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福沢諭吉の脱亜論に至る経緯

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学校では習わない日本と韓国の歴史 福沢諭吉が見た李氏朝鮮王朝と閔妃の評価 金玉均が目指した改革「甲申事変」脱亜論に至る経緯をわかりやすく解説します。 あなたはこの話題についてどう思いますか?ぜひあなたの意見をコメント欄に書いて教えてくださいね。 00:00 | はじめに 00:51 | 福沢諭吉は、なぜ半島支援にこだわったのか? 05:36 | 福澤諭吉の社説 07:21 | 金玉均が目指した改革の背景 閔妃と大院君・李朝の権力争い 12:59 | 甲申事変の失敗と、福澤諭吉の失望 16:59 | なるためJAPANの感想 ★いつもコメントをいただきありがとうございます! みなさまのコメントはとても勉強になり 内容も大変鋭いものが多く 当チャンネル管理人もいつも勉強させてもらっています! 視聴者の皆さんも、コメント欄を読んで参考になさってくださいね。

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福沢諭吉の脱亜論の要約

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脱亜論(読み)だつあろん

日本大百科全書(ニッポニカ)「脱亜論」の解説

脱亜論
だつあろん

ヨーロッパを「文明」、アジアを「未開野蛮」とみて、日本はアジア諸国との連帯は考えずに西欧近代文明を積極的に摂取し、西洋列強と同様の道を選択すべきだとする主張。「脱亜入欧」も同じ意味である。欧米列強の圧力下に開国を余儀なくされた日本は、明治維新以降、積極的な文明開化政策を採用し近代化への道を進んだが、欧米文明に対しては賛美、反発の屈折した意識をもつ一方、日本と同じ境遇にあった中国、朝鮮などアジアに対しては、同情、蔑視(べっし)の複雑な意識をもった。こうした意識のなかから、欧米列強の侵略に対し、中国、朝鮮と共同して対処すべきだとするアジア連帯論や、列強に追随せずアジア諸国とは友好を維持して日本独自の道を開くべきだとする小国主義論がおこった。しかし、維新以来の文明開化が成功したとする日本=文明国意識が高まるにつれ、アジア諸国の近代化は期待できないとみるアジア蔑視感も強くなっていった。それはとくに1882年(明治15)以後の軍備拡張、84年の清仏(しんふつ)戦争における清国の敗北、同年の甲申事変による朝鮮開化派の敗退、自由民権運動の衰退という内外情勢の急激な推移とともに国権拡張論が高まる状況のなかで強まっていった。85年3月16日には福沢諭吉(ゆきち)が『時事新報』の社説で「脱亜論」を発表し、「我国は隣国の開明を待て共に亜細亜(アジア)を興すの猶予(ゆうよ)ある可(べか)らず、寧(むし)ろ其伍(そのご)を脱して西洋の文明国と進退を共にし、(略)亜細亜東方の悪友を謝絶する」と論じた。以来、脱亜意識が国民意識をしだいにとらえ、日本人の対アジア認識をリードしていくことになる。

[松永昌三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「脱亜論」の解説

脱亜論
だつあろん

明治 10年代後半から始る欧米志向とアジア軽視の意識や主張をさす。福沢諭吉著『脱亜論』 (1885) は,この傾向を最もよく示している。民権運動高揚期には欧米列強に対抗するためアジア諸国との連帯が強調されていたが,民権運動の敗北と政府の近代化政策の成功によって,アジアからの離脱が主張されはじめた。日本の近代化論において,脱亜論はたえず問題とされるテーマの一つである。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

世界大百科事典 第2版「脱亜論」の解説

だつあろん【脱亜論】

福沢諭吉が書いた1885年3月16日の《時事新報》社説。最近この論文ないし題名として,脱亜主義(脱亜論)をアジア主義(興亜論)に対置し,両者を近代日本の対外論を貫く二つの主要な潮流もしくは傾向ととらえようとする見方が広がってきている。 福沢の《脱亜論》はわずか2000字余りの短文だが,簡単に紹介しにくいあいまいさがある。要約をしてみると,西洋最新の文明を基礎とした列強の勢力の世界への侵出は,阻止しえない必然性をもつ。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

世界大百科事典内の脱亜論の言及

【清】より

…そして,そのことはヨーロッパ列強の東漸に対して,どのように受容あるいは反発するかという,すぐれて思想的・政治的な課題の相違として現れた。すなわち,アジアを〈半開〉と考えた福沢諭吉は,《脱亜論》(1885)と題する論説の中で,アジアを脱して西洋の文明国と進退をともにすることが日本の歩むべき道だと主張した。一方,中国側の認識の変化は,その思想・文化の伝統のゆえに遅々たるものであった。…

【中国】より

…かくて日本人の先進国意識は抜きがたいものとなり,中国への軽侮は夏目漱石をして,少しは受けた恩義のことを考えたがよかろう,といわしめるまでになった。はやくも1885年,福沢諭吉は〈脱亜論〉を書いていた。日本はすでにアジアの固陋を脱して西洋の文明に移ったのに,不幸なることに固陋な儒教主義の国(支那,朝鮮)と隣りあわせている,日本として,とても〈隣国の開明を待ちてともにアジアを起こすの猶予あるべからず〉,隣国だからといって特別の考慮は不要である,アジア東方の悪友を謝絶することこそ急務であり,〈まさに西洋人がこれに接するの風に従って処すべきのみ〉と。…

【福沢諭吉】より

…国際関係における国際法や西欧国家体系への幻滅から,そこに支配するのは力のみという権力政治観に移行する。西洋列強の東アジア進出に対しても,一方では朝鮮や中国の近代国家への変革に期待し,これらの国の独立を防壁として日本の独立を確保する道を模索していたが,84年甲申政変によってかねて支援してきた朝鮮開化派が敗北すると翌年〈脱亜論〉(《時事新報》3月)を著し,日清戦争に際しては軍事的介入による朝鮮の〈文明〉化を説き,戦後には列強の中国分割への割込みを唱えるにいたる。このように熾烈(しれつ)な権力政治において富国強兵を競うために国内の政治的安定を,という目的手段の関係を示すのが〈内安外競〉であり,〈内安〉の中心をなすのが政府と民権運動およびその後身である民党との協調,すなわち〈官民調和〉である。…

【明治時代】より

…日本は開国後の朝鮮に経済進出をはかり,政府内にも影響力を強めていたが,1882年の壬午軍乱を契機に清国の発言力が拡大し,ここに朝鮮をめぐる日清両国の対立が顕在化した。日本政府はこれ以後対清戦争を目標として本格的な軍備拡張にのりだし,84年朝鮮の開化派を支援して起こした甲申政変が失敗に終わって日本の朝鮮への影響力がさらに後退すると,日本国内では朝鮮に対する強硬論が強まり,福沢諭吉の有名な〈脱亜論〉はそうした風潮を象徴するものであった。このような国権論の台頭は,明治10年代を通じて広がった自由と民権の主張を後退させ,列強対立の国際政治の中でも中立主義や小国主義を主張してきた民権派内の議論も急速に国権論への傾斜を強めることになった。…

自由民権運動

https://www.youtube.com/results?search_query=%E8%87%AA%E7%94%B1%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95

管理人が中学生の頃全く興味がなかったのは事実です。

管理人注:近代史を学ぶことは楽しいですね。

神の怒りに触れて滅ぼされたという背徳の街、ソドムとゴモラ。神は天から硫黄の火を降らせ2つの街を滅ぼした。聖書の中でも最も恐ろしいとされる物語は、教訓を伝えるための作り話か?それとも基になった出来事があるのか?物語の起源を探るため冒険家で科学者のアルバート・リンが聖地へ向かい宇宙からの視点で謎に迫る。本編ナレーションを務めるのは、「遊☆戯☆王ZEXAL」(神代凌牙/シャーク役)で知られる #増田俊樹 さん。

▼番組詳細 解明!聖書に秘められた太古の謎 https://natgeotv.jp/tv/lineup/prgmtop... ▼もっと #ナショジオ を知る Twitter https://bit.ly/NatGeoTwitterJP Instagram https://bit.ly/NatGeoInstagramJP Facebook https://bit.ly/NatGeoFacebookJP ▼今月のイチオシ番組 https://bit.ly/NatGeoJP ▼視聴方法 https://bit.ly/WatchNatGeoJP

 脱亜論(全文)


 1885年3月16日、福沢諭吉が「時事新報」紙上に掲載した社説を「脱亜論」と呼んでいる。

 世界交通の道、便にして、西洋文明の風、東に漸し、至る處、草も気も此風に靡かざるはなし。蓋し西洋の人物、古今に大に異なるに非ずと雖ども、其擧動の古に遅鈍にして今に活發なるは、唯交通の利器を利用して勢に乗ずるが故のみ。故に方今当用に國するものゝ為に謀るに、此文明の東漸の勢に激して之を防ぎ了る可きの覺悟あれば則ち可なりと雖ども、苟も世界中の現状を視察して事實に不可ならんを知らん者は、世と推し移りて共に文明の海に浮沈し、共に文明の波を掲げて共に文明の苦樂を與にするの外ある可らざるなり。文明は猶麻疹の流行の如し。目下東京の麻疹は西國長崎の地方より東漸して、春暖と共に次第に蔓延する者の如し。此時に當り此流行病の害を惡て此れを防がんとするも、果して其手段ある可きや。我輩斷じて其術なきを證す。有害一遍の流行病にても尚且其勢には激す可らず。況や利害相伴ふて常に利益多き文明に於てをや。當に之を防がざるのみならず、力めて其蔓延を助け、國民をして早く其氣風に浴せしむるは智者の事なる可し。西洋近時の文明が我日本に入りたるは嘉永の開國を發端として、國民漸く其採る可きを知り、漸次に活發の氣風を催ふしたれども、進歩の道に横はるに古風老大の政府なるものありて、之を如何ともす可らず。政府を保存せん歟、文明は決して入る可らず。如何となれば近時の文明は日本の舊套と兩立す可らずして、舊套を脱すれば同時に政府も亦廢滅す可ければなり。然ば則ち文明を防て其侵入を止めん歟、日本國は獨立す可らず。如何となれば世界文明の喧嘩繁劇は東洋孤島の獨睡を許さゞればなり。是に於てか我日本の士人は國を重しとし政府を輕しとするの大義に基き、又幸に帝室の神聖尊嚴に依頼して、斷じて舊政府を倒して新政府を立て、國中朝野の別なく一切萬事西洋近時の文明を採り、獨り日本の舊套を脱したるのみならず、亞細亞全洲の中に在て新に一機軸を出し、主義とする所は唯脱亞の二字にあるのみなり。
 我日本の國土は亞細亞の東邊に在りと雖ども、其國民の精神は既に亞細亞の固陋を脱して西洋の文明に移りたり。然るに爰に不幸なるは近隣に國あり、一を支那と云い、一を朝鮮と云ふ。此二國の人民も古來亞細亞流の政教風俗に養はるゝこと、我日本國に異ならずと雖ども、其人種の由來を殊にするか、但しは同様の政教風俗中に居ながらも遺傳教育の旨に同じからざる所のものある歟、日支韓三國三國相對し、支と韓と相似るの状は支韓の日に於けるよりも近くして、此二國
の者共は一身に就き又一國に關してして改進の道を知らず。交通至便の世の中に文明の事物を聞見せざるに非ざれども耳目の聞見は以て心を動かすに足らずして、其古風舊慣に變々するの情は百千年の古に異ならず、此文明日新の活劇場に教育の事を論ずれば儒教主義と云ひ、學校の教旨は仁義禮智と稱し、一より十に至るまで外見の虚飾のみを事として、其實際に於ては眞理原則の知見なきのみか、道徳さえ地を拂ふて殘刻不廉恥を極め、尚傲然として自省の念なき者の如し。我輩を以て此二國を視れば今の文明東漸の風潮に際し、迚も其獨立を維持するの道ある可らず。幸にして其の國中に志士の出現して、先づ國事開進の手始めとして、大に其政府を改革すること我維新の如き大擧を企て、先づ政治を改めて共に人心を一新するが如き活動あらば格別なれども、若しも然らざるに於ては、今より數年を出でずして亡國と爲り、其國土は世界文明諸國の分割に歸す可きこと一點の疑あることなし。如何となれば麻疹に等しき文明開化の流行に遭ひながら、支韓兩國は其傳染の天然に背き、無理に之を避けんとして一室内に閉居し、空氣の流通を絶て窒塞するものなればなり。輔車唇歯とは隣國相助くるの喩なれども、今の支那朝鮮は我日本のために一毫の援助と爲らざるのみならず、西洋文明人の眼を以てすれば、三國の地利相接するが爲に、時に或は之を同一視し、支韓を評するの價を以て我日本に命ずるの意味なきに非ず。例へば支那朝鮮の政府が古風の専制にして法律の恃む可きものあらざれば、西洋の人は日本も亦無法律の國かと疑ひ、支那朝鮮の士人が惑溺深くして科學の何ものたるを知らざれば、西洋の學者は日本も亦陰陽五行の國かと思ひ、支那人が卑屈にして恥を知らざれば、日本人の義侠も之がために掩はれ、朝鮮國に人を刑するの惨酷なるあれば、日本人も亦共に無情なるかと推量せらるゝが如き、是等の事例を計れば、枚擧に遑あらず。之を喩へば比隣軒を竝べたる一村一町内の者共が、愚にして無法にして然も殘忍無情なるときは、稀に其町村内の一家人が正當の人事に注意するも、他の醜に掩はれて湮没するものに異ならず。其影響の事實に現はれて、間接に我外交上の故障を成すことは實に少々ならず、我日本國の一大不幸と云ふ可し。左れば、今日の謀を爲すに、我國は隣國の開明を待て共に亞細亞を興すの猶豫ある可らず、寧ろその伍を脱して西洋の文明國と進退を共にし、其支那朝鮮に接するの法も隣國なるが故にとて特別の會釋に及ばず、正に西洋人が之に接するの風に從て處分す可きのみ。惡友を親しむ者は共に惡友を免かる可らず。我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。


            『時事新報』1885(明治18)年3月16日

    

   

なるためJAPAN
動画の中に出てきたハメルの話はこちらです↓ 教科書では書けない韓国歴史 オランダ人が記した真実、李氏朝鮮時代の生活と風習「朝鮮幽囚記」ハメル https://youtu.be/Q_TKvUUPEww
 
おまけ~ワクチン接種は体内で核爆発が起きるようなものだ
 
 
ついでに.................
 
11 年前

20110808長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知っていた

こんな事、また起きるんじゃないかな、
こんな事を許しとったら

長崎原爆投下の5時間前に軍の指導者は知っていた。
66年経って真実を伝えられた本田稔さん
「分かってた!?
なんで命令出さんのですか。
5時間もあれば十分待機できたはずですよね。
これが日本の姿ですかね。
こんな事、また起きるんじゃないかな、
こんな事を許しとったら 」
そして、日本の降伏が決まり、
証拠資料は燃やされ、灰は粉々にされた。
 
ついでにこれも
 
地震よりも津波が先にきちゃったバレバレの偽旗作戦。私はその証拠を持っていますがもう書きません。
 
急変する地球
 
https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/367546177675d8dfca3f05f9bf49b169
 

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