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ばいどく 梅毒

2010年09月30日 05時00分00秒 | 言葉の説明

 

 

 

梅毒 (ばいどく)

Syphilis。黴毒、瘡毒(そうどく)とも)は、スピロヘータの一種である梅毒トレポネーマ (Treponema pallidum) によって発生する感染症、性病。 in vitroでの培養は不可能のため、病原性の機構はほとんど解明されていない。1998年には全ゲノムのDNA 配列が決定、公開されている。また、理由は不明だが、ウサギの睾丸内では培養することができる。

 

目次 [非表示]
1 歴史
2 臨床像
2.1 感染経路
2.2 症状
2.3 初期梅毒の感染性
3 検査
4 治療
4.1 危険な療法
5 予防
6 関連法規
7 参考文献
8 梅毒に罹患した人物
9 関連項目
10 脚注
11 外部リンク
 
 歴史 [編集]詳細は「感染症の歴史」を参照

梅毒が歴史上に突発的に現われたのは15世紀末であり、そのため本病の由来については諸説ある。

梅毒は15世紀以前から旧世界(ヨーロッパ・アジア・アフリカなど)に存在していたとする説。古い法令に梅毒に関するものがあるなどとするが、本病による病変を示す人骨等の具体的資料は無く、支持者はほとんどいない。
梅毒は、症状が非常に軽い状態で旧世界に古くからあったとする説。現在でも熱帯地方を中心に、皮膚に白斑が生じる程度の「ピンタ」、潰瘍を生じる「ヨーズ」など軽症のものがあるが、これらは梅毒トレポネーマにより起こることから、旧石器時代(1万2000年以前)にピンタかヨーズが発生し、人類の間に広がり、15世紀末にヨーロッパでトレポネーマに変異が起きて梅毒が生じたとする。
クリストファー・コロンブスの率いた探検隊員がアメリカ上陸時に原住民女性と交わって感染し、ヨーロッパに持ち帰り、以後世界に蔓延したとする説。コロンブスの帰国から梅毒の初発までの期間が短いという難点があるが、アメリカでも古い原住民の骨に梅毒の症状がある例が発見されており、また例えば日本でも、コロンブス以前の人骨には梅毒による病変が全く見つかっていないなど証拠は多く、最も有力な説とされている。
旧ソ連の学者により唱えられた説では、梅毒はアメリカ起源ではあるがベーリング海峡を渡ってシベリア経由でヨーロッパに入ったとするものもある。原因は、ベーリング海峡を通して両地域の住民の交流があったためである。
日本では1512年に記録上に初めて登場している。交通の未発達な時代にもかかわらず、コロンブスによるヨーロッパへの伝播からわずか20年でほぼ地球を一周したことになる。特に沖縄においては、激烈な流行であった。花柳界においては、多く罹患し、古くからいる人“(ふるっちゅ)”は梅毒に罹っている人、古血(ふるじ)は梅毒を意味する言葉となった。著名人では、加藤清正、結城秀康、前田利長、浅野幸長などが梅毒で死亡したとみられている。本病が性感染症であることは古くから経験的に知られ、徳川家康は遊女に接することを自ら戒めていた。
抗生物質のない時代は確実な治療法はなく、多くの死者を出した。慢性化して障害をかかえたまま苦しむ者も多かったが、現在ではペニシリンなどの抗生物質が発見され、早期に治療すれば全快する。梅毒トレポネーマは抗生物質への耐性は獲得していない。罹患患者も減少しているが、根絶された訳ではない。
昔は鼻部の軟骨炎のために鞍鼻(あんび)や鼻の欠損になることがあり、川柳などに詠われていた。江戸時代の夜鷹などには『鼻欠け』が多かったので、川柳にも『鷹の名にお花お千代はきつい事』があった。勿論“お花お千代”とは“お鼻落ちよ”に掛けた。
同様の症状を呈するハンセン病と同一視されていた時期がある。ハンセン病を患ったダミアン神父も、梅毒と誤認され姦通の嫌疑を受けた。
日本語の「梅毒」という呼称については、この病気によって生じる瘡が楊梅(ヤマモモ)の果実に似ていたため「楊梅瘡」と呼ばれていたが、これが時代と共に変化したとする説がある。
 臨床像 [編集]1978 - 1999年の22年間に東京都多摩地区に於いて行われた健康な人を対象とした抗原検査結果によれば、45,614例中1,017件 (2.23%) が脂質抗原検査陽性で、このうちTPHA法、FTA-ABS法によるトレポネーマ抗体の検査陽性は639例 (1.40%)。陽性率は1978 - 1999年まで概ね1 - 約2%の間で推移し、梅毒の潜在的な感染例は減少していない。また、陽性例中の493例 (約77%) は60才以上であった[1]。後記する検査を参照のこと。

 感染経路 [編集]主に性行為・オーラルセックスにより感染、皮膚や粘膜の微細な傷口から侵入し、進行によって血液内に進む。これ以外にも母子感染、輸血血液を媒介とする感染もある。母子感染の場合、子供は先天梅毒となる。

 症状 [編集]第1期と第2期が感染しやすく、感染後約1週間から13週間で発症する。現代においては先進国では、抗生物質の発達により、第3期、第4期に進行することはほとんどなく、死亡する例は稀である。第1期梅毒の最初の数週間は抗体発生前で、検査において陽性を示さない。

第1期
感染後3週間 - 3か月の状態。トレポネーマが侵入した部位(陰部、口唇部、口腔内)に塊(無痛性の硬結で膿を出すようになり、これを硬性下疳と言う)を生じる。塊はすぐ消えるが、稀に潰瘍となる。また、股の付け根の部分(鼠径部)のリンパ節が腫れ、これを横痃(おうげん)という。6週間を超えるとワッセルマン反応等の梅毒検査で陽性反応が出るようになる。
第2期
感染後3か月 - 3年の状態。全身のリンパ節が腫れる他に、発熱、倦怠感、関節痛などの症状がでる場合がある。
バラ疹と呼ばれる特徴的な全身性発疹が現れることがある。赤い目立つ発疹が手足の裏から全身に広がり、顔面にも現れる。特に手掌、足底に小さい紅斑が多発し、皮がめくれた場合は特徴的である。治療しなくても1か月で消失するが、抗生物質で治療しない限りトレポネーマは体内に残っている。
潜伏期
前期潜伏期:第2期の症状が消えるとともに始まる。潜伏期が始まってからの2年から3年間は、第2期の症状を再発する場合がある。
後期潜伏期:不顕性感染の期間で数年から数十年経過する場合もあるが、この期間は感染力を持たない。
第3期
感染後3 - 10年の状態。皮膚や筋肉、骨などにゴムのような腫瘍(ゴム腫)が発生する。現在はみることは稀である。
第4期
感染後10年以降の状態。多くの臓器に腫瘍が発生したり、脳、脊髄、神経を侵され麻痺性痴呆、脊髄瘻を起こし(脳梅)、死亡する。現在は稀である。
 初期梅毒の感染性 [編集]Schober PC(英国)らは、梅毒の感染性という論文で、初期の梅毒患者のパートナーを精査した。[2]ホモセクシュアルでは49%, ヘテロセクシュアルでは58%が感染していたという結論である。このYear Book の編集者は全員に感染しないのは、露出の程度が異なるからだろうとコメントした。
 検査 [編集]梅毒においては検査が重要で、その判定は主治医にまかせるべきである。
STS(Serologic test for syphilis)(ウシ脂質抗原を使う、ガラス板法、RPR,カード法、緒方法、定量法がある)と梅毒トレポネーマ抗原を使うもの(TPHA法、FTA-ABS法)の2種ある。
注意すべきことは、STSは治療後陰性化するが、TPHAは陰性化しない。感染直後はIgMを使うFTA-ABSが陽性になる。
STS陽性でも、生物学的偽陽性(他の疾患で陽性になる)があり、TPHA陽性でも治療が必要ない場合もあり、主治医によく判定を求めること。High responderもある。十分治療した場合、普通その後の治療は必要ない。
患者に伝染させたと思われる人ともども、梅毒の検査とエイズの検査を受けさせるべきといわれる。保健所であれば無料でエイズの検査が行える。
 治療 [編集]男性の場合は泌尿器科・性病科、皮膚科、女性の場合は産婦人科、皮膚科、性病科を受診。特に皮疹がある場合は皮膚科がよい。

ペニシリン系の抗生物質の投与で治癒する。投与期間は第1期で2~4週間、第2期では4~8週間、第3期以降は8~12週間[3]。胎児(母体)に対し、エリスロマイシンを使用した場合には、新生児は出産後改めて治療する必要がある。なお、感染してから1年以内の梅毒を治療した場合、治療初期に38度台の高熱が出ることがある(ヘルクスハイマー現象)。菌が一気に死滅するための反応熱であり、初回治療の場合は、病院でしばらく観察する必要がある。かつて、クロラムフェニコールが使用されたが、副作用が強いため現在では使用されない。

 危険な療法 [編集]16世紀、ヨーロッパで蒸気の吸入や軟膏の塗抹などによる水銀療法が用いられた。これにより多くの水銀中毒が出たため、水銀療法肯定派 (mercurialist) と否定派の間での論争が行われた。梅毒の水銀療法は中国や日本でも行われ、日本では杉田玄白やシーボルトらが記載している。ヒ素剤であるサルバルサンも一時使われたが、ヒ素の副作用もあり使用されない。

梅毒トレポネーマは高熱に弱いため、梅毒患者を意図的にマラリアに感染させて高熱を出させ、体内の梅毒トレポネーマの死滅を確認した後キニーネを投与してマラリア原虫を死滅させるという荒っぽい療法がかつて行なわれていた。ただし、この療法は危険度が大きいため抗生物質が普及した現在では行なわれていない。

 予防 [編集]VD(性行為感染症)である本病は禁欲が最大の予防策だが、次善の策として、不特定多数(確率的にその中に感染者が含まれているため)との性行為の自粛、またコンドームの着用により病原菌の人体間の移動を阻止することで防ぐことが可能であるが(参考:セーファーセックス)、100%ではなく、又、口から口へという経路やオーラルセックスでの感染等は防ぐことができない。

 関連法規 [編集]感染症法における取り扱い、5類感染症全数把握疾患 保健所に届け出が必要である。

 参考文献 [編集]クロード・ケテル著『梅毒の歴史』(LE MAL DE NAPLES)藤原書店。ISBN 4-89434-045-3
 梅毒に罹患した人物 [編集]結城秀康(徳川家康の次男、梅毒で死去)
大川周明
フランツ・シューベルト
ロベルト・シューマン
フーゴー・ヴォルフ
フレデリック・ディーリアス
アル・カポネ
モーリス・ガムラン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E6%AF%92

 

 

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