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フリーメーソン入門 その2

だから情報は有りがたくいただいて無智を脱却する必要はあるわけです。



啓蒙主義と黒魔術 その1

ただの1ドルたりとも真っ当な手段で稼いだ金はない?

フリーメーソンとは

フリーメーソン-125  七夕の起源
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フリーメーソン-126  フリーメーソンとは何か-1 (天文学的考察)
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フリーメーソン127  フリーメーソンとは何か-2  (ソロモン神殿)
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フリーメーソン-128  フリーメーソンとは何か-3 (ローマ コレギウム)
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フリーメーソン-129  フリーメーソンとは何か-4 (11世紀 大聖堂)
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フリーメーソン-130  フリーメーソンとは何か-5 (テンプル騎士団) 
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フリーメーソン-131  フリーメーソンとは何か-6 (フリーメーソン語源)
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フリーメーソン-132  フリーメーソンとは何か-7 (薔薇十字団)
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フリーメーソン-133  フリーメーソンとは何か-8 (コーヒーハウス) 
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フリーメーソン-134  フリーメーソンとは何か-9 (フリーメーソン憲章) 
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フリーメーソン-135  フリーメーソンとは何か-10 (王族の入会) 
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フリーメーソン-136  フリーメーソンとは何か-11 (ヒラム伝説)  
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フリーメーソン-137  フリーメーソンとは何か-12 (古代派と近代派)
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フリーメーソン-138  フリーメーソンとは何か-13 (ニュートンとロック)   
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フリーメーソン-139  フリーメーソンとは何か-14 (理神論) 
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フリーメーソン-140  フリーメーソンとは何か-15 (チェインバーズ百科辞典) 
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フリーメーソン-141  フリーメーソンとは何か-16 (フランス百科全書) 
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フリーメーソン-142  フリーメーソンとは何か-17 (徒弟・職人・親方)
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フリーメーソン-143  フリーメーソンとは何か-18 (フリーメーソン否認の勅命)
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フリーメーソン-144  フリーメーソンとは何か-19 (フランスへの伝播)
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フリーメーソン-145  フリーメーソンとは何か-20 (大東社とフランス革命)  
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フリーメーソン-146  フリーメーソンとは何か-21 (ドイツへの伝播:フリードリヒ2世)
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フリーメーソン-147  フリーメーソンとは何か-22 (イルミナティ)
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フリーメーソン-148  フリーメーソンとは何か-23 (モーツアルト:魔笛) 
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フリーメーソン-149  フリーメーソンとは何か-24 (ヨーロッパ全土への伝播) 
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フリーメーソン-150  フリーメーソンとは何か-25 (アメリカへの伝播) 
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フリーメーソン-151  フリーメーソンとは何か-26 (アメリカ独立宣言と建国) 
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フリーメーソン-152  フリーメーソンとは何か-27 (フリーメーソン陰謀のでっちあげ)
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フリーメーソン-153  フリーメーソンとは何か-28 (阿片戦争と中国進出) 
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フリーメーソン-154  フリーメーソンとは何か-29 (初めてのフリーメーソン来日)
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フリーメーソン-155  フリーメーソンとは何か-30 (黒船来襲:ペリー提督)
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フリーメーソン-156  フリーメーソンとは何か-31 (ジョン万次郎)
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フリーメーソン-157  フリーメーソンとは何か-32 (トーマス・グラバー) 
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フリーメーソン-158  フリーメーソンとは何か-33 (坂本龍馬と亀山社中) 
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フリーメーソン-159  フリーメーソンとは何か-34 (大政奉還と龍馬暗殺) 
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フリーメーソン-160  フリーメーソンとは何か-35 (エリザベート) 
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フリーメーソン-161  フリーメーソンとは何か-36 (明治維新)  
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フリーメーソン-162  フリーメーソンとは何か-37 (イタリア統一運動とバチカン)
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フリーメーソン-163  フリーメーソンとは何か-38 (龍馬暗殺と三菱財閥)  
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フリーメーソン-164  フリーメーソンとは何か-39 (日英同盟と日露戦争・ロシア革命)
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フリーメーソン-165  フリーメーソンとは何か-40 (オレンジ計画と第二次世界大戦) 
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フリーメーソン-166  フリーメーソンとは何か-41 (李香蘭と蒋介石) 
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フリーメーソン-167  フリーメーソンとは何か-42 (アウシュヴィッツとイスラエル建国) 
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フリーメーソン-168  フリーメーソンとは何か-43 (マッカーサーとGHQ)
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フリーメーソン-169  フリーメーソンとは何か-44 (皇族メーソンからプロレスまで) 
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フリーメーソン-170  フリーメーソンとは何か-45 (イルミナティと中央銀行支配)
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フリーメーソン-171  フリーメーソンとは何か-46 (世界の権力者たちと悪魔のサイン)
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フリーメーソン-172  フリーメーソンとは何か-47 (フリーメーソンのシンボル) 
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フリーメーソン-173  フリーメーソンとは何か-48 (フリーメーソンの階級)  
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フリーメーソン-174  フリーメーソンとは何か-49 (香水ミツコとカサブランカ)
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フリーメーソン-175  フリーメーソンとは何か-50 (水瓶座の時代)  
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日本ロッジ元グランド・マスター・ロングインタビュー
ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち

   原文

 その頃の英国史を見ますと、カソリックと英国国教会とピューリタン(清教徒)などが入り乱れて、非常に激しい宗教対立に見舞われた時期だったことがわかる。1640年に始まったピューリタン革命では、国王のチャールズ一世が処刑されている。1649年のことです。その後、ずっとそういう血なまぐさい事件が5、60年の間連続しています。
 すると、これはまったくの想像ですけれども、前後の事情から判断して、貴族だろうが、領主だろうが、我が身かわいさから、宗教的に寛容なフリーメーソンリーに、ある種の連帯感や信頼感を求めて入っていったとしても無理はないなという感じがします。要するに、文化的な好奇心だけじゃなくて、身の安全を図るという功利心があったとしてもけっして不思議じゃなかった、そういう時代だったと思います。
 いずれにしても、フリーメーソンリーは、最初のグランド・ロッジが結成され、「憲章」が発表されて以後、まるで火がついたように大流行となりました。1717年にたった四つしかなかったロッジが、12年後には50になり、30年後には世界中に広がってしまったんですからね。

 前出の吉村正和氏は、「フリーメーソンリーは、一面ではイギリスの社交クラブ文化の産物」であると言う。
 フランスにおいて社交サロンの文化的伝統が息づいているように、イギリスにも、パブ(居酒屋)を舞台とした社交クラブの文化的伝統が根を張っている。最初にグランド・ロッジを形成した四つのロッジも集会所はパブであり、各々のロッジの名称もパブの店名をつけていた。
 「集まって何をするかといえば、要するに宴会を開き、酒を飲むのです。つまりはフリーメーソンリーといえども、幾多ある社交クラブの一つにすぎなかったわけです」
 考えてみれば不思議な話である。フリーメーソンリーがその出発点において、どこにでもある、パブの常連客の親睦会にすぎないような社交クラブの一つだとするならば、なぜそのなかでフリーメーソンリーだけが、「火がついたように大流行」したのだろうか。現代のカルトのように、フリーメーソンリー自身が、積極的に宣伝や勧誘を行なって、会員を増やしていったというならばまだわかる。しかし、事実はまったくその逆なのである。
 宣伝も行なわない。入会に制限を設ける。そんな団体が、なぜ最初のグランド・ロッジの誕生から30年ほどの間に、カソリック教会に匹敵するほどの世界的なネットワークを形成しえたのだろうか。『フリーメーソンリー』(中公新書)を著した京都府立医大教授の湯浅慎一氏は、「いくら研究してみても、メーソンの拡大の真の理由はよくわからない」と率直に述べる。
 「教会の世俗化という時代の流れのなかで、ゴシック建築が衰退してきた17世紀後半、石工たち、すなわち実務的メーソンは失業の危機に瀕していた。そのため、自分たちのギルドの保護者を建築社集団の外に求める必要があり、積極的にブルジョア貴族を勧誘しようとした。実務的メーソンの側にはそういう動機はあると思うのです。しかし、貴族やブルジョアや知識人たちが石工のギルドに喜んで入ろうとする積極的な動機を説明するのは難しい。あえていえば、メーソンリーの内部に、あたかもそこに古代からの伝統的な神秘思想や叡智がひそかに温存されており、入会したものだけにその秘儀が明かされるという、好奇心をかきたてられるもったいぶった誘惑があっただろうとは思います」

▼「オカルト」を期待すると失望する

 --近代フリーメーソンリーのなかには、成立当時の18世紀の最先端の思想だった啓蒙主義などが取り込まれている。と同時に、キリスト教会から異端として排除されてきたグノーシス主義や、ユダヤ教神秘主義のカバラ思想、錬金術などのオカルティックな思想やシンボルも盛り込まれている。合理的な啓蒙主義と非合理的な神秘主義という、一見、相矛盾する思想が共存しているのは、なぜなのでしょうか。

クライプ これも、私の個人的な意見なんですが、神というのは無限の存在です。そして人間には限界があります。有限な存在が、無限の神について判断することはできません。ですから、無限な存在である、あの神、その神、この神のどれが正しいということを、有限な存在である「私」が判断しようとすることは傲慢であり、実際、不可能なんですね。フリーメーソンリーのロッジのなかでは、宗教とか政治の話をすることは一切禁止されており、常に周囲との調和を大事にするように求められます。その一方で、ありとあらゆる宗教の信者、そして、いろいろな政治的理念を受け入れてきたのです。さまざまな思想やシンボルがフリーメーソンリーのなかに保存されているのは、そうした寛容の精神がもたらしたものではないでしょうか。

片桐 フリーメーソンリーは、オカルト結社である、とたびたび批判されています。33もの階級に分かれていて、階級を登るたびに秘密の教えを順番に説かれていくともいわれている。しかし、こういう話は、半分は本当ですが、半分は誤解です。まず、フリーメーソンリーには徒弟・職人・親方という三つの階級しかありません。しかしこのメーソンリーの付属団体として、スコティッシュ・ライト、ヨーク・ライトという二つの団体があり、こちらには一応、高位階が用意されています。とはいえ、メーソンリーの上部団体ではありえません。この二つはメーソンリーの哲学を詳しく勉強したい人のための団体なのですが、その教えをひとことで言えば、個人の尊厳が大事だということを説いているだけのことです。オカルト的・秘教的な教えを期待した人は、必ず失望します。
 スコティッシュ・ライトの33番目の階級というのは、これは名誉階級で、儀式の世話役などを長く務めてきた功労者に与えられるものです。実質的には32階級で、私もその32番目の階級に属するんですが、これは丸二日、講義を受講さえすればもらえちゃうんです。外から見ると、何かすごいことのように思えるのでしょうが、大したことないんです。この階級の名前の一つに「薔薇十字」という名前の階級があります。有名なオカルト結社の名前から借りてきちゃったわけです。そういうことがあるために、オカルト結社だと言われてしまうんでしょうけど。
 メーソンのなかで教えられることは、神秘主義的な教えではなく、もっと世俗的な道徳ですよ。ただ、生と死については、真面目に考えられています。人間は死後に、シュープリーム・ビーイング(至高存在)によって審判が下される。そのとき後悔することのないように、まじめに生きろと諭されるわけです。当たり前の道徳という以上のことはないですよ。
▼ユダヤ人とフリーメーソンリー

 前出の湯浅氏は、フリーメーソンリーが爆発的な発展をとげたもう一つの理由として、大英帝国の帝国主義的拡張期に重なり合ったため、という説をあげる。
 「英国の権力者が、国際的なネットワークをすでに確立していたフリーメーソンリーを、大陸政策のために利用した、ということは充分考えられます。フリーメーソンリーの拡大の歴史は大英帝国の帝国主義的な膨張の歴史とぴたりと重なりますし、そう考えれば、貴族や王侯がこぞって参入した理由も説明がつく。メーソンリーを情報ネットワークとして利用できますから。
 ローマ・カソリックの教権支配からの解放という過程も、純粋に思想史上の問題としてみるのではなく、イギリスの地政学的利害がそこにからんでいたと考えた方が、歴史の実相により近いと思います。批判を加えるためにも頭から無視してはいけない。もっとも、ユダヤ人陰謀論は問題外ですけれども」

片桐 フリーメーソンリーのなかに、ユダヤ人が多いのは事実です。特に米国のニューヨークのロッジとか、ユダヤ人の居住人口が多い地域には多い。それでも、全米国のメーソン会員のなかに占めるユダヤ人の割合は一割に満たないはずです。一般の人口比から考えれば多いと思いますけれど、それはユダヤ人が一般社会のなかで差別されてきた、それに対し、メーソンは差別をしなかった、そういう歴史的理由によるものです。ユダヤ人あるいはユダヤ教徒は、キリスト教社会のなかで徹底的に差別されていましたから、彼らにとって、宗教によって差別をしないメーソンリーはオアシスのようなものだったでしょう。ロッジの外ではまともに相手にしてもらえないキリスト教との市民たちと、同党に友愛を結ぶということが可能となったわけですから。彼らが「こんなにありがたいものはない」とこぞって入会したのは当然だと思いますよ。宗教によって差別をしないということは、先ほども言いましたが、もともとはキリスト教内部の問題だったのです。18世紀に入るまでに旧教と信教の対立があり、そのために戦争まで起きていた。そういう悲劇を繰り返さないためにも、宗派を超えて友愛の関係を結ぼうという考え方が生まれ、それを実践に移そうとしたのがメーソンだったわけです。後にこうした宗教的寛容の精神が拡大され、ユダヤ教徒や仏教徒やイスラム教徒にも適用され、今日のような世界的な広がりをもつに至ったわけです。もちろん、ユダヤ人がフリーメーソンリーをコントロールしているとか、フリーメーソンリーはユダヤ人の秘密結社であるとかいった噂は、根拠のない中傷にすぎません。そもそもフリーメーソンリーには、組織全体をコントロールする中央指令部のようなものは存在しません。
 今は、米国でもユダヤ系のメンバーが減りつつあるそうです。100年前ならば、ユダヤ人は対等の立場での人間関係を強く求めていました。しかし、現在では、ロッジの外の一般社会のなかでちゃんとした社会的地位を持っています。メンバーが減りつつある理由はそういうことでしょう。

クライプ フリーメーソンリーがユダヤ人と君で世界を支配しようとしているなどというのは、まったく無責任なデマです。そもそもフリーメーソンリーが政治的に動いて政府を倒すとか、団体として政府に反対することは不可能なんです。
 ある人がマスターになる前には、次のようなことを誓わなければいけないんです。
(1)あなたは、良識ある人間、真実の人間になることに同意し、そして以下に述べるモラルとルールに従うことを厳しく誓います。
(2)あなたは、平和的な市民になり、そしてあなたが住んでいる国の法律に快く同意することを誓います。
(3)あなたは、政府に対して陰謀を企てたりすることなどなく、忍耐強く(日本の)国法に従うことを誓います。
(4)あなたは、法的秩序と司法・治安機関に尊敬の念をもち、勤勉に働き、すべての他者に尊敬されるような行動をすることを誓います。
 マスターは、こういうことを必ず遵守するということを誓わなければいけません。ロッジのマスターがこういうことを誓うということは、ロッジの全員もこれに従わなければいけないわけです。つまり、平和な市民として、国の法律に従うわけですから、国家に対して陰謀を企てたりすることは許されないんです。

片桐 フリーメーソンリーは決して、反社会的行為を認めない。入会の儀礼のときにも、自分が住んでいる国の法律を厳守することを誓約するのです。たとえば、私は十年あまりシンガポールに住み、ロッジにも入会していましたが、そこではシンガポールの法律を守らなくてはいけないと約束させられました。このルールを破った者がいたら、我われはきちんと処分します。その場合の処分は、三段階に分かれます。まずは警告。次に資格停止。最後には追放です。追放処分となると、他のロッジに入ることも二度とできません。
 以前、イタリアで、グランド・ロッジの傘下にあったP2というロッジが、組織ぐるみで大規模な政府転覆の謀議に関わっていたという事件がありました。この事件のためにP2は解散させられ、関係者はすべて追放させられました。P2を傘下におさめていたイタリアのグランド・ロッジは、承認こそ取り消されませんでしたけど、監督不行き届きということで各国のメーソンリーから非難を浴びて、大恥をかきましたよ。

 --大変うがった見方かもしれませんが、こういう規則はフランス革命と米国の独立戦争のあとから作ったんじゃないですか? それともその前からあったんでしょうか? フランス革命に関わった有名なオルレアン公やロベスピエール、ミラボーなどはみんなメーソンでしたね。彼らは革命を扇動する演説をしたり、革命的な行動をとったということで、フリーメーソンリーから除名されたんでしょうか? 私が調べた限りでは、そうした事実は認められないのですが。

クライプ いま言われた、フランス革命などについては、私に歴史的な知識がないのでなんとも答えられません。
 私が述べた規則は、マスターの人が自分のロッジを支え、まとめてやっていくための規則なんです。ですから、マスターは、ロッジのなかではそういうことはやらないけれども、ロッジから一歩でも出たら、政府に反対の意見を持っていて、政治的な行動を起こすかもしれない。でも、その個人的な意見を、ロッジをまとめる上で持ち込んではいけないということなんです。ロッジの規則と個人とは別なのです。

片桐 現在ある憲章のすべてが、ずっと昔から成文化されていたとは確かに言えないでしょう。あらゆる人間の集団のルールがそうであるように、試行錯誤を重ねてできあがったものだと思います。「居住する国の法を守れ」という規則が生まれたのは、やはり苦い経験を積んだからでしょう。フリーメーソンリーは世界各地にありますが、現地の法律を守らないと、やはりその国の政府ににらまれますから。「違法行為」の最たるものは、やはり国家権力の転覆をはかる革命の謀議でしょう。
 フランス革命に数多くのメーソン会員が関わった。これは歴史的な事実だろうと思います。その史実が、「政治的陰謀を企む秘密結社」という風評のもとになっているのかもしれませんが、逆を言えば、だからこそ現在のイギリス系メーソンリーでは組織としての政治活動を禁じる厳しい憲章が確立されたのかもしれません。これはあくまで私の推測ですが--。
▼イルミナティとグラントリアン

 先にふれたように、フリーメーソンリーは大別して、英米系と大陸系に二分される。ドイツでは、インゴルシュタット大学の教員アダム・ヴァイスハウプトによって1776年にイルミナティという秘密結社(「啓明結社」とも「光明回」とも訳される。渋澤龍彦は著書『秘密結社の手帳』のなかで「バヴァリア幻想教団」と呼んでいる)が創設された。この結社はイギリス系のフリーメーソンリーとは違って、超越的存在(神)を認めず、君主制を妥当し、急進的に共和制の政権を樹立しようとする純然たる政治的秘密結社であった。このイルミナティをフリーメーソンリーの一つとみなす論者は少なくないが、メンバーが重複していただけで、別の結社であると考えるのが適切なようである。
 「バヴァリア幻想教団とフリーメーソンとを混同する歴史家もいるが、両者はまったく別のものである。ただ、フリーメーソンの非政治主義にあきたらず、メーソンのなかから幻想球団へ加入した者も、大勢いたらしい」と、渋澤龍彦も前掲書のなかで述べている。結局、このイルミナティは1785年に、バヴァリア選挙候カール・テオドールによって禁止令が出され、90年にはほぼ消滅したといわれている。
 今日においてなお歴史的評価が難しいのは、イギリスの次にグランド・ロッジが成立したフランスのメーソンリーであろう。世界史の展開に深く、しかも劇的に関わったという点では、フランスのメーソンたちは、本家イギリスのメーソンをしのぐ。オルレアン公フィリップ、ヴォルテール、ミラボー、ロベスピエール、ラファイエット、モンテスキュー、ディドロ等々、フランス革命の名だたる立役者がフリーメーソンであったことはまぎれもない史実である。
 ここで注意を要するのは、1771年(73年という説もある)にフランス・グランド・ロッジから独立する形で創設されたグラントリアン(大東社)である。日本において公刊されているフリーメーソンリーの研究書は、ほとんどがこのグラントリアンと、イギリスに誕生した「正統」フリーメーソンリーとを並列するか、あるいは曖昧に混同して記述している。しかし、イギリス系はすでに述べてきたように、教会と王権の支配を相対化したものの、「至高存在」と王政を否定しはしなかった。それに対し、グラントリアンは実際、急進的な啓蒙主義の影響を受けて、「至高存在」に対する尊崇を排し、無神論的な政治結社になっていく。明らかに両者は、ある時期から別種の思想を報じる別種の団体となっていったのである。もっとも、英米系と大陸系メーソンリーが混同されがちなのは、仕方がないところもある。本家のイギリス系メーソンリーが、グラントリアンに対する承認を取り消し、絶縁を宣告したのは、フランス革命勃発から約80年後の1868年のことである。言い換えるならば、イギリス系の「正統」フリーメーソンリーは、一世紀近くもの間、グラントリアンを「承認」し続けてきたわけである(その後、フランス・グランド・ロッジとグラントリアンが再統合して1914年にグランド・ロッジ・ナツィオナルが創設され、イギリス系メーソンリーとの間に承認関係が復活した)。一時絶縁したとはいえ、歴史的にこの無神論的政治結社と「まったく無関係」とは言い切れないだろう。

▼マッカーサーとトルーマン

 --ドイツのイルミナティやフランスのグランドトリアンについては、本当にまったくご存じないのですか?

クライプ 聞いたことはありますけど、歴史的なことはよくわかりません。
 とにかくまず強調したいのは、各国のグランド・ロッジは独立しているということです。もともとはイギリスから始まりましたから、ドイツやフランスに入った当初は、とてもイギリス的でした。しかし、それぞれの国や地域のグランド・ロッジは独立していき、なかにはイギリスのフリーメーソンリーとは違う思想を持った組織をつくり出す場合もある。ここで重要なことは、相互承認の原則なんです。相互承認が成り立てば、双方のグランド・ロッジの間に友好関係が生まれるわけですが、原則が一致しない場合は、互いに承認しません。
 問題は、世界中の正統なフリーメーソンリーのグランド・ロッジが承認していないにも関わらず、勝手に「私たちは、フリーメーソンリーのグランド・ロッジなんだ」と名乗っている団体がいるわけです。私たちはこういう団体に対して、「承認しない」という以上の「制裁」を加えることができません。そうした団体がフリーメーソンリーと名乗るのをやめさせる強制力は、私たちにはないのです。でも、外部の人から見たら、どの団体もすべてフリーメーソンリーと見えるでしょう。ここが頭の痛い点です。

片桐 繰り返しになりますが、団体としてのフリーメーソンリーと、個人としてのフリーメーソンは別だということを忘れないでください。フランス革命に数多くのメーソンが関係したとしても、革命期には多くの市民が、それぞれの立場で革命に参加したでしょうから、その中にメーソン会員がいても不思議ではない。個人として、自分の政治的な信条に従って行動することはひとつも悪くありません。組織としてのフリーメーソンリーはそのことに全然介入しません。個人の自由意思を尊重しますから。
 同じことは、米国初大統領のジョージ・ワシントンにもいえることです。ワシントンがフリーメーソンだということはよく知られていますし、彼の部下も多くはフリーメーソンでした。彼らが独立戦争を戦ったのは、まぎれもない史実です。しかし、革命の敵軍である英国軍にも、フリーメーソンのメンバーが大勢いたのです。そういう記録がちゃんと残っています。英国軍側のフリーメーソンは祖国に対する忠誠から戦い、米国側のフリーメーソンは、独立を求めるのは正しいと信じて戦ったんでしょう。それでいいんです。そこにはぜんぜん矛盾がない。

クライプ メーソンの間ですごく人気のあるエピソードがあります。第二次世界大戦中、メーソンのメンバーは三つめのボタンに赤いリボンをつけて戦場へ赴いた。ナチスの兵隊と米国の兵隊が、互いに撃とうとして照準を定めた時、そのリボンが見えた場合、引き金を引くのをやめるということがあったそうです。また、米国の南北戦争のさ中に、昼間は敵味方に分かれて戦争をしていて、夜になると同じロッジで出会ったりしたという話もあります。昼は戦争していても、夜は「ブラザー」としてつき合うわけです。そういう逸話が数多く残っています。自分の帰属する国家に忠誠を誓い、自分の政治信条に従って行動している時も、心のどこかで友愛の精神を忘れずにいる、それがメーソンなんです。

片桐 マッカーサーもメーソンでしたが、彼にも面白いエピソードが残されています。

 --マッカーサーはグランド・マスターだったのですか?

片桐 いやいや、そんなに偉くない。ぺーぺーです(笑)。だけどまあ、オナラブル・メンバーです。横浜に、スコットランド系の「東方の星」というロッジがあるんですが、そこの名誉会員に叙されていました。
 マッカーサーは、朝鮮戦争中に旧・満州地方を原爆攻撃しようとしたんです。中国軍の人海戦術におされ、米軍はひどく苦戦していました。挽回するには、後方基地である中国の東北地方に原爆を落とすしかないと考え、ワシントンに上申したのですが、トルーマン大統領は大反対した。結局二人は、太平洋上のウエーキ島で会談したのです。しかし大統領がいくら説得しても、マッカーサーが折れないので、とうとう最後には大統領は「サノバビッチ!(クソったれ!)」と言い放ったそうですよ(笑)。
 それでマッカーサーを解雇しちゃったんです。ところが、このトルーマンも有名なメーソンです。もし仮に二人が激論を交わしたその日、近くにロッジがあって、二人がここでも会っていたとしたら、会見の席では「プレジデント」「ジェネラル」とお互いを呼んでいた二人が、今度は「ブラザー」と呼び合うことになったでしょう。
 だから、メーソンであるということと、ビジネス上の利害や職務や政治的立場はまったく別問題なんです。関係ないんです。
▼日本だけの陰謀説

 --わかりました。話をオウムのことに戻しましょう。クライプさんは、オウム真理教の事件についてはご存じですよね。

クライプ もちろん。ニュースで聞いて知っています。

 --彼らは、妄想であるにせよ、何者かと戦っているつもりなのです。問題は、彼らが戦っている相手なのですが、それは、ときに日本の政府だったり、ライバルの宗教団体であったりもするのですが、それ以上に「ユダヤ=フリーメーソンに支配されている世界」そのものなのです。自動小銃を大量に密造したり、サリンを製造したりしたのは信じがたいことですが、どうやら本気で世界を相手に戦争を仕掛けるつもりだったらしい。彼らのこうした世界観や行動を知って、メーソンリーの一員であるあなたは、どうお考えですか?

クライプ 今までの歴史において、たびたびメーソンリーは攻撃を受けています。そういう時には、私は弱気になって、自分がメンバーであることにがっかりしたり、後悔を覚えたりします。確かに今までフリーメーソンリーは歴史において、誤解されるような行動をとったこともあったでしょう。しかし、総じていえば、プラスになることをしただろうと思っています。
 今回のオウムの事件についていえば、思想以前の問題として、地下鉄でサリンをバラまき、無差別に人を殺すなんてことが許されてよいわけがない。ほとんどの日本人がこのテロ行為を許さないでしょう。オウム真理教は、とんでもない悪事をしでかした。ということは、そういうテロ集団であるオウム真理教が攻撃を加えているフリーメーソンリーは、逆に日本の多くの人に肯定的に理解される可能性が出てきたんじゃないでしょうか。

 --今、オウムが悪くて、フリーメーソンリーが正しいと、善悪の対比でおっしゃいましたが、こういう考え方をする人もいます。「オウムは弱かったが、フリーメーソンリーは強かった」(爆笑)。

クライプ (笑いながら)おっしゃるとおり、そう考える人もいるかもしれません。しかし私には、それはあまり重要ではありません。私がいちばん大事だと思うのは、人びとが考えることであり、そのきっかけができたことだと思います。フリーメーソンリーに対する偏見という点では、オウムだけが特別な考え方の持ち主だとは、私は思いません。彼らは偏見を前面に押し出しましたが、そこまでしなくても多くの日本人がオウムとの同様の、間違った情報にもとづく偏見を抱いています。
 具体的な例を幾つかあげましょう。
 私がある日、銀座でタクシーを拾ったときのこと。ドライバーに、飯倉にあるフリーメーソンリーのグランド・ロッジまで行ってくださいと言ったら、「あそこはユダヤ人ばかりが行くところでしょう?」んと、怪訝そうな表情で言われました。日本では、メーソンとユダヤ人が共謀関係にあるというデマが、ごく大衆的なレベルでも浸透している。これは少々、ショックでした。
 また、別の日のこと。主婦が作っている英会話クラブに呼ばれて、何か話をしてくれと頼まれた時に、コンパスの絵を描いてフリーメーソンのことを話そうとしたら、「あなた、そんなこと話して大丈夫なんですか?」と驚かれた。危険な秘密を突然、打ち明けられたと思ったらしい(苦笑)。さらには、メーソンだと自分で名乗るなんて恥ずかしくないのかとなじられたりもしました。たぶん、その人は、メーソンリーを犯罪組織か何かと思い込んでいたんでしょう。
 一般の人だけではなく、知識があるはずのジャーナリストも偏見を抱いています。TBSのリポーターの方がインタビューにいらした時、私は浜松町の日本宇宙有人システムで働いていますから、私のオフィスでお話ししましょうと言ったんです。そうしたら彼はびっくりして、「いいんですか? あなたがメーソンだということが、皆にわかっちゃいますよ」って(笑)。私がメーソンであることは秘密でも何でもないのに。私の同僚は皆、知っているし、理解してくれていますよ。
 こうした珍妙な現象は、米国とかフィリピンではまず、みられません。韓国や台湾、香港やシンガポールでも、こんな偏見はありません。フリーメーソンリーが、陰謀団とか、オカルト団体であるとかという悪口を言われるのは、先進国では日本だけです。
▼天皇陛下を名誉グランド・マスターに

 --日本において、フリーメーソンリーに対する偏見が根強いのは、なぜだと思われますか?

クライプ いろいろな原因が考えられるでしょうが、私の考えではやはり、ナチスの影響がいちばん大きいと思います。第二次世界大戦中、ナチスはさまざまなデマ宣伝を行ないました。フリーメーソンリーに対する悪意ある中傷もその一つです。人種差別政策をとっていたナチスは、ユダヤ人を抑圧してましたから、ユダヤ人とフリーメーソンを重ね合わせて、間違った考えを輸出したわけです。当時は、日本とドイツは同盟関係にありましたから、ナチスから送られたデマ情報の影響を強く受けてしまった。ナチスの影響を、戦後50年経った今も、日本は完全に払拭できていない。それが偏見の最大の原因であると思います。
 つけ加えて言いますと、フリーメーソンリーを敵対視したのはファシズム勢力だけではない。共産主義勢力もそうでした。現在でも中国や北朝鮮では、活動を禁じられています。逆に、旧ソ連や東欧諸国では、民主化されてから以後、かつて存在したロッジが復活し始めました。ポーランドやチェコでも活動が再開されましたし、モスクワにも今は二つのロッジがオープンしています。要するにフリーメーソンリーの活動を禁じる国というのは、イデオロギーの左右を問わず、全体主義国家ばかりのなのです。

片桐 日本でフリーメーソンリーに対する偏見が残っているのは、何といってもフリーメーソンリーが社会に根づいていないからでしょうね。日本人の会員はわずか300人しかいませんから。なぜ根づかなかったのか。それには歴史的理由が三つあります。
 まず第一の理由は、フリーメーソンリーが世界中に勢力を拡大し始めた17世紀に、日本が鎖国してしまったことです。徳川政府は数次にわたって鎖国令を発布していますが、最後の鎖国令は1639年。いよいよ思索的メーソンが本格的に胎動を始めたのが、同じ17世紀半ばです。ですから、ほぼ同時期に、片方は世界史の舞台の上に上り、片方は舞台を降りてしまった。これが第一の原因です。
 第二の原因は、明治維新のあと、1887年(明治20年)に出された保安条例です。この条例のために、警官の立会いがないと集会が開けないことになってしまった。
 これは明治新政府が主として、板垣退助などによる自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するためにとった措置だったのですが、メーソンのロッジ内での集会も、保安条例にひっかかってしまう。
 ちなみに、日本で最初のロッジである「横浜ロッジ」が開設されたのは、幕末の再末期の1866年(慶応2年)です。明治維新の翌年の69年には2番目の「オテントサマ・ロッジ」が開設されました。すでにメーソンは日本国内で活動をスタートしていたわけです。このままでは困るので、88年(明治21年)の2月に外務大臣に就任した大隈重信に、ストーンさんという地区グランド・マスターが会いに行きました。話を聞いた大隈重信は、「わかった。フリーメーソンリーはこの保安条例の対象にしない。ただし、日本人を入れては困る」と条件つきで許可を与えました。この「紳士協定」のために、とりあえず第二次世界大戦が勃発するまでは、駐留外国人のための団体としてロッジを存続することができましたが、日本人にとっては無縁の存在になってしまいました。
 そして第三番目の原因が、クライプさんの言われたナチスの影響です。ナチスの思想は「ゲルマン人でなければ人に非ず」ですから、宗教、人種を問わず、平等を唱えるフリーメーソンリーとは絶対に相入れないのです。同盟国のナチス・ドイツの影響によって、戦中は、日本政府はフリーメーソンリーを弾圧し、ロッジは閉鎖に追い込まれました。戦後になってロッジが再開され、日本人の入会もようやく自由になったのです。

クライプ 日本の方々にぜひ知っていただきたいことは、メーソンであるということは、米国などでは社会的なステータスが非常に高いと評価されることです。そのために、大勢の有識者、有力者が入ってくる。
 一例をあげましょう。今から十年ほど前、米国のある雑誌が、全米のトップビジネスマン1万5千人を対象にして、アンケートをとったのです。その結果、有効回答のうちの大半、約1万人がメーソン会員であると判明しました。この話をすると、反メーソン論者にまたもや、「ほら、やっぱりメーソンはビジネス界を支配している」と言われてしまうかもしれないので、気をつけないといけないのですけど--。
 米国だけじゃなく、ヨーロッパでも、メーソンのステータスは高い。英国ではロイヤル・ファミリーが入会するのは伝統となっています。エリザベス女王は女性ですから駄目なんですが、そのかわり、ケント公が現在の英国グランド・マスターに就任されている。スウェーデンなんかは、皇太子が入っています。ベルギーもそう。日本でも天皇陛下がメンバーだったら、偏見がなくなり、もっともっと簡単にメンバーを集めることができるでしょう。もし、天皇陛下に入っていただければ、私は名誉グランド・マスターにしてさしあげたい(笑)。
▼日本国憲法はメーソンがつくった?

 --なぜヨーロッパ各国の王族がフリーメーソンリーに入会するのか、私にはやはり不思議でならない。33ある階級を上っていって、上の方へいくと初めてフリーメーソンリーの思想がわかる儀式があるという話を、あるメーソン会員の方から聞いたことがあります。その儀式とは、バチカンの法王の帽子とヨーロッパの王様の王冠を模した帽子を踏みつぶすことだという。これは事実でしょうか。また、この儀式の意味はどのように解釈しているのですか。

クライプ それは、儀式内の問題になっちゃうんで、困るんですけどね。儀式内のことはちょっと申し上げられない。ちょっと、これは公開の席では、我われは申し上げられない。

 --これは現役の複数のメーソン会員の方から聞いた話なので、たぶん間違いないと思います。この儀式は、非常に抑圧的だった教皇や王の権威を認めないということを意味するのだと思うのですが。

片桐 確かに、おっしゃるような儀式が、あることはあります。しかしそれは、王様の権威を軽んじるという意味では決してない。そうではなくて、個人の尊厳、個人の自由、これが何ものにもまして重要なんだということを言いたいわけです。決して王様を……、ひどい独裁者ならばともかく、普通の場合は決してそんなことはないんです。

クライプ 私たちは、独裁ということに対しては反対しているわけです。個人の言論の自由とか、思想の自由、そういうものを奪うものには反対するわけです。

片桐 そうですね。フリーダムですね。決して、王様の権威を否定しているわけじゃないですよ。だって、僕ら、パーティやる時に、いつでも天皇陛下に乾杯してる。今は時代錯誤みたいな感じもありますけどね。

 --実際に乾杯するんですか?

クライプ やりますよ。パーティーの時には、いつでも誰かが音頭をとります。日本にいる時には、日本の習慣、文化を尊敬する意味で、日本の伝統的な権威の象徴である天皇陛下に乾杯を捧げるんです。

片桐 ただし、これはルールじゃないんですよ、カスタムです。

クライプ 先ほど、、儀式は秘密だと私は言いましたが、これはあくまで原則です。実際には脱会したメーソンの元メンバーが、儀式の内容をすべて暴露した本を出版している。ですから米国やイギリスではもう秘密ではない。ただ、それでも私たちはこの伝統を大事にしたい。新しく入会する人が、儀式に臨む際に新鮮な驚きを受ける、そういう伝統を大事にしたいのです。

 --今年は戦後50周年ということもあり、戦後体制と、その基礎となる憲法を見直そうという議論が、活発になると予想されています。マッカーサーがメーソンであり、憲法草案を起草したGHQのメンバーにも、メーソンが数多く含まれていたとなると、戦後憲法の理念にメーソンリーの思想が入り込んでいる可能性が高くなり、議論を呼ぶと思われます。非常にデリケートな問題ですが、クライプさんは、メーソンとして、そして一人の米国人として、この問題をどうお考えですか。

クライプ メーソンリーには、さまざまな文化、多様な教えが取り込まれています。メーソンリーの思想は、四角四面の窮屈な教義ではない。もっと豊かで多様なものを包摂しています。それはどんな文化にも好影響を与えることが可能だと思います。日本文化は調和を重んじる傾向がある。これは異質な文化や思想を受け入れながら、そこにハーモニーを見出そうとするメーソンリーの考え方と相通ずるものがあると思うのです。今や地球はとても狭くなった。いつまでもささいなことで争っていてはいけない。ワン・ワールドを真剣に目指すべきです。宇宙空間に飛び立って、地球を見おろした経験のある宇宙飛行士のなかには、霊感を受けて意識の変容を体験した人が多い。アポロ11号に乗船したオルドリン飛行士などがその代表ですが、彼もメーソンです。彼以外にも、メーソンの宇宙飛行士はたくさんいます。彼らはみんな同じことを言っている。地球はひとつ、だと--。
▼厄介な半分事実の言説

 政治的意図があってのことか、単なる無知か。それとも、おどろおどろしいオカルトや陰謀の物語を織り混ぜて、興味本位の娯楽読物に仕立て上げた方がより売れるという売文家根性のなせる業か(これが最も主要なファクターであろう)。いずれにせよ、事実と虚構を巧みにミックスした、ハーフ・トゥルースの言説ほど、厄介なものはない。「ユダヤ=フリーメーソン陰謀論」本はその典型である。内容のすべてが嘘やデタラメならば、扱いはかえって容易になるのだが、一部に事実が混じっているから始末が悪い。
 どうでもよいテーマであれば、捨ておいても構わないかもしれない。しかし、フリーメーソンリーは日本の近・現代史と決して無関係ではないのだ。
 記録に残っている限りでは、日本人として最初にフリーメーソンリーに入会した人物は、幕末にオランダに渡り、帰国後、東大の前身の開成所助教授となった西周(にし・あまね)。「哲学」「理性」「抽象」「主観」「客観」など数多くの学術用語を生み出した「文明開化」の功労者である。彼はオランダ留学中に指導教授の導きで、メーソンリーに入会したのだった。
 また、英国公使(のちに大使)として1900年(明治23年)に渡英した林董(はやし・ただす)は、日英同盟の締結に大きな働きをなした人物だが、彼もまたイギリスでメーソンとなり、そのロッジで築いた人脈をフルに活用したといわれている。
 戦後の再出発に際して、メーソンリーを無視しえないことは言うまでもない。戦後憲法の生みの親であるマッカーサーがメーソンであったことは、すでに述べたとおりである。
 私たちは今まで、あまりにフリーメーソンリーについて知らなさすぎたのだ。今回の私のリポートも、メーソンリー理解のためのほんの第一歩にすぎない。長らく視野の外に置き去りにされてきた「フリーメーソンリーの果たした歴史的役割」という要素を、プラス面もマイナス面も含め、過小評価せず、逆にことさら過大視することもないように注意を払いながら、近・現代史を見直し、検証する作業が今ほど求められている時はない。戦後50年という節目の年であればこそ、なおさらである。

フリーメーソンとは何か その4

フリーメーソンとは何か その5

フリーメーソンとは何か その6
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