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gooブログはじめました!

近いうちにこのブログを終了します

このブログにはフィードバックがありませんので終了いたします。何回は記事を書くと思いますが。読み逃げは簡単ですが書くのは大変なのです。

https://tapnewswire-com.translate.goog/2022/11/dr-masanori-fukushima-professor-emeritus-at-kyoto-university-warns-the-government-about-vax-harms/?_x_tr_sl=en&_x_tr_tl=ja&_x_tr_hl=ja&_x_tr_pto=sc

京都大学名誉教授の福島正則博士は、Vax の害について政府に警告しています。

京都大学の名誉教授である福島正典博士は、厚生労働省に vax の害について次のように警告しています。

「あなたは科学を無視している!これは災害だ。ワクチンに何十億ドルも費やし、人々にそれを注射するように強制します...ワクチンのせいで、自然免疫が抑制されています。

https://www.bitchute.com/video/fuB1s1SZDPXY

黒川あつひこの正体?

https://twitter.com/TweetTVJP/status/1560094920668741633?ref_src=twsrc%5Etfw%7Ctwcamp%5Etweetembed%7Ctwterm%5E1560094920668741633%7Ctwgr%5E423de2d57a75614e79fd5c44fc60117b23123138%7Ctwcon%5Es1_&ref_url=https%3A%2F%2Frakusen.exblog.jp%2F30094141%2F

この世で私は理解されない...
日はまた昇るか
エデンの門が開く時
アイクがのうのうとやっていられる理由
正義の味方デヴィッド・アイクの本から
カール・ユングを始める前に
世阿弥の花伝書
シューマンレゾナンス
魂を売り渡しても人間やりますか?
マキャベリ式経営術
どうなっても知らないぞ!
ヨブへの答え その1・オリーブの木
ヨブへの答え その2・全能者よ,私に答えよ!
ヨブへの答え その3知恵の女神ソフィア
ヨブへの答え その4・神の非道
ヨブへの答え その5・教会の原理と精霊の原理
血のチョコレート
聖書ものがたり・APOCRYPHA
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新約の前に (1) 
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聖書ものがたり・ST.MATTHEW(マタイ福音書)

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聖書ものがたり・ACTS OF THE APOSTLES(使徒言行録)
聖書ものがたり・ROMANS~REVELATION(ロマ書から黙示録)まで
アウグスティヌスの復活論 その1
アウグスティヌスの復活論 その2 蛮族戦闘団体と文明 その1
蛮族戦闘団体と文明 その2
蛮族戦闘団体と文明 完
このシナリオを書いているのは誰か?その1
このシナリオを書いているのは誰か? その2
HINDENBURG OMEN
ダンテ神曲ものがたり その1

ヨブ記で分かったこと

http://web.archive.org/web/20130131082348/http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1118

ヨブ記でわかったこと

 投稿者:Legacy of Ashesの管理人  投稿日:2012年11月 7日(水)16時52分8秒
  通報 返信・引用 編集済
 
 

教養とは学歴と一番遠いところにあるのです。自分を振り返り自分を変えていく...これが教養です。

見ていてご覧なさい.........こういう聖書に関する記事を載せるとアクセスは激減します。英語学科やフランス語学科の学生はともかくフランス科などの学生で聖書の知識なしの学生もかなりおりますがそれはまるでピエロと同じです。東大仏文科に入る学生は例外でしょう。高校時代に野球などに明け暮れていたようなスポーツ馬鹿でないことだけは間違いない。しかし企業はこのスポーツ馬鹿を優先して採用する。サティアンには必要なのです。

人間が人間らしくなって24万年 それを12時間に短縮すると12時20分まえになって ようやくモーゼの顔がちらちらする。

一分が333年 人の一生が75年とするとわずか7秒 海が塩酸だったころから40億年 40時間に直すと,39時間59秒をきっています。

そんな短い人生を平均点58点から65点の新入社員たちの新人研修は毎年繰り返される。どいう研修だったのか毎年同じなので一部紹介しましょう。

中には毎朝木魚で般若心境を唸る会社もありますが,そんなのましな方です。いわゆる禊(みそぎ)ふんどし一丁で滝に打たれたりするのですが,もともと禊は二月17日の伊勢神宮の祈年祭り(としごいまつり)の前後におこなわれ,五穀豊穣 天皇の安泰 国家の安泰を祈るもでしたが,現在では稲の稔(みのり)の豊かさを祈念する祭りになっている。

禊の起源は古事記にいざなぎの尊(みこと)が穢れ(けがれ)を祓い清めるためにはじめた事に由来し,その身体を洗い清めるために大学出の若者が一流会社の禊と称された研修に参加し伊勢神宮を流れる五十鈴川にて体を洗い清め, 企業の「遵奉すべき精神である「感謝 報恩 奉仕」を大音量で唱和し,夜は富普加美 恵多目(とうかみえみため)と互いに正座をし背中を叩き合う バカになって物事に挑むきっかけをつかませるんだからと 講師はいう

 またある会社は毎日,巻物を広げて,会社の遵奉すべき七精神を唱和し 次に所感発表をし 次に全員で社歌を歌う(当時の松下電気で現在はパナソニック) その後NHKのラジオ体操 最後に 課長がまるで「司祭」のように再び7精神を読み上げ,まるで「啓示」を待っていたかのように再び全員で唱和する これが毎日くりかえされる

そこでは人生の哲学も 個性的に生きてゆく座標軸も瞬間的に壊される こうして利益を上げる仕組みができてゆく ごくろうさんです。

関連URL...............ポセイドン仮面祭り~その1

http://web.archive.org/web/20070831062337/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/668.html

ポセイドン仮面祭り その2

http://web.archive.org/web/20070904134658/http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/669.html

ロッキード事件の台風が吹いた時,親方の周りに越後の女たちが人垣を作って守ってくれた。大衆は自分と同じ高さの目線の人が好きだ。大衆が嫌いなのは,自分よりも目線が高く,目の玉の奥が冷凍庫のように冷たく鼻持もちならない奴だ。東大出の孤独な秀才が天を仰いで嘆いた。<バカたちは,どうして私の前に集まらないのか。私には分からない>その時,カラスが飛んできて,開けた口に糞をたれ,「あほう,あほう」と鳴いて飛び去るだけである。


ヨブへの答え その1 オリーブの木

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/118.html

ヨブへの答え その2 全能の神よ私に答えよ

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/119.html

ヨブへの答え その3 知恵の神ソフィア

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/120.html

ヨブへの答え その4 神の非道

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/121.html

ヨブへの答え その5 教会の原理と精霊の原理

http://angel.ap.teacup.com/gamenotatsujin/122.html

参考URL............原始キリスト教など

http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html

ずっと気になっていた記事は以下に引用してみましょう......

 「パラクレートの宿り」というイメージはグノーシスの種子が人間の中に密かに埋め込まれているというグノーシス主義の観念と同種のものである。それは人間が外的な業やその制度化によって救われるのではなく,人間の中には神的なものが内在しており,人間はその内なるものの働きによって救われるのだということを語っているのである。

 それならば,キリストの死が人間を救うためではないとすると,それは何を意味しているというのであろうか。それについてのユングの解釈は正統派キリスト教のそれとは驚くほどの違いを見せている。ユングは十字架上でイエスの叫び「エリ,エリ,レマ,サバクタニ」に注目する。(管理人注:アラム語で「わたしの神よ,わたしの神よ,なぜわたしをお見捨てになるのですか」という意味でそれは詩篇22にある)ある人物が定義上ありえない言動をするときには,そこに深い意味が隠されているものである。さきにユングは,全知全能の神としてはありえないヤーウエの言動から,ヤーウエの無意識性を明らかにした。ここでも彼は,人間の罪を背負って犠牲になることを承知しているはずのイエスにしては,この叫びが奇妙であることに注目する。なぜここで神に対して苦しみないし恨みの叫びが出るのであろうか,なんですが「エリ,エリ,レマ,サバクタニ」について最近結論が出て肩の荷が降りた感じです。


エリ,エリ,レマ,サバクタニで掲示板を検索すると........

http://www.google.co.jp/cse?cx=018248536928281187046:slakdvbmrtw&sa=%B8%A1%BA%F7&ie=EUC-JP&q=%A5%A8%A5%EA%A1%A4%A5%A8%A5%EA%A1%A4%A5%EC%A5%DE%A1%A4%A5%B5%A5%D0%A5%AF%A5%BF%A5%CB#gsc.tab=0&gsc.q=%E3%82%A8%E3%83%AA%EF%BC%8C%E3%82%A8%E3%83%AA%EF%BC%8C%E3%83%AC%E3%83%9E%EF%BC%8C%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%8B&gsc.page=1


結論として分かったことは........

http://6707.teacup.com/gamenotatsujinn/bbs/1053

この意味は、

「我が神、我が神、どうして私をお見捨てになったのですか」マタイによる福音書27章-46、

「父よ、私の霊を御手に委ねます」ルカによる福音書23章-46、

と分かれている。果たしてどちらが正しいのだろうか?

管理人注としてはルカによる福音書に座布団10枚!! あげた次第です。


http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0487.html

 旧約聖書はどこもおもしろい。いや、考えさせられる。
 モーセの出エジプトやノアの洪水やソロモンの伝説のように、歴史と虚構がどのように交じったかを読むのもスリルがあるし、ユダヤの預言文学のレベルを他の古代宗教とくらべるのも興味が尽きない。イザヤ書・エレミア書・エゼキエル書を読んだときは、「そうか、これがユダヤの言霊か」と合点した。
 その一方、約束の地カナーンを誓った民族共同体イスラエルがどのようにユダヤ民族のなかの理念として定着していったかとか、古代ヘブライ社会やヘブル語がどんな表現レベルをもっていたのかということを見るのも、興奮させられる。
 しかし、文学的にも哲学的にも、また神学的にも心理学的にも共通する深さをもつ問題を鋭く提示しているところというと、なんといっても『ヨブ記』なのである。ゲーテはこれをもとに『ファウスト』を発想したし、ドストエフスキーはここから『カラマゾフの兄弟』全巻を構想した。

 現行の旧約聖書は「律法」「予言者」「諸書」の3部構成になっている。しかしながら、「モーセ五書」とか「律法」(トーラー)とよばれてきた『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』を読むだけでは入口しかわからない。
 「諸書」と「外典」が異様なのである。異様なだけではなく、広くヨーロッパ史における人間精神の考え方の基層に突き刺さっている。たとえば「混沌から勝利する」というイメージといえば、それは必ず諸書『エステル書』の物語をさすわけだし(ラシーヌの悲劇はここから派生する)、デボラといえば、その名を聞いただけで、これは外典『ユデト書』の勇敢な女性デボラのことなのだ。
 そういう意味で、『ヨブ記』の主人公ヨブは、旧約聖書のなかではカインの問題とともに最も哲学上の重要課題を投げかける人物になっている。ぼくのようなクリスチャンじゃない者にとっても、カインとヨブの名はいまだにぼくの背中のどこかに引っかかった「うしろの百太郎」なのだ。

 『ヨブ記』は「諸書」の中の『詩篇』『箴言』につづいて収録されていて、全体は42章で構成されている。そのうちの1、2章と最終章の一部が散文になっているほかは、すべてが韻文(詩文)である。したがって暗示力がすこぶる高い。
 散文部分は聖書研究者のあいだでは「枠」とか「民間本」とよばれる。おそらくは民間伝承そのままを編集した箇所である。ここではヨブは敬虔な忍従の人として描かれる。きっとイスラエルの地でこの物語を記録した"編集者"の意志が反映したのであろう。
 ところが韻文の部分では、ヨブは3人の友人と果敢に論争し、神に疑問をもち、ついには神に反抗する姿勢すら見せる。この互いに矛盾するようなヨブの二つの立場を描いているところが『ヨブ記』を最も魅力的にしているゆえんで、そのため『ヨブ記』はずっと智慧文学の原典ともいわれてきたのだが、どうして、智慧などというものよりずっとハードな問題を扱った。

 ヨブの名は『エゼキエル書』にも出てくる。が、これは主人公の名を"編集者"が借りただけで、とくに物語と関係はない。
 もともとヨブは裕福で正直な名士で、「ウツ」の地(おそらく死海の南のエドム)に住んでいた。家族も土地も家畜もじゅうぶんにいた。聖書は「無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けてきた」と書く。
 そのヨブの信仰を神はさまざまな試練によって試すのだが、ヨブはことごとく信仰の堅固なところを証明してみせる。
 そこで神は悪魔(サタン)を呼んで、ヨブの財産を傷つけたらどうか、体を傷つけたらどうかと言う。悪魔が巧みにヨブの体に悪腫をつけると、ヨブは体中を掻きむしって苦しむのだが、決して神を恨まない。見かねた妻が「いつまで無垢でいるのですか。神を呪って死ぬほうがましでしょう」と言うと、ヨブは「愚かな女だ」と悲しむばかりなのである。
 ヨブが苦しんでいるという噂が広まり、3人の友がやってくる。友人たちはヨブが本人と見分けがつかない苛酷な姿になっているのに衝撃をうけ、7昼夜を一緒にするものの、一言とて会話が交わせない。
 ここまでが「序」にあたる序曲で、ここにヨブの詩が入る。「私の生まれた日は消えうせよ」という有名な呪歌である。ここから壮絶なヨブの疑念が燃え上がる。

 次に「破」に入る。
 友人たちはヨブを慰めるために、「神は絶対に善人を苦しめることはないはずだ」「罰せられるのは悪人だけだ」などと説く。これは当時のユダヤ教の古典的な教訓である。きっとそのような教えが流布していたのであろう。しかしヨブは、そのような古典的な教えをしだいに納得できなくなっている。
 そこで友人たちは、たしかに善人でも苦難にあうことがあるだろうが、そもそも完全に潔白で汚れがない者なんているはずもなく、おそらく天使だって完全ではないはずなのだから、それに加えて人間は悪に染まりやすいのだから、神を信頼しつづけて謙虚に神に訴えればいいのではないかと勧める。
 ヨブは自分がまったく悪行をはたらいていないのに、神がなぜ試練を与えたかが理解できないので、友人の言葉には同意できない。そういうヨブの態度を見て、我慢できなくなった3人のうちのビルダドが「いつまでそんなことを言っているのか。お前の口は嵐のようだ。神が裁きを曲げられるか、全能者が正義を曲げられるか」と罵る。他の友人もヨブを批判する。

 友人たちはヨブが苦難にあっているのは、ヨブが何らかの罪を犯したにちがいないからだと見ているわけである。けれどもヨブはその罪の自覚がないらしい。そこで、エリファズはいくつもの無慈悲な行為をあげ、ヨブに濡れ衣を着せる。
 よくあることである。相手が小さな罪を認めないのなら、もっと大きな罪を付加させたくなるのは、大半の人間がもつ感情であり、 かつまたマスメディアや批評家がもつ態度というものだ。
 ヨブはこれらの暴言に耐えられなくなって、「君たちは慰めのふりをして苦しめている」「役にたたない医者だ」と、友人たちを詰(なじ)る。「黙ってくれ、私に話をさせてくれ。たとえどんなことがふりかかってもいい」という絶叫だ。
 驚いた友人たちは、ヨブにともかく黙って試練に耐え、毅然としていけばいいではないかと、なにやら懐柔策に出る。ここでヨブの断固とした一撃が出る。「私が話かけたいのは全能者なのだ。私は神に向かって申し立てたい」。
 この「神への申し立て」が可能なのかどうかという一点が、『ヨブ記』の最初の神学的逆上になる。
 ヨブはすでに何度も神に跪き、もし自分が間違っているなら、そのことをわからせてほしいと懇願してきたのである。ヨブは自分が公平に裁かれているのなら、その報いをうける覚悟はあったわけである。けれども神は沈黙したままにいる。なぜ神は、主は、何も言おうとしないのか。
 この疑問はものすごい。
 それどころか、ここからがさらに重大な社会の成立の仕方そのものに対する大問題になるのだが、もし神が告発者であって、かつ裁判者であるとしたなら、いったいこの世の誰がヨブを裁けるのかという「大疑」が生じてくる。つまり、ここには「もはや上訴のない社会」という問題が立ちはだかってくるわけなのだ。

 どうだろうか。
 ここまでで、誰が『ヨブ記』が提訴しつつある問題に「解」を思いつけるだろうか。自信があるなら、挑戦してもらいたい。
 そのうえで言うのだが、今日の欧米世界の底辺にあるユダヤ=キリスト教社会がこの問題を解決するには、実はこの問題に目をふさぐしかないはずなのだということに気がつかれたい。

 さて、こうして「序・破」をおえた『ヨブ記』はいよいよ「急」にさしかかる。
 ここではヨブが「神はどこにいるのか」「遠いところにいないのなら、自分とともにここに来てほしい」、そして「自分は神とともに裁きの場に出たい」とさえ言う。しかしそれでも神は沈黙したままなのである。
 こうしてヨブは絶望の究極に向かっていく。悪魔を非難するのではない。神に絶望するのだ。そしてすべての人間との交わりを避けて、すべてが自分を放っておいてほしいと願う。これはまさに絶望の精神の行方の暗示というものである。けれども、ここがユダヤ教的なところなのだが、ヨブは絶望しきれない。自害もならず、遁世もない。そして、それならせめて「自分に対する告訴状」を神が出してくれることを、一縷の望みに託すことになる。
 ここでエリファズ、ビルダド、ツォファルの会話を聞いていた新たな登場人物である青年エリフが出てきて、ヨブの独白を聞く。これが長いのだが、意外な結末はその直後に訪れる。嵐の中から主ヤハウェの大音声がついに聞こえてくるのである。

これは何者か。
知識もないのに、言葉を重ねて、
神の経験を暗くするとは。
男らしく腰に帯せよ。
わたしはおまえに尋ねる。わたしに答えてみよ 。
わたしが大地を据えたとき、おまえはどこにいたのか。

 これが神の第一弁論といわれる開始であった。
 ヨブは必死に答えようとするのだが、答えはまとまらない。つづいて神の第二弁論が雷鳴のごとく降り落とされる。

  全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。
  神を責めたてる者よ、答えるがよい。

 ヨブは神の臨在に圧倒され、打ちのめされる。そして「急」は幕を閉じ、「終」になる。
 ヨブは言う、「私はあなたのことを耳で聞いていましたが、今や私の眼があなたを見たのです。それゆえ私は自分を否定し、塵芥の中で悔い改めます」。こうして終曲はふたたび散文に戻って、3人の友人には神の訓戒がくだされ、ヨブはふたたび健康を取り戻し、財産が2倍になって復活し、友人知人たちが贈り物をもってひっきりなしに訪れるようになる。
 ヨブは7人の息子と3人の娘をもうけ、4代の孫にも愛され、なんと140歳まで生きながらえた。

 なんと恐ろしい物語だろうか。なんと答えのないレーゼドラマだろうか。
 しかも、この『ヨブ記』を書いた"編集者"の名も出自も、これまであらゆる聖書研究者が"調査"をかけながらも、ついにまったく見当がつかないままなのである。そして、『ヨブ記』の悪魔はメフィストフェレスとなり、神と悪魔の両者を含む超越者はスタヴローギンとなり、ヨブは馬鹿なイワンとも、ゴッホの向日葵とも、ユダヤ・キリスト教社会の未解決の象徴ともなっていったのだ。
 ヨブの問答。
 これは、少しでも神と交わりたい者が必ず出会わなければならない神の教えなのである。

管理人注:信じる者は救われない その2についた転載先のコメント

https://blog.goo.ne.jp/0345525onodera/e/0eb8110e36394762c7ea6aedf92fc60b

信じる者は救われないについたキリスト者からのコメントより

https://genkimaru1.livedoor.blog/archives/2236818.html#comments

  • 1. パンナコッタ
  • 2022年11月28日 03:19
  • イルミナティの幹部だった女性がクリスチャンになったのは、イエスが今も生きておられる神である事をイエス自らが彼女に明らかにされたからです。

    そのパワフルな証を目の前で見ていたあなたが、これほどまでに霊的に盲目にされるものなのか。せめてRAPTUREの日までに救われますように。

管理人注:RAAPTUREとは携挙のことです。プロテスタントの中でもこれを信じる人は少数派です。あるものを信じる状態になった人には何を言っても書いても通じない典型でしょう。

管理人はこう質問しています

 

......................これほどまでに霊的に盲目にされるものなのか。せめてRAPTUREの日までに救われますように,と捨てセリフを吐いている以上質問に答えるべきでしょう。日本人プロテスタントの質の悪さは前から体験していますが人を盲目とシャーシャーと言った人は初めてです。米国在住のようですが牧師なのかどうかは知りません。

注:読者からのコメントは現在二件いただいております

コメント一覧

mizbit
前コメの方と重なる内容ですが、達人さんのブログの内容を理解するには圧倒的に知力も教養も足りていないと感じつつ、好奇心と世の真実を求めて読ませて頂いております。 その内容の一部でも、またざっと外郭を知るだけでもとても得難いものだと感じています。 なかなか内容に応えるだけのコメントを書くには至らないのですが、今後も貴寄稿を読ませていただきたいです。 これからの時代を生き抜くためにも。
Unknown
いつも良質な記事をありがとうございます。
日々の忙しさにかまけ、就寝前にこちらに寄らせていただくことが続いていました。
また、自身の知識のなさが露呈してしまうようで、コメントをすることを躊躇していました。
達人さんの投稿が無くなってしまってから、悔やんでも遅すぎると、半ば切羽詰まった心持ちで、この文章を書いています。
無理を承知でお願いします。
どうかブログを継続していただけませんか?
心よりお願いいたします。

管理人注:現在では二つのコメントに対する答えはありません。

コメント一覧(10/1 コメント投稿終了予定)

こどものかみさまから
<神様が見える子供たち>

☆運を引き寄せる方法!運の本当の意味を知りました
https://m.youtube.com/watch?v=kwVvAdpLMvU

☆自然はやっぱり凄い!!宇宙銀行、病気には太陽の光を浴びましょう
https://m.youtube.com/watch?v=-Zfo-TypNVU

動画一覧
https://m.youtube.com/@kamisamagamierukodomotati/featured
へのへのもしもし
達人さまへ

12.1 お誕生日だったのですね!
喜寿おめでとう御座います^_^
少し遅くなりましたがお祝い申し上げます❣️

お会いしたことありませんが
何となく所々接点があって
遠いながらも近い感じを勝手に抱いています。
達人さんの記事は豊穣すぎてコメント等を必要としないで完結している印象があります。
コメントするにはその豊かさ故にハードルが高い気もします。
私は達人さんの目眩く果てしない知識の海にあってはカナヅチな者ですので
本題へのコメントではなく
所々に配されたおまけ的な部分
マー君やスー君をはじめとする生き物への眼差しに共感を込めて時々(お邪魔かなぁと思いながら)コメント投稿させて頂いています。
御迷惑でしたら御免なさい。
他にも聞いてみたいことがあるのでそのうち
またしても本文とあまり関係なくコメント欄に置き手紙する予定です。
気が向いたらお答えください。
達人さんも毎日でなくて良いので
無理をなさらず
日々の中で何か思うところがあった時
それを綴ってみたくなったタイミングで
記事にされては如何でしょう?
mizbit
前コメの方と重なる内容ですが、達人さんのブログの内容を理解するには圧倒的に知力も教養も足りていないと感じつつ、好奇心と世の真実を求めて読ませて頂いております。 その内容の一部でも、またざっと外郭を知るだけでもとても得難いものだと感じています。 なかなか内容に応えるだけのコメントを書くには至らないのですが、今後も貴寄稿を読ませていただきたいです。 これからの時代を生き抜くためにも。
Unknown
いつも良質な記事をありがとうございます。
日々の忙しさにかまけ、就寝前にこちらに寄らせていただくことが続いていました。
また、自身の知識のなさが露呈してしまうようで、コメントをすることを躊躇していました。
達人さんの投稿が無くなってしまってから、悔やんでも遅すぎると、半ば切羽詰まった心持ちで、この文章を書いています。
無理を承知でお願いします。
どうかブログを継続していただけませんか?
心よりお願いいたします。
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