詩トークSAGA

詩トークSAGAのブログ(自作詩を朗読する会)旧なわての会

もう11月なのに7月の詩話会

2012年10月28日 | 日記
詩話会の参加者は4名で、詩を提出した人は3名でした。
前回までは戦後詩の話をされましたが、今回は萩原朔太郎を紹介されました。
私たちの世代の教科書には萩原朔太郎や金子光春が載っていた。
100年スパン200年スパンで日本の詩をみたら萩原朔太郎みたいなインパクトはない。
言葉レベルでは朔太郎しかいない。
明治生まれ大正時代文学的大成する。昭和17年に亡くなっている。 
北原白秋よりモダンである。
現代詩の原型ができている。という話でした。
私のときの教科書には高村光太郎、宮沢賢治、中原中也、佐藤春夫だったと思います。時代によって教科書の詩人も変わっていくのですね。

萩原朔太郎の詩について「蛙の詩」、「竹」、「遺伝」取り上げられて説明されました。

蛙の詩

殺された後に子供がくるからちょっとこわい。
血だらけの手:イメージ状の手。誇張された真っ赤な血を印象付ける。
月が出た:焦点が丘のほうに変わっている。
帽子の下に顔があるといっている:逆に当たり前のことを顔があるといっている。
すわりが悪い。異様のものが露出している感じ。
大正時代に書いている。それまでより詩のレベルをぐっと上げている。
北原白秋は日本の情緒の中にどっぷり浸かっている。
朔太郎は2段階3段階の言葉のレベルの革新をやっている。
都会の中の孤独、憂鬱、現代人の心の病が言語化された。
みんなが思っていたことを言語化できた。


音の面白さ。イメージの面白さ。
3行目の地下に竹の根が生え。:見えないものをイメージで捉えている。
イマジネーションで捉えている。
精神の中の闇、怯えを象徴的に捉えている。
現代人の精神的不安。ストレスの中でプレッシャーを感じている。
都会人の憂鬱を白秋が書いたらノスタルジーの世界。
いまだに説得力をもつ朔太郎と白秋の断裂
この病的な感覚に湿度が高くなると。なめかしい墓場


遺伝
映画的な一場面。病的で繊細な感覚イマジネーションで見る。
今、聞いてもすごい。
不思議な親子の会話が効いている。
オトマトペの異様。
作者の怯えが投影されている。
オノマトペと不気味な会話が効いている。
言語感覚が圧倒的。圧倒的な言語感覚。
あとで古典回帰する。
漢文読み下しだんだん書かなくなる。
前期から中期の朔太郎の活躍は文壇の中で特筆的なものである。

質問:なにゆえ言語感覚をもちえたか。
裕福な家庭だったので教養人であった。

山村 暮鳥、室生犀星と仲が良かった。
にんぎょ詩社という同人誌みたいなものを作る。
室生犀星、山村 暮鳥、の前衛的なものをいいとこどりしている。

山村暮鳥「だんす」「囈語]の中に書かれている強盗喇叭
強盗と喇叭は、なかなかむすびつかない。
朔太郎以上に革新的なことをする。
朔太郎はそれをじっとみていていいとこどりした。
山村 暮鳥
アバンギャルドな詩を書く。
モダニズムな詩を書く
このあとキリスト教に変わり、やさしい詩、キリスト教的なものに変わり、革新的なものは朔太郎に継承されていく。
ダダイズム。シュルレアリスム。ロシア構成主義など
当時外国からいっぺんに入ってきた。
※自分のオリジナルではないけど朔太郎は自分を表現するため、その中からピックアップしていった。
当時映画が始まる。
映画で世界の状況がわかってきた。
ロンドンの人はこんな馬車に乗りドレスを着て歩いているという姿がわかった。

映画的な言語:殺人事件
銃声が鳴る。
床にうつってフローリングがあり、いきなり死体をうつさないで、まず、指と指の間を写し、画面をひいて女の死体がでてくる。
映画の2シーンを言語化している。
※映像の効果を言語で表現している。

朔太郎が30年前にうまれていたらこれまでになっていなかった。
当時ものすごい勢いで言語が変わっていく。

言文一致運動、落語から口述筆記して書いたのが二葉亭 四迷。
書きたいことがあるのに書く言葉がない。
落語は話し言葉で説明するのにそれを文にすると話し言葉だけになり、ずっとしゃべくり文体になる。薄い言葉になって深淵を説明できなくなる。文と言葉に分かれた文学になってしまった。


別格な存在:森鴎外(大天才)、夏目漱石(今風な作品)
みんなが悪戦苦闘していた時わらっていたのでは2人は。

朔太郎は面白い人なので味わって読んでください。ということでした。

今回の合評は3名でした。
さんま    夏野さん
いつもの夏野さんの詩ではないようでどきどきした。
さんまは大衆魚で日常感がある。
発話者は若い人なのにオジサン的な話。
夏野さんの詩は女の子の詩なのが日常に降りてきたような詩。面白い。

穢土   網野さん
今日読んで完成度が高い。すごくうまい。
日常から入っていくけど日常でない。
穢土という言葉は神話を感じさせる。永遠に繰り返される。
完成されていて破綻がない。なんか好きです。
世界観が感じられる。勢いがある文章。最後までスピード感があり、連れて行く力が強い。
イメージを喚起するうまいで出し。
脚立を買う。自立しているイメージ。
観覧車を1人で乗っている。一人で生きているイメージ。
大変良い作品にしやがったと思う。
散文的なものがただの散文になっていない。詩になっている。
そこに語られていることが響きあって深い意味が出ている。
ただ単におじさんやおばさんの話になっていない。

夏野さんはいつもと違う雰囲気の詩でした。網野さんの詩は完成度が高くいっきに読ませる詩でした。皆さん毎回いろんな詩を書かれてこられるので本当に勉強になります。

そして私のほうは梅雨という詩をだしました。
合評
梅雨でしょうか。
あくまで梅雨という題ではない。
今日も降り続けるのだろう。
読もうと思うとき。
泥色だから色がないのかと。
終わったのだ疑問形。
止むと、已むの違いは。
音がないほうが、世界観がでたのでは。
6連が破綻している。
普段と違うことが起きている。
普遍的な。
もったいない。
文法とか時間軸を。
時々気になるのは、レゴブロックでパーツが少ない。
そこはマッキーさんしかみてないものとか経験したものとかだしては。
他のイメージと響きあってない。
世界観がすき。
日常が自分の他の場所で起きている。

梅雨なの。
面白いとこは。いきました いきましょうか。
静止画なんだけど時を刻んでいる。
家というのがあって明日があるのが無くなる。
変わらないと思っていたものが変わっていくのはいつなんだろう。
何かとはなんでしょうか。

トライしたなあというのはわかる。
ちょっと消化不良になった。
この詩は二つの流れがある。
一つは雨が降っている流れの中で、日常が泥色に流されていく。
もう一つは泥色に染められていく中で、自分が混乱していく。
バグっていくそのことを表現している。
終わったなあと立ち止まっている。
3連目はうまい。具体的に出ている。ここはよかったけど。
写真の中とガラスの枠の中が読者に伝わりにくい。
切り取られた写真が最後に出ているが最初の切り取られたものと同じなのか。
最後の何でメールがでてくるのか。意味があるのか。
なぞがなぞを呼ぶ。
バグッた時間はわかるけど。
唐突にメールがでているのですわりが悪い。
仕掛けがあればよかった。前に。
何かを探し立ち止まっている。
もうちょっと踏み込めばよかった。
一緒なのか。どっちなのか。
切り取られた写真が出ているが混同しやすい。
言い回しを工夫すると良い。
二つの要素がごちゃ混ぜになっている。
整理したり、工夫したりする。という合評でした。

タイトルはいつもいまいちなので、どうしたらいいか質問しました。

こんな風に書いていけばもっと象徴的なタイトルになるもの、ということで
みんなにタイトルを考えてもらいました。
時の雨、ながされるもの、雨のしたで
塗りつぶされていく時間。
時の泥。無機質なタイトル。バグっている。バグっているタイトル。
造語を考える。
長いタイトルも良い。
作者の中でぐだぐだと書いてみるのもありかなあ。
ライトノベルも長いタイトルがついている。

ということでした。ありがとうございます。頑張って長いタイトルつけてみます。
今回の梅雨の大雨のイメージで書きましたが未完成のものでした。

同じ大雨の時のことを、なわての会の上ポンさんも書かれています。
http://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/037665ce7b5dcbd114ff89decd6bd8d1
さすが完成された詩ですね。

今回は梅雨でした。6月の時は紫陽花でした。この二つの詩を7月29日の福岡ポエトリーで朗読しました。(福岡ポエトリーは2周年でした。これからもよろしくお願いします。)
真面目な詩でイマイチの反応でした。朗読もカミカミですからね。
ある人は連がイメージでつながっている。平安からの伝統的な手法ですね。といわれました。もう1人の人はなわての会の詩集に書いた詩はよかったといってくれました。光るもがあるでも長いと言われました。
ありがとうございます。これからも頑張って書いていきたいですね。

9月9日佐賀城本丸歴史館で第12回詩の朗読会

2012年09月09日 | 日記
9月9日佐賀城本丸歴史館で第12回詩の朗読会を開催しました。

宮木さん、上原さん、大月さんお疲れ様でした。
上原さん佐賀城本丸歴史館の手続き、いつもありがとうございます。
詩の朗読会の連絡やパンフレットなど大変だったと思います。
これから長く続けていくためには、上原さん、宮木さんの負担が少なくなるようにしなくてはいけませんね。
詩の朗読会の手続きを含めて全工程を見直しながら、金額がどのくらいかかるかも考えながら、来年もできるように頑張りたいですね。

上原さんがいわれていた喫茶店で定期的にできる朗読会もいいですね。

今回の詩の朗読会の参加者は14名でした。
30代から80代まで幅広い年齢の人が参加してくれました。
それと大分からにぎにぎさんとみえみえさんが参加してくれました。
大分から2時間半かけてきてくれています。本当にありがとうございます。
それと佐賀の詩ボクのときに参加してくれたMさんがひさしぶりに参加してくれました。今回はラップではなかったけど力強い朗読でパワーで押していく朗読でした。また来年もよろしくお願いします。
詩ボクの長崎大会に出場された公歩さんも来てくれました。
なつかしい顔ぶれと朗読に感銘しました。
これからもよろしくお願いします。

私も朗読しましたが声が小さくてテンポが速かったそうです。
ゆっくりと朗読したほうがイメージが伝わったのではと講評をうけました。
詩の内容もいまいちでしたね。
福岡ポエトリーでも朗読した「漂う世界の中で」(お風呂の詩)を朗読しました。福ポエでもイマイチの反応でしたので書き直しましたが、それでもダメでしたね。
同じお風呂の詩ですけど、こちらはさすがに深いですね。

http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2012-09-06-10488.html
来年こそは大きな声でゆっくりと深みがある詩を朗読したいですね。

詩の朗読会のお誘い

2012年08月28日 | 日記
来月、詩の朗読会を佐賀城本丸歴史館(二之間) で開催します。
みなさん参加しませんか。
 
自分の思いを言葉にする喜びを再び体験しませんか。
出場される方は、自作詩2編をご用意下さい。(一編 3分以内)
日 時 2012年9月9日(日) 午後1時30分開始
                (出場者は13時00分までにご集合下さい)
会 場 佐賀城本丸歴史館(二之間)
参加者 500円(高校生以下 無料)
応援者 無料 主催 なわての会
連絡先 佐賀市新中町4-5 上原 宮木 TEL(0952)31-0742 FAX(0952)32-3970
 
 
皆さん、是非参加してください、よろしくお願いします。

6月17日紫陽花の詩話会

2012年08月05日 | 日記
6月の詩話会はTさんの友達のNさんがまた来てくれました。参加者は5人でした。
Nさんは新しい詩を持ってきました。どんな詩でしょうか。
今回は新川和江の「PRAYER」「断章」「うた」「わたしを束ねないで」を紹介されました。
前回は連合赤軍の前後の詩を比べたものでした。今回はその時代の女性の詩人をとりあげ、話をされました。
「PRAYER」
西条八十に師事。
若くして結婚した。24歳の時の詩集。こういう戦後詩のながれがあった。24歳の若い詩。
すごくうまいわけではない。ここではすべてが受身。自分の小さな平和。自分の身の回りの平穏を守る。社会的な意味はない。非社会的。小庶民的。社会的受身の姿。
「断章」
叙情性に対する感受性がすぐれている。言葉のセンスがある。
伝統的な叙情性。価値観。女性の中の豊かさ。社会的視点はない。
戦前と変わらない叙情性と価値観をもっている。地続きにつながっている。
「わたしを束ねないで」
彼女が持っている世界の捉え方。言葉のセンスがよい。年をとって熟成されてきた。
良い形で言語化している。無茶苦茶うまい。レトリックの達人。言葉の選び方。構成のうまさ。豊かな比喩で女性的感性を解放してくれた。
お嫁さんになるのが当たり前の時代であった。政治的主張がない人。
表現の美しさ豊かさを学ぶべき。レトリックがうまい。手本にして良い。
彼女がはたした役割はおおきい。(女性の同人誌)
読みやすい詩。お手本にして良い。これだけを真似したらいけない。劣化コピーになってしまう。
参考:http://www.30ans.com/specialtalk/backnumber/okaasan201008.html
合評:5人で朗読した後全員で講評しました。
私は「紫陽花」という詩を出しました。
講評は作風がかわっている。紫陽花が自分。あじさいは初めが白でそれから色がだんだん変わってくる。
気遣い屋さんと嗤うと最終連の嗤うは意味が違うのでは。
保存を知らない僕は・・・がよかった。

自分をまじかにみつめている。反射して。
それに人が出てきたのがよかった。
現実は人に馬鹿にされているのにガラスを通して・・・。
2枚目が拙い。紫陽花は色が変わっていく。紫陽花にする必然性があったのか。

ビル、ガラス、新規保存がメタルぽっい。タイトルがメタルチックでない。

とうとつに思えた。新規保存に・・・いきなりいっている。
紫陽花が色が変わるからそれでいいのか。
紫陽花に限定したらもったいない。

今日も街が泣いているは不用意な紋切り型。読者が引く。歌謡曲になっている。高倉健の世界。
ガラスに流れる水滴などは言葉を選ばないといけない。紋切り型の言葉になっているところがいくつもある。
自分自身の存在感をあらわしている。
紫陽花にたくした。自分をみつめる自身
保存を知らない僕。わかりやすい表現をしている所を工夫している。
灰色の都市で青が嗤っている。必然性がない、嗤うになっている。泣いているに対比させているのか。
どこかで深めなくてはいけない。深まらないところが不満。
対人関係を出す。花言葉の移り気をつかっていく。公園のあじさいなど使っていく。 という講評でした。

街が泣いているは、5月の詩話会で言われた、他人のように読んでみるということをやってないですね。言葉を選び推敲していかないといけませんね。

Nさんの詩は暗闇の中での不安を表現されていて、身体的な感覚が良い作品でした。是非、また参加してください。
夏野さんは手という身体感覚を使いながら時を表現されている詩でした。
Tさんは死をめぐる想いが母と娘と違うが最終連で一致する詩でした。
(参考として黒田善夫「毒虫飼育」をあげられました。)
網野さんは、街の中に飛びかっている雑多な言葉をパッチワークにみたててつなぎ合わせている詩でした。(網野さんはこの詩を当日の朝作られたそうです。すごいですね。)
みなさん構成や流れがしっかりしているうまい作品で、高度な作品になっていました。レベルがあがっていくのでついていけるか心配ですね。

5月20日冷泉詩話会

2012年07月02日 | 日記
詩話会の参加者は5名で、初めて参加された人は1名でした。男性で演劇をやっているということでした。男性参加者は、3月、4月は私1人だけだったので1人でも増えてくれるのはうれしいですね。
今回は清水昶の詩集「朝の道」1971年刊から「悲傷の椅子」と詩集「野の舟」1974年刊から「野の舟」を取り上げられました。
時代背景:エキスポ70が未来の近代的イメージを作り出し、ポジティブな未来を創造させた。
マルクス・レーニン主義が正しい方向に導いてくれる。左翼思想と左翼思想からの挫折。
60年安保と70年安保の挫折。資本主義の牙城が崩れなかった。理想がないのに戦わざるをえなかった。自己破壊していく。内部破壊していく。主張はわかるけどやりすぎではと思ってきた。1972連合赤軍の事件があり、これから心が離れていくあまりにも強烈だったから。自分たちのチームの中で粛清していった。些細なことでリンチをする。人間性が失われていく。シンパシーのある人が急激に活動をやめていく。
1971年「悲傷の椅子」
拘束されている。囲まれている圧迫感。戦うファイティングポーズはとっている。まだ戦えるといっている。厳しい戦い。何かまだ生み出せると思っている。
断定の意味が出てくる。断定的言葉が強い。アジテータする。人を煽ることが出来る。
アジルものがなくなったらリアリティがなくなる。
1974年「野の舟」
死のイメージ。安らぎ。年若い人や自分自身。弟に語りかけている。弟は観念的なもの。絵として美しい。
彼自身が引き裂かれた挫折の後に。崖下に転げ落ちるように。
老成した。花火のように時代を駆け抜けた。
ゴールに動いてない。進んでない。真直ぐに進めない感覚。引き裂かれていく。徒労感や
非痛感を捉えれば良い。細かい解釈は良い。論理的に書かれてないから。
豊かなイメージ。トマトのように健康的に育ってきているイメージ。
理想を持って生き生きしている人。左翼主義の村落共同体。農村主義。ユートピア。
原風景にあるが元に戻れない。
いびつにしか進めない。
自虐的に居座っている。理想に向かって挫折した。
参加者の講評
弟は死んでいるのか。進む方向と違う方向に観念が向かっている。
「野の舟」は感情で書いている。こころのあるまま。「悲傷の椅子」は自分を持って書いている。
水面の上下で反面している。
大人とは傷ついた青年。覚めないことの幸せ。
やさしいマイホーム的な現代的なイメージ。
取り残されている自分の状況をイメージしている。
参考http://shiika.sakura.ne.jp/daily_poem/2011-12-14-4496.html

今回は3人が詩を提出し朗読しました。
合評:私の詩は4月に出したものを書き換えたもので「僕という自分の色彩の下に」というタイトルでしたが。
まずタイトルがどたばたしてよくない。象徴的なタイトルにする。
読み終わったらいいなあと思うものにする。ということでした。
このあと「淡月」にかえましたがどうでしょうか。
詩の真ん中に黄色で書かれた「黄色い大地に」。ここでは、自分の伝えたいものを出していくとか他人のように読んで展開していく。悪乗りして良い。深読み。
最後の個所は、すごいというのはわかるがそこまでしなくていい。
いくつかの色を大事にしていく黄、漆黒、瑠璃色など。大事にしていくと説得力がある。
色彩で押しているのに声をだしている。声をだすなら受けなくてはいけない。
桜のとこでも渚がでている。渚を本当にだすなら受けなくてはいけない。
自分が書いたあと他人のように読んでみる。ということでした。

その他には、黄色い部分は色の効果がある。どれだけ気持ちをこめているか。(象徴的に書いたので、みんなのイメージが膨らむように、だからそんなに気持ちをこめてなかったですね。)
刷り込まれたイメージを色で表現している。ゆったりした中ですごしている自分がかわれないせつなさ。黄色が夜に月が出ているイメージ。日本画をみて視覚的追求をしてほしい。

僕は観念的なもの自分は物体的な存在。黄色い大地に目がいった。公園のことか。幼いときの光り輝いていたときの大地のイメージ。大人になることは規定されることなのか。

自分なかに瓶の記憶。フィルターをはずしたいけどはずせない。自分は空き瓶なのかな。
黄色い大地と月はこの人にとって幸運なものなのだ。瓶の真っ黒があかるくなる。
色をたさせる。黒に光をたさせると白くなる。
ゴッホのイマージュなのかな。(あとで考えると星月夜のイメージですかね)

そして、あとの二人の作品は夏野さんは数珠玉を風船でイメージされた詩で、網野さんはある詩人宛ての手紙のような詩でした。皆さん新しいことにチャレンジされてくるのでびっくりしますね。
わたしも頑張らないといけませんね。