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新約の前に (2)

パーリー語聖典には涅槃(解脱)のことが次のように書かれている。

もろもろの現象は無常である。

生じたり滅したりする性質を持っている

生じてはまた滅する

それらのものが静まれば安楽である

安らぎ(涅槃)は虚妄ならざるものである

諸々の聖者はそれを真理であると知る

彼らは実に真理を悟るが故に

快を貪ることなく平安に帰している
のである,と。



 昨日はこの写真の船とおなじくらい小さい船で海上散歩しました。

 マー君の海上散歩。マー君は二回目,スー君は一回でこの日は参加せず。知り合いの人に午後5時に海からの家の写真を撮りたいというと即OKとなった。この辺は神様のようにいい人(パーキンソンのような)もいますがその反対の人も結構いる。何せ部落というか集落ですからね。新しい住民を受け入れないという風潮があるのは確かです。年寄りばかりで後10年で住民がいなくなるのでは。

  右に左に.....キョロキョロ。

 二回目なので怖くないな。

 子浦の港さんまた後でね~。

 すぐ右手に大きな岩があるな。

 『マー君は一個の他者である』。なるほど,それで壁がなく誰にでも好かれるんだな。でもマー君はナイジェリアの手紙などには絶対に引っかからない。ご主人からきつく言われているからね。

 右側は岩でマー君のお家は一番向こうで~す。

 これがマー君とスー君とご主人のお家です。夜は下のウッドデッキに証明が灯り漁師の道標となっている。

 夕方6時から朝まで灯りをつけている。

 龍安寺(りょうあんじ)の石庭をよくみると日本の芸術に特有な「間」を発見する。幅25メートル,奥行き10メートル、広さは75坪。白砂が敷き詰められている。15個の石を東側から5・2・3・2・3と配置した枯木山の庭園で禅の美を極めた畏れの空間である。これを見た飯村隆彦は「庭は瞑想のための装置である、空白を感知せよ,静寂の美を聞け,空虚の浸透を想え」と叫んだという。

 この石の配列は黄金分割であり,木・水・金・土・火の五行説であり,曼荼羅の仏という五仏であり,また,見えないが聖なる五色(白・黄色・青・赤・緑)を希釈した感覚の開放であり,時と空間である。それはまるで,遥かな時空の中で自己の封印を解き放つ。これが日本に多くの前衛芸術家を生み出した「間」の世界でもある。我が家は出来るだけ瞑想を重んじ静寂を楽しむ。








 全体が岩盤なので地震の影響はない。津波も80メートルくらい大丈夫だろう。下田市白浜の山荘はそのままにしてある。希望者があればお分けしたい気持ちはないことはない。いずれ下田市に寄贈することになる。


 マー君曰く「ご主人はこういうお家を理想としてきましたがやっと実現出来ましたね」。僕たちも幸せです。ご主人は子ども達に徹底して人生を楽しむように言っている。

 ここはマー君のお家ではありませんが歳をとったらこういう場所に移りたいですね。

 これはアメリカでの100万ドルの家。一ドル50円になれば5000万円で買える。でも日本人には売らないかも。「隣人を愛せよ」の意味を理解しない人種には。

 シェークスピアカントリーのストラットフォード・アポン・エイボン。シェークスピアはパチンコ屋があったりサラ金の看板の乱立する都会では生まれない。

在日のタブー

戦前リヤカーを引いてくず鉄を拾っていた在日は空襲で焼け野原になり謄本や権利証を偽造し(当時は毛筆書き)日本人になりすまし多くの一等地を手に入れた。管理人はその多くの事例を知っている。

 白丁とは?インドの不可触民と同じ

 生活保護も優先?

 朝鮮総連

  知り合いの在日三世は30億の借金があったが,ある日突然ゼロになった。このカラクリは公的資金の導入である。総額一兆8000億円の公的資金が導入された。公的資金導入のカラクリは,8000億円の不良債権が目安になっている。その8000億円に裏社会などが群がった事実はオブラートに包まれ永遠に明かされることはないであろう。なにも朝鮮銀行だけに限ったことではない。公的資金投入の目安不良債権8000億円に到達しない場合,意図的に不良債権をつくるということが行なわれた。

 具体的な金額は以下の通りである。

 1998年5月 朝鮮銀行近畿へ3101億円の公的資金
 2001年11月 朝鮮銀行関連3行へ3129億円~
 2002年7月 ハナ信用組合へ4300億円~
         朝鮮銀行関連3行へ3500億円~
 2002年12月 ハナ信用金庫へ4107億円

 計一兆8000億円以上の税金が使われている。

 知り合いの在日はもともと30億の借金など返すつもりはなかったし,心配もしていなかった。金が絡んだ時のあの厭な目つきをいまでも思い出す。彼らの口癖は日本一になる,世界一になると吹きまくる。在日企業はもはやほとんどが二代目,三代目である。彼らの放蕩・無智の末借りまくった借金は税金によって2002年12月チャラになった。月次損益表すら知らない経営者もいる。殆どが赤字である。自分の会社から膨大な金を自分に貸し付けるのである。演技がうまいから税務当局は腰が引ける。ソフト・バンクの孫さんは立志伝中の在日であるが,寄付はしない。特に記憶に新しいのがハナ信用金庫に公的資金が導入された時の彼らの対応である。ふざけるな,なめるなと抗議のデモまでしている。これらはすべて演技である。日本の芸能界に在日の役者が多いことに不思議に納得する。たけし主演の「骨と肉」を見ると豚肉を腐らせてウジ虫が湧いた生肉を旨そうに食らうシーンを思い出す。食肉解体業者はヨツと呼ばれ(四足動物)在日によって成り立っている。彼らの性欲は異常に強い。森羅系弥生人という騎馬民族が日本に渡ってきてから日本民族の人口は飛躍的に増えた。縄文系は滅び去った。第50代天皇は朝鮮の血を引く,忘れないでほしい。宮内庁は頑なに仁徳天皇御陵の発掘を許さないでいる。古事記は森羅系弥生人によって書かれたことも。そして日本史には謎の四世紀があることも。


 朝日の公式記録によりますと,朝鮮から日本への強制連行者は300人にも満たない数ですが,その他殆どは密入国であったと推測できます。戦前・戦後のどさくさで多くの市町村に保管されていた戸籍謄本や家・土地の権利証が空襲で焼かれた結果(あるいは放火され),朝鮮人が日本人になりすまし(父である金日成から金の名をつけたにせ日本人が多いし、旅立った釜山から山という名も彼らは好きである),多くの土地が彼らの所有になったことはよく知られていることです。リヤカーを引いて,日本人の子供から朝鮮人と嘲笑され,罵倒され石を投げられながら鉄くずや,ボロ布の廃品回収をしていた朝鮮人が,突然大阪の一等地を手に入れ,子孫を増やしその土地をスーパーに貸したりパチンコ店を経営したりして莫大な富を得ている現実は事実なのです。在日の経営するパチンコ店の周りには必ず在日系の消費者金融の広告が立っている。ぐるなのです。多重債務になって自殺する日本人が増えるたびに彼らは祝杯をあげている。冗談ではないのですよ。

 新宿歌舞伎町などは石原慎太郎の嫌う第三国人である台湾人が戦後のどさくさで二束三文で手に入れた土地で,あしべ会館,マダム・リーなど現在では台湾マフィアが中心になっている。現在の在日の数は60万人から70万人とも言われるが,実際には日本人になりすました人数をいれると、その数は計り知れない。美空ひばり,力道山,夏目雅子,伊集院静,松坂慶子,つかこうへいなど映画監督からスポーツ選手まで数多いがある意味で共存共栄している反面,貸し金業,山口組三代目田岡一雄などからヤクザのトップ,これらは殆どが在日である。あの極悪非道な闇金融の取立てはヨツ(四足動物)の皮を剥ぎ,肉をえぐるのと同じである。あの時石を投げつけた日本人が自殺してくれたほうが,彼らにとって嬉しいのである。1998年在日の希望の星であった自民党衆議院議員新井将けいは陰謀によって自殺に追い込まれた。復讐が始まったのである。現在日本人自殺者は増加の一方であるが,在日が自殺することはまずないことを知るべきであろう。今でも朝鮮人学校では金正日,金日成の民族教育をしていて,生徒達は参政権すらないことも知らない。西日本での朝鮮人学校の数はすさまじい。冗談ではなくこの地区には野良犬が一匹もいない。彼らの好物であるからだ。彼らは魚で言えば雷魚である。生命力が強いのだ。金魚の日本人が食べつくされる日も近いであろう。そして今日も子孫が産声をあげている。そして同時に疲れ果てた日本人は中央線に飛び込んでいる。


統一に支配された政治は中央線に飛び込む「16分音符の6連符のフレーズ」を作った毎日がヒステリーの連続ですから抗議することも出来ない。日本航空の歴代会長は統一である。潰す方向でやってきたのである。

殺人的16分音符の6連符フレーズ

駅の発車音

 ◆殺人的16分音符の6連符フレーズ

 『普通,駅の発車音など,気にすることもなく流されてしまっているが,改めて耳をそばだてみると,生活の中に様々な音が導入されていることがわかる。「導入の意図」の検討にまで遡る必要があるだろう。

『週刊朝日』(5月1日付)の,「中央線で自殺多発は駅音楽のせい!?」という記事はその後,他紙でも後追い記事が出て,すでにかなり詳しく報じられた。

「耳に入ってくる音楽はすべて頭のなかで音符に置き換わる」という作曲家の玉木宏樹さんが主張していることなのだが,玉木さんは駅の発車音を各駅で聞いて,その場で5線紙に書き取っていた。以下は,玉木さんからうかがった話の要約。

 ●中央線沿線住民よ,怒れ!

新宿と渋谷の出発音は,ちゃんとした作曲家が関与して作成されたものだけあって,玉木さんの耳にも,新鮮でここちよく響く。それは5度調弦のバイオリンのアルペジオのような動きをしているのだが,なかなか耳コピーができなかったユニークなものだ。

今では両駅のフレーズは空んじてはいるが,強力な楽器用フレーズで,うたってみろといってうたえるものではない。こういう個性あふれるサウンドロゴは両駅のステータスにもぴったりで,ああ,今,いちばん旬の街に来たのだなあという印象を抱かせるものだ。

恵比寿,目黒,五反田は,うるさい16分音符が暴れ回り,しかも変なところで変拍子が入るため,なんでも楽譜化して聴いてしまう習性の自分に対しても非常に腹立たしいフレーズで,特に五反田は突然半音上に移調する,これぞ音の暴力だ。

最もひどいのが新橋で,中央線をゆうに凌駕するほどの殺人的16分音符の6連符フレーズが「ソミレドレミソミレドレミラミレドレミラミレドレミ」と絶叫する様は,死の直前のショパンの写真を思い出してしまうほど悲惨!後日,新橋で下車し,下の公園を歩いていてもその暴力性は容赦なかった。

問題の中央線だが,東中野は4分音符で,「レミドソ レミドー」。ありふれているが,落ち着いていて,チャイムはこの程度のメロディでいいのだ。中野は,時間調整するために停車時間は長いのに,発車時間になってあの最悪の新橋状態が出現する。まさに「中央線,地獄の音楽攻めの入り口」である。

高円寺,阿佐ヶ谷は,トニックのコードがうるさくアルペジオをかき鳴らし始めたと思った途端にブッツと中絶される。非常に不快。あんな短時間しか鳴らさないのなら,絶対に音楽は必要ない。

荻窪は五反田と同じ「地獄型」で,西荻窪は高円寺状態で無神経極まりない。吉祥寺はかすかで判然としなかった。

中央線,地獄の音楽の集大成が完成するのが,三鷹,特急「かいじ」通過,武蔵境,小金井,国分寺,西国分寺,立川だ。

単なる注意喚起音でなく,大音響で表にしゃしゃり出で音符が自己主張を開始する。それも音楽の振りをして。

だれひとり,あの音の暴力を告発しないのか?中央線の住民よ,怒ってください。あれは精神にも体にも悪い音楽モドキなのだから。

 ●『純正律』を提唱する訳

いまは,ヒーリングミュージックと称して「体によい音楽」の押しつけが激しい一方,このような「体に悪い音楽」の追放がされていないなら,日本はますます荒涼とした神経症国家になってしまうだろう。

 オウム事件以来の意味不明な殺人の増加にもその兆候は出ているともいえる。

最近は「癒やしの音楽」という言葉が定着しつつあるが,日本のヒーリングミュージック界は,アルファ波が出るといえば雪崩を打って我も我もとなるし,「アダージョカラヤン」がヒットすれば,「アダージョ」なんて「ゆるやかに」という意味のイタリア語に過ぎないのに,なんでもかんでも「アダージョ」になってしまう。

いま,五感を通してのリラクセーションが盛んになりつつあるが,いちばん重要な音楽には,スキームとマテリアルが欠如しているので,日本のヒーリングミュージックには方法論が一切ない無政府状態である。重要なマテリアルとして,純正律を提唱したいのである』


 文鮮明に賛辞を捧げる売国奴たち参照

 シェークスピアはセルバンテスと同じ年に生まれ同じ年に死んだ。これを人生のセームスケールという。また人生には必ずシンクロしている人がいる管理人の場合司馬遼太郎氏とクリストファー・ストーリー氏だ。共に満72歳と4ヶ月,6ヶ月で亡くなっている。管理人は今年12月1日に65歳になる。肉体年齢は42歳であるが後7年4~6ヶ月で人生に幕を閉じるだろう。そういうことを念頭においている。

 二つの事象がイメージにおいて類似性を備える時,この二つの事象が三次元の空間と一次元の時間を瞬時に埋めるという不思議な時空間として現れることがある。
 その時空間の秩序であてはめられている中で,因果性では関係ないと思われる場合でも随伴して,現象として起こる場合これを「シンクロニシティ」の作用という。

 遠く離れた出来事が,物理的な因果関係で結ばれることなく相関性を持ち得るのは,量子力学の相関関係において表されている。衆生にとって肉親が死んだ時に,いわゆる「虫の知らせ」という精神波動が必ず起きることは知られている。この精神波動は一億光年先もわずか一秒で到達する。


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2010年11月長男がエントリーしたメキシコでのBAJA1000レース。スティーブ・マッキーンも少し映っています。マッキーンやベーブ・ルースも少年院出身。少年院は宝の宝庫なのですよ。日本では若者を潰してしまうだけ。例外も多いですが。

不可視の力体ファントム』

現代に、人間が明視力を発展させればさせるほど、「物質的身体とともに捨てられる物質的な素材と力が、物質的身体全体ではない。物質的な素材と力が、物質的身体の全体的な形態を与えたことは一度もない。人間の〈ファントム〉と名付けねばならないものが、物質的な素材と力に属している」ということが明らかになっていきます。

ファントムとは、人間の形態です。ファントムが霊的組織として、物質的な素材と力に働きかけます。そうして、物質的な素材と力は、物質界の人間の形態のなかに入っていきます。彫刻家は、大理石などの素材を削り取ることができないと、彫像を掘り出すことができません。彫刻家は考えを、素材に刻印しなければなりません。人体の素材は大理石でも石膏でもないので、芸術家のような具合にはいきません。人間は現実的な思考内容として、外界に〈ファントム〉を有しています。彫刻がが素材に刻印したものは、地球の素材になり、その素材は死後、墓もしくは火に引き渡されます。ファントムは物質的身体に刻印されています。ファントムは物質的身体に属します。ファントムは物質的身体から残る部分であり、外的な素材よりも重要なものです。外的な素材は根本的に、人間形態の網のなかに詰め込まれたものにほかなりません。リンゴを車に積むようなものです。ファントムが重要なものです。死後に崩壊する素材は、外の自然のなかにも存在するもの、人間形態に受け入れられたものにすぎません。

深く考えるなら、「土星期・太陽期・月期にわたる神霊存在の働きは、死ねば地球の元素に引き渡されるものだけを作ることだったのか」と、思われるでしょうか。土星期・太陽期・月期をとおして発展したものは、そんなものではありません。土星期・太陽期・月期をとおして発展してきたのはファントム、物質的身体の形態なのです。

ですから、物質的身体を理解するのは容易ではない、ということを明らかにしなくてはなりません。物質的身体を、幻影の世界のなかで理解しようとしてはなりません。ファントムの萌芽・基盤は、トローネによって土星期におかれました。それから、叡知の神霊が太陽期に、動きの神霊が月期に、形態の神霊が地球期に働きかけました。こうして、物質的身体がファントムになりました。形態の神霊は、物質的身体のファントムのなかに生きているので、「形態の神霊」と呼ばれるのです。物質的身体を理解するために、私たちは、そのファントムに遡らねばなりません。

私たちの地球存在の発端にたつと、「高次の位階の存在たちの群れが、土星期・太陽期・月期から地球期へと、人間の物質的身体の形態を準備してきた。それらの存在は、地球進化のなかに、このファントムを入れた」と、言うことができるでしょう。実際、人間の物質的身体の最初のものとして、肉眼には見えないファントムがあったのです。それはまったく透明な力体です。肉眼が見るものは、人間が受け入れた物質素材です。その物質素材が不可視の力体を満たすのです。肉眼が見ているのは、物質的身体を満たしている鉱物であって、物質的身体ではありません。しかし、どのようにして、鉱物は人間の物質的身体のファントムのなかに入ってきたのでしょう。

この問いに答えるために、地上における人間の発生を、もう一度思い浮かべましょう。

〈土星〉〈太陽〉〈月〉からやってきた力が、物質的身体の不可視のファントムのなかで、本当の姿で私たちに現れてきます。ファントムを満たしている外的な素材すべてを度外視すると、それは高次の明視にファントムとして現れます。このファントムが、出発点に立っているものです。ですから、人間の物質的身体は、地球生成の出発点において、目に見えないものでした。

この物質的身体のファントムに、エーテル体が付け加わったとしましょう。そうすると、物質的身体はファントムとして、目に見えるようになるでしょうか。そうはなりません。エーテル体は、通常の観照には不可視のものだからです。〈物質体+エーテル体〉は、外的・物質的な意味で、まだ見えません。アストラル体も、目に見えません。ファントムとしての物質的身体とエーテル体とアストラル体が一緒になっても、まだ目に見えません。個我は内的には知覚されますが、外的には不可視です。土星期・太陽期・月期からやってきた人間は、不可視のものにとどまり、明視者にのみ見えます。どのようにして、人間は目に見えるようになったのでしょう。

聖書が象徴的に描いており、神秘学が実情を叙述している「ルシファーの影響」がなかったら、人間は目に見えるようになっていなかったでしょう。何が起こったのでしょう。

『神秘学概論』を読んでみてください。不可視の物質的身体・エーテル体・アストラル体が形成された進化の歩みから、人間は濃密な物質なかに投げ落とされました。そして、濃密な物質を、ルシファーの影響を受けたかたちで受け取りました。私たちのアストラル体と個我のなかに、ルシファー的な力がなかったら、濃密な物質は目に見えるようにならなかったでしょう。

ですから、私たちは人間を、目に見えないものと言わねばなりません。ルシファーの影響によって、物質を目に見えるものにする力が、初めて入ってきました。ルシファーの影響を通して、外的な素材と力がファントムの領域に入り込み、ファントムに浸透しました。透明なコップに色のついた液体を注ぎ込むように、本来なら不可視のものが、色のあるもののように見えます。人間のファントムのなかに、ルシファーの影響によって注ぎ込まれた力によって、人間は、不可視の形態を目に見えるものにする素材と力を、地上で受け入れるのに適した存在になりました。

何によって、人間は目に見えるようになっているのでしょう。人間内のルシファーの力が、人間を物質界で目に見えるものにしているのです。ルシファーの力がなかったら、人間の物質的身体は、いつまでも目に見えなかったでしょう。ですから、人体はまったく透明な、水晶のように澄んだ実質からできている、と錬金術師は強調しました。物質的身体は、本当に透明なものからできています。ルシファーの力が、物質的身体を不透明にしたのです。人間はルシファーに誘惑されて、ある力をアストラル体のなかに流し込まれました。そのために、死とともに手放すことになる、地球の外的な素材と力を受け取る存在になりました。その結果、何が起こったでしょうか。ルシファーの影響下に、個我が地上で物質的身体・エーテル体・アストラル体と関連しなくてはならず、人間は地上的存在になりました。こうして、人間は初めて、地上的な形姿の担い手になりました。(P129-P132)(シュタイナー研究より)。シュタイナーの神智学はその後姿を変えて利用された。つまりこういうことだ。

『イギリスとドイツは壷の中の二つの豆のようにマインドコントロールを分け合った。彼らの兄弟団は(アドルフ・シュタイナー<ドイツ>とウイン・ウエスコット<英国>を軸とする)黄金の夜明け結社(Order of Golden Dawn)と黄金の曙ヘルメス教団を通してこれらの二つの団を結合させた。この秘密結社は多くのナチス党員とイギリス貴族社会を構成した。この秘密結社こそが黒魔術(サタン)なのである』

 風の征するモレア参照

 的確な情報で知られるNEVADA

 HINDENBURG OMEN
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