釣友のh藤くん。
平成30年4月11日(水)朝、h藤の弟のk哉からの突然の電話・・・・・。
兄のh藤とは高校からの釣り仲間、弟のk哉は車の整備士なので、私の車の主治医である。
そのk哉から、仕事中に突然の電話、なにか出物の中古車でもあるのかな?と、思い電話に出る。
k哉:兄に言うと怒られると思うのですが、兄が脳内出血で・・・・・。
フナコ:・・・・・・・・・・・・・・・・・。
h藤のお父さんは、脳梗塞2回で寝たきり、意識もないまま2年ほど病院暮らし。
フナコ:やばいんか・・・
k哉:・・・
フナコ:仕事で出先 やから、1回会社に戻るけどすぐに行く。何処の病院や、「勝手に先に死んだらいかん」って、言うといてくれ・・・。とりあえずすぐに向かうから。
即帰宅し、メールでもらった病院へ向かい、ナースステーションへ行くと、ややこしそうなので直接部屋へ向かうと、部屋には体に沢山の線を付けられたh藤・・・その向こう側に弟のk哉・・・
フナコ:h藤っ・・・
h藤:・・・
フナコ:h藤・・・
h藤:・・・
・・・
k哉:フナコさん、左半身がダメなので、右側に回って下さい・・・。
k哉の横の丸椅子に腰掛け、h藤の顔を覗き込む。
私が精一杯の空元気で微笑むと
h藤:目をパチクリさせながら、右半分しか動かない口で「来てくれたん」・・・。
フナコ:うん。オッサンになんかあったら、釣りに行く時誰が俺を起こして、誰が俺を車で迎えに来るんや・・・。
h藤:そやな・・・
k哉:様態は安定している様なので、ひとまずは安心です。
フナコ:なんやh藤、死に損なったんか、はよ治して釣りに行こ。
h藤:うん、釣りに行く。
病室を出て、k哉と少し話し、今後どうなるのか訪ねると、明日、主治医から説明があるとの事。
4月15日(日)
4日前に比べると、ロレツがかなりマシになり、会話も単語から短文になってきた。
先生からの話で、脳の出血も止まっているし、手術しなくてもいいでしょうとのこと。もう、リハビリ病棟に移れます。と言う話だった。
h藤、おばちゃんと、k哉と、私4人でしゃべっている時に、何も出来ずベットで寝ているだけの自分がもどかしいのか、h藤がボロボロ涙を流しながら泣き出す。
つられて泣きそうになったが、なんとか辛抱して「はよ治して釣りに行くんやろ」と、半泣きでなんとか作り笑いをし、また「死に損なったんやから、頑張ってリハビリして、釣りに行く時車で迎えに来てや」と、なんとか言葉にした。
4月22日(日)
左半身は相変わらずであるが、いつも通り冗談も言えるように。
4月29日(日)
フナコは競馬はしないのだが、二人で天皇賞をテレビで見る。
この頃には、リハビリ 病棟に移っており、歩行器が出来てくるということで、しっかり歩く練習をすると、本人もハツラツとしだし、冗談半分持って行った釣りの本も、少しづつ読んでるとの事。
5月6日(日)
歩行の訓練の話しや、お風呂の話し(自分で洗えないので、若い看護婦さんが洗ってくれるそうで、フナコが羨ましがると、本人は恥ずかしい・・・)そんな、馬鹿げた話しもいつも通りできるようになった。
5月13日(日)
この頃にはベットで座れる様になったが、相変わらず、ご飯の時左の口から食べたものや、お茶が溢れてくるが、思っていたより早い回復に思え、二人で人間って凄いなと、感心した。
5月20日(日)
釣りの雑誌を読み終えたとの事で、6月号の差し入れをした。
釣りに行きたくて仕方がないらしく、早く退院したいと言うが、また、左手はほぼ動いていないので、長い竿はムリ・・・と、本人が・・・。やる気満タン、いつもの前向きな人間性がしっかり戻ってきた。
5月27日(日)
主治医から、8月を目処に通院もしくは転院の話が出たとの事。本人は通院したいとの事だが、食事はまだ「離乳食」トイレは独りで「なんとか」お風呂は「半分自分で半分看護婦さん」なので、おばちゃんと要相談らしい。
8月に帰れるんやったら、9月に釣りに行けるな。と言うと、「ニタッ」としてました。
早く二人で竿を並べる日が来て欲しい今日この頃。
平成30年4月11日(水)朝、h藤の弟のk哉からの突然の電話・・・・・。
兄のh藤とは高校からの釣り仲間、弟のk哉は車の整備士なので、私の車の主治医である。
そのk哉から、仕事中に突然の電話、なにか出物の中古車でもあるのかな?と、思い電話に出る。
k哉:兄に言うと怒られると思うのですが、兄が脳内出血で・・・・・。
フナコ:・・・・・・・・・・・・・・・・・。
h藤のお父さんは、脳梗塞2回で寝たきり、意識もないまま2年ほど病院暮らし。
フナコ:やばいんか・・・
k哉:・・・
フナコ:仕事で出先 やから、1回会社に戻るけどすぐに行く。何処の病院や、「勝手に先に死んだらいかん」って、言うといてくれ・・・。とりあえずすぐに向かうから。
即帰宅し、メールでもらった病院へ向かい、ナースステーションへ行くと、ややこしそうなので直接部屋へ向かうと、部屋には体に沢山の線を付けられたh藤・・・その向こう側に弟のk哉・・・
フナコ:h藤っ・・・
h藤:・・・
フナコ:h藤・・・
h藤:・・・
・・・
k哉:フナコさん、左半身がダメなので、右側に回って下さい・・・。
k哉の横の丸椅子に腰掛け、h藤の顔を覗き込む。
私が精一杯の空元気で微笑むと
h藤:目をパチクリさせながら、右半分しか動かない口で「来てくれたん」・・・。
フナコ:うん。オッサンになんかあったら、釣りに行く時誰が俺を起こして、誰が俺を車で迎えに来るんや・・・。
h藤:そやな・・・
k哉:様態は安定している様なので、ひとまずは安心です。
フナコ:なんやh藤、死に損なったんか、はよ治して釣りに行こ。
h藤:うん、釣りに行く。
病室を出て、k哉と少し話し、今後どうなるのか訪ねると、明日、主治医から説明があるとの事。
4月15日(日)
4日前に比べると、ロレツがかなりマシになり、会話も単語から短文になってきた。
先生からの話で、脳の出血も止まっているし、手術しなくてもいいでしょうとのこと。もう、リハビリ病棟に移れます。と言う話だった。
h藤、おばちゃんと、k哉と、私4人でしゃべっている時に、何も出来ずベットで寝ているだけの自分がもどかしいのか、h藤がボロボロ涙を流しながら泣き出す。
つられて泣きそうになったが、なんとか辛抱して「はよ治して釣りに行くんやろ」と、半泣きでなんとか作り笑いをし、また「死に損なったんやから、頑張ってリハビリして、釣りに行く時車で迎えに来てや」と、なんとか言葉にした。
4月22日(日)
左半身は相変わらずであるが、いつも通り冗談も言えるように。
4月29日(日)
フナコは競馬はしないのだが、二人で天皇賞をテレビで見る。
この頃には、リハビリ 病棟に移っており、歩行器が出来てくるということで、しっかり歩く練習をすると、本人もハツラツとしだし、冗談半分持って行った釣りの本も、少しづつ読んでるとの事。
5月6日(日)
歩行の訓練の話しや、お風呂の話し(自分で洗えないので、若い看護婦さんが洗ってくれるそうで、フナコが羨ましがると、本人は恥ずかしい・・・)そんな、馬鹿げた話しもいつも通りできるようになった。
5月13日(日)
この頃にはベットで座れる様になったが、相変わらず、ご飯の時左の口から食べたものや、お茶が溢れてくるが、思っていたより早い回復に思え、二人で人間って凄いなと、感心した。
5月20日(日)
釣りの雑誌を読み終えたとの事で、6月号の差し入れをした。
釣りに行きたくて仕方がないらしく、早く退院したいと言うが、また、左手はほぼ動いていないので、長い竿はムリ・・・と、本人が・・・。やる気満タン、いつもの前向きな人間性がしっかり戻ってきた。
5月27日(日)
主治医から、8月を目処に通院もしくは転院の話が出たとの事。本人は通院したいとの事だが、食事はまだ「離乳食」トイレは独りで「なんとか」お風呂は「半分自分で半分看護婦さん」なので、おばちゃんと要相談らしい。
8月に帰れるんやったら、9月に釣りに行けるな。と言うと、「ニタッ」としてました。
早く二人で竿を並べる日が来て欲しい今日この頃。