母が亡くなって3年、早い。
具合が悪くなった頃、丁度コロナ禍で施設へ会いに行くことが出来なかった。
亡くなるまでの半年、施設のご厚意で2回ほど話せる状態の時に面会出来た。
病院ではないので霊安室が無いから、なるべく早く遺体を引き取るように言われていた。
午後11時までだと常勤の先生が居るので死亡診断書が出るからお迎えを、それ以降だと翌日の朝、先生が出勤されてからになるので午前中に迎えに来てくれ、ということだった。
危篤の電話があってから携帯電話を手元に置き、連絡待ちをしていた。11時が過ぎて、ややホッとした頃、日付が変わってから臨終の知らせがあった。
これは母の最後の気遣いで、深夜夫に車の運転をさせないために違いない。
午前中に、ということだったので、葬儀社に電話をし、遺体の搬送を頼んでからゆっくりと施設に行った。
母はお気に入りの洋服を着せて貰い、荷物も片付けてあった。
母に持たせるメガネ等以外は、全て施設にお任せ、使える物は利用して貰う事にした。
肉親が傍に居られない状況下、慣れ親しんだスタッフさんに囲まれて最期を迎えられたことに感謝している。
具合が悪くなった頃、丁度コロナ禍で施設へ会いに行くことが出来なかった。
亡くなるまでの半年、施設のご厚意で2回ほど話せる状態の時に面会出来た。
病院ではないので霊安室が無いから、なるべく早く遺体を引き取るように言われていた。
午後11時までだと常勤の先生が居るので死亡診断書が出るからお迎えを、それ以降だと翌日の朝、先生が出勤されてからになるので午前中に迎えに来てくれ、ということだった。
危篤の電話があってから携帯電話を手元に置き、連絡待ちをしていた。11時が過ぎて、ややホッとした頃、日付が変わってから臨終の知らせがあった。
これは母の最後の気遣いで、深夜夫に車の運転をさせないために違いない。
午前中に、ということだったので、葬儀社に電話をし、遺体の搬送を頼んでからゆっくりと施設に行った。
母はお気に入りの洋服を着せて貰い、荷物も片付けてあった。
母に持たせるメガネ等以外は、全て施設にお任せ、使える物は利用して貰う事にした。
肉親が傍に居られない状況下、慣れ親しんだスタッフさんに囲まれて最期を迎えられたことに感謝している。