I'm in New York

世界に平和を 僕等に愛を

ニューヨークで学んだこと

2010年05月07日 | Weblog
ニューヨークで学んできたことはたくさんあります。
一番確実な移動方法は徒歩であること。
信号を守っていたら置いていかれるけど、
自分の眼で安全を確認してからでないとクラクションの嵐に遭遇すること。
走っている車の8割はタクシーだけれど、
客を乗せていないタクシーを捉まえるのは運まかせであること。
地下鉄は東京の方がよっぽど複雑で、思っていたほど怖くないこと。
だから、東京の地下鉄で迷っている外国の方がいたら親切にすべきだということ。
ポストを探すよりスターバックスを探す方が簡単なこと。
ビールを買う時は身分証明書を携帯すること。
ピザは考えている以上にお腹にたまるので、1ピースで十分だということ。
タイムズスクエアに車を停めて立ち去る不審者には気をつけること。
常に監視カメラで見られているので、悪いことをしてはいけないこと。
(監視カメラのないところでも悪いことをしてはいけません)
核兵器を使用したことは過ちだったと考える米国人もいること。
二度と使ってはいけないと思っている米国人はたくさんいること。
そして、正しいと思う道を進むこと。正しいと思うことを、声に出して訴え続けること。

米大統領の「核なき世界へ」発言、米露の新戦略兵器削減条約、
米国務長官が明らかにした「5113」という、途方もない数字の、
それでも43年間で84%も削減された米核弾頭保有数。
国連で開幕したNPT再検討会議。
日本から持ち込んだ700万筆の署名を、
わざわざ受け取りに出てきてくれた再検討会議議長は、開会のあいさつで
「昨日署名を直接受け取った。市民社会の熱意を私たちは受け止めなければ」と述べ、
国連事務総長も「核兵器廃絶の明確な約束」の再確認を核保有国に対し求めました。
ニューヨークで行なった署名活動や集会、現地労組との交流などからも、
核兵器の廃絶は、夢の話しではなくなってきているんだという実感を持つことができました。

確かに流れは作られつつあります。
と同時に、それを好ましくないと考えている人も確実に存在しているはずです。
そうした脅威を押さえることができるのは、
僕ら市民の声だということも、ニューヨークで学びました。
国連事務総長しかり、NPT再検討会議議長しかり、広島・長崎県知事しかり、
誰もが、ここまで辿りついたのはは核兵器を廃絶しようと訴えるみんなの声のおかげだと。
そしてこの先、本当に核兵器が廃絶されるまで、
訴え続ける声が不可欠だと、彼らは僕たちに呼びかけました。

「No More Hiroshima, No More Nagasaki, No More Hibakusya」
被爆者を英語に訳すと「Hibakusya」だということも学んだことのひとつです。
二度と悲劇をくりかえさないという想いと、
5年前の教訓(前回の再検討会議への期待と失望)が、
今回の再検討会議までの運動をより強固なものにしたのだと考えます。
5年前との違いは、敷かれているレールに乗ったのではなく、
自分たちの手でレールを敷いてきたことでしょう(もっとも僕は今回初めてレールに乗った口ですが)。
5年前は、列車を走らせてみたら、途中でレールが途切れていた。
だから今回は、目的地まで自分たちの手でレールを敷き続けようということです。

雇用・賃金闘争で活動していたアメリカの労組は、
核兵器を廃絶して、予算を暮らしに回せと訴えて、
組合員の賛同を得て平和運動を課題に加えたそうです。
振り返ってみて、日本はどうでしょう?
自分は参加することになって、初めてこの再検討会議を知った僕を含め、
どれだけの日本人が興味と関心を持って、平和を考えているのでしょう?
今回の再検討会議が、日本でどれだけ報道されているのかわかりません。
ニューヨークでは、僕が見た限り連日爆弾テロ未遂事件とオイル流出のニュースばかりでした。
仕事ができることも、好きなサッカーができることも、
W杯が開催されることも、平和があってこそ。

核兵器廃絶の機会が訪れています。
でも、ここからが本当の闘いです。
オバマ大統領は「自分が生きているうちには難しいだろう」と云ったそうです。
長崎市長は「昔は核兵器というものがあってね、
でもみんなの力でなくしたんだよ」と語りたいと云いました。
僕も遅まきながら「あの2010年のNPT再検討会議の時にニューヨークへ行って、パ
レードにも参加したんだぜ」と、誰かに自慢できるようにしたい。
被爆者がイギリスを訪れ、被爆体験を話したあと、学生達が質問してきたことは
「自分たちには(核廃絶のために)いったい何ができますか?」ということだったそうです。
僕の(的外れな?)報告を読んで、何かを感じてもらえたなら、
あなたも今日から何か始めてみませんか?
原爆投下から65回目の夏、広島ではかつてない規模の原水爆禁止世界大会が計画されています。
一緒に広島へ行くのもいいかもしれませんね。
なにしろ新幹線で4時間で行けるんですから。

New York 4日目

2010年05月07日 | Weblog
ニューヨーク滞在も4日目。
明日はもう朝9時にはバスに乗って空港へ向かうため、
実質的にはこの日が最後です。

午前中はたなぼた半日観光。
当初の日程ではDコースは昨日の午前中が観光になっていて、
でも昨日はアメリカ労組との交流集会が組まれていたので、
当然観光には行かずそちらへ参加。
観光はないかなと思っていたら、
労組交流集会に参加した人のために今日もバスが出ることに。
福祉関係労働者の交流集会に行こうかとも思ってましたが、
そちらは福祉保育労の皆さん中心だろうから、
ここはお言葉に甘えて観光にしよう・・・と思ったのが間違いでした。

確かに観光といえば観光でした。
でも基本的には大型バスに乗せられて、市内をぐるっと走り回るのみ・・・。
途中停まりましたよ、信号で。
現地コンダクターが同乗して、
「ここがメトロポリタン・ミュージアムです。今ピカソ展やってます。
夕方閉まってしまうのが早いので、時間があったらどうぞ」とか、
「左側の工事をしている一帯がグラウンド・ゼロです。」とか、
走るバスの中から忙しく紹介してくれるだけ。
「どれどれ」と思っているうちに、通りすぎてしまうこともしばしば。
紹介してくれるのはうれしいんだけど、もう明日の9時には空港に向かうし、
今日だって午後から自治労連の集会があるし、
なんだか映画館に映画を観に行って、予告編だけ観て帰ってきたような・・・。
あ、一応自由の女神が対岸に見える公園に寄って、



そこでトイレ休憩があったのと、
ショッピングモールのようなところで眺めの休憩があって、
そこからブルックリン橋がきれいに見えたり、
多少は外の空気も吸えましたが、
基本的には4時間バスの中という半日観光でした。

午後は自治労連の集会に参加。
長崎と広島の県知事・県議会議長があいさつに来てくれて、
各地の活動報告などもあり、いい集会だったのですが、
当初予定していた会場が水漏れだかでエレベーターが止まってしまい、
急きょ別の会場となったため、
椅子が足りなくて床に座りながらの参加だったため、
結構しんどかったです。

ホテルに戻ったのが4時過ぎ。
最後の夜をどうしようかと思ったのですが、
やはりどうしてもここだけは行っておかなければと、
もう一度歩いてセントラルパークの西、ダコタハウスへ。



そう、ジョン・レノンが射殺された彼のアパートです。
ついでにメトロポリタン劇場とか、カーネギーホールとか、
途中にある建物に寄ったりして、結局また2時間以上歩き回りました。
食事を食べに出るのもおっくうだと思って、
また帰りにピザとビールを購入。
ホテルの部屋でまたひとり夕食。
とうとうこっちで誰かと一緒に食事をすることなく過ごしてしまった。

明日すぐ出られるように、今夜のうちに荷物を整理しておこうっと。