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高山 登久太郎(たかやま とくたろう、 1928年 - 2003年6月15日[1])は、日本のヤクザ。指定暴力団・四代目会津小鉄会長、二代目中川組組長。本名は姜 外秀(カン ウェス、강 외수)。若い頃は、今里のタッカン、タッカンと呼ばれた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B1%B1%E7%99%BB%E4%B9%85%E5%A4%AA%E9%83%8E
昭和25年(1950年)、高山登久太郎は、遠い親戚を頼って、滋賀県大津市に移った。
その後、高山登久太郎は、進駐軍から手に入れた洋煙草を闇に流すブローカーや遊郭周辺でのポン引きなどの仕事をした。
同年6月25日、朝鮮戦争が勃発した。
同年8月8日、在日本大韓民国民団(略称は民団)は、641人の志願兵を集め、在日韓僑自願軍を結成した[2]。
同年、高山登久太郎は、配下20人以上を抱える愚連隊の首領となっていた。
このころ、高山登久太郎は、中川組・中川芳太郎組長と知り合った。
昭和26年(1951年)、2月、在日韓僑自願軍が出征した。
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