http://web.archive.org/web/20071218235215/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/2.html
アダムとイブの世界はエチオピアだった
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/7ceee5d86b3d4555e20bf380f826d5f2
2006/4/7
「17歳 迷い道 通りゃんせ」
はじめに
大河の源流は驚くほど小さな湧き水である。生きてゆく理由があるかぎりその一滴にも多くの価値がある。深い哀しみや孤独感は,単に呻き声をあげるだけでは癒されることはない。
本当の意味での孤独を知らなければいくら現象面から中心部を覗いてみても,あるのはただ澱んだ空気のみである。
人はそれを世間と呼ぶ。当人にとっての悲劇は他人にとって喜劇にしか写らない。怖いものを覗いて見るとそこには自信のない泣きそうな顔をした自分が写っていた。
もし僕の内面的な生活,矛盾を興味本位で覗き見する目的でこれを開く人がいたら,きっと失望するでしょう。日本では実証的な学問は進歩しないで,へーゲルはこういった,それをある人がこういったというふうに,特定の個人に対し権威ずけが行われ,それが自己形成の<完了>を阻害してきました。
ここに書かれている命題は「17歳迷い道・通りゃんせ」です。理解するには時折,嘔吐や苦痛をともないます。でも努力してみてください。蝋燭の焔が消えてしまう前に,このはかない生を自分で確かめて下さい。
そして本当の意味での自分の立脚地をおくことの出来る世界を,自分の中に築き上げ確立していくこと,それがすべてです。
鐘が刻を告げ,熱狂が和らぎ偏見という封印は解け,自己という感覚が開放され,感情で見て美と見えていたものが,理性がその仮面を剥がすというどうしようもない真実に直面することでしょう。
人は年をとり何かを習ぶのではなく,新しい次元のもと新しい照明のしたで悲しい真理を発見するのです。「帰りの石段を降りながら,自分がなぜこんど巴里に来たのかがよくわかるような気がした。この石でかためられた硬い都会(まち)に,自分を研ぎに来たのである。その都会の硬さは,あらゆるにせもの,いんちき,付け焼刃をすべて残酷に剥ぎ取ってしまうどうしようもない真実がある」辻邦夫 モンマルトル日記より
ようこそ!「ゲームの達人」ブログへ
チェンマイのストリート少女 誰がこの少女を救うのか?
藤原新也~メメント.モリより 焼け残った足
椰子の葉のせせらぎが聴こえる
大河の源流は驚くほど小さな湧き水である。生きてゆく理由があるかぎりその一滴にも多くの価値がある。深い哀しみや孤独感は,単に呻き声をあげるだけでは癒されることはない。
本当の意味での孤独を知らなければいくら現象面から中心部を覗いてみても,あるのはただ澱んだ空気のみである。
人はそれを世間と呼ぶ。当人にとっての悲劇は他人にとって喜劇にしか写らない。怖いものを覗いて見るとそこには自信のない泣きそうな顔をした自分が写っていた。
もし僕の内面的な生活,矛盾を興味本位で覗き見する目的でこれを開く人がいたら,きっと失望するでしょう。日本では実証的な学問は進歩しないで,へーゲルはこういった,それをある人がこういったというふうに,特定の個人に対し権威ずけが行われ,それが自己形成の<完了>を阻害してきました。
ここに書かれている命題は「17歳迷い道・通りゃんせ」です。理解するには時折,嘔吐や苦痛をともないます。でも努力してみてください。蝋燭の焔が消えてしまう前に,このはかない生を自分で確かめて下さい。
そして本当の意味での自分の立脚地をおくことの出来る世界を,自分の中に築き上げ確立していくこと,それがすべてです。
鐘が刻を告げ,熱狂が和らぎ偏見という封印は解け,自己という感覚が開放され,感情で見て美と見えていたものが,理性がその仮面を剥がすというどうしようもない真実に直面することでしょう。
人は年をとり何かを習ぶのではなく,新しい次元のもと新しい照明のしたで悲しい真理を発見するのです。「帰りの石段を降りながら,自分がなぜこんど巴里に来たのかがよくわかるような気がした。この石でかためられた硬い都会(まち)に,自分を研ぎに来たのである。その都会の硬さは,あらゆるにせもの,いんちき,付け焼刃をすべて残酷に剥ぎ取ってしまうどうしようもない真実がある」辻邦夫 モンマルトル日記より
2006/7/5
「蓮の華・その円想世界」
僕は湘南の藤沢市で生まれた。母が身ごもった頃横浜では米軍の大空襲で大量の爆弾が投下された。父は鹿児島で神風特攻隊員として終戦で命を救われた。24時間後出撃予定であった。二人ともよく生き延びたものである。人間生かされているなんて僕は決して想わない。冗談じゃあない。生き抜いているんだ。必死にね。中学位までの藤沢市鵠沼は沼と言われるくらい大きな池や,とくに蓮池といわれる沼地が沢山あり,釣り場所は困るくらいあった。僕の場合鮒つりに始まり,アラスカなど世界中を釣り歩いた。
そして今再び鮒(ふな)に戻ってきた。一緒に釣りをしたいと想ってももう父はいない。あの時の蓮池は今は1/10になったが少しは原型を留めている。僕は蓮という生き物のことを今まで知らなかった。僕のブログの最初の方に「さようならサラ」という文がある。薄幸な少女が一輪の蓮の華を手にはさみ,一心不乱に祈りを捧げている。蓮の華について少し語ってみよう。
祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色,盛者必衰のことわりを
あらわす。おごれる人も久しからず,只
春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には
ほろびぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)
に同じ。 __平家物語より__
諸行無常・・この世に存在するすべてのものは
関係することであり,現象としてあらわれる全て
のものが流転し,一刻一刻変化しその全てが
また真実である。この世には実体と呼ばれる
ものはない。
現実をあるがままに認め,願っても叶わないような
ものは追い求めない。これが苦しみから救われる
路。
いかなる者もいつかは滅びる。あの泥のなかで
栄養を吸収し美しい華を咲かせる蓮の華を見て
ごらん。泥に汚されることなく転生し泥という
煩悩のなかで綺麗な華という花を咲かせる。
これぞ涅槃なり。だから事実をありのままに
受け止めなさい(如日知見)・達人解説
大賀蓮・町田市薬師寺公園
そして今再び鮒(ふな)に戻ってきた。一緒に釣りをしたいと想ってももう父はいない。あの時の蓮池は今は1/10になったが少しは原型を留めている。僕は蓮という生き物のことを今まで知らなかった。僕のブログの最初の方に「さようならサラ」という文がある。薄幸な少女が一輪の蓮の華を手にはさみ,一心不乱に祈りを捧げている。蓮の華について少し語ってみよう。
祇園精舎の鐘の声,諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色,盛者必衰のことわりを
あらわす。おごれる人も久しからず,只
春の夜の夢のごとし。猛き者も遂には
ほろびぬ。偏(ひとえ)に風の前の塵(ちり)
に同じ。 __平家物語より__
諸行無常・・この世に存在するすべてのものは
関係することであり,現象としてあらわれる全て
のものが流転し,一刻一刻変化しその全てが
また真実である。この世には実体と呼ばれる
ものはない。
現実をあるがままに認め,願っても叶わないような
ものは追い求めない。これが苦しみから救われる
路。
いかなる者もいつかは滅びる。あの泥のなかで
栄養を吸収し美しい華を咲かせる蓮の華を見て
ごらん。泥に汚されることなく転生し泥という
煩悩のなかで綺麗な華という花を咲かせる。
これぞ涅槃なり。だから事実をありのままに
受け止めなさい(如日知見)・達人解説
2006/12/24
「蒼闇月華(tyou)の詩と変身したTyou
蒼い 蒼い 華には
名前が ない
だから
誰も その名前を 呼んでくれない.....
だから私が
華の名前を 憑けてあげる
絵:いわさきちひろ
tyou 11歳の春
蝶の翼のように
「闇の世界 光る闇 切り裂く世界」
(作詞・作曲tyou)
あの刻のことのこと 涙に流してた
闇の中で ひたすらに
ずっとずっと 悔やんでいたよ
あの時のこと
ずっとずっと 昔のことだけど
こんな暗闇 いらないなんて
だって
金縛りみたいに いたいから
人斬るなんて できないよ
暗い くらい 闇につつまれて
だからだから 君は泣き続ける
なにもできないまま じっとみつめている
こんなままでいいの 暗い くらい
闇の中で
泣いてばかりいた ずっと
そっと手をにぎりしめる
いたいほど 強く
人間なんて
生きることを望まないヤツだっている
だからきっと
私は強く強くなってみせる
暗い くらい 闇の中でね
君はみているだけだった
闇の中に 蒼い景(ひかり)が
かがやくように咲く
tyou 11歳の春
「真実,解らないこと,信じるもの」
(作詞・作曲 tyou )
憎めないものって なに?
難しいでしょ
聞かれず答えようなんて
闇の中で
明かりを灯すにはどうするの?
と聞かれて 答えは
寂しくて寂しくて誰かに
ささえてほしいとき どうする?
と聞かれて 答えは
答えられる モノ ではない
私も聞くのは簡単だけど
聞かれると 難しいんだよ
たくさん あるでしょ
誰もがしんじているような
でもね
誰もが信じ続けているもの
誰もが信じ続けたいもの
壊したくないから その人の中で信じるモノを
だから
真実は知らないで じっと見つめて
ゆっくり ゆっくり 探してゆこう
絵:たにうちろくろう
tyou 11歳の春
tyouへ
ベルレーヌは たちまち
tyouに ささやく
僕の世界へ ようこそ
だけど 最後は
蝋燭の焔が 消えいるように
黄色くなって 一緒に......
人間の弱さが 二者択一を 迫るとき
ちいさな ちいさな 悪をえらぼうね
人間ってそんなに 強くないから
だから 強い つよい
女になりなさい
雪の結晶がひとつとして同じものが
ないように
神は一瞬の芸術が好き
そして
それをわかってくれる人には
悲痛を与え そのかわり
情熱を与えてくれる
tyouの暗闇に
華を咲かせてくれる
それがどんな華かは
知らないけれど
でもきっと いつか
あの時の 暗闇が 夢だったと
思えるときがきっと来るよ
神の待ち望んでいた日が
来たときに
それはまるで
聖テレーズがピアフの盲目の目を
啓かせたかわりに
最愛の 恋人すら 殺してしまう
という 残酷な試練を与え
「愛の賛歌」を 完成させたように
そして
それを聴いた 詩人ジャン・コクトウは
涙の枯れ果てるまで 慟哭したという
パリの新聞が ピアフの「死」を報じると
ジャン・コクトウは 後を追うように
逝った
tyouは そんな女に
きっとなれるよ いつかね
ピアフの愛の賛歌はここをクリック♪
Gamenotatsujin
(tyouさんはブログで知り合った小学校6年生です)
I looked up at the two top windows-the garret where mother had sat weak and undernourished,losing her mind......As I wandered through Kennington,all that happened to me there seemed like a dream,and what had happened to me in the States was the reality.
CHARLES CHAPLIN「MY AUTOBIOGRAPHY」page290
チャップリン物語はここをクリック
チャーリー・チャップリンがアメリカで成功し故郷に帰って来た時,自分の生まれ育った何も変っていない287号室の屋根裏部屋を見上げると,弱々しい,栄養失調で途方に暮れて坐っていた母を思い出します。ケニントンを彷徨い歩きながら,そこで起こったことは「夢」でアメリカで起こっていることが「現実」なんだと感慨にふける一節です。今でもKennington roadはあると思いますが,この建物は3 Pownall terraceと言います。果たしてあるのでしょうか?ロンドンへ行かれた際に,確認されたらいかがでしょうか。
チャップリンの母ルーシー
チャップリンの最愛の四度めの妻オーナ。自ら描いた絵。オーナとともに最後の安らぎがあった。
PS:アンドレ・ジイドの「地の糧」に「ナ・タナエルよ!君に情熱を教えよう。それは平和な日々を送るのではなく,悲痛な生活を送ることだ」とありますが,ナ・タナエルとはイエスの使徒バルトロマイのことです。
主よ,正しい訴えを聞きわたしの叫びに耳を傾け
祈りに耳を向けてください。
私の唇に欺きはありません。
(旧約聖書 詩篇 17章1節より)
名前が ない
だから
誰も その名前を 呼んでくれない.....
だから私が
華の名前を 憑けてあげる
絵:いわさきちひろ
tyou 11歳の春
蝶の翼のように
「闇の世界 光る闇 切り裂く世界」
(作詞・作曲tyou)
あの刻のことのこと 涙に流してた
闇の中で ひたすらに
ずっとずっと 悔やんでいたよ
あの時のこと
ずっとずっと 昔のことだけど
こんな暗闇 いらないなんて
だって
金縛りみたいに いたいから
人斬るなんて できないよ
暗い くらい 闇につつまれて
だからだから 君は泣き続ける
なにもできないまま じっとみつめている
こんなままでいいの 暗い くらい
闇の中で
泣いてばかりいた ずっと
そっと手をにぎりしめる
いたいほど 強く
人間なんて
生きることを望まないヤツだっている
だからきっと
私は強く強くなってみせる
暗い くらい 闇の中でね
君はみているだけだった
闇の中に 蒼い景(ひかり)が
かがやくように咲く
tyou 11歳の春
「真実,解らないこと,信じるもの」
(作詞・作曲 tyou )
憎めないものって なに?
難しいでしょ
聞かれず答えようなんて
闇の中で
明かりを灯すにはどうするの?
と聞かれて 答えは
寂しくて寂しくて誰かに
ささえてほしいとき どうする?
と聞かれて 答えは
答えられる モノ ではない
私も聞くのは簡単だけど
聞かれると 難しいんだよ
たくさん あるでしょ
誰もがしんじているような
でもね
誰もが信じ続けているもの
誰もが信じ続けたいもの
壊したくないから その人の中で信じるモノを
だから
真実は知らないで じっと見つめて
ゆっくり ゆっくり 探してゆこう
絵:たにうちろくろう
tyou 11歳の春
tyouへ
ベルレーヌは たちまち
tyouに ささやく
僕の世界へ ようこそ
だけど 最後は
蝋燭の焔が 消えいるように
黄色くなって 一緒に......
人間の弱さが 二者択一を 迫るとき
ちいさな ちいさな 悪をえらぼうね
人間ってそんなに 強くないから
だから 強い つよい
女になりなさい
雪の結晶がひとつとして同じものが
ないように
神は一瞬の芸術が好き
そして
それをわかってくれる人には
悲痛を与え そのかわり
情熱を与えてくれる
tyouの暗闇に
華を咲かせてくれる
それがどんな華かは
知らないけれど
でもきっと いつか
あの時の 暗闇が 夢だったと
思えるときがきっと来るよ
神の待ち望んでいた日が
来たときに
それはまるで
聖テレーズがピアフの盲目の目を
啓かせたかわりに
最愛の 恋人すら 殺してしまう
という 残酷な試練を与え
「愛の賛歌」を 完成させたように
そして
それを聴いた 詩人ジャン・コクトウは
涙の枯れ果てるまで 慟哭したという
パリの新聞が ピアフの「死」を報じると
ジャン・コクトウは 後を追うように
逝った
tyouは そんな女に
きっとなれるよ いつかね
ピアフの愛の賛歌はここをクリック♪
Gamenotatsujin
(tyouさんはブログで知り合った小学校6年生です)
I looked up at the two top windows-the garret where mother had sat weak and undernourished,losing her mind......As I wandered through Kennington,all that happened to me there seemed like a dream,and what had happened to me in the States was the reality.
CHARLES CHAPLIN「MY AUTOBIOGRAPHY」page290
チャップリン物語はここをクリック
チャーリー・チャップリンがアメリカで成功し故郷に帰って来た時,自分の生まれ育った何も変っていない287号室の屋根裏部屋を見上げると,弱々しい,栄養失調で途方に暮れて坐っていた母を思い出します。ケニントンを彷徨い歩きながら,そこで起こったことは「夢」でアメリカで起こっていることが「現実」なんだと感慨にふける一節です。今でもKennington roadはあると思いますが,この建物は3 Pownall terraceと言います。果たしてあるのでしょうか?ロンドンへ行かれた際に,確認されたらいかがでしょうか。
チャップリンの母ルーシー
チャップリンの最愛の四度めの妻オーナ。自ら描いた絵。オーナとともに最後の安らぎがあった。
PS:アンドレ・ジイドの「地の糧」に「ナ・タナエルよ!君に情熱を教えよう。それは平和な日々を送るのではなく,悲痛な生活を送ることだ」とありますが,ナ・タナエルとはイエスの使徒バルトロマイのことです。
主よ,正しい訴えを聞きわたしの叫びに耳を傾け
祈りに耳を向けてください。
私の唇に欺きはありません。
(旧約聖書 詩篇 17章1節より)
紅海沿岸の歴史とサバ王国
http://web.archive.org/web/20190905013312/https://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/folder/1055170.html