お独り様人生、山あり谷あり崖っぷちあり、ときどき猫あり。

成田三里塚と聞いて。



今朝の体重。

昨日からニュースでちらほらと見聞きする懐かしい響き。

『成田闘争』
『三里塚闘争』

成田空港開港に繋がる昭和の出来事。

人生終演間近なBBAは団結小屋やらやぐら。

はたまた造成予定地みたいな場所に横穴を掘って立て籠る、的な画像のイメージがある。

今や成田はインバウンドの恩恵で成り立っているだろうに。

いまだに時代に抗い続ける住民がいることに驚いた。

当時の闘争の中心だったであろう世代の孫やそのまた下の若い世代は。

いつの頃からか地元の成田空港から海外旅行に出掛けるのが当たり前だったでしょうに。

亡母の生家は恐ろしく小汚ない藁葺き屋根の建物で。

お風呂は屋外、トイレは無し(裏山で用を足す)

電話も呼び出し方式という環境だったのだけど。

後々、立ち退きに応じたおかげか。

そこそこ立派な戸建てに移り住んで。

居間の窓越しからひときわ大きく見えるジャンボ機に。

ワクワクしたのも懐かしい思い出。

まだまだ闘争真っ只中だった頃には成田の親戚に遊びにゆくと。

気楽な調子で現場の見学に繰り出した記憶もある。

確か、亡父の弟が当時の公団に勤めていたので。

現場の入口で名前を出すと車で中に入らせて貰えていた謎の記憶があるの。
(もはやこの辺のガバガバ警備が昭和(笑))

建物見学ではなくて。

反対住民が掘った横穴基地みたいなのを遠巻きに見て帰るだけという。

こちらも呑気なプチドライブって感じだったな。

そんな思い出にしみじみ浸る話し相手も今や皆無の。

侘しい独居BBAですけども。


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