いろんな話をし、いろいろと料理をつまんだ。そして杯は進んだ。
すると、その「わたしより5歳くらい年長の」連れはまず景色を褒めだした。
連「いい眺めやなあ」
私「そうですか?曇ってますよ?」
そのビルは近辺でも初めにできて当時は高層ビルと言われたが、今ではもっと高いビルに囲まれていてしかも曇天で、屋上とはいえそんなに解放感は感じられなかったのです。
(こんな空だった)
連「いやあ、じつはなあ、」と、目の前に大きくそびえているホテルを指さしてその人は言った。
連「ここのホテルで結婚式やったんや」
私「ああ、それで、この場所に思い出があるのですね」
連「いやあ、それほどでもないけどな・・・」と言いつつ、やはりうれしそうな顔をしている。
私「結婚って、大変じゃないですか?」
私は独身だし、当時の彼を見ていると失礼ながらそんなに給料も高くなさそうだし、晩婚だったらしく、歳のわりには小さい娘さん(小学校に上がる前の子が)三人いらっしゃって、僕はそんなことも思いながら訊いたんです。
すると、その連、曰く、
連「何で大変なん? 結婚したら奥さんもおるし、そのおかげで、かわいい娘が三人もおるんやで! ありがたい話やんか!」と。
いつも職場ではなんだか「お道化た」ような振る舞いをして、どちらかと言えば「できない奴」みたいに扱われていた彼が、
この時は真顔で(でも笑いながら)そう言ったのである。
「幸せ」って、こういうことなのかと、若造の私は偉そうにもそう思った。この人はすごく「自分を持っている人だ」と思った。
ふと気が付くと、その連は、ビールを1杯半くらいしか飲んでいない。
私「ビールがすすんでないみたいですが、○○さんはお酒弱いんでしたっけ?」
連「いやいや、ちがうねん。飲むときは飲むけどな、今日はもう、これだけで幸せやねん」
私「え?もっと飲みたいとか思わないのですか?」
連「そう。幸せになったら、もう、飲まんでもええやんか」
私「ジョッキ1杯半で、もう、いいんですか?」
連「そうそう。きょうは佐倉さんと一緒に話ができて、思わず結婚式の場所も見られて、それから料理も旨いし、本当にもう嬉しいし幸せやねん」
連「本当に、今日はええとこへ連れてきてもろたわ。佐倉さん、ありがとうな!」
そのとき私はすでにジョッキで4・5杯は飲んでいたのだけど、
彼は「幸せになったらもう飲まなくてもいい」と言ったのだ。
呑み放題食べ放題だったから、別に「勘定」を気にしていたわけではなくて、
彼は本当に幸せだったのだ。
そして、私に対する感謝の気持ちを、本当に「演技ではなく(と見えた)」言い続ける。
連「佐倉さんのおかげで、『なんちゃら閣』の『高級料理』も食べれたし」
連「おまけに、結婚式のホテルの前やし」
連「本当に今日は、佐倉さんに感謝感謝やわ」
連「佐倉さんと飲んでいろんな話ができて、ほんまに幸せやなあ」
この人は、ある意味、「悟って」いる。
いや、そもそも、そういう性格なのか、または育ちがいいのか?(確かに市内の超高級住宅街のマンションにお住まいであった)
職場での振る舞いは、演技だったのか?
その振る舞いのせいで、職場での評価が、失礼ながらかなり低くされていることについて、何も気にしていなかったのか?
妻と幼子三人を抱える父として、それでよかったのか?
こんな私の「邪推」も、すべて吹っ飛ばすように彼は「屋上ビアホール」で本当の自分を見せてくれた。
わたしはなぜか、もう、十数年経った今、その人を思い出したのです。
世間の評価や「ありていの幸せとみえること」をこの人は超えていたんだなあと。
風貌も上がらず、職場では「できない奴」と言われながらも、彼個人はそんなこと屁とも思わずに、もっと上位のというか、
ある意味、別の世界を見いたのではないか?と。
当時の私にはもうひとつよくわかっていない部分もあったけど、今になってしみじみそう思うのです。
その後、彼は異動(当時の私から見たら【厄介払い】されたように思った)し、
そして数年後に会社を辞めた。
今は何をしているのか分からないが、年賀状のやり取りはある。
でも私は「今どうしているのですか?」などといった具体的なことは訊かない。
ただただ、年始の挨拶のみを送り、彼もまたそうである。
本当のところはどうなんだかわからないけれど、きっと彼は彼が今いる場所であの時のように「幸せ」にやっているのだと
私は信じている。
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