フリーメーソン-54 長州ファイブ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/646.html
フリーメーソン-52 横浜ロッジNo.1092
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/644.html
フリーメーソン-50 亀山社中
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/642.html
フリーメーソン-46 グラバー園内のメーソン石柱
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/638.html
フリーメーソン-37 アーネスト・サトウ
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/629.html
フリーメーソン-35 尊皇攘夷
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/627.html
フリーメーソン-32 近代日本とフリーメーソン
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フリーメーソン-31 ジョン万次郎
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フリーメーソン-27 黒船襲来
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/619.html
日本ロッジ元グランド・マスター・ロングインタビュー
ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち
原文
陰謀の代表にさせられているフリーメーソンの組織は日本にもある。世界にネットワークをもつ、その秘密結社は日本で何をしているのか? 謎につつまれていたその真実を当事者がいま語る!
さる7月8日、オウムについてのあるシンポジウムにパネラーとして参加したときのこと。思想家・吉本隆明氏の、討議に先立つ特別講演を聴いていて、肩すかしを食わされたような気分を味わった。吉本氏は、かねてよりヨガの行者としての麻原彰晃を高く評価してきた。その「評価」が妥当かどうかは別にして、少なくともそうした、大勢におもねらない特異な視点をもつ氏が、陰謀史観に彩られたオウムの世界観については、ただ「バカらしい、くだらない」とあっさり片づけてしまったからだ。それですむのかなと、つい首をひねりたくなった。「ユダヤ=フリーメーソンが世界の征服を企んでいる」という、ナチスのプロパガンダそのままの陰謀史観は、確かに「バカらしい」。同感である。しかしいま重要なことは、オウムがその「バカらしい」歴史観、世界観に衝き動かされ(あるいは利用して)、サリンをバラまくまでに至った”事実”(吉本氏に言わせれば法的に未確定の容疑)を真正面から受けとめることだろう。
知識人たちが「バカらしい」と切り捨て、サブカルチャーの薄暗がりへ追いやってきた超能力や終末予言などのオカルト、あるいはユダヤ=フリーメーソン陰謀論などの「トンデモ本」的ジャンク情報が、いつのまにかある臨界点を超えるまでに無批判に積み上げられ、ついに爆発した。その結果がサリン事件ではなかったか。
「もともとこの世の中を動かしているものは、『石工』と呼ばれるフリーメーソンである」
93年3月25日の説法で、麻原彰晃はそう断言している(『ヴァジラヤーナコース数学システム教本』所収)。
麻原に言わせると、フリーメーソンは「人間を完全に無智化させ、動物化させ、そして国家そのものが成立しないような状態をあちこちにつくり、それを一部のものがコントロールし、そして、この地上が完全に動物的自由、あるいは動物的な平等というものを与えることを目的として動いている」ということになる。
さらに、95年1月発行のオウム真理教の機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』No.6では、特集「恐怖のマニュアル」の冒頭で、こう宣言している。
「人類55億人を代表し、ここに正式に宣戦布告する美辞麗句の影に隠れて、人類を大量虐殺し、洗脳支配することを計画している、『闇の世界政府』に対して!」(原文ママ)
「闇の世界政府」とは何か? 「自分たちだけが世界に君臨し、全世界を統一し、人々を大量虐殺し、洗脳支配しようとしている奴ら」それが即ち「闇の世界政府」であり、その正体はフリーメーソンであり、ユダヤ系財閥であり、国際連合なのだという。
作家の高橋克彦氏が、『夕刊フジ』(7月4日発行)紙上で、フリーメーソンの存在は「オカルト雑誌を通じて多くの若者の間に浸透」しており、オウム信者たちは「仮想敵であるフリーメーソン」に「本気で立ち向かっている」。だからこそマスメディアはこの問題に踏み込むべきなのに、避けているのはおかしいと述べている。
この主張に私は共感をおぼえる。こうしたパラノイアックな妄想じみた言説は、けっして麻原彰晃ひとりの独創ではない。独創はゼロと言ってもいい。だからこそ、「バカらしい」とただ排除するだけでは、もはやすまないはずだ。事実をきちんと検証し、妄想や誇張されたデマからはっきり峻別すべき時が来ている。
フリーメーソンは
「闇の世界政府」なのか?
フリーメーソンとは、一体何者か。
正式な名称はフリー・アンド・アクセプテッド・メーソン。「メーソン」とは、「集団としてのフリーメーソンリーに属する構成員」を指す。その存在は秘密でも何でもない。日本グランド・ロッジは、東京・港区の東京タワーのすぐ隣にビルを構えており、NTTの電話番号案内に問い合わせれば、ちゃんと電話番号を教えてくれる。今年の4月のある日、私はそうやってフリーメーソンの日本グランド・ロッジの電話番号を調べ、連絡をとってみた。電話はあっさりと通じ、片桐三郎氏という広報責任者の方に、拍子抜けするほど簡単にアポイントがとれた。
4月14日、第38森ビルに隣接している、日本グランド・ロッジを訪ねた。片桐氏は、今年70歳になるというが、とてもそうは見えない。この世代には珍しい、ダンディーで気さくな人物だった。
メーソンについてはさまざまなフォークロアがある。まずはその話から切り出した。
たとえば、ケンタッキー・フライドチキンの店頭に立っているカーネル・サンダース人形の左胸についているバッジは、メーソンの高位階をあらわすバッジだという「風説」。どうでもよい噂話に思えるのだが、この話が陰謀マニアにかかると、一挙に飛躍して、「ファースト・フードの蔓延は、日本人の食文化を破壊しようとするフリーメーソンの陰謀である」という妄想にまで膨らんでいくのである。
あるいは、アメリカはフリーメーソン国家であるという「神話」。アメリカの歴代大統領の多くは、メーソンのメンバーだった。また、アメリカの1ドル札にはピラミッドと、その頂上に輝く不気味な一つ目の絵柄が描かれているが、これこそはメーソンのシンボルマークである……。
そして、日本はメーソンによって支配されているという妄想。マッカーサーはメーソンのメンバーであり、戦後の日本国憲法を起草したGHQのメンバーも多くはメーソンだった。戦後憲法の理念の多くは、メーソンの理念である。戦後、皇族や有力な大物政治家もメーソンのメンバーになった等々……。
こうした話は、信頼のおけそうな体裁の研究書にも、安っぽくいかがわしい「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」の本のなかにも書かれていて、信じていいのかどうなのか、確認された事実なのかどうなのか、さっぱりわからない。まずはそうしたフォークロアの数々の確認を求めたのだが--。
「ああ、カーネル・サンダースさんですか。私、彼が来日したとき、ロッジの集会であったことがありますよ。ええ、彼もメンバーです。彼はメーソンであることを非常に誇りにしていましたね」
片桐氏はあっさりと、「ケンタッキー・フライドチキンの創業者=フリーメーソン説」を肯定したのだった。
「皇族では戦後の一時期、首相をつとめた東久邇宮さんが会員でしたね。自民党初代総裁の鳩山一郎元首相も会員でした。もう昔の人ですから秘密にすることはないでしょう。ただ、鳩山さんが入ったときは最晩年でしたよ。病気がちで動けないというので、当時のメーソンのグランド・マスターが彼の自宅まで出向いていって入会の儀式を行ったのです。
1ドル札のマークですか? ああ、あれも確かに『万物を見通す目』というメーソンのマークの一つです。このマークは、アメリカの国璽(こくじ)にも用いられているそうです。
初代のジョージ・ワシントンをはじめ、米国大統領にはメーソンのメンバーは確かに少なくない。リンカーンもセオドア・ルーズベルトもフランクリン・ルーズベルトもトルーマンも、最近ではフォードもそうでした。確認されているだけで、歴代の米国大統領のうち、15人がメーソンです。アメリカ独立と建国の歴史そのものが、フリーメーソンリーにサポートされているのですから、これは当然でしょう」
正直、驚かないわけにはいかなかった。フリーメーソン「伝説」の多くが事実であり、それをフリーメーソンリーの広報責任者が実にあっさりと認めてしまったのだから--。
片桐氏に案内されて、地下にある、儀式を執り行なうホールにも足を踏み入れた。円い天井に星があしらわれ、床には市松模様、中央には宣誓のための祭壇、そして正面には<G>という文字が高く掲げられている。確かに壮麗な空間ではある。しかし、そうはいってもやはり、何ということはない、ただのホールにすぎない。とてつもない秘密がこのホール自体に備わっているとはとても思えない。なぜ、ごく最近まで、徹底的に非公開を貫いてきたのか、その理由がかえってわからなくなる。
「昔は何でもかんでも秘密にしていたものです。ロッジの内部も非メーソンには見せませんでしたし、ジャーナリストの方に、私のような人間がこうして率直にしゃべるということもありえなかった。最近になって少しずつ変わってきているんです」と片桐氏は語る。
「私に言わせると、メーソンは非常に頑固で保守的なんです。会員も高齢者が多く、40歳以下は25%くらい。みんなひどく頑固です。僕個人は、伝統は守りつつも不必要に世間の誤解を受けるような秘密主義は変えていった方がいいと思っていますが、そういう考え方の持ち主は、まだまだ少数ですね。この流れを変えるには、ひょっとしたら100年かかるかな、とも思います。そのくらいの保守性はメーソンにはありますよ」
片桐氏は、「自分の個人の話ならば話しやすいから」と言って、自身の体験を語りはじめた。
▼入会金四万円の「秘密結社」
1925年(大正14年)、横浜の貿易商の息子として生まれた片桐氏は、横浜高等商業学校(現・横浜国大経済学部)を卒業後、陸軍に入り、「特攻隊の生き残り」として終戦を迎えた。「しばらく闇市をうろうろとした」後に、外国船の乗組員となり、その後、東京オリンピックの開催された1964年に日本コカコーラに入社、5年後には役員に就任している。
82年に独立、友人と会社経営を始め、三越がシンガポールに造った「レジャー・パーク」を買い取り、代表取締役社長として現地で約10年間経営にあたった。心臓を患ったためリタイアし、日本に帰国したのは、92年のことである。
「今から30年以上前のことです。メーソンリーに加入している友人がいて、最初は好奇心から入会を希望したわけです。当時、私は外国船のパーサー(事務長)の仕事をしていましたから、欧米人とのつき合いも多く、欧米の一流のビジネスマンにはメーソン会員が多いということを知っていましたから、興味もありましたし、入会すれば顔も広くなって仕事にも役立つのではないかとも考えました。実際にはそんな思惑ははずれてしまいましたけどね。ロッジのなかでは宗教の話、政治の話、そしてビジネスの話はしてはいけないんです。俗っぽい動機だけでは続きませんよ。なにしろ繁雑な儀式のために、覚えることがすごく多いですから。入会したのはいいけれども、面倒くさくなってやめてしまう人も多いんです。お金も時間もロスしますからね。ビジネス的にはマイナスの方が大きいでしょう」
片桐氏が入会した当時、入会金は4万円で年会費が4~5千円。30年以上も前のことだから、けっして安いとはいえない。しかし、この金額は30年間ほぼ据え置かれているという。
「今では、そのあたりのスポーツクラブに入るより、ずっと安いんじゃないですか。以前はともかく、現在は金持ちのクラブじゃありません。僕らのような役員は、選挙で選ばれて就任するんですが、完全に手弁当で、報酬はありません。書記役だけ例外で実費が支払われますが、でも月に2万円くらいのものですよ。みんな完全に持ち出しです。
入会に際しては、二人以上の会員の推薦が必要で、条件としては、職種は問われませんが正業に就いている成人男性であること、それからどんな宗教でも構わないが、信仰心を持っていること、この二つです。無神論者はだめなんですよ。したがって共産主義者の入会は認められません。これはイングランド系の伝統的なフリーメーソンリーの入会条件です。入会を希望したら誰でも入れるというわけでもありません。そのロッジのメンバーが投票を行ない、全員が同意した時のみ、認められるのです。
入会の時には儀式があります。世間から何か怪しげな秘儀をしているではないかという、おどろおどろしいイメージを持たれがちなんですが、どうということはありません。マスターから兄弟愛とか隣人愛とか、ある意味では常識的な道徳観念を諭されるだけのことです。こうした儀式というのは形式的なもので、一種のお芝居のようなものですよ。オカルト的な興味で、入ってくる人も少なくないのですが、そういう人は決まって失望します(苦笑)」
部外者に理解しがたいのは、なぜ、古めかしい儀式を後生大事に守らなければいけないのか、しかも、それをなぜ秘密にしなくてはいけないのか、という疑問である。
私の質問に、「実は私も不思議でした」と片桐氏は笑って答えた。
「一つには、ある程度秘密を保つことで会員同士の連帯感が生まれるということもあるでしょう。儀式を繰り返すことで、そこに込められた道徳律を染み込ませ、体得していくという建前もあります。しかし、現実的に必要なのは、会員相互の確認です。たとえば私が外国を旅行したとします。見知らぬ土地で、知り合いがいないのは心細いですから、その土地にあるロッジを訪ねるとします。すると、簡単な証明書の提示を求められ、儀式の内容を尋ねられ、メーソン独自の握手の方法などで、訪問者である私が、本当に会員かどうか確認するわけです。会員であるとわかったときから、『ミスター片桐』ではなく『ブラザー片桐』となり、いわば身内の人間として扱ってくれるようになる。原始的といえば原始的な方法ですよね。これだけ通信とコンピュータ・ネットワークの発達した時代に、口伝の儀式とか身振り手振りのサインに頼っているわけですから。これは起源に原因があるんだと思います。
メーソンの起源については、諸説さまざまあります。人類最初のメーソンはアダムであるとか、ノアの箱船で有名なノアが初代のグランド・マスターであるとか。そうした話は山ほどメーソンのなかに伝わっていますが、でも、あくまで伝説です。
伝説はともかくとして、実在するフリーメーソンリーは12世紀頃から記録があるのですが、その頃は世界各地の建築現場を移動しながら仕事をする石工の集団でした。当時は一部の上流階級をのぞき、文盲が普通の時代でしたから、口伝で建築の技術を伝え、仲間同士であることを確認するサインが生まれたわけです。その伝統が、近代に入って、石工の組合から一般の人たちの友愛団体となり、そして現在に至っても続いているわけです。ちなみに、伝統的な石工を実務的(operative)メーソン、石工ではないが哲学的探求を志して入会してきた人を思索的(speculative)メーソンと呼んで区別しています。近代以降のメーソンリーは、完全に後者で占められています。
現代では正直言って、秘密の儀式とかサインというのは、時代錯誤という感じはしますよ。儀式を全部暗記するのも、大変面倒です。でも、わざわざこういう面倒な手続きをふむのも、長い間続けていると、悪くはないものだなと思えてくるから不思議ですよ。大人のお遊びみたいなところがありますが、やはり、連帯感というものは生まれますからね」
▼まるでロータリークラブ?
「秘密の儀式」という「大人のお遊び」を楽しむ「社交クラブ」。片桐氏の話に耳と傾けていると、氏の語り口の穏やかさも手伝ってか、どこへ取材にきたのか、ふとわからなくなってくる。フリーメーソンリーは「秘密結社」のはずである。
こんな微温的な組織でいいのだろうか!? これではまるでロータリークラブではないか。
「ええ、そうです。フリーメーソンリーはロータリークラブの原型なんですよ」と、片桐氏はまた、事もなげに言う。
「ロータリークラブの創始者の方は、メーソンだったといわれています。おそらくこの方は、閉鎖性、秘密性をなくす必要を感じて、より開かれた社会団体であるロータリークラブを始められたんでしょう。私は、これはいい考え方だと思います。
信仰・集会・結社の自由や、人種的・階級的平等のなかった時代にフリーメーソンリーは誕生したわけですから、その当時、秘密の厳守を誓わされ、組織全体としても閉鎖性の強いものにならざるを得なかったのは仕方のないことだろうと思います。しかし、現代では、自由や平等といったフリーメーソンリーの憲章に盛り込まれてきた価値観は、当たり前のことになりました。そういう時代に、昔からの伝統だからという理由だけで閉鎖的な姿勢をとり続けるのはどうか。実際、この20年間に会員数はじりじりと減っているんです。と同時に、会員の老化も進んでいる。ひと頃は全世界で400万人いたといわれていました。このうち半数はアメリカのロッジに所属しているのですが、これが現在、300万人ぐらいにまで減ってきているのです」
一度、ロッジを訪れて、幹部の一人に話を聞いたぐらいで、フリーメーソンリーの実態がわかった、などと言うつもりはない。だが、それにしても「風説」とあまりにも落差がある。高度情報化社会の現代において、これほど情報落差のある団体は、他にちょっと思いつかない。おそらくその理由の一つは、フリーメーソンリー自らが、自己を語ってこなかったためだろう。
「フリーメーソンには、中傷に対しては沈黙で応ずるという伝統があるんです。しかし、今後は、あまりにもひどい中傷に対しては法的手段に訴えることも考えようかと内部では話し合ったりしています。
オウム真理教のデマ宣伝もひどい。でたらめもいいとこです。そもそも、彼らはフリーメーソンリーについて、何も知らない。一例をあげましょう。オウムの機関心『ヴァジラヤーナ・サッチャ』No.6のなかに、小和田雅子さんや、緒方貞子さんの写真が出ていて、いろいろと中傷されており、その下にメーソンのシンボルマークである『コンパスと直角定規』が記されている。僕らとすれば、これは大笑いです。女性はメーソンにはなれないんですよ。どこかの世界の片田舎にあるロッジが女性をメンバーに加えたとしますと、他のグランド・ロッジはそのロッジとの関係を切ってしまうんです。オウムが、実際にはごく基本的なレベルでも正確な知識を持ち合わせていないことがこれですぐわかる。
もっともオウムに対しては、具体的な行動を起こすことを僕らも躊躇してしまいます。あれがオウム真理教でなければ、正面切って法的に訴えたいところですけど、正直言って怖いです。オウムに対して反論して、彼らを刺激したくないですよ。メーソンの会員は、みんな普通の市民ですからね。家庭もあり、正業に就いている。一人ひとり、狙われたらひとたまりもありません。しかし中傷をすべて無視しておいていいというものではない。以前、コメ問題で日米関係がギクシャクしたときに、何者かに空気銃でこのビルのガラスを撃たれたことがある。我われはコメ問題とは何の関係もないのに--。警察に届けましたが、でたらめな陰謀論の本を読んで、そういう暴力的な行動にでてくる人間たちがあらわれると、沈黙してばかりもいられない。
私が広報委員長に就任したのは今年なんですが、私自身の考えとしては、ある程度、メーソンとは何かという啓蒙活動や、中傷に対する反論に積極的に取り組みたいと思っています。メーソンが陰謀結社だなどと言うと、普通の先進国では笑われますよ。メーソンの実態が、社交のための友愛団体だということは世界の常識なんですから」
片桐氏と会った後、改めてフリーメーソンリーに関する文献を読みあさってみた。わかったような気になってはいたが、調べてみると驚くような話ばかりである。
モーツァルトのオペラ「魔笛」は、フリーメーソンリーの参入儀礼にもとづいて生み出された作品である--。
ベートーヴェンの「第九」の一節、「喜びの歌」の詩を書いたのはドイツの代表的詩人シラーだが、それはもともとメーソンリーのあるロッジの参加として書かれたものだった--。
ゲーテの『ウィルヘルム・マイスター』の主人公は、「塔の結社」の導きによって人間的成長をとげていくが、この結社のモデルはフリーメーソンリーであり、ゲーテ自身もメーソンだった--。
18世紀から19世紀にかけての啓蒙主義の時代の知識人で、メーソンでない人間を探す方が難しい。主要な人物では哲学者のカントくらいなものである。そのカントも、非メーソンではあったが、必ずしも反メーソンであったわけではない。また、メーソンの方は、カントを「メーソンリーにとって最も重要な哲学者」として称揚している。(『18世紀ドイツ思想と「秘儀結社」』田村一郎著より)
なぜ、こうした事実が大学の一般教養課程も含め、学校教育で一切ふれられないのか。なぜ、権威あるアカデミズムやジャーナリズムは、フリーメーソンリーに言及することを避けているのか。謎というほかない。フリーメーソンリーが「世界を支配する秘密結社」であるとは思わないが--世界の複雑な動態を単一の要因に還元する強引な還元主義的思考法それ自体がおかしい--しかし単なる社交クラブともやはり言い切れない。明確な像を結ぶことができるまで、取材と検証を重ねるほかはない。
現役のメーソン会員たちへの取材を重ねる一方、私は再び、片桐氏に連絡をとり、元グランド・マスターのリチャード・クライプ氏と会う約束をとりつけた。
7月15日、クライプ氏と片桐氏の待つ日本グランド・ロッジを再訪した--。
「陰謀団と言われるのは、
先進国では日本だけです」
クライプ まず最初に、私は世界中のフリーメーソンを代表して何かを言う権限も権威も持ち合わせていません。ですから、私がこれから述べることは、あくまでも私の個人的な意見だと理解してください。
とかく、フリーメーソンリーとは一つのユニットとか組織みたいなふうに誤解されがちなんですが、そういう中央集権的な組織ではありませんし、組織全体を代表して話すような、スポークスマンみたいなものも実はいないんです。そこのところに注意してください。フリーメーソンリーの組織形態というのは、ピラミッド型の上意下達の組織ではなく、各地のグランド・ロッジが並立していて、それぞれが相互に承認し合っている。国と国との間の外交関係のようなものです。我われの正式な名称に、フリー・アンド・アクセプテッド(承認された)とつくのは、そういう意味もあります。つまり我われのグランド・ロッジは世界各地のグランド・ロッジから承認されていますよ、ということを意味するのです。フリーメーソンリーのあるロッジが伝統的なルールを破った場合、行なわれる最大の”制裁”は、他のロッジから承認を取り下げられることです。そうなるとつき合いが断たれ、他のロッジを訪問することができなくなる。世界的なフリーメーソンリーのネットワークの一員として認めてもらえなくなるんです。
フリーメーソンリーのグランド・ロッジ・マスターに就く人物とは、どんな人物なのか。クライプ氏のバイオグラフィーを訊いた--。
1944年、米国インディアナ州の生まれ。「典型的な中流クラスの核家族」出身であるという。62年にハイスクールを卒業したが、経済的な余裕がなく、「奨学金をもらうほどにはスマートではなかった」ので、大学進学を断念し、空軍に入隊。10年間、下士官を務めた後、サクラメント州立大学の電子工学部に入学。卒業後は再び空軍に戻り、将校として10年間、82年に退役するまで在籍した。退役後に来日し、翻訳の会社で文章を校正する仕事に就く。その後、独立してフリーランスの校正者として働くうちに、宇宙開発事業団と仕事をする機会に恵まれ、現在は日本宇宙有人システムのコミュニケーション・エンジニアとして、事業団の人たちがNASAの書類などを理解することができるよう、英語をただしたり、教えたりしているという。
クライプ フリーメーソンリーに興味を持ち始めたのは、1972年頃、つまり将校になった頃です。つき合っていた人たちのなかで、素晴らしい人たち、楽しい人たちがフリーメーソンリーのメンバーだったということがわかったんです。それで関心がわき、1973年にフリーメーソンリーに入会しました。
米国にいる時には、メンバーとしてそれほど積極的ではありませんでした。フリーメーソンとしての活動を積極的にするようになったのは、日本に来てからですね。
日本には、グランド・ロッジの傘下に18のロッジがありますが、そのうちの一つのロッジのマスターを6年間務めました。その後、だんだん役職があがっていって、1992年にグランド・ロッジのグランド・マスターに選出されました。
--選挙で選ばれるんですか?
クライプ はい、選挙です。しかし、大事なことなんですが、政治の選挙のようなことはありません。選挙運動をやってはいけないというルールがあるんです。「私に投票してください」とは言えないんです(笑)。
▼フリーメーソンリーは宗教ではない
--あなたの宗教は?
クライプ メソディストだった父親はとても信仰心が強くて、子どもの頃、よく教会に連れていかれました。しかし、私は大人になってからほとんど教会に行っていない。
そのことに少し罪悪感を感じています。
--あなたは現在、自分をクリスチャンだとお考えですか? それともフリーメーソンの信徒なのでしょうか? あるいは、フリーメーソンリーはただの友愛団体であって、あなたの信仰はキリスト教なんでしょうか?
クライプ これはとてもデリケートな問題なので、丁寧に答える必要があります。
私にとっては、宗教というものは魂の救済と関わるものです。それは、神と個々人の魂の関係なんですね。そういう意味ではフリーメーソンリーは宗教ではない。フリーメーソンリーでは、魂の救済に積極的に関心があるわけではないんです。それよりも、個々の人間同士の関係が重要であると教えられる。人間同士が、お互いにどんなふうにしたら仲良く、友愛をもってつき合っていけるか。そうした人間関係を通じていい社会を築いていくこと、そこがメーソンリーの教えのメインになる。
片桐 クライプさんの今のお話は非常に大事なポイントです。僕は難しいことが苦手なので、ごくくだいた言い方で補足します。
近代フリーメーソンリーの歴史は、1717年にロンドンで4つのロッジが集まって、最初のグランド・ロッジを作ったときから始まるといわれています。18世紀の前半のことですから、宗教界が英国のなかでもゴチャゴチャに混乱していた時期なのです。まず、カソリックとプロテスタントの対立がありました。プロテスタントのなかでも英国国教会派と非国教会派とがいます。そして国教会派のなかでも長老はとそれに反対する勢力という具合に、細かく枝分かれして対抗していたわけです。人びとは互いに相争い、非常に疑心暗鬼になっていた。そうした時代を背景として、「宗教的寛容」を説く、フリーメーソンリーが登場したわけです。時代が、フリーメーソンリーのような団体を求めていた、ともいえるでしょう。その結果、宗教対立にうんざりしていたさまざまな宗派の人たちがフリーメーソンリーに入ってきたのです。
フリーメーソンリーでは、抽象的な概念としての「至高の存在」(Suprem Being)に対して尊崇をあらわす。これは儀式や集会のなかで必ずやります。しかし、この場合の「至高の存在」とは、キリストでもないし、お釈迦様でもないし、マホメットやアラーの神でもないんですよ。僕は一応、仏教徒ですから、心のなかで仏様に向かって祈るわけです。クライプさんはキリスト教徒だからキリスト教との神に祈ってる。それでいいんです。「至高の存在」とは、いろいろな宗教の最大公約数的な概念なのです。
クライプ フリーメーソンリーに対するいちばん主要な批判というのは、あらゆる宗教からあまりにも無節操に多くの人を受け入れすぎるという批判です。たとえば、バプティスト教会。この宗派はいちばん保守的な教会で、「あなたがバプティストでなければ、あなたは悪魔だ」とまで言い切ります。
フリーメーソンリーは、そういう人たちにとってはまさしく悪魔そのものなんです。フリーメーソンリーでは、自分とは違う宗派の人びとに対して寛容であれ、友愛の精神を持てと説くのですから、自分の宗派以外の人間は救われないとする人びとからは、「悪魔」呼ばわりされるわけです。
-- キリスト教のなかでも、とりわけカソリックはメーソンを認めないという点では強硬ですね。1738年に教皇クレメンス12世が、フリーメーソンに対して最初の破門令を発表してから、現教皇のヨハネ・パウロ二世まで17回以上も破門の回勅が出されたそうですが、カソリック教会のこうした姿勢を、どうお考えですか?
クライプ 教会の公式見解はともかくとして、信徒個人のレベルでは、実は、カソリック教徒でメーソンの会員という人もとても多いのです。たとえば、フィリピンはご存知のとおり、非常にカソリック教徒が多い国ですが、メーソンも非常に多い。カソリック教会のなかのビショップ=司教がメンバーだったりすることも珍しくありません。
私個人としては、人を見る場合、その人個人の資質を見ますから、その人がどういう宗教の人かということは重視しません。ただし、カソリックの信徒で、メーソンになりたいと希望する人に対しては、カソリック教会はフリーメーソンリーを否定していますが、いいのですか、と一応確認します。どうしてかというと、本人はいいとしても、家族のなかにカソリック信徒がいる場合、問題が生じる可能性がある。そんな事態になってしまうのは、私としてはやはり心が痛むからです。
思索的メーソンを中核とする近代フリーメーソンリーは、明らかにその出発点から、「脱カソリック」というオブセッションを内包していたといえるだろう。言い換えるならば、それだけカソリックの教権支配が、近世までヨーロッパでは強く、そうであるからこそ、その支配から逃れようとする衝迫も強かったに違いない。
『フリーメイソン』(講談社現代新書)という著書もある名古屋大学教授の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーには独自の思想というものがあるわけではない。それはさまざまな思想を受け入れる中空の受け皿であり、実際に盛り込まれたのは18世紀ヨーロッパの時代精神でした」と言う。
「18世紀の時代精神」とは何か。啓蒙主義であり、理神論であり、「自由・平等・友愛」の精神であり、エキュメニズム(宗教的寛容と統合の思想)であり、またときに無神論でもある。イングランド系の「正統」フリーメーソンでは、<G>という一文字であらわされる「至高存在」への崇拝を求められるが、大陸で独自の発展をとげた分派には、この「至高存在」を認めない無神論的セクトもある。この点が、実は英米系のメーソンリーと大陸系のメーソンリーを分かつ決定的なポイントとなるのだが、それは後でふれる。
▼至高の存在<G>の秘密
--フリーメーソンリーでは「至高存在」を<G>という一文字であらわしますよね。フリーメーソンリーに入ると、最初に<G>について、ゴッドあるいはグレーと・オブ・ザ・ユニバース(宇宙の創造者)と説明される。ところが、そのうちにこれはジオメトリー(幾何学)だと教えられるという話を聞いたことがあります。これは何を意味しているのですか。人間の理性や知性への信仰ですか。
クライプ 最初に<G>はゴッドで、そのあとでジオメトリーだと明かされるということではありません。最初のレクチャーの二、三分の間に、<G>は神を意味すると同時にジオメトリーであるということを明かされるわけです。それは基本的には、教育を受けるとか、何かを学ぶということに関係があるんです。特に、幾何学がなかったら何も作れない。これは、フリーメーソンリーが、もともとは建築家の集団であったことに由来しますが、それだけではなく、今まで無知だった人間に知識が与えられる。そういう「啓蒙」の意味がこめられているんです。
片桐 幾何学がなぜ、フリーメーソンリーのなかで重視されるのか、これはイギリスの建築史を知る必要があります。12世紀から16世紀ぐらいの間にイギリスではゴシック建築が隆盛をきわめました。この400年間に1万2千の建物ができたという記録が残っているんです。ゴシック建築にはいくつかの特徴がある。一つはとんがった尖塔を造る。あれは、神様が上にいるから、なるべく近いところに行きたいという発想ですね。それから2番目の特徴は、丸いドーム型の天井です。複雑な力学的計算ができないと、これは造れない。
こうしたデザインの建築物を造るには、当時としては、非常に高度な幾何学=ジオメトリーの知識を必要としたわけです。それを、12世紀から16世紀の間、メーソンたちはギルドを作って、自分たちで囲い込んで、絶対に外に出さなかった。出せば、自分たちの利益を損ないますからね。
しかも、その頃に字を読める人ってほとんどいないわけです。だから、彼らは口から口へと口伝で秘密の技術を伝えた。その前に、「お前、秘密を漏らしたら首を切るぞ」というような脅かしをして、絶対の宣誓をさせて、それで教育していったわけです。それが、実務的メーソンの時代で、400年も続いていったわけです。
今のは技術面のことですが、もう一つ、若手の人格教育の側面があります。ギルドの中に若者が入ってくると、技術教育だけではすまなくなってきて、人格教育も必要になる。ところが、教える方も教わる方も字が読めない。それで彼らがやった方法は、工具だとか石とか自分の身のまわりのもので、寓意的、寓話的にわかりやすく教えたわけです。たとえばどこのロッジにも、石切場から切り出してきたばかりの原石と、きれいに正方形に磨きあげた石とがおいてある。「お前は、今箱の原石と同じなんだ。原石は、親方メーソンが描く設計図にしたがって、切って磨きあげないと使いものにならない。石も人間も同じ。磨いてはじめて一人前になれるんだよ」と--。
こうした象徴的な教え方によって、人格教育をしようとした。それが今でもメーソンのなかに儀礼として残っているわけです。
▼石工の集団になぜ貴族が?
--伝統的な実務的メーソンが、集団を維持し、自分たちの利益を守るために閉鎖的な共同体を作る必要があった。これはわかるのですが、ではなぜ、上の階級に属する知識人や貴族やブルジョアなどが、この集団に入ってきたのか。どうも、その動機がよくわからない。当時のヨーロッパは強固な階級社会でしょう。上流階級の人間が、身分が高いとはいえない石工の集団に、なぜ自ら入っていったのでしょうか。
クライプ 私は歴史家ではないので、正しいことは言えないんですが、「フリー」という言葉が示すように、フリーメーソンはいろんな国へ移動して仕事をする事由が特別に認められていた。当時のヨーロッパは、現代のように交通も通信網も発達していないし、もちろんマスコミもない。移動の自由も制約されている。そんな時代にいろいろな場所を旅行する人というのは珍しい。フリーメーソンといわれる人たちは、いろんな場所に行って、そこにある程度住み着き、また戻ってくる。そうすると、普通の人が絶対に持ち得ないような知識や情報や見聞を持ち帰ってこれる。そうしたフリーメーソンだけが持ち得る貴重な情報や見聞に、知識階級や貴族は非常に強い関心と好奇心を抱いたのではないでしょうか。
片桐 実務的メーソンたちの結社に、石工ではない人間が入ってきたのは、最初は1600年といわれています。スコットランドのエジンバラ・ロッジです。オーチェンレックという土地のジョン・ボズウェルという小領主が入会したという記録が残っているのです。これが思索的メーソンの始まりとなるわけですが、その1600年から最初のグランド・ロッジの発足まで117年あるわけです。
フリーメーソンとは何か その1
フリーメーソンとは何か その2
フリーメーソンとは何か その3
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