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大田原城跡

2011年03月19日 | 関東
本丸跡を囲む土塁。

所在地:栃木県大田原市城山/■ブログ内関連URI 大田原神社

大田原城は、天文14年(1545)大田原資清によって築城され、町島水口より移り、
以来明治4年(1871)の廃藩置県に至るまでの326年間、大田原氏の居城である。
 
東西210m、南北327m、面積9.1ha。本丸、二の丸、三の丸に区画され、
この外、北・西両曲輪・馬場・作事場等、築城法にかなった防御を
第一とした要塞の地である。明治5年(1872)兵部省に引渡され、取り壊された。
 
慶長5年(1600)徳川家康は関ヶ原戦の前、奥羽の情勢からこの地を重視して
城の補修を命じ、さらに徳川三代将軍家光は寛永4年(1627)常時玄米千石を
城中に貯蔵させ奥州への鎮護とした。
 
文政8年(1825)には火災によって焼失したが、同九年新に造営した。
戊辰の役には西軍の軍事拠点となったために、東軍に手薄のところを
攻められたが、火薬庫の爆発によって落城をまぬがれた。

明治19年長野県渡辺国武(大蔵大臣)の所有に帰したが、昭和12年
嗣子千冬(司法大臣)が、これを大田原町に寄贈したので、
公園として整備し、市民の憩いの場となっている。


龍体山に築城された山城で、蛇尾川が東側を流れ、本丸を巡る高く厚い土塁が目を引く。


蛇尾川。急な土塁と大きな川で、攻めにくいことが想像できる。

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