サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

世に残された2つの平等

2009-06-29 17:20:21 | Weblog
哲学者カントの最期の言葉は
「これでよい」だったと伝えられている。
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その真意は定かでないが
自分の人生に合格点をあげて
さらりとあちらの世界に行ってしまうなど
カントらしいとも言える。

カントは歴史哲学として人類の歴史を、
人間が己の自然的素質を実現するプロセス
として捉えていた。

人間にとっての自然的素質とは、本能ではなく
理性によって幸福や完璧さを目指すことであると
記している。


さて
「終わりよければすべてよし」と言われる。

人間にとっての最大の終わりは「死」である。

立派な死にざまは
立派な生きざまと同じくらい
人の心を打つ。

死が逃れられない運命である以上
生きている間の生をできる限り充実させたい、
存分に生きたいと思わない者はいない筈である。

病気や事故に遭遇することなく
平穏無事に歳月を重ねたとしても
老いと死だけは確実にやってくる。

国家でも個人でも
年寄りに辛く当たれば、自分が年を取ったとき
同じ思いをさせられるということを
考えない人はあまりにも多い。

運のいい人、運の悪い人
確かに神様がいるのであれば不公平だ。

けれども死だけは一人の例外もなく
平等に与えられている。

生きてさえいれば
何かができる。

今日できなかったことを
明日やることも、
また、過去の失敗を未来に償うことも可能である。

「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」
という諺がある。

人も生きていくうえで自分を大切にし
死後もその名を語り伝えられるように
努力せよ。
と教えている。

人間はいつ死ぬか本当にわからない。

いつ死んでも悔いがないように一日一日を
精一杯に生きるというけれども
いつ死んでもきっと悔いが残るのが
人生ではないかと思う。

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

青木法務事務所HP
http://www.aoki-houmu.com/

見抜く・見抜かれる

2009-06-28 14:45:23 | Weblog
私の仕事は、見ず知らずの相談者から
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誰にも言いたくない話を聞くことから
始まる。

相談者は、言わば
私という個人を信用している訳ではない。

その職業から「信用に足る人物」と判断されて
本当のことを話される。

当然ながら私が何でも全てできる訳ではなく
その相談内容に応じて
弁護士先生や司法書士先生を紹介する。

この相談業務が的確にできなければ
プロとしての看板は掲げられない。

作家の福田恆存は
初対面同士の会話に関して鋭い指摘をしている。

相手が自分より上か下か。
或いは自分と同等であるかを
お互いに見抜こうとするという。

相手が自分より上だと思うと敬意を表し
同等だと思うと安心して気楽に付き合い
下だと思うと軽く見るのだそうである。

作家だけあって鋭い人間観察をしている。

人間というものは相手の能力というものが
気になり、その能力を見抜いて、これに応じた
振舞い方をする。

仕事を離れても
我々は様々な場面で人を接触する。

当然、色々な目的で接触する訳であるから
その目的に応じて相手に対する関心の
あり方も違う。

つまり、それぞれの関心に応じて
相手を見抜こうとするものである。

職場であれば
上司ならば部下が自分の云う事をよく聞き
仕事に精出す人間であるか見抜こうとする。

一方、部下であれば上司が自分を可愛がって
よく面倒を見てくれるかどうか見抜こうとする。

また商売人であれば
このお客さんが本当に買ってくれるだろうかと
見抜こうとするものである。

サムライ業もそうである。
法律という知識はあっても
人を見抜くという知恵・観察眼がなければ
プロと言えども、思いがけない落とし穴に
はまることもある。

いずれにしても
相手を的確に見抜き、それによって
対応策を講じていく姿勢が
日々問われている訳である。

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

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本音と建前を見抜く鑑識眼

2009-06-27 15:23:49 | Weblog
腰が低くていかにも、いい人間のように見える。
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仕事をしている時などは、大変おとなしく
好人物のように見えるが夜、一杯飲んで
酔いが回ってくると、人が変わったように
荒れてきて、誰にでも絡む人間。

表面上のみ知る人は
酔うと酒癖が悪いが、本当は好人物
なのだと思ったりする。

じつは
酔っている時こそ本心が現れて
仕事をしているときが仮面の顔だと
思ったほうがよい。

こうしたケースは政治家に多くみられる。
「国家のため、社会のため、人々の暮らしのため
良い政治家になる」と言うが
これは建前だと思っている。

本音は
名誉欲、権威欲、金銭欲の塊であることが多い。

実際、政治家になって彼が何をしたか
その足跡を辿れば一目瞭然である。

マズローの5段階説ではないが
人間の欲求が行動の動機になっていることが
本当は多いのである。

韓非子曰く
名誉を重んずる人に対して、利得を
訴えれば、この人間は程度の低い軽い人間と
見做される。

また、利得を重んじる人に対して、名誉を
訴えれば、この人間は世間を知らない
甘い人間と見做される。

人間関係をうまく繋げるには
清濁併せ持ち、相手の欲求を的確に見抜き
これにうまく対応していくことが大切となる。

そして
そのことは
長い人類の歴史が如実に
物語っている。

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

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何を見抜くのか

2009-06-25 21:40:37 | Weblog
今は「歴女」ブームなのでそうである。
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真田幸村を筆頭に
石田三成、明智光秀など悲運の武将が
注目されているようである。

願うことなら、この中に
大谷吉継、島左近など加えていただけたら
うれしい限りであるが。

さて、明智光秀。
何故、信長に謀反を企てたのか
今でも謎な部分があるが
面白いエピソードが残っている。

本能寺の変の直後、京都の町人が明智光秀に
茶とちまきを献じた。

ところが光秀は放心状態で、ちまきを笹の皮ごと
頬張った。

この光景を見て、町人たちは
「光秀の天下も長いことなかろう」と
見抜いたと言われている。





見抜くと言えば
人間失敗したときの態度によって
その人物を見抜くこともできると言われる。

失敗によって意気消沈し、やる気を失い
ますます駄目になっていくようでは見込みがない。

だが、失敗してもそれに参らず
かえって失敗を教訓にして、それをきっかけにして
いける人は大成することができる。

ホンダの創業者である
本田宗一郎は若い時から多くの失敗を
繰り返している。

彼の成功は
まさに失敗の積み重ねから
勝ち取られてきたものである。

未熟な人間が全力をふるって体当たりする。
そして、そこには当然失敗もある。

しかし失敗があるからこそ
いかに、これを切り抜けて飛躍に繋げようかと
全力をふるって考え努力する。

この思考・行動によって
はじめて人間は成長する。

私もまた
誰かに見抜かれているかも知れない。

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名刺

2009-06-24 21:25:53 | Weblog
草柳大蔵さんの礼儀作法の一節に
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”名刺の受け渡し”
のことが書かれている。

これによると
第一に
名刺は原則として、目下の者が先に
渡すことになっている。

名刺の受け渡しは
剣道や柔道でいう”立ち合い”と心得るべき
と述べている。

目下の者が組織・所属部署・自分の名前を
はっきり言いながら両手で差し出す。

手の高さは相手が受け取りやすい高さである。

名刺の受け渡しがいい加減な人物には
大切なことを相談したり頼まないほうが
無難であるとも書いている。

第二には
清潔な名刺を用意すること。

名刺の角曲がっていたり
手脂が付いているのは禁物とされる。

また、相手から受け取るときは
左利きの人でも右手で受け取り、片方の手を
添えるようにする。

そして、その際
「有難うございます。頂戴します」と言って
両手で受け取った名刺に目をあて、
それから自分の名刺入れにしまう。

名刺の受け渡しは社交儀礼で
然も日常的に行われる。

だから、つい軽く考えがちだが
剣道で剣先を交わした場合に
相手の技量がわかるように、名刺の受け渡し
という短時間の動作の中に
人柄がすっかり読み取れるのであると
締めくくっている。

なるほど、名刺に書かれている内容は
その人間の知識・責任範囲を物語っている。

名刺は言わば、それを持つ
人物の保証書ともなっている。

私自身も肝に銘じなければならない。

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利益

2009-06-21 15:52:12 | Weblog
松下幸之助は「利益」について、以下の通り
述べています。
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企業の利益というと
何か好ましくないもののように
考える傾向が一部にある。

しかし、そういう考え方は正しくない。
もちろん、利益追求をもって企業の至上の目的と
考えて、そのために本来の使命を見忘れ、
目的のためには手段を選ばないというような
姿勢があれば、それは許されないことである。

けれども、その事業を通じて社会に貢献すると
いう使命と適正な利益というものは
決して相反するものではない。

そうでなく、その使命を遂行し
社会に貢献した報酬として社会から
与えられるのが適正利益だと考えられるのである。

だから、利益なき経営は、それだけ社会に対する
貢献が少なく、その本来の使命を果たし得ていない
という見方もできるのである。

私の仕事で
書類1枚で○万円する。

高いと思われる依頼者もいるし
妥当と思われる依頼者もいる。

しかし1枚を仕上げるのに
極端に言えば
何十通りの方法を考える。

出来上がれば
たかだか「1枚」なのだか

この1枚。

知恵と知識の結晶なのである。

そして
時には
弁護士先生ともやりあうことになる。

(武田信繁の遺訓)

『一つの結論を出すのに100通りの方法を考えよ』

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はじめに相談ありき

2009-06-08 20:19:32 | Weblog
4歳の女児が誘拐・殺害された「足利事件」の容疑者。
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逮捕されて17年半。
今月4日に無期懲役刑の執行が停止され、
釈放された菅家利和さん(62)。

刑を宣告された者の10人に1人は
「冤罪」と言われる。

この人の人生を、一体誰が償うのだろうか。


さて今日は「相談」としての業務。

人から相談されるということは
基本的に、相談者・依頼者から信頼を
得ていることを意味します。

しかし
どのような内容の相談であれ
的確なアドバイスや回答を与えることは
非常に難しい。

誰かに相談するとき、人はおよその結論を
出していると見てよい。

但し、その結論が妥当であるのか
理にかなっているのかが不安なのである。

一昔前なら必ず
近所に世話好きなおじさんやおばさんがいて
よろず相談事を引き受けた。
今はそうした人間関係も希薄になっているので
勢い、誰に相談して良いか迷うことになる。

そうすると、その道の専門家と言える
第三者に相談する流れになってくる。

自分の考えや判断、結論を正当化し
その確証を得たい。

私は相談されたとき、先ずは
相手の言うことを親身に聞くことに徹している。

相手が話している間は、極力
途中で口を挟まないように心掛けている。

勿論
相手の考えを全否定するような意見も言わない。

相手の言うことに頷き、肯定を繰り返すと
進んで全てを話してくれるものである。

そうすれば
何に悩み
どうしたいのか
自ずと判ってくる。

プロが最初の判断を間違えたら
ボタンの掛け間違いの如く
最後まで狂ってしまう。

そして
そのつけを
相談者や依頼者に転化してしまうことになる。

この相談業務がつつがなく
出来なくては、およそ「プロ」とは言えない。

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諫言

2009-06-06 21:25:53 | Weblog
いつの時代、どこの世界にも話が通じない人はいるものです。
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そうしたタイプの人には
説得のポイントがあります。

①先ずは相手に聞く耳を持たせること。
 怒らせずにゆっくり、やんわりと説き起こします。

②相手の非を直接責めない。
 その人のプライドを刺激せず、逃げ道も残して
 遠回しにそれとなく諭す。

③他人や他事に仮託して諭す。
 例えなどをうまく用いる。

④相手の意表をつく。
 突飛な言動には人は興味をそそられる。
 それが相手の心を開くカギとなる。
 
⑤ときにははっきりと直言して
 相手の目を覚まさせる。

中国古典に登場する賢臣と言われた安子。
主君であった斉の景公が、ある時
愛馬を飼育係の不手際で失ってしまった。

怒り狂った景公は、飼育係を矛で一突きにしよう
とした。

その時、安子が景公に申した。
「この者を殺すことは容易いが、それでは、この男に
自分の犯した罪の重さをきちんと知らしめることは
できません。私が王に代わって罪状をとくと知らしめ
本当の意味での成敗を致します」と。

安子は飼育係の胸元に矛を突き付け
「お前は3つの罪を犯した。これは死罪に値する。
其の一
責務に反して馬を殺してしまった。

其の二
こともあろうに王の最も大事にしていた馬を
死なせてしまった。

其の三
かたが馬一頭の為に、王に人殺しまでさせる。

馬一頭の為に、一国の君主たるものが
人を殺したなどと話が広まれば、人民の恨みを買い
諸候からも侮られる。
馬一頭の為に人を殺す非人道者。
そんな不名誉な噂がお前のせいで流され、
王は世間の笑い者になるのだぞ・・・・」。


諫言は話術をもって通じる極意とも言えますね。

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「卑弥呼」の謎・時々考古学者

2009-06-02 21:29:24 | Weblog

奈良県の桜井市にある箸墓古墳。
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これが邪馬台国の女王、卑弥呼の墓では
ないかと最近騒がれています。


『日本書紀』により倭迹迹日百襲媛命の墓として
築造したと伝えられる箸墓古墳は、
邪馬台国の都の有力候補地である
纏向遺跡の中にある。

同時代の他の古墳に比較して規模が隔絶しており、
また日本各地に類似した古墳が存在し、
出土遺物として埴輪の祖形と考えられる
吉備系の土器が見出せるなど、
以後の古墳の標準になったと考えられる
重要な古墳である。

当古墳の築造により古墳時代が
開始されたとする向きが多い。

この箸墓古墳の後円部の大きさは直径約160m
であり、「魏志倭人伝」の「卑彌呼死去
卑彌呼以死 大作冢 徑百余歩」と言う記述に
一致している。

さて昭和43年に発刊された
松本清張の「古代史疑」。

氏は九州説からの立場で見ていました。

①邪馬台国がいずこにあるかという疑問に対して
 これを「九州説」とするのに賛成し
 卑弥呼については、これを邪馬台国の巫女とする
 説をとり、敢えて、これ土酋とか或いは大和朝廷の
 誰かに比定する必要を認めない。

②「倭人伝」の方向の記事は信じてよい。
 これは古代航海者の感覚をもとにしているから
 方角を誤って書くことはあり得ない。

③里程や戸数の記載は虚妄の数字である。

④卑弥呼の塚は必ずしも高塚と思わないから
 高塚の出現地である古代大和でなければ
 ならぬという理由はない。
 卑弥呼の「宮室、楼観、城柵」とともに
 その「径百余歩」の塚も中国の風俗を写した
 陳寿の創作である。

⑤邪馬台国は銅剣・銅鉾文化圏において成立
 した国家であって、銅鐸文化圏にはまた別な
 国家が存在し、この両者はあたかも文化上に
 おいて対立していた如く、政治上においても
 二大勢力として対立していたものと考えてよい。

⑥邪馬台国は筑後川下流域にあったとみる
 筑後国山門郡に賛成したい。

博識ある諸兄は
「畿内説」?
「九州説」?

どちらに軍配があがると
思いますか。

(付記)

箸墓古墳の発掘調査が許されれば
その全容は解明されます。
 
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