今、書きたいこと。  2

お米の事、散策の事を書きます。

鎌倉 特別拝観

2012-04-11 08:40:56 | 散策
鎌倉山の桜を見に行きました、8日現在まだ7分咲きのようです。

そして裏道を探して探して見つからず、『極楽寺』の特別拝観に。

10時から仏生会で宝物殿のご本尊を拝み、忍性と北条重時の墓を参拝です、極楽寺は撮影禁止です。


三香園の看板がありました。これは『常盤文庫』の跡で偶然発見しました。

40年位前に『常盤文庫』という施設があり訪問しました、菅原通斎氏の持ち物で美術品があったのを覚えています。

通斎氏が『三ない運動』をしている事位しか知識がなく、当時はどんな人物かよくわかりませんでしたが懐かしく思いました、そのあと三香園というお食事処になったような、それもお店をたたんで今は売りに出されていました、年と共にいろいろな変化がありますね。





材木座の『光明寺』の山門の特別拝観で内部です。




門の扁額です。
永享八年(1436)後花園天皇より下賜されたご宸筆で、今の山門は弘化四年(1847)の再築のものです。




妙本寺の山門
新しくなりました。





海棠



丹下左膳の作家林不忘氏の墓、竹夫人(鎌倉幕府第二代将軍源頼家の娘)のお墓あり。





和賀江の島

鎌倉市材木座と逗子マリーナの間にある人工島で現存最古の港湾施設(船が接岸できた)で、鎌倉時代1232年(貞永元年)に築かれたが、現在では満潮時にはほぼ全域が海面下に隠れてしまいます、そばではウインドサーフィンの若者がいっぱい。






東京ゲートブリッジと第5福竜丸

2012-04-04 19:33:29 | 散策
2月12日に開通した『東京ゲートブリッジ』です。

オートバイで行きましたとても風が強い為、通行を諦めました。(オートバイで通れるかわかりませんが)






そのあと夢の島へ、公園にある『第5福竜丸資料館』に行きました。

今、こんな時期なので放射能という問題でとても考えさせられる展示物ですね。






カツオ漁船第七事代丸(だいななことしろまる)として進水し、その後静岡県焼津市でマグロ漁船に改造され、第五福竜丸(第五福龍丸)となったそうです。





『和のよそおい』と谷根千

2012-03-26 13:03:37 | 散策
午前中に広尾の山種美術館の『和のよそおい』を観てきました。
上村松園・鏑木清方・伊東深水氏他の日本画家の絵が展示されていて、題名からして和服の女性客が多かったようです。

展示順で一番最後に展示された上村松園氏の絵にはやはり圧倒されました、前半に観てきた絵が何だったのと言う様な全ての面で感動を与えてくれる絵でした。





午後からは移動をしてアド街でやっていた『上野桜木町』の散策に。

『大円寺』
本堂(お釈迦様)=左と稲荷(笠森稲荷)=右が合祀されている珍しいお寺です。






浮世絵師 鈴木晴信のモデル『笠森おせん』の碑があります。






『ラショコラティエ イナムラショウゾウ』日暮里駅のそばにあり本店は谷中墓地のそばにあります、チョコレート専門のお店です。
放送日の翌日なので混んでいました。



三浦半島 1周

2012-03-19 17:12:23 | 散策
40年ぶりの三浦半島1周です。

オートバイで横浜駅のそばを通り横須賀方面に。

JR横須賀駅の手前で寄道です。

京急にも『安針塚駅』があるにもかかわらず非常にわかりづらい場所に三浦安針(ウィリアム・アダムス)夫婦の墓が山の上にあります。

お墓の写真を撮るのがいやなので塚の下の説明板を撮りました。




横須賀ドブ板通りの名物大きな『横須賀バーガー』です。

つなぎを使わないお肉でマックバーガーに慣れている私なのでチョット食べにくいかな、でもマックより体にいいかも。




記念艦「三笠』
横須賀三笠公園に記念艦として保存されている船です。

明治時代、日本海海戦でロシア海軍バルチック艦隊と交戦した東郷元帥が乗った船です、記念艦として停泊してます、もちろん動けません。





観音崎の灯台に入る道で途中の断層がケーキの断面図のように綺麗に見えます、高校時代の地学の授業を思い出しました。




観音崎の『観音埼灯台』の燈源?すごいレンズ!
現役で毎日照らしています、そして『崎と埼』が違いが有ります。
現地に行って灯台の係員に聞くと教えてくれます。



そして浦賀に・・・。ここも幕末歴史の街です。

浦賀の渡し、対岸に渡るのに100円だったかな、人が集まると出航です。 




渡しのそばにある『徳田屋跡』

浦賀を代表する旅館です。吉田松陰・佐久間象山が黒船を見物する際に宿泊しており、そこで出会ったことが書かれています。
その他、浮世絵師の安藤広重、幕末では桂小五郎が宿泊したとのことです。





浦賀港の入口にある燈明崎に「燈明堂」と呼ばれる江戸時代の灯台のような役割をする施設があった。

それを平成元年に,現在の燈明堂が復元されたそうです。                

燈明堂のある付近を地元の人々は通称「首切り場」と呼んでいる。少々物騒な呼び名だが,これは江戸時代この辺りに浦賀奉行所の処刑場があり,罪人の首をはねたところからつけられた呼び名である。浦賀奉行所で死刑を申し渡せるのは,海事関係者のみだったことから,その大部分は船乗りだったと思われる。

 
                    「横須賀市教育委員会・案内板から抜粋」






城ヶ島の橋、
そばの三崎産直センター「うらり」でマグロを買ってみました。


鎌倉 稲瀬川

2012-03-13 13:47:44 | 散策
久しぶりに鎌倉散策に行きました。

鎌倉の由比ヶ浜に小さな小さな川があります、『稲瀬川』と言う川です。

結構有名な川です。


北条政子が、1180年 初めての鎌倉入りの時、良い日柄(ひがら)に入る為の調整で、数日の間この川辺の民家に滞在したらしい。また源頼朝は、1184年に弟の源範頼(のりより)が平家を討つために出発するのを見送 ったり、1185年に亡き父源義 朝(よしとも)の遺骨を出迎へたのも共にこの川辺です。 1333年に新田義貞(にったよ しさだ)軍の大将大舘宗氏(おおだちむねうじ)が、この川 辺にて討死しました、そして極楽寺近辺に十一人塚として埋葬されています。

また歌舞伎の『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)白波5人男のセリフで有名な「稲瀬川勢揃いの場」です。
稲瀬川で勢ぞろいした五人は群がる捕手をはらいのけながら、口上を順次語ります。

問われて名乗るもおこがましいが・・・さてその次は江の島の・・・など。





この川の流れは細くとも、多くの物語が秘められています。