おはよう学習。「反デューリング論」弁証法はいかなる公式・教条主義とも無縁
デューリングは、弁証法をヘーゲルが思いついたク公式だと考えて、マルクスがこの公式をうのみにして押し付けようとしていると言って、「否定の否定」を避難しています。エンゲルスは、そこに反論していることも大事です。
エンゲルスは資本主義が「小所有者の収奪のための諸条件を必然的に生み出したのとまったく同じように、いまや資本主義的生産様式もやはり、自己の没落を不可避とする物質的諸条件をみずから生み出したということを、歴史的に証明して、ここで簡潔にまとめているだけである」と言っています。
つまり、マルクスは「否定の否定」などの「公式」をヘーゲルから借りてきて、歴史に押し付けているのでなく、歴史そのもののなかに現実に働いている法則を見つけたのだとエンゲルスは言っているのです。
弁証法は、けっして観念論的な公式や教条ではなく、唯物論にしたがって歴史と自然の現実のなかに見いだされるべきものであることが、ここに言われています。
エンゲルスは、この章の最後で、弁証法とは何か、ということをまとめています。
「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学という以上のものではない」といい、弁証法がいかなる公式主義や教条主義とも無縁であると主張しているのです。
これで第1篇 哲学を終了し、次は、第2編 経済学に入ります。
デューリングは、弁証法をヘーゲルが思いついたク公式だと考えて、マルクスがこの公式をうのみにして押し付けようとしていると言って、「否定の否定」を避難しています。エンゲルスは、そこに反論していることも大事です。
エンゲルスは資本主義が「小所有者の収奪のための諸条件を必然的に生み出したのとまったく同じように、いまや資本主義的生産様式もやはり、自己の没落を不可避とする物質的諸条件をみずから生み出したということを、歴史的に証明して、ここで簡潔にまとめているだけである」と言っています。
つまり、マルクスは「否定の否定」などの「公式」をヘーゲルから借りてきて、歴史に押し付けているのでなく、歴史そのもののなかに現実に働いている法則を見つけたのだとエンゲルスは言っているのです。
弁証法は、けっして観念論的な公式や教条ではなく、唯物論にしたがって歴史と自然の現実のなかに見いだされるべきものであることが、ここに言われています。
エンゲルスは、この章の最後で、弁証法とは何か、ということをまとめています。
「弁証法とは、自然、人間社会および思考の一般的な運動=発展法則にかんする科学という以上のものではない」といい、弁証法がいかなる公式主義や教条主義とも無縁であると主張しているのです。
これで第1篇 哲学を終了し、次は、第2編 経済学に入ります。