私のときの教科書には高村光太郎、宮沢賢治、中原中也、佐藤春夫だったと思います。時代によって教科書の詩人も変わっていくのですね。
萩原朔太郎の詩について「蛙の詩」、「竹」、「遺伝」取り上げられて説明されました。
蛙の詩
殺された後に子供がくるからちょっとこわい。
血だらけの手:イメージ状の手。誇張された真っ赤な血を印象付ける。
月が出た:焦点が丘のほうに変わっている。
帽子の下に顔があるといっている:逆に当たり前のことを顔があるといっている。
すわりが悪い。異様のものが露出している感じ。
大正時代に書いている。それまでより詩のレベルをぐっと上げている。
北原白秋は日本の情緒の中にどっぷり浸かっている。
朔太郎は2段階3段階の言葉のレベルの革新をやっている。
都会の中の孤独、憂鬱、現代人の心の病が言語化された。
みんなが思っていたことを言語化できた。
竹
音の面白さ。イメージの面白さ。
3行目の地下に竹の根が生え。:見えないものをイメージで捉えている。
イマジネーションで捉えている。
精神の中の闇、怯えを象徴的に捉えている。
現代人の精神的不安。ストレスの中でプレッシャーを感じている。
都会人の憂鬱を白秋が書いたらノスタルジーの世界。
いまだに説得力をもつ朔太郎と白秋の断裂
この病的な感覚に湿度が高くなると。なめかしい墓場
遺伝
映画的な一場面。病的で繊細な感覚イマジネーションで見る。
今、聞いてもすごい。
不思議な親子の会話が効いている。
オトマトペの異様。
作者の怯えが投影されている。
オノマトペと不気味な会話が効いている。
言語感覚が圧倒的。圧倒的な言語感覚。
あとで古典回帰する。
漢文読み下しだんだん書かなくなる。
前期から中期の朔太郎の活躍は文壇の中で特筆的なものである。
質問:なにゆえ言語感覚をもちえたか。
裕福な家庭だったので教養人であった。
山村 暮鳥、室生犀星と仲が良かった。
にんぎょ詩社という同人誌みたいなものを作る。
室生犀星、山村 暮鳥、の前衛的なものをいいとこどりしている。
山村暮鳥「だんす」「囈語]の中に書かれている強盗喇叭
強盗と喇叭は、なかなかむすびつかない。
朔太郎以上に革新的なことをする。
朔太郎はそれをじっとみていていいとこどりした。
山村 暮鳥
アバンギャルドな詩を書く。
モダニズムな詩を書く
このあとキリスト教に変わり、やさしい詩、キリスト教的なものに変わり、革新的なものは朔太郎に継承されていく。
ダダイズム。シュルレアリスム。ロシア構成主義など
当時外国からいっぺんに入ってきた。
※自分のオリジナルではないけど朔太郎は自分を表現するため、その中からピックアップしていった。
当時映画が始まる。
映画で世界の状況がわかってきた。
ロンドンの人はこんな馬車に乗りドレスを着て歩いているという姿がわかった。
映画的な言語:殺人事件
銃声が鳴る。
床にうつってフローリングがあり、いきなり死体をうつさないで、まず、指と指の間を写し、画面をひいて女の死体がでてくる。
映画の2シーンを言語化している。
※映像の効果を言語で表現している。
朔太郎が30年前にうまれていたらこれまでになっていなかった。
当時ものすごい勢いで言語が変わっていく。
言文一致運動、落語から口述筆記して書いたのが二葉亭 四迷。
書きたいことがあるのに書く言葉がない。
落語は話し言葉で説明するのにそれを文にすると話し言葉だけになり、ずっとしゃべくり文体になる。薄い言葉になって深淵を説明できなくなる。文と言葉に分かれた文学になってしまった。
別格な存在:森鴎外(大天才)、夏目漱石(今風な作品)
みんなが悪戦苦闘していた時わらっていたのでは2人は。
朔太郎は面白い人なので味わって読んでください。ということでした。
今回の合評は3名でした。
さんま 夏野さん
いつもの夏野さんの詩ではないようでどきどきした。
さんまは大衆魚で日常感がある。
発話者は若い人なのにオジサン的な話。
夏野さんの詩は女の子の詩なのが日常に降りてきたような詩。面白い。
穢土 網野さん
今日読んで完成度が高い。すごくうまい。
日常から入っていくけど日常でない。
穢土という言葉は神話を感じさせる。永遠に繰り返される。
完成されていて破綻がない。なんか好きです。
世界観が感じられる。勢いがある文章。最後までスピード感があり、連れて行く力が強い。
イメージを喚起するうまいで出し。
脚立を買う。自立しているイメージ。
観覧車を1人で乗っている。一人で生きているイメージ。
大変良い作品にしやがったと思う。
散文的なものがただの散文になっていない。詩になっている。
そこに語られていることが響きあって深い意味が出ている。
ただ単におじさんやおばさんの話になっていない。
夏野さんはいつもと違う雰囲気の詩でした。網野さんの詩は完成度が高くいっきに読ませる詩でした。皆さん毎回いろんな詩を書かれてこられるので本当に勉強になります。
そして私のほうは梅雨という詩をだしました。
合評
梅雨でしょうか。
あくまで梅雨という題ではない。
今日も降り続けるのだろう。
読もうと思うとき。
泥色だから色がないのかと。
終わったのだ疑問形。
止むと、已むの違いは。
音がないほうが、世界観がでたのでは。
6連が破綻している。
普段と違うことが起きている。
普遍的な。
もったいない。
文法とか時間軸を。
時々気になるのは、レゴブロックでパーツが少ない。
そこはマッキーさんしかみてないものとか経験したものとかだしては。
他のイメージと響きあってない。
世界観がすき。
日常が自分の他の場所で起きている。
梅雨なの。
面白いとこは。いきました いきましょうか。
静止画なんだけど時を刻んでいる。
家というのがあって明日があるのが無くなる。
変わらないと思っていたものが変わっていくのはいつなんだろう。
何かとはなんでしょうか。
トライしたなあというのはわかる。
ちょっと消化不良になった。
この詩は二つの流れがある。
一つは雨が降っている流れの中で、日常が泥色に流されていく。
もう一つは泥色に染められていく中で、自分が混乱していく。
バグっていくそのことを表現している。
終わったなあと立ち止まっている。
3連目はうまい。具体的に出ている。ここはよかったけど。
写真の中とガラスの枠の中が読者に伝わりにくい。
切り取られた写真が最後に出ているが最初の切り取られたものと同じなのか。
最後の何でメールがでてくるのか。意味があるのか。
なぞがなぞを呼ぶ。
バグッた時間はわかるけど。
唐突にメールがでているのですわりが悪い。
仕掛けがあればよかった。前に。
何かを探し立ち止まっている。
もうちょっと踏み込めばよかった。
一緒なのか。どっちなのか。
切り取られた写真が出ているが混同しやすい。
言い回しを工夫すると良い。
二つの要素がごちゃ混ぜになっている。
整理したり、工夫したりする。という合評でした。
タイトルはいつもいまいちなので、どうしたらいいか質問しました。
こんな風に書いていけばもっと象徴的なタイトルになるもの、ということで
みんなにタイトルを考えてもらいました。
時の雨、ながされるもの、雨のしたで
塗りつぶされていく時間。
時の泥。無機質なタイトル。バグっている。バグっているタイトル。
造語を考える。
長いタイトルも良い。
作者の中でぐだぐだと書いてみるのもありかなあ。
ライトノベルも長いタイトルがついている。
ということでした。ありがとうございます。頑張って長いタイトルつけてみます。
今回の梅雨の大雨のイメージで書きましたが未完成のものでした。
同じ大雨の時のことを、なわての会の上ポンさんも書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/037665ce7b5dcbd114ff89decd6bd8d1
さすが完成された詩ですね。
今回は梅雨でした。6月の時は紫陽花でした。この二つの詩を7月29日の福岡ポエトリーで朗読しました。(福岡ポエトリーは2周年でした。これからもよろしくお願いします。)
真面目な詩でイマイチの反応でした。朗読もカミカミですからね。
ある人は連がイメージでつながっている。平安からの伝統的な手法ですね。といわれました。もう1人の人はなわての会の詩集に書いた詩はよかったといってくれました。光るもがあるでも長いと言われました。
ありがとうございます。これからも頑張って書いていきたいですね。