日本共産党は共産主義から転換すべき時 起きぬ革命と党勢衰退
中北浩爾・一橋大教授
「民主的社会主義」か「社会民主主義」への路線変更を!!!
共産党は日本で最も古い政党で、100年もの間、存続している。
政治家の自己利益のために数年のうちに政党が消えたり、党名を変えたりといったことが起き、
政治不信を招いている現状では、そのこと自体は高く評価されるべきだ。
なぜ日本共産党が今なお主要政党の一つとして生き残っているのか。献身的な党員の存在なども重要だが、
他の先進国の共産党が東欧革命とソ連崩壊を背景に衰退していったことを考えると、それを乗り切ったことが大きい。
その理由を考える上では、長く最高指導者を務めた宮本顕治氏の政治路線に注目しなければならない。
宮本氏の指導のもと、日本共産党は1960年代にソ連・中国などに対する「自主独立路線」を確立するとともに、
「社会主義革命論」ではなく「民族民主革命論」を採用した。
その結果、社会主義国家と目されていたソ連が崩壊したダメージを比較的受けずにすんだ。
さらに、ソ連が崩壊した1991年以降、宮本路線を基本的に守りながらも、次第に「非武装中立」や「護憲」を掲げるようになった。
かつての社会党の政策位置を占めることで、その支持者を取り込むことに成功した。
共産党をはじめとする急進左派政党が存在することは、ドイツやフランス、イタリアなど多党制の先進国では通常のことだ。
しかし、日本の場合、共産党が急進左派のポジションをほぼ独占的に占めているという特徴がある。
しかし、宮本路線の枠内で微修正を重ねるのは、いよいよ限界が近づいてきている。
民主的社会主義、もしくは社会民主主義への移行がカギ
日本共産党は現在、二つの深刻な問題に直面している。
一つは、党員の減少や高齢化といった党勢の衰退だ。
「しんぶん赤旗」の発行部数が減り、党財政を直撃している。
その大きな原因は、ソ連崩壊後、共産主義の魅力が乏しくなり、若者らを引きつけられなくなったことにある。
もう一つの問題は、2015年の安保法制反対運動に始まる野党共闘の行き詰まりだ。
昨年の衆院選では立憲民主党と「限定的な閣外からの協力」で合意した。
共産党は閣外協力の合意と喧伝(けんでん)したが、立憲民主党にとっては共産党と閣外協力しないという合意であり、
同床異夢が露呈した。
しかも、「立憲共産党」といった攻撃を受けて、両党とも議席を減らし、野党共闘の機運が後退した。今夏の参院選も厳しい見通しだ。
以上の二つの問題を突破するためには、共産主義からの路線転換が避けられないのではないか。
もし踏み切れば、日本政治に新たな局面を開けるはずだ。路線転換には、二つの選択肢が存在する。
1990年代半ばから2000年代に生まれたZ世代は、格差拡大や気候変動など社会的な関心が強い。
海外では、ジェネレーション・レフト(左翼世代)という言葉も生まれている。
そうしたなかで台頭しているのが、民主的社会主義と呼ばれる急進左派の潮流である。
共産主義とは違い、多様な社会主義を許容し、新自由主義に対する批判に加え、
エコロジーやジェンダー、草の根民主主義を重視する。
米民主党のサンダース氏、仏大統領選で3位に食い込んだメランション氏などが例として挙げられる。
日本共産党が急進左派の枠内で民主的社会主義に移行し、反エリート主義の左派ポピュリズム戦略をとれば、
若者を引きつけ、平和と民主主義、平等を求める「うねり」を作り出せるはずだ。
組織的にはソ連共産党に由来する民主集中制を改め、党員による党首の直接選挙を行うことになる。
他方、野党連合政権の樹立を本気で目指すのであれば、中道左派の社会民主主義に移行しなければならない。
これは、かつてイタリア共産党がたどった道だ。
日米安保条約や自衛隊を肯定するとともに、大企業・財界に対する敵視を改め、一定のパートナーシップを構築する。
そうすれば、立憲民主党や連合との間の障害がなくなり、野党連合政権の樹立は実現に大きく近づく。
中北浩爾・一橋大教授
「民主的社会主義」か「社会民主主義」への路線変更を!!!
共産党は日本で最も古い政党で、100年もの間、存続している。
政治家の自己利益のために数年のうちに政党が消えたり、党名を変えたりといったことが起き、
政治不信を招いている現状では、そのこと自体は高く評価されるべきだ。
なぜ日本共産党が今なお主要政党の一つとして生き残っているのか。献身的な党員の存在なども重要だが、
他の先進国の共産党が東欧革命とソ連崩壊を背景に衰退していったことを考えると、それを乗り切ったことが大きい。
その理由を考える上では、長く最高指導者を務めた宮本顕治氏の政治路線に注目しなければならない。
宮本氏の指導のもと、日本共産党は1960年代にソ連・中国などに対する「自主独立路線」を確立するとともに、
「社会主義革命論」ではなく「民族民主革命論」を採用した。
その結果、社会主義国家と目されていたソ連が崩壊したダメージを比較的受けずにすんだ。
さらに、ソ連が崩壊した1991年以降、宮本路線を基本的に守りながらも、次第に「非武装中立」や「護憲」を掲げるようになった。
かつての社会党の政策位置を占めることで、その支持者を取り込むことに成功した。
共産党をはじめとする急進左派政党が存在することは、ドイツやフランス、イタリアなど多党制の先進国では通常のことだ。
しかし、日本の場合、共産党が急進左派のポジションをほぼ独占的に占めているという特徴がある。
しかし、宮本路線の枠内で微修正を重ねるのは、いよいよ限界が近づいてきている。
民主的社会主義、もしくは社会民主主義への移行がカギ
日本共産党は現在、二つの深刻な問題に直面している。
一つは、党員の減少や高齢化といった党勢の衰退だ。
「しんぶん赤旗」の発行部数が減り、党財政を直撃している。
その大きな原因は、ソ連崩壊後、共産主義の魅力が乏しくなり、若者らを引きつけられなくなったことにある。
もう一つの問題は、2015年の安保法制反対運動に始まる野党共闘の行き詰まりだ。
昨年の衆院選では立憲民主党と「限定的な閣外からの協力」で合意した。
共産党は閣外協力の合意と喧伝(けんでん)したが、立憲民主党にとっては共産党と閣外協力しないという合意であり、
同床異夢が露呈した。
しかも、「立憲共産党」といった攻撃を受けて、両党とも議席を減らし、野党共闘の機運が後退した。今夏の参院選も厳しい見通しだ。
以上の二つの問題を突破するためには、共産主義からの路線転換が避けられないのではないか。
もし踏み切れば、日本政治に新たな局面を開けるはずだ。路線転換には、二つの選択肢が存在する。
1990年代半ばから2000年代に生まれたZ世代は、格差拡大や気候変動など社会的な関心が強い。
海外では、ジェネレーション・レフト(左翼世代)という言葉も生まれている。
そうしたなかで台頭しているのが、民主的社会主義と呼ばれる急進左派の潮流である。
共産主義とは違い、多様な社会主義を許容し、新自由主義に対する批判に加え、
エコロジーやジェンダー、草の根民主主義を重視する。
米民主党のサンダース氏、仏大統領選で3位に食い込んだメランション氏などが例として挙げられる。
日本共産党が急進左派の枠内で民主的社会主義に移行し、反エリート主義の左派ポピュリズム戦略をとれば、
若者を引きつけ、平和と民主主義、平等を求める「うねり」を作り出せるはずだ。
組織的にはソ連共産党に由来する民主集中制を改め、党員による党首の直接選挙を行うことになる。
他方、野党連合政権の樹立を本気で目指すのであれば、中道左派の社会民主主義に移行しなければならない。
これは、かつてイタリア共産党がたどった道だ。
日米安保条約や自衛隊を肯定するとともに、大企業・財界に対する敵視を改め、一定のパートナーシップを構築する。
そうすれば、立憲民主党や連合との間の障害がなくなり、野党連合政権の樹立は実現に大きく近づく。