一言、ざれごと、ひとり言!

話題にするにはイマイチな事をずらずらと・・・。

間違って伝わってしまった仏教⑤

2020-02-02 20:05:36 | 宗教
釈迦は自分が悟った事をどのように伝えれば、信じてもらえるか考えた結果、まず、率直に仏界の生命は全ての人間に平等に備わっているので、その事を信じ、強く生きていけばどんな悩みにも打ち勝つ事ができるので、特別な修行など必要ないと話をしました。(経でいうと、華厳経)。当然、理解できる人はいませんでした。
そこで、今一度どうしたら伝わるかを考えた結果、人が悩む原因を教えることにしました。いわゆる“四苦八苦”です。(経でいうと、阿含経)
その上で、自分の外側に仏界の生命を求めるという事をあきらめさせることにしました。
そこで、仮説を考え、話をしていくのです。
その仮説とは・・・
 釈迦が自分自身を、修行(・・)により仏界の生命を獲得した“仏”と設定し、仏に成る為に、どのような修行をしたのかを説明するというもの。
 ・・・つづく

間違って伝わってしまった仏教④

2019-06-18 11:09:30 | 宗教
 修行やめた釈迦は、菩提樹の下で考え込みます。これを瞑想と言うから神秘的になり、それが偶像化していく原因なのです。あくまでも煩悩と清らかな生命(仏界の生命)についてについてただひたすら考え続けていたのです。
 そして、ようやく煩悩を消滅させる事→死ぬ事だ!と(灰身滅智-身を灰にして知恵を滅ぼす)、ごくごく当たり前の事に気付いたのです。更に、煩悩と清らかな生命(仏界の生命)は人間の生命に同時に備わっていて、煩悩により悩み苦しむという事が当たり前の事であり、修行しなくてもそもそも備わっている仏界の生命を発揮して、悩みや苦しみを乗り越えていけるのだと気付いたのです。これが覚りです。
 さて、この事をどうやって皆に伝えれば良いか悩みます。なぜなら、当時の思想としては非常識だからです。煩悩を消滅させる為に修行をして仏界の生命を獲得するという事がこの頃の常識的な考え方であり、仏界の生命が何もしなくても本来備わっているという考え方は非常識なので、信じてもらえるかどうか不安だったのです。
 

間違って伝わってしまった仏教③

2019-06-12 12:41:45 | 宗教
 釈迦は煩悩を消滅させる為に、先輩に見習って様々な修行を行いました。

  裸眼で太陽を見続ける・・・・・・目が悪くなります
  動物の真似をして生活をする・・・四つん這いで歩き続けるので腰を痛めます
  食糞・飲尿・・・・・・・・・・・何かのプレイでしょうか?
  片足で立ち続ける・・・・・・・・体幹のバランスを崩します
  瞑想・・・・・・・・・・・・・・ここでは何も得ず
  断食・・・・・・・・・・・・・・痩せ過ぎただけ

これらの修業を6年間やりましたが、肉体的苦痛と精神的苦痛を感じるだけで何の意味もないという事に気付いたのです。

・・・つまり、煩悩を消滅させるために苦行を積み、仏界の生命を獲得するという事に違和感を覚えたのです。


そして修行をやめ出ていき、菩提樹の下でいろいろと考えるのです。

※瞑想(座禅)や断食は現代にも残っていますね。釈迦が意味ないと言っているのに・・・。また、滝行は日本で考えられた修行で、精神統一は一瞬はできるかもしれませんが、継続性はありませんし、打たせ湯のようなマッサージ効果ぐらいしか得られません。護摩行はバラモン教の修業を取り入れたもので、。こんなもので煩悩は焼けませんし、煩悩を焼くという発想自体が間違いです。要するに、商売です。
 これらの修業を行い、商売にしているお坊さんも騙されていると言えますね。
  

間違って伝わってしまった仏教②

2019-05-31 10:18:42 | 宗教
 釈迦が家出をした目的とは?
国の王子として生まれ、何一つ不自由のない生活をしていたにも関わらず、妻と子を残し家出をするのです。妻と子の立場に立って考えれば、ひどい父親という感じですね。
その当時、釈迦の国における世間一般の考え方によると、人間の悩みは煩悩によるものであるから、煩悩に侵されている人間はけがれた生き物であると考えられていました。そして、煩悩に侵されない”清らかな”生命があり、それは何らかの修行をすれば獲得でき、煩悩を断ち切る事が出来ると考えたのです。その生命は”仏界の生命”であるとされていました。
 釈迦も”仏界の生命”を獲得するために、家出をし、その修行に参加したのです。

出家ではなく家出です。



間違って伝わってしまった仏教①

2019-05-28 20:54:10 | 宗教
 仏教は、インド(ネパール)で釈迦が説き、中国を経由して日本に伝わる過程で、どういうわけか間違って伝わってしまいました。その事に、ほとんどのお坊さんや宗教学者が気づいてないのはいかがなものかと思うのです。
 なので、間違いを一つずつ指摘していきたいと思います。

釈迦は生まれて7日目で”天上天下唯我独尊”と言ったと伝えられています。うそです。言うわけないのです。

その理由は・・・生物学的に考えても生後7日で言葉は発声出来るわけがない。
        ましてや「この世で我一人尊い」などと子供が言ったら親は心配するはずです。
        そもそも釈迦の思いは「唯我独尊(我一人尊い)」ではなく「如我等無異(皆を我と異なることなく等しくしたい)」なのです。

釈迦の偉大な思想に触れてその尊さが際立ち、その後、偶像化してしまったのですね。

(シリーズは続く・・・)